・日本の司教団が、バチカンに「日本の教会の回答書」を送ったが…”シノドスの道”には程遠い

(2022.8.28 カトリック・あい)

 カトリック司教協議会がこのほど、第16回世界代表司教会議(シノドス)の日本の教会の回答書をまとめ、バチカンのシノドス事務局に送るとともに、その内容を中央協議会のホームページ掲載した。

 だが、その内容を見ると、残念ながら、事務局が例示したものを「質問」と受け取って、大半がこれまで繰り返し言われていることを、”提出期限”に間に合わせるためにまとめた”作文”にとどまっている、と言わざるを得ない。

 「今回のシノドスへの回答に関する各教区の取り組みには目を見張るものがある。こういったシノドス的教会の歩みを、今後も教区を越えて全国的に活かしていきたい。司教団も各教区も、今回の取り組みをこれで終わりにしないことが大切である」という回答書の締めくくりの言葉は、およそ、”シノドスの道”を真摯に受け止め、可能な限りの努力を重ね、無力感を覚えている信徒が受け止めている日本の教会の歩みの実態とはかけ離れたものだ。

 このような回答書になったのは言うまでもない。ほとんどの教区で、小教区、あるいは各種の信徒のグループレベルの”歩み”が広がりをもってなされることも、そうするような努力も十分にになされなかったことにある。つまり、教皇フランシスコが提唱された世界の信徒一人一人の声に耳を傾け合う、ということがなされないまま、一年近くを過ごしてしまった、ということだ。

 教皇が来年10月の世界代表司教会議に向けて世界の教区に、司教たちに希望されたのは、これまでの教会が、”聖職者主義”から脱することができず、信徒一人一人の声に耳を傾け、皆で共に歩む教会になっていなかった、現実の社会と共に歩む教会になっていなかったことへの反省をもとに、司教、司祭、修道者、一般信徒が互いの声に耳を傾け合い、それを互いに真摯に受け止め、共に歩む教会を育てていく形を作っていくことだったはずだ。

 小教区、各種グループから教区に至る”シノドスの道”はその重要な「第一段階」だったはずだが、日本の司教団はそのような教皇の思いを受け止め、具体的な取り組みをすることができなかったようである。

 「カトリック・あい」に全国の意識ある信徒から寄せられた声も含めて、ほとんどの教区で、そのような取り組みはされなかったようだ。教区レベルのまとめが出されたところもあるが、大半のケースでは、多くの信徒が歩みに参加することなく、”知らないうち”にまとめができていたようだ。日本の教会レベルの以下のまとめが、バチカンへの提出期限を守って出された形式的な”作文”になったのもやむを得ない、ということになろう。

 回答書からは、信徒たちの本音の叫び、訴えなどは聞こえてこない。回答書に「各教区での意見収集は、新型コロナウィルス感染症の拡大、ロシアのウクライナ侵攻、世界各地で起こる自然災害など大きな困難のなかで実施され」とあるが、まさに、日本の教会はそのような中で、従来からの司祭の減少、高齢化なども含めて、これからどのような歩みをするべきかがテーマになってしかるべきだが、真摯な声が全く出ていない。

 新型コロナ感染が、教会に与えている深刻な打撃、その実態、叫び、従来から抱えてきた問題の表面化、そこから得られている多くの教訓などは、まさに、これからの日本の教会作りに生かしていける、生かすべきものだと思われるが、この回答書には全くと言っていいほど出てこない。「カトリック・あい」では、教区レベル、小教区レベルの歩みが進まない中で、そのような問題意識を持った複数の有志信徒のグループの数度にわたる分かち合いのまとめを、英訳付きでシノドス事務局に送付していただく約束を取り付けたうえで発表しているが、当然ながら、この回答書には、その内容は反映されていない。目を通すことすらしていないのだろう。

 回答書発表の”前文”にある「今回のシノドスが意図しているように、シノドスの準備としてではなく、まさにシノドスに参加しているものとなりました」という意味不明の言葉はともかく、「識別する共同体が、『ともに歩む教会』の姿を示し、困難の中にある人々に励ましと勇気と希望をもたらすものとなる」ことを期待するという言葉に、「そうなっていない」という”本音”がにじみ出ているように思えてならない。

 そうであれば、その”期待”を実現するために、”シノドスの道”のとりあえずの終着地となる来秋の世界代表司教会議まで残された一年余りを、日本の司教団、そして司教たちは、”回答書で終わり”とせず、未来に開かれた日本の教会に向け、司祭、修道者、信徒と共に歩むための真摯な努力の期間とすべきであるし、そうされることを強く望む。

