【”シノドスの道”日本では】①東京教区・小金井教会有志グループ「共に歩む会」の取り組み報告

(2022.5.2 カトリック・あい)

 教皇フランシスコが2021年10月初めに、2023年10月の世界代表司教会議(シノドス)「共に歩む教会のために―交わり、参加、そして宣教」を開催すること、それに向けて、世界の教会は全ての司教、司祭、信徒が参加するかたちで”シノドスの道”を、共に歩むことを提起されて、すでに半年が経過した。

*”歩み”の第一ステップー少教区・グループの取り組みが進まない

 世界の教会の”シノドスの道”の現在の歩みを見ると、まず、バチカンを含めて”現場”、つまり教区、特に小教区の取り組みの情報が極めて少ない。「カトリック・あい」が翻訳権と共にニュース提供を受けている有力国際カトリック・メディアLa Croixが積極的な取材、報道に努めているが、それでもフランスやメキシコなど地域的に限られている。

 日本も、残念ながら同様だ。中央協議会のホームページなど”官製”メディアは、司教団や一部教区長のバチカンの”通達”を受けたメッセージを伝達するだけといってよく、小教区レベルはもちろんのこと、教区レベルの具体的な“歩み”などを報じることはない。

 「カトリック・あい」では、愛読者のネットワークなどで九州、関西、関東など限られた地域の情報の収集を試みているが、教区から小教区に一方的に、バチカンの準備書面に参考として示されていた問いをそのまま、あるいは若干、加工して、アンケート様式で答えるように求めているところ、あるいは、教区長が繰り返し司祭、信徒の参加を訴えてはいるものの、肝心の担当司祭は一名のみ、様々な”自分の思い”と思われるものを流すだけで、小教区がどのように”歩み”を進め、上がって来た声をいつ、どのように教区に伝えるのかなど具体的な道筋を示さないまま、今に至っている某教区もある。結果として、小教区レベルでは司祭も信徒も、ほとんど”関心”が高まらない、というのが現状、と判断せざるを得ない。

*”聖職者主義”を打ち破り、現場の信徒、司祭から「新しい教会」をー教皇の願い

 教皇が提唱されている”歩み”は、小教区・様々なグループ⇒教区⇒各国司教協議会⇒全米、欧州、アフリカ、アジアなど地域の司教協議会連盟⇒ローマでのシノドスーという、従来の”上”から、でなく”下”から、信徒たちが生活する現場の教会からの声を集め、耳を傾けつつ、ローマに至る”道”を、共に歩もうというものだ。

 教皇がこのような従来にないシノドスの進め方を提起されたのは、いまだに終息の展望が見られない聖職者による未成年者や女性の信徒などへの性的虐待と司教など高位聖職者の隠蔽、被害者への圧力による、教会の信用失墜、教会離れ、その背景にある、教皇が最も嫌われる”聖職者主義”、聖職者の”権威”をバックにした”上意下達”の慣習などを、何とかして打ち破り、現場の信徒、司祭が聖霊の導きのもとに、生き生きと喜びをもって信仰生活、教会生活を送れる「新しい教会」を作りたい、”シノドスの道”をその契機としたい、という強い思いからだ。

 そのことは、2013年3月に就任されて以来9年余り、教皇フランシスコのミサ、正午の祈り、一般謁見、その他さまざまの場での言葉を丹念に追ってきた筆者には、はっきりと確信をもって言える。さらに言えば、世界全体を脅かし続け、教会活動にも大きな影響を与え続けている新型コロナ大感染、さらにロシアのウクライナ軍事侵攻が世界の平和に深刻な脅威をなりつつある現在、教皇が繰り返し言われる「『危機』を『機会』ととらえ、教会の刷新、新たな教会への旅立ちの機会とする」ために、世界のすべての司祭、信徒の参加の歩みを進めることが、いっそう重要になっている、と言っていい。

*コロナ禍の制約の中で、具体的な”歩み”に努める実例を刺激にしたい

 小教区レベルの”歩み”が進まない背景には、コロナ禍で教会活動が長期にわたって制約され続け、教区レベルも、小教区レベルも”歩み”が思うようにいかない、ということもあるだろう。

