・「ウクライナで起きているのは、『自由への戦い』だ」ウクライナのカトリック大学副学長がVatican Newsと会見

Myroslav Marynovych, vice-rector of the Ukrainian Catholic University of LvivMyroslav Marynovych, vice-rector of the Ukrainian Catholic University of Lviv 

 

*現在の戦いは、旧ソ連時代の戦いを本質的に変わらない

 

問: あなたは強制収容所で数年間を過ごしました。 今日、あなたの国ウクライナは、ロシアに侵略されました。 歴史は繰り返す、あるいは少なくとも停滞していると思いますか?

答:はい、それは何度も繰り返されており、私たちウクライナ人は、ロシアから発せられる歴史的な暴力の波の類似性に、ただただ驚いています。 唯一の違いは、現在の出来事はすべてオンラインで情報が拡散し、スマートフォンで全世界が見ることができるということです。

問:今日のウクライナの戦いの意味は、ソ連時代のウクライナの戦いと同じですか?

答:多少のニュアンスは変わりますが、本当の意味は変わりません。 例えば、今日、ウラジーミル・プーチン大統領は、私たちを軍事的に戦わなければならない状況に置きました。 反体制派としての私の闘いの間、ソビエトの全体主義に対する私たちの手段は人権の擁護でした。 人権は、スターリンの独裁によって生み出された「恐怖」という当時のソ連の主たる接着剤を克服するのに役立ちました。

*今起きているのは「軍事紛争」ではない、「光と闇」「善と悪」の戦いだ

問:今日、この軍事紛争は正義だと思いますか、それとも領土獲得のための単なる軍事紛争を超えたものだと思いますか?

答:キリスト教的な意味では、間違いなく、それは純粋な「軍事紛争」を超えています。 軍事的動機だけであれば簡単です。 ウクライナ人は最初からこの戦争を「光と闇」「善と悪」の戦いとして認識しています。 同じレトリックがロシアでも使われていることを私は知っています。 しかし、私はまだ、世界が「真実」と「偽り」、「善」と「悪」を区別する能力を完全に失っていないことを信じたいと思っています。 ウクライナとの戦争は国際秩序と国際平和の原則を損なった。 プーチン大統領は意図的な嘘を広め、人々が真実と欺瞞を区別する能力を失う一因となっています。 これは単なる二国間の紛争ではなく、「プーチン大統領が人類文明全体に提起した挑戦」なのです。

問: ソーシャルネットワーク、インターネットなど、新たなコミュニケーション、情報ツールの有無は、紛争に対する世界の認識に以前よりも影響を与えていると思いますか?

答:そう思います。以前は、村全体、ウクライナの民間人がロシア軍によって破壊されたことを、誰も知らなかった。 「ロシアは帝国であり、強力な国だ」というニュースが西側諸国に届いたとしても、これらすべてが当時の「世界の標準」として認識されていました。 それが今は、ありがたいことに、それは「文明の道徳的基盤の侵害」として認識されています。 この違いは私個人にとって非常に重要です。ソーシャルメディアは出来事の正しいバージョンを広めるだけでなく、人類にとってこれらすべての犯罪を認識させることが非常に重要であることも理解しています。

 

*ロシアが取るべき唯一の道は「脱プーチン」、ロシア国民自身が「帝国の犯罪」を認めること

: ロシアが最終的には過去の悪魔の囚われの身ではなく、ウクライナや西側諸国一般ともっと穏やかな関係を持ち、西側を脅威と認識しないようにするために、何ができるでしょうか?

答:この質問に、ロシアの反体制派、ウラジーミル・ボレホフの言葉を引用して答えましょう。彼は1978年に、「ロシアの立場を変える唯一の方法は、ロシア帝国を解体し、ロシア国民が全く異なる概念を持つ国民国家を創設するのを助けることだ」と宣言しました。もう一人のロシア人、ユーリ・アファナシエフ氏は残念ながら亡くなりましたが、2000年代に「ロシアのパラダイムは変わらなければならない」と宣言しています。 そうしなければロシアは変わらない。 「ロシア帝国」が今日のままであれば、帝国主義の本能は(一時、消えたように見えても)必ず戻ってくるでしょう。

 もう一つの非常に重要な点は、「犯罪の責任者は裁かれなければならない」ということです。 これまでロシアには犯罪者を裁く伝統がありませんでした。犯罪が、常に「国家の崇高な目標と要請」で説明されてきたからです。 もし世界が今日、犯罪者を裁くことなくロシアと和平を結ぶとしたら、それは残念なことです。 将来犯罪を繰り返す直接的な道となるでしょう。

問: 今日のウクライナとロシアの間の公正な平和に必要なのは何でしょうか?

