・新彊の”教育キャンプ”で虐待されたカザフ人と親族が証言した(BW)

 *はカザフスタンの代表的な人権活動家。新疆ウイグル自治区での”教育キャンプ”におけるウイグル人や他の少数民族に対する虐待行為の告発を続けていることで、繰り返し脅迫されている。

 *Karima Abdrakhmanova 氏はカザフスタンのタラズに生まれ、現在は同国のペトロパブロフスクに住んでいる。1985年にキルギスの教育女子大学を卒業し、英語教育に携わっている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ⓵ Anykbek Turdazhan「週3回、看守が唐辛子スプレーをかけるなど虐待」

Kazakh Voices from Camps and Jails in Xinjiang. 1. Anykbek Turdazhan

 Anykbek Turdazhanは、新疆ウイグル自治区での中国政府・共産党によるジェノイドの犠牲者の1人だ。

 2011年に家族、妻、2人の子供と共にカザフスタンに住んだ。彼の妻は、中国とカザフスタンの貿易に従事しており、以前にカザフスタンの居住許可を得ていた。ところが、2017年、妻のパスポートは中国の国境警備隊によって没収されてしまった。

 Anykbekは電話で彼女から助けを求められ、彼女のいる新疆ウイグル自治区のドルビルジン県に向かおうとして。だが、国境を越えて中国に入るとパスポートは没収され、ドルビルジン県の警察署に連行され、尋問を受けました。さらに、村の警察署に移され、再度尋問を受けた後、彼女の親族が住んでいた家で妻に会うことを許された。

 だが、約一か月、その家で軟禁状態に置かれた後、ある深夜に5人の警官が家に来て、逮捕され、手錠と束縛をかけられ、ドルビルジン県のカンプ刑務所入れられた。そこで拷問を受け、20人の囚人と一つの牢獄に入れられ、食事は、蒸しパンとかゆ、キャベツのスープだけだった。

 3か月後に、今度はドルビルジン県で最大と言われるチュアリュ刑務所に送られ、さらに2か月後、県内のリリーガンシー刑務所に移送された。そこでは、中国共産党の歌を学ぶことを強制されたほか、様々な虐待を受けた。最も酷い経験は、週に3回、看守が囚人から、彼を含む”囚人”に唐辛子入りのガスをかけられたことで、窒息しそうになり、喉と目をやられた。

 ある日、突然、刑務所で当局の尋問があり、「半年ごとに国境を超えることになっていたのに、予定の日から3か月遅れて入国した。お前は二面性のある人物であり、祖国(中国)への裏切り者だ」と非難された。そして、最初の逮捕から約1年経った2018年11月に釈放されたものの、”ブラックリスト”に登録され、村を離れることは許されなかった。6か月間、自宅軟禁状態に置かれ、 2019年9月4日に、カザフスタンに戻ることを許可されました。

 彼は、精神的、経済的な損害を受け、基本的人権、人間としての尊厳が侵害されたとして、中国当局に補償を求めている。

・・・・・・・・・・・・・・・・

⓶ Abikesh Samenuly「父は、出国を認めると告げられた後に謎の死を遂げた」

 

 Arshyn Abikeshは、彼の父親、Abikesh Samenulyについて語った。Abikesh Samenulyは、2017年11月に”教育キャンプ”に送られ、中国人による大量虐殺の犠牲となった。カザフスタンを頻繁に訪れ、金曜日にモスクに足を運んだことで、糾弾されたのだ。

 1957年に生まれの Samenulyは、2013年に新疆ウイグル自治区のドルビルジン県のキガンス牧場から、カザフスタンに移住した。その後も定期的に中国との間を行き来していたが、2017年11月に中国に戻った際に拘束され、ドルビルジン県の”教育キャンプ”に入れられた後、ターガン思想改造所に送られた。Arshynは、父の逮捕、収容所送りには 正当な理由がないとして、人権団体に助けを求め、早期釈放が実現するよう努めた。