 だが注意が必要なのは、”聖職者主義”、”上意下達”の悪しき伝統が、”シノドスの道”の歩みを阻む障害になっている、という側面だ。聖職者による性的虐待裁判を抱える教区、教会資金の不正流用による巨額損失発生への対応に課題を残したままの教区などの場合、小教区レベルから信徒や司祭の率直かつ活発な声が表に出るようなことは避けたい、という思惑もある、との現地の信徒からの指摘を聴いている。そうでなくても、信徒や現場の司祭から”本音”が多く出されれば、教区に混乱をきたす、収拾がつかなくなる、という心理も働いているのではないか、との見方もある。

 だが、そのように批判を続けていても、何も建設的な成果は上がらない。そこで、「カトリック・あい」では、教皇がくださった、現場の教会を、信徒も司祭も生き生きと喜びをもって活動できる「新し教会」にする契機に、この”シノドスの道”をしていこう、という希望をもって、様々な障害の中で歩みに努めている実例を、極めて限定的だが、可能な限り紹介する試みを始めることにした。

 以下は、その第一回として、東京教区の小金井教会有志の取り組みと、信徒1人ひとりから出された具体的な声を極力”加工”せず、テーマごとにまとめたものをご紹介する。

・・・”シノドスの道”の歩みについて、皆さんの教会の取り組み、ご意見・ご感想をお待ちしています⇒ https://catholic-i.net/読者の声/まで

(「カトリック・あい」南條俊二)

 

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東京教区の小金井教会有志による「“シノドスの道”を共に歩む会」

 

*「シノドスの道」の歩みをどう進めるか-私たちの理解

・教皇フランシスコの呼びかけで世界の教会が取り組みを始めた“シノドスの道”。世界のすべての信徒参加のもとに、小教区、教区、各国、そして地域と段階的に互いの声に耳を傾け合い、まとめ、2023年10月の「共に歩む教会のために―交わり、参加、そして宣教」を課題とする、バチカンでの世界代表司教会議を目指すものだ。

・教皇フランシスコがこの時期に「シノドスの旅」を始めようとされたのは、かねてから訴えておられるように、「コロナ禍による『危機』を『機会』ととらえ、教会の刷新、新たな教会への旅立ちの機会とする」、世界のすべての司祭、信徒の参加でそれを進めたい、という強い思いからだ。

・コロナ禍で、時間的にも制約があるが・・・教皇庁のシノドス事務局が示した日程では、2023 年 10 月の世界の代表 教が集まるシノドス通常総会までに、世界の小教区・教区⇒各国⇒地域(アジア、オセアニア、欧州、南北アメリカなど)に段階的に歩みを進めていく、となっている。

・第一段階(小教区・教区から各国司教協議会でのまとめまでの期間)は今年 8 月 15 日まで。日本の各教区から司教協議会への報告期限は 6 月 4日になった。東京教区をはじめ日本の多くの教区は、小教区の教区への報告の期限は未だに提示していないが、教区から司教協議会への報告期限からみて、小教区の声を受け取ってもらう期限は、その一か月前つまり 5 月上旬と考える。

*教区から小教区への報告期限はもとより、明確な意見交換の方向も、はっきり示されていない教区が少なくない。このように”海図”が不十分な中であるが、教皇から示された機会を生かす必要があると考え、小教区としては主体的に判断して進めることが必要と判断し、昨年11月から、取り組みを始めている。

・具体的には、小金井教会では、第一段階となる小教区での取り組みについて、長期にわたるコロナ禍で、信徒全員が一堂に会する集まりを持つのは困難な状況から、主任司祭と協議の上、まず、約10名の一般信徒、シスター有志による「共に歩む会」を持つこととし、昨年11月から、感染状況に配慮し、かつ教区の感染予防の指針に従い途中の開催一時停止もはさんで、4月23日まで3回の分かち合いを行なってきた。

 コロナ禍での信仰生活、日常生活、そして地域社会との関わりあいの中での思い、悩み、喜び、それをもとに、どのようにすれば、信徒として、教会として、コロナ禍から立ち直り、コロナ以前に増して生き生きとした“共に歩む教会”にしていけるか、を考えよう、という主旨のもとに、4月までに三回の分かち合いの場を持った。以下はその内容だ。5月21日に予定する第四回をとりあえずの“仕上げ”の会として、内容を正式に東京教区に報告する。

             