答:第一に、恐ろしい大量虐殺の犯罪の責任者を裁くことです。 そして、ロシア社会の「脱プーチン」と、ロシア国民自身によるロシア帝国の犯罪の認識です。 そのうえで、ウクライナ国民が被った損失に対する物質的および精神的補償。 そしておそらく最も重要なことは、「ロシア国民の道徳的悔い改め」です。それがなければ、平和が戻っても、またロシア人の間に復讐感情が生まれ、新たな戦争につながってしまうでしょう。

 

*ロシア正教会の考えが「異端で反正教会」という神学者の見解を支持する必要がある

問: この戦争は、非常に親しい関係にあるはずのキリスト教徒の間の戦争です。 それにもかかわらず、すべての教会は平和に貢献できるでしょうか? どうやって?

答:これは非常に重要な問い掛けです。私たちウクライナ人にとって課題となる非常に重要な点を明確にしたい。 私たちにとって、「信教の自由」は民主主義の偉大な成果であり、社会全体に受け入れられています。 私は世界中のキリスト教徒、特に正教会のキリスト教徒に訴えたいのですが、ロシア正教会の考え方を「異端で反正教会である」と非難する正教会の神学者グループの見解を支持する必要があります。

問: 東方典礼カトリック教会は、東洋と西洋の間の架け橋となるのに最も適していますか?

答:ウクライナの東方典礼カトリック教会のトップであったルボミル・フサール枢機卿が「キリスト教の東洋と西洋の架け橋」という定義を容易には受け入れないという、いささか皮肉な見解を示したことを、私は覚えています。 「人々が橋を渡る時に、橋を踏み荒らします。私は、自分たちが踏み荒らされたくありません」という言い方で。

 彼には、「仲介者」、つまり、私たちの教会が2つのグループ間の仲介者、という言葉を使う傾向がありました。 私たちは両方のグループの論理を理解しているので、仲介者としての役割を果たすことができます。 しかし、実際に効果のある仲介者になるためには、両当事者の合意を得る必要がありますが、まだそうなってはいません。

 

*大学は、すべての人の利益を考える、平和で公正な世界構築のパートナーになりたい

問: あなたが副学長を務めるこのウクライナ・カトリック大学は、真実、平和、正義を求めるこの闘いを象徴するものなのでしょうか?

答:この大学は、「カトリック」という言葉が告白的な性格を示していますが、全世界に開かれ、全世界との対話に参加したいと願い、そのような象徴になりたいと考えています。 対話は真実を前提とします。 対話は真実に基づいてのみ、成り立ちます。 私は「いかなる犠牲を払ってでも」という「対話」を信じません。それは「真実を犠牲にして」という意味だからです。 また、ウクライナ・カトリック大学は、すべての参加者の利益を考慮した、平和で公正な世界の構築におけるパートナーになりたい、と考えています。 これらすべての点で、私たちの立場がプーチン大統領の立場、つまり「(自由で民主主義の考えと)真っ向から対立する価値観に基づいた新たな世界秩序を構築したい」と願う現代ロシアの立場とは、絶対に相容れないことを示しているのです。

問: この大学はウクライナ社会の進化をどのように示し、象徴していますか?

答:2000 年代に大学が設立されたとき、私たちはすぐに、「信仰」と「理性」という 2 つの原則に基づいて教育プロセスを構築する、と宣言しました。 これまでは一般に「大学は専門知識のみを提供すべきであり、精神教育は大学の責任ではない」と考えられていたため、このような原則による教育は、当時のウクライナ社会にとって課題でもありました。今日、多くの教育機関は価値観の重要性を強調しており、私たちの経験は正しいと認められています。

 また、私たちはウクライナの教育の大部分が腐敗している状況から出発しました。 私たちは課題に直面しました。名前に「カトリック」という言葉が入っている以上、ほんのわずかな腐敗の兆候も許すことはできません。 私たちは、資金を集めて「汚職を一切許さない大学モデル」を立ち上げました。 繰り返しになりますが、これはウクライナ社会にとっての課題でした。 私たちのパートナーの多くは、「あなたがたは、生き残れないだろう」と言いました。 しかし私たちは生き残り、今ではウクライナ教育の変化の最前線に立っています。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2023年12月6日