・教皇の不可謬説に異論を唱えたスイスの高名な神学者が死去

  スイスの神学者ハンス・キュンクが6日、ドイツのテュービンゲンにある自宅で亡くなった。93歳。

 1928年3月19日にスイスのルツェルン州ズールゼーで生まれ、1954年に司祭に叙階。3年後、博士論文で、カトリックとプロテスタントの信仰義認の教義についての違いについて、「同じことが違う言葉で表現されているだけ」として歩み寄りを訴えた(義認=神によって人が義と認められること)。

  1960年にテュービンゲン大学の神学部教授になり、専門家として第二バチカン公会議に参加し、将来の教皇ベネディクト16世であるジョセフ・ラッツィンガーと関わる機会があった。

 諸宗教の歴史、特にアブラハムの宗教(聖書の預言者アブラハムの神を受け継ぐと称するユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三宗教)の歴史の研究にに加えて、神学と道徳の分野の見解でも知られたが、カトリック教義のさまざまな点に批判的な立場をとった。特に、彼は第一バチカン公会議(1869年12月8 日から1870年10月20日)で了解されカトリックの教義となっている教皇不可謬説に異議を唱え、1979年にバチカン教理省から教理神学の教授としてのタイトルを剥奪されたが、テュービンゲン大学でエキュメニカル(キリスト教一致運動)神学担当の名誉教授の職を続けた。

 キュンクは、聖ヨハネパウロ2世とベネディクト16世の二代にわたる教皇を繰り返し批判した。ベネディクト16世は教皇就任直後の2005年9月に教皇の夏の別荘、カステル・ガンドルフォでキュンクと会談し、「友好的な雰囲気の中で行われた」(バチカン広報)とされた。双方は、カトリックの教義を巡るキュンクとバチカンの対立には触れないことで事前に合意しており、二人の対話は、キュンクの専門分野で特に関心のある「Weltethos(世界倫理=世界のあらゆる宗教的価値観の中に最小限の共通項を見出し、人間の幸福、世界の平和のための理念を形成することを目指す)プロジェクト」と「自然科学の条理とキリスト教信仰の条理との間の対話」に焦点があてられた。

 バチカン広報局は声明で、「キュンクは『Weltethosのプロジェクトは、決して抽象的な知的構造ではないこと』を強調し、世界の偉大な宗教があらゆる違いを超えて収束する道徳的価値を強調した。それは、世俗的な理由から説得力のある合理性を考えると、有効な基準として認識することができる」とした。

 前教皇ベネディクト16世は「キュンク教授は、諸宗教の対話を通じて、そして世俗的な理由との出会いにおいて、人類の本質的な道徳的価値に新たな認識を提供することに貢献された」と謝意を示し、「人間の生命を維持する価値観についての新たな認識に深く関わることは、教皇職の重要な目的でもあります」と述べた。さらに、「信仰と自然科学の間の対話を復活させ、科学的思考に関して、Gottesfrage(神についての問いかけ)の合理性と必要性​​を主張する」というキュンクの試みに同意することを改めて表明した。

 バチカン広報局の声明は「キュンクは、宗教の対話と現代世界のさまざまな社会集団との出会いを支持する教皇の努力に同意する、と語っていた」と締めくくった。だが、こうした二人の会談にもかかわらず、司祭の独身制、女性の司祭職、避妊、安楽死などの多くの問題について、二人の立場は大きな距離を置いたままだった。。

 キュンクは、信仰と科学の関係についても分析し、完全な確実性に到達するためのいくつかの科学理論の主張に異議を唱えた。近年、彼は健康上の理由から、公的活動のテンポを弱め、”現役”を引退するようになっていた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

・教会改革を主張し、教皇フランシスコに「希望の光」と期待をかけていた

(2021.4.8 LiCAS.news reporter)

 キュンクは、1962年から1965年の第2バチカン公会議以来、カトリック教会の改革を支持してきた。同公会議では、分散型教会、既婚司祭、人工避妊を主張する若い顧問だった。

 1960年にドイツ南西部のテュービンゲン大学の神学教授に任命されましたが、バチカンは1979年に彼のカトリック神学を教える免許を剥奪。大学は代わりに、エキュメニカル神学の教授にし、何十冊もの著作ーそのいくつかはベストセラーになったー、そして多くの評論を執筆するポストを確保した。

 1990年代初頭、キュンクは、世界の宗教に共通するもの、一連の共通の価値観を確立することを目的とした「Weltethos(世界倫理)」プロジェクトを開始した。

 2010年、世界のカトリック司教たちに、当時の教皇ベネディクト16世に臆することなく、聖職者による性的虐待で大きく揺れる教会の信頼回復へ下からの改革を進めるよう呼びかけた。そして、ベネディクト16世退任の後、新教皇となったフランシスコに「希望の光」として期待を表明していた。

 キュンクは1957年の博士論文で、「義認の教義」について、「同じ内容が、違う言葉で表現されているだけだ」として、カトリックとプロテスタントの歩み寄りを主張して注目された。諸宗教の歴史、特に「アブラハムの宗教」の研究に専念し、神学と道徳の分野で、しばしばカトリック教義のさまざまな点に批判的だった。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

*LiCAS.newsはタイのバンコクに拠点を置く、カトリック信徒による有力インターネット・ニュースメディアです。「カトリック・あい」はその記事を許可を得て翻訳、掲載します。

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2021年4月8日