*“シノドスの道”を共に歩む会」第1回、2回で出された声は

昨年11月の第一回は、世話人信徒から「シノドスの道」についての説明、教皇のシノドスの旅開始に関する講話の読み合わせ、菊地大司教シノドス開始ミサ説教抜粋、バチカン・シノドス準備文書のポイントの説明のあと、参加者全員で、特にコロナの 2 年の経験、改めて気付いたことなどを分かち合った。出席者全員による主な発言は以下の通り。

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【教会での人と人の実際の交わり、共にいることの重要性】

・教会における人と人との実際の交わりの重要性を痛感した。コロナ禍が長引く中で、教会のメンバーがどのような状況に置かれているのか分かりにくくなっている。実情が把握できないので、どうしたら困っている人の役に立てるのか、対応が思うようにできなくなっている。

・共にいることの重要性を痛感した。教会に行けない、ミサに出られない、人との話の場がない、一緒に食事にも行けない、ということで、人と人との関係が疎遠になり、心が満たされない寂しさを味わう人が多い。神様とのつながりは重要だが、実際の人同士のつながりがなければ…。

・ミサに共に参加している、という実感の重要性。連絡網が無く、地区会も開かれない状態で、教会の仲間とも思うようにつながることのできないもどかしさ、を感じる。

・また、グループの集まりでは、開催が出来なくなっていた時にも、主宰の方が挨拶と資料をメールで送ってくれるなどしてくれたことで、教会と繋がっているんだ、という実感が持てた。と同時に、実際に皆で教会に集まって分かち合いが出来ることの大切さを改めて感じた。

・コロナで、参加していた講座も休みになり、信仰の分かち合いを皆と一緒にできなくなった。人と人が実際に会うことの大切さを知った。

・教会に来て、ミサに出て、皆と話をするなかで、信仰を強める、栄養をもらえることの重要性を知った。

・コロナがこれほど長引くとは思わなかった。結果として、共同体のありがたさを痛感。活動が中断されるなど、横のつながりがかなり断たれている。ただ、知り合いのさいたま教区のある教会では、今でもミサがなく、聖体訪問さえできない状態が続いているところがある。それに比べて、イエズス会、サレジオ会などの司祭の協力を得て、毎日曜日ミサにあずかれる小金井教会はありがたい。

【コロナ禍で明らかになった問題】

・コロナ禍で“お家生活”“たこ壺生活”が長引くと、気が緩んでくる。一方で、イエスのことを良く知らないことが分かった。

・感染が始まって動きが止まった当初は、時間に追われず、ゆったり過ごせる、と思ったが、そうした生活にすぐ飽きてしまった。知人で、夫を亡くされても外での活動で元気にしていた人が、コロナで活動が出来なくなって孤独にさいなまれている、と聞いたが、私たちは主に祈ることができるので、(孤独が癒されるので)ありがたい。

・コロナ禍で人と人との触れ界の機会が減ったのは確か。ミサが復活したが、再発防止のために、午前9 時と 11 時に地区によって分かれ、同じ教会でもずっと顔を合わせていない人が多い、事実上の分断状態。バザーも巡礼も中止されて、多面的な信徒のつながりの機会が失われている。

・人は、ある状態が長く続くと、「このままでいいのではないか」と思うようになる傾向があるとおもう。

教会の信徒もそうなることが心配。「早く教会が正常に戻って、皆で一緒にミサに与りたい」という気持ちの反面で、今の時間帯のミサに慣れたから・・という心理も働くのではないか。

・コロナで人との出会いの機会が断たれ、”禁断症状“。YOUTUBE でミサなどを配信してくれるのはありがたいが、”エネルギー“の交換がない。リアルのミサとは代替がきかないことを実感した。日本の内外で様々な悲惨な出来事が起きているが、何かできないか、と思っても動きが取れない。コロナ前にあった教会でのふれあい、分かち合いの機会が極端に少なくなっているのが一番つらい。

・コロナ禍でこれまでの会食や懇談がままならず、孤独感を深め、身体だけでなく心理的にも弱くなっている。

・この間に、ミサ再開しても歩行に支障が出て、教会に来れない人を車でピックアップするなどしてきたが、希望しない人が増え、そもそも、車を運転する本人が、最近の高齢者事故続出を見て、免許返上を検討。支援もままならなくなりそうな状況。

・コロナ中のミサで、歌無しの典礼になったが、言葉+沈黙の祈りの長所が再発見できた。共に祈るのは歌や言葉だけでなく、沈黙の中に皆の心を合わせ、深く祈ることの重要性を感じた。