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第16回世界代表司教会議(シノドス)の日本の教会の回答書 日本の教会の皆さまへ (2022.8.22 中央協議会ホームページ)

 「第16回世界代表司教会議(シノドス)の日本の教会の回答書」を提出することができることを喜びに思います。今回、日本の教会としての回答書を作成するにあたって、多くの信徒、奉献生活者と司祭にご協力いただいたことにあらためて感謝いたします。
また、新型コロナウィルス感染症が蔓延するという困難な状況の中で、各教区のシノドス担当者の働きのおかげで、これほど多くの意見と要望が寄せられたことにも感謝してやみません。
各教区での意見収集は、新型コロナウィルス感染症の拡大、ロシアのウクライナ侵攻、世界各地で起こる自然災害など大きな困難のなかで実施されましたが、それぞれの共同体に識別の機会を与え、今回のシノドスが意図しているように、シノドスの準備としてではなく、まさにシノドスに参加しているものとなりました。識別する共同体が、「ともに歩む教会」の姿を示し、困難の中にある人々に励ましと勇気と希望をもたらすものとなることを期待しています。

日本司教協議会は、各教区と連携しながら以下のように行いました。
2021年5月、世界代表司教会議第16回通常総会(2023年10月開催予定)“For a Synodal Church: communion, participation, and mission”(ともに歩む教会のため―交わり、参加そして宣教)の準備に関する書簡(Prot.N.210114)と資料を受理しました。
2021年10月、教皇がシノドスの歩みを始める開会宣言を行い、各地方教会でシノドス開始のための宣言をすると同時に2年間かけて、教皇庁と各国の教会で進めるスケジュールに従い、各教区に担当者またはチームの任命を行うことを通達しました。また、教皇庁シノドス事務局からの指示に従い、アジアの司教たちと、シノドスの進め方について感想と質問を分かち合うことを目的にウェブミーティングを行いました。シノドスに向けた『準備文書』(Preparatory Document)と『手引書(vademecum)』を各教区に配布し、アンケートの回答方法などを通じて「シノダリティ(ともに歩む)」の重要性を強調しました。
また、キリスト教諸派とともに歩むようにとの要請を受けて、2022年7月21日に、日本聖公会・日本福音ルーテル教会・日本キリスト教協議会(NCC)からの意見の聴くための懇談会と合同礼拝を開催しました。

このような経緯でまとめられたものが以下の「第16回世界代表司教会議(シノドス)の日本の教会の回答書」で、この英語訳を教皇庁シノドス事務局に提出します。
こうしたわたしたちのシノドスの歩みにより、これからの日本の教会と社会がイエスの福音により近づくものとなることを願ってやみません。

2022年8月15日 聖母の被昇天の祭日 日本カトリック司教協議会

 

 

第16回世界代表司教会議(シノドス)のための日本の教会の回答書  2022 年 8 月 15 日 日本カトリック司教協議会

Ⅰ.日本における教区での意見収集(フェーズ)

2020 年の春に始まった世界的な新型コロナウィルス感染症拡大に伴い、日本の教会も公開ミサの中止、教会行事の中止や規模縮小など大きな影響を受けた。2021 年 10 月から始められた今回のシノドスに向けた準備は、日本全 16 教区に、教会の現状についての識別の機会を与え、未来に対する希望と大きな励ましとなった。2022 年 7 月司教総会での承認を受け、本回答書を提出できることを神に感謝する。

シノドスと関連する各教区の状況

A. 全 16 教区のうち半数ほどの教区は、過去数年間に教区シノドスを開催したり、あるいはシノドス的な方法を用いて教区の宣教方針を策定したりと、自教区の宣教方針の見直しを実施していた。その意味で、全教区の多くの人はシノドス的な歩みを体験してきており、今回のシノドスによる意見収集を通して、各教区の歩みに弾みがついたことは喜ばしいことである。

B. 今回あらためて、「シノダリティー」や「シノドス的教会」の理解が深まる絶好の機会となったという感想が多かった。信者一人ひとりの「教会への思い」を定期的に分かち合うことの重要性に気づき、自分の信仰の原点を振り返り、各自の生活体験から教会の在り方を見直す大切さが体感された。

C. 意見収集の方法として、各教区は『準備文書』にある 10 の質問そのものではなく、状況に応じて独自の質問票を作成したところもあったが、本まとめ文書においては、すべての教区の回答を『準備文書』にある 10 の質問に沿って整理した。

課題と困難さ

A. 今回の意見収集は新型コロナウィルス感染症による集いの制限のもと、実際の集会ではなく、アンケート用紙による意見収集も行われたため、分かち合いのