・9年ぶりの「アド・リミナ」ー森山・大分司教の報告

(2024.5.16 カトリック・あい)

 日本の司教団は4月8日から13日にかけて、ローマを訪問し、教皇フランシスコとの会見などを行った。その内容について、いまだに司教団としてまとめた具体的な報告書は出ていないが、その中で、大分教区の森山信三・司教が5月1日付けの教区報「こだま」に掲載した報告が、かなり踏み込んだ経緯と感想がのべられているので、大分教区の了解を得て、以下に全文を転載する。

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9年ぶりのアド・リミナ

 

 全世界の司教たちは、原則5年ごとにしてペトロとパウロの墓所のあるローマを巡礼し、自分の司教区について教皇に報告することになっている。コロナ禍により延期となったため、今回は9年ぶりのアド・リミナとなった。

 日本の司教団は、それぞれの教区からローマ入りして、4月8日から13日まで、聖職者省をはじめ国務省など、10以上のバチカン内の各省を訪問した。

 以前は、自分が担当する任務の省庁だけを訪問していたが、バチカンの組織再編などもあり、全司教で各省を訪問することとなった。そのため、各省庁のトップである枢機卿や担当者との会合が、ほぼ午前中から夕方まで続くという、かなり過蜜なスケジュールであった。

 会合の中で世界的な課題として印象に残ったことは、コロナの世界的感染により教会離れが加速したこと、またグローバリゼーションに伴う個人主義あるいは他者に対する無関心などで会った。

 特に欧米では、子供が生まれても洗礼を授けない、信仰教育をしない、あるいは教会で挙式する人も極端に減少しているが、教会離れ、宗教離れが加速しているのは日本と同様だ、と感じた。

 現代の教会は、このようなチャレンジを受けているが、同時に、福音宣教省の副長官は次のように指摘した。

 「かつてキリスト教国(であった国)では、神が否定されているのではなく、神が知られていないのです。人々には神へのあこがれはある。今の時代に人々を呼び覚ます方法を考えねばなりません。方法として、音楽や芸術や美なども福音を伝える良い手段になります」。

 つまり、現代の人々は積極的に神を否定しているのではなく、知らされていない。神を探求することを止めたわけではないので、あらゆる手段を通して、人々を真理へと導くべきだ、と語ったのが印象的だった。

 12日は、聖ペトロ大聖堂の地下に眠る聖ペトロのそばでミサを捧げ、信仰宣言を唱えた後、教皇謁見の間に場を移した。教皇は、やさしい微笑で司教団を歓迎され、まず最初に「コーヒーは後ろにあります。トイレに行きたい方はおられませんか。私たちは人間ですから」と話されたのに驚いた。

 謁見は、司教たちの自由な発言に対して、教皇が丁寧に答えられる、というスタイルで一時間程度なされた。その中で、来年開催予定の大阪万博にバチカン所蔵の絵画などを出展する計画があることが話題になり、教皇が「『善』は人の心の中にありますが、『美』は人々を遠くまで連れて行ってくれます」と語られた時、先の福音宣教省の副長官が言われたことと繋がり、福音の準備として大切である、という言葉に感銘を受けた。

 また、現在進んでいる”シノドスの道”について「何か特別のことのように言われていますが、そうではありません。教会は第二バチカン公会議からこれまで60年の間、それについて考えてきたのです。シノドスをイデオロギーとして、例えば、教会の民主化運動としてとらえることは、正しくない。重要なのは、聖職者が自分の役務を適切、かつ謙虚に果たしながら、司教、司祭、修道者、信徒が一つになって、教会を作っていくことです」と語られた。

 そして、シノドスの主役である聖霊に耳を傾け、信徒だけでなく、教会の外の人々にも耳を傾け、「共に歩む教会」を目指す必要を強調された。

 教皇は謁見の最後に、「一つ申し上げたいことがあります… 喜びを失わないように。ユーモアの感覚も失わないで。ユーモアはキリスト者として生きることを助けてくれます。喜びに満たされていないキリスト者は悲しい。私のために祈ってください」と結ばれた。

 最終日は、「城壁外の聖パウロ大聖堂」と呼ばれる、ローマ郊外の大聖堂でミサを捧げた。この聖堂の創建は4世紀に遡るが、19世紀後半に火災に遭い、大半を焼失したが、ピオ9世教皇の時に見事に再建された壮大な建築である。初代教皇のペトロから現在の教皇フランシスコに至るまで、全ての教皇のモザイクと名前が刻まれていることでも知られている。

 司教一同は、教会の礎を築いた聖ペトロと聖パウロの眠るそばでそれぞれの教区のために祈り、自分たちに委ねられた務めを再確認し、その務めを忠実に果たすことが出来るよう、聖人の取り次ぎを願った。

 一週間のバチカン訪問であったが、これまでの人生の中で最も密度の濃い恵みの時をいただいたことを神に感謝し、帰途に就いた。

 

 (カトリック大分教区長・森山信三司教)

 

 

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2024年5月16日