・日曜学校の休校などもあり、ミサに来る子供たちが激減。若者たちもほとんど見かけない。外国人も、技能研修生がコロナで帰国してしまったこともあってか、ほとんどミサで見かけなくなっている。

・クリスマスは、洗礼を受けていない一般の人たちが教会やミサに関心を寄せる機会なのに、昨年、今年と、どの教会も所属信徒以外はお断りになりそう。

・こうしたことが常態化して、信徒も信徒でない人も、教会、ミサから足が遠のきつつあるのを感じる。

・一般社会よりも教会の関係者に心身共に元気がなくなっているのを感じる。それは、「カトリック・あい」の閲覧者数の減少にもうかがわれるようだ。

 

【コロナ禍で新たな発見は】

・コロナ禍で、ZOOM が頻繁に使われるようになり、海外の人たちとも顔を見ながら対話ができるようになった。故国の司祭のミサにもインターネットを通じて参加でき、説教も聴くことができるようになった。知人の不幸があったときも、インターネットで各地の人と繋いで祈ることもでる、というプラスもコロナをきっかけに生まれている。ただし、ZOOM などを利用できない、利用しない人にはそうしたメリットは得られない、という問題がある。

・日本国内でも、コロナを契機にインターネットで菊地大司教ミサに参加したり、教会関係の講座にも参加できるケースが頻繁になった。ZOOM なら質問も気楽にできるなどメリットもある。

・コロナのためにミサに集まれなかった時期に初めて internet によるミサに与かった。神父の説教は自分一人に話してくださるようで良く分かり、有り難いと思ったが、ご聖体を頂けないのはどうにももどかしく感じた。

・YOUTUBE や ZOOM の活用が増えたのは、時間と空間を越えてミサに出たり、講座に参加できるなどメリットがある。公開ミサが中止の中では、ミサの配信はありがたかった。インターネットで色々な情報交換もできるし、その意味で人と人が、不十分とはいえ、つながることができるかも知れない。

・だが、年配者にはこれらを活用することができない、あるいは意欲をなくしたり、しなくなった、という人も少なくない。年配でなくても、利用しない人もいる。コロナ後も活用の傾向は続くだろうが、そうした人との落差が開いてしまうのに、どう対処すべきか。

【コロナ以後の取り組みなど】

・教会活動再開の中で、近所同士でもそうだが、まず、あいさつ、声掛けに努めたい。

・コロナが落ち着いたら各方面で動き出すこと。容易でないかも知れないが、一歩踏み出す必要。

・コロナがひとまず収束の方向にある中で、教会活動も徐々に復活しているので、以前やっていた「祈理の会」を復活させたい。

・・自治会、町内会の中には「年配者の会」が活発に活動しているところもある。運動や歌、その他、様々なサークルを作って、ほとんど毎日のように集まり、役員会も頻繁に開く、役員はそれぞれの地域を担当し、毎週のように、会員の自宅に連絡、案内のプリントを配布して、それこそインターネットができない人も情報を共できるようにしている。教会のように信徒の住まいが広がっていないので容易な面もあるが、参考にできるのではないか。

・教会外で主催していた 20 年以上続く飲み会食事会が 5 つほどあるが、コロナ下火で再開されるのは1 つだけ。2 年もされないとノウハウや人脈の弱体化の心配も。継続的な人との交わりが薄れる恐れ。

・巡礼などチームによる準備が必要な教会活動は、準備の過程から「共に歩む」ことができるものだったが、休止期間中にチームの高齢化が進み、体力の衰え、身体に支障をきたす方も増え、再開に懸念。

・コロナ禍で活動停止になった様々な活動を、再開するのはとてもエネルギーがいる。だが、ノウハウも若干失われ、肝心の当事者たちの老化が進んでいる。

・しっかりと、対応を考えないと、ポスト・コロナで自然に元にことはあり得ない。

・教会内だけでなく、日本、地域社会での教会の役割などもコロナの経験などを踏まえ、再考も必要。

【シノドスの歩みについて】

・教区として進めていく方向が、教区ニュースなど読んでもはっきりしない。何を話し合うのが明確にしてもらいたい。

・シノドスの道、というのはこれまで耳にしたことがない。今回初めて、下に降りて来たようだが、意見をどうまとめるのか。関心のない人をどう参加させていくのか。ミサ後の説明があったが分からない、という人もいる。

・たしかに、シノドスの道は分からない、説明聞いても分からない。それより自分のことで精一杯、という声もある。身近なところから考えればいいのではないか。困っている人たちの声を聴くことから始めても。

・資料読んで感じたが、崇高な目標を立てろ、と言っているわけではなく、自分たちと教会、あるいは地域との関係がどのように影響を受けているのか、から始めて、教会の現在の問題点を明らかにし、ではどうしたらいいのかを話し合える場を作っていくことが求められているのではないか。

・教皇は、対話の重要性、耳を傾けることの必要性を強調しておられる。ポスト・コロナで元に戻る誘惑を避けよ、とも言われている。まず、自分たちのいる場から、集会でももっとやさしく説明して、皆の意見を出してもらう。そうしていかないと、小教区の持ち時間に間に合わないのでは。

・自分が出来る小さなことから始め、それが集まって大きな動きになっていくことを考えたい。難しく考えず、出来ることから、明日でも始めれたら。コロナ禍で足が教会から遠のいている人が、また行こう、ということになるように。

・教会離れ。キリスト教に魅力がない。それを考えると、やはりミサと祈りで力をもらう、そういう姿勢が一人ひとりに必要。

・プロテスタントから移ってきたが、ミサや祈りで、神と自分との関係がすごく深まった実感があった。コロナ禍で教会活動が抑えられ、孤独な人、落ち込んでいる人もいるが、人は一人では生きていけない。ミサ後も、皆と分かち合いたい。教会の内外で、奉仕活動も含めて、コロナ後は考えることができればいい。

 

*第1回、2回の声を踏まえて、2022年4月23日の第3回の会で出されたさまざまな提案など

 ①若者、外国人の教会離れ、他教会の信徒がミサに与れぬ異常事態に慣れないことが重要

・コロナ禍の 3 年で顕著になったこと。年配者の急激な弱体化、足腰の不自由、気力の低下・・教会に来ないことが常態化・・・・外国人が特にベトナムの若者たちが来なくなった・・

教会から離れた人たちを、改めて迎える努力・・若い人たち、ベトナム人の若者などが見かけられなくなっている。私たちの刺激にもなった彼らが今、どうしているのか。声をかけることが出来ないか。

・コロナ禍で、小金井教会に所属していない信徒がミサに与れない。東京教区全体がそうなっているが、小教区を越えた交わりもなくなっている。他教会所属だが、教会に行ってない知り合いには教区ニュースなどを送っているが、降誕ミサや復活祭ミサにも与るのを希望しているが、出ることが出来ない。

・コロナがすぐ終わりだろう、多少の不自由はやむを得ないと思っていたが、常態化し、“慣れ”が出来てしまうことを懸念している。コロナ長期化で、やれることを新たに考え、実行していく必要。

 

②年配の信徒、患者の方などへのケアを工夫しよう

・コロナ禍で、年配者が教会に来られなくなっている。個人的には気づいた範囲で「主日の典礼」などは届け、様子をうかがいに出かけているが、できれば、教会からの便りや祈りのカードなども入れたい。だが、個人が個別に気が付いた範囲で対応するのは限界がある。教会として、組織として、もれなくするようにしたい。

・「福祉チーム」などを作っている教会もある。正式なチームを作れば、色々な人が参加できるようになる。

・桜町病院のボランティアをしているが、このほど活動を再開したものの、病棟の外の清掃などに、まだ限られている。ホスピスも同様の制約があるが、それでも、患者さんから「皆さんが活動されているのを見るだけでも励みになる」との声をいただいている。

・クリスマスやイースターのシーズンに、関心を持たれる人たちに、自然な形で説明できるといい。病院に入院されている方などから、「信者でなくても聖堂に入れますか」などと聞かれることがある。コロナが終息したら、「悩んだり、苦しんだり、あるいは、感謝したい方はどなたでも、お祈りにおいでください」といった表示を教会の表に出すといい。ミサ後の奉仕グループ・マルタの会のコーヒー、紅茶サービスが復活できれば、活用できる。府中教会では毎月、第二と第四土曜日に子ども食堂が続いているようだが。