 Arshynによると、父はスポーツマンであり、定期的に競技にも参加し、健康上の問題は全くなかったが、思想改造所で健康を害し、いったん医療施設に入れられたものの、もとの収容所に送り返された。肺の疾患と悪寒に悩まされた彼は「インフルエンザ・ワクチン」と称される薬を接種された、と2019年10月に釈放された後、息子のArshynに話した。だが、釈放後、カザフスタンに行くことを認められ、パスポートを取得した翌日に、死亡した。

 Arshynは、父が病死したのではなく、収容所での虐待を表ざたにしないように、毒殺されたのではないか、と見ている。父が亡くなった時、家族全員がカザフスタンにいて、葬儀に出ることができず、埋葬場所も、葬儀の前に宗教的な儀式が行われたかどうかについても、当局から知らされていない。死因を明らかにするとともに、その責任を補償するよう中国政府に求めている。

 

Video of the interview.

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

⓷ Bakytgul Ramazan「私は“トラの椅子”で24時間拷問された」

Interviewing Bakytgul Ramazan.

 現在はカザフスタンに暮らしているBakytgul Ramazanは、1969年7月29日に生まれ、2014年に新疆ウイグル自治区のドルビルジン県のウッシカラッスムラからカザフスタンに移住したが、2017年10月8日に同時自治区に留まっていた20歳の息子に会いに、中国国境を越えたところで、国境警備員にパスポートを没収された。

 彼女は中国共産党の党員で、定期的に年会費を支払っていたが、この年、支払いが少し遅れていたので、近くの党事務所に支払いに出掛けたところ、「党の年会費を期限内に支払わず、髪を短くきらなかった」として、”教育キャンプ”での思想改造を通告され、同年の12月29日にドルビルジン県のターガン”キャンプ”に入れられた。

 ”キャンプ”での生活について、Bakytgulは、青い制服を着せられ、”虎の椅子”で拷問されたこと、鎖でつながれ、手錠をかけられ、24時間拘束されたこと、などについて、BitterWinterに詳しく語った。

 口に唐辛子スプレーをかけられるなど、 24時間にわたって拷問され、自分の”悪行”について謝罪を強要された。房の中は寒く、着せられた服は薄地、与えられた食べ物はわずかで、理由もなく厳しい処罰が横行していた。

 ”囚人”たちは中国語、共産党の歌、そして決められた踊り方を学習することを強要され、自分が犯していない罪を”自白”することを強要され、共産党のイデオロギーに反するすべての行動を「覚えている」ことを強要された。

 彼女は、共産党の党費の支払いが遅れたことを繰り返し糾弾され、なぜカザフスタンを32回訪問したのかを尋問された。尋問者からは、「カザフスタンは、ナマーズ(イスラム教で、一日に五回行うように決められた祈りの習慣)を守ろうとする危険な国だ」と言われた、という。

 その後、ターガン”キャンプ”から、近くに新設された”キャンプ”に移され、彼女と同様にナマーズを禁じられ、短く髪を切られた女性たちと共に収容された。月に一度は親族の訪問が許された。

 子宮内避妊器具の取り外しが必要だった彼女は医療施設に入れられた後、ターガン”キャンプ”の戻され、ラマダンの期間中、厳しい監視の下で、豚肉を食べさせられ、イスラム教徒の宗教的儀式を行っていないか、見張られた。非常に注意深く、すべての宗教的慣習を避け、罰や拷問を受けないようにした。

 この”キャンプ”には約400人のカザフ人女性が主要されていた。ある時、いくつかの規則が突然変更され、看守が、食料を増やすかどうか聞いてきた。

 そして、逮捕から一年余り経った2018年12月24日に釈放されたが、その前に、自分たちが、”キャンプ”でどのようの扱われたのか、口外しないように、親族たちに「中国共産党の扱いに感謝している」と言うよう注意され、カザフスタンが「世界で最も危険な26か国の1つ」であり、テロリストに悩まされている国だ、と”忠告”を受けた。