⓷参加の輪の拡大・家庭集会、小金井のキリスト教会合同コンサート、バザー再開

家庭集会には、信徒でない人も参加しているが、ヨハネ館地下の集会場に行き来する際に聖堂でシスターが歌の練習をしているのを見て感動した、と言われた。そうした”宣教効果”もあると思う。

・「呼びかけ」という意味では、「シノドスの道」への参加の輪を広げるために、ミサ後などに繰り返し説明したらどうか。

・小金井KC-NETの活用も必要。11の教会にはそれぞれ聖歌グループがあり、合同のコンサートなどで、互いの連帯を深め、外部の人たちに関心をもってもらうこともできる。そうした共同の催しでは、事後に、お茶の会などして、参加してもらうようにしたらいい。

・ヨハネ・ホスピスのチャリティーでマリンバのコンサートを、小金井教会聖堂を会場に、小金井市と共催で開いたことがある。その後にミニ・バザーを開いて、それを目当てに来た人もいた。

・教会独自、ミニでもいいので、そろそろバザーの準備を始めたらどうか。外に人に教会を身近に感じてもらえる機会として有効。

 

④志願者、新規受洗者ケアを充実させたい

・他の教会では既にやっているが、洗礼志願者、新規受洗者を長くケアするグループが必要。信徒の”先輩“として、自分の体験などを伝えたりもできる。

 

⑤信徒の連携深化に名簿復活に工夫は

・様々な活動をする場合に、信徒の間で連絡を取り合う必要があるが、そのために必要な名簿がない。「個人情報・・」で具体的に何が禁じられているのか、きちんと調べたうえ、どこまでしていいのか、いけないのか、明確にしたい。信徒の過半数が指示するなら名簿を作れるのかどうか。

・せめて、掲載を同意した信徒だけでも、連絡名簿が出来ないだろうか。

 

  

⑥信徒1人ひとりが「外」に出ていく努力必要・地域社会での活動

・教会内活動も重要だが、カトリック信徒が全人口の0.2%しかいない日本社会では、外の人々を呼び込む努力もさることながら、信徒1人ひとりが「外に出ていく」努力も必要。

コロナ禍でも国分寺市などでは、町内会や長寿会などの活動が復活しており、さまざまな趣味の会や学びの会、旅行会などもコロナ対策に万全を期したうえで活発になっている。参加者は70代、80代中心。皆、生き生きとして参加している。そうした活動に積極的に参加し、世話人など支える役を務めること。

その際に、創価学会の地域社会への溶け込みの努力が参考になる。人間的にも評価の高い人が、いくつかの活動でリーダーを務めているが、宗教宣伝などは一切しない。選挙などの時に電話はあっても、強要するようなことはしない。

ウクライナ支援チャリティーコンサートが先日、国分寺市と同市国際協会が共催でされたが、協会関係者への働きかけで実現した。そういう関わり方もできる。

 

⑦教区の宣教司牧方針の「小教区運営規約」に以上の活動を考慮する・”全員参加”を

・これから始めることになる小金井教会の運営規約策定作業で、以上のような活動を組織的に広めていくために、「福祉チーム」「新受洗者ケアチーム」「年配者ケアチーム」「対外宣教チーム」などの担当部署を作ることも可能。「福祉チーム」では桜町病院、老人ホーム、ヨハネ・ホスピスなど奉仕活動に組織的取り組みなど。

・小金井教会運営規約を早く作り、教会信徒の教会活動、福祉への参加をしやすく、関心をもってもらう。その中に、対外支援・福祉活動グループを作り、自由な発想で具体策を立て、参加者を集め、参加しやすく、楽しんでできる環境、情報交換を進める。・・桜町病院、老人ホーム、ヨハネ・ホスピス・・・などに組織的取り組みなど。例えば・・・ 足の不自由な人の送り迎え、教会の資料の届、話しを聴く ・家庭集会や自主グループの展開 ・ 町内会、長寿会など地域の活動への積極的参加、貢献、奉仕 など。

 

⑧教会、司教団への希望

・教会への希望は、コロナ禍で長く行われていない祈りや黙想について、修道会司祭に定期的に指導していただけるようにしてもらいたい。

・日本の司教団は、カトリック信者のために、お互いに協力し合いまとまっていただきたい。お互いに祈り合う姿勢を見せていただきたい。

 

(文責・東京教区小金井カトリック教会「”シノドスの道”を共に歩む会」世話人・南條俊二)

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2022年5月1日