 Bakytgulは、釈放後も6か月間、監視下に置かれ、無給で地元の施設で働くことを強要された。20元と100元の支払いを受けたこともあったが、上部の命令に全面的に従うことを命じられた。

 翌年の2019年8月19日、カザフスタンの居住許可を与えられ、カザフスタンに戻り、2人の娘と夫にようやく再開することができた。夫たちはカザフスタンで、アルマトイのアタジュール人権事務所に、妻が解放されるよう、繰り返し求めに続けてきたが、「”キャンプ”から出ることができたのは、こうした活動によるもの」とBakytgulは語っている。

・・・・・・・・・・・・・・

⓸ Gulguina Toktagazy「パスポートを没収され、家族と別れて2年近くも軟禁状態に」

Interview with Gulguina Toktagazy
Interviewing Gulguina.

 Gulguina Toktagazyは、2016年10月12日に、新疆ウイグル自治区タルバガタイ地域タチェン市コクトベ村のシュバルジデク集落から2019年9月18日にカザフスタンに移り、現在は東カザフスタンのウルジャル地区のマカンシー村に住んでいる。

 彼女は収容所や刑務所に送られなかったが、自宅軟禁あるいは監視下に置かれ、絶え間ない恐怖の中で生きなければならなかった人々の一人だ。

 2016年にカザフスタンの居住許可を取り、そこに住んでいたが、翌年10月に、新疆ウイグル自治区にいる近親者が亡くなって、葬儀に出るために、家族ー彼女の夫と2人の息子、義父ーを残して同自治区に行こうとした。

 ところが国境を越えて中国領内に入って間もなく、警官が「カザフスタンに戻る時に返す」と言って、パスポートとカザフスタンの居住許可を没収。葬儀が終わって、帰国しようと、現地の公安当局に出向いたところ、パスポートと居住許可の返却を拒否されただけでなく、義兄の家に軟禁状態にされた。

 そして、毎朝、現地の公安の事務所に出向き、中国国旗の掲揚に立ち会い、中国国歌を歌わされる日々が続いた。恐れていた”教育キャンプ”送りにはならなかったものの、役所からさまざまな所に行って、清掃や厨房での仕事をさせられ、仕事のない時は中国語を学ぶことを強制された。

Interview with Gulguina. また、公安当局に、定期的な日常生活について報告し、写真を送ることを義務付けられた。表に出た時に、女性が、公安に家から通りに引きずり出され、手錠をかけられ、頭に黒い布をかぶせられて、連行されていくのを目撃し、自分も同じ目に遭うのでは、と恐ろしくなった、という。

町の通りの至る所に監視カメラが設置されており、どこに行っも監視されている、という恐怖にさいなまれた。辛くて泣きそうになったが、うっかり涙を流せば、地あの女性のように逮捕され、キャンプに送られる、と思い、必死にこらえた。

結局、彼女は、1年8か月の間、軟禁状態にされ、何度も事情聴取をされ、カザフスタンの親戚の状況、カザフスタンに引っ越した理由などについて、細かく聞かれた。2019年5月25日になって、ようやくパスポートとカザフスタンの居住許可証が返却されたが、さまざまな役所の印鑑をもらう必要があり、出国までに長い時間がかかった。た。

彼女は「私は”キャンプ”にこそ送られませんでしたが、新疆ウイグル自治区でのカザフ人など少数民族に対する虐待が日常的に行われているのを目撃しました」と語り、中国当局は、本当は、私たちカザフ人を国外に追い出したいので、恐怖に陥れるようなことをしているが、「出国する時に、家屋など財産を売らせないようにさまざまな手を使います。迫害を逃れるためには、長年努力して手に入れた財産を放棄せねばならないのです」と訴えた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」)


 


このエントリーをはてなブックマークに追加
2021年11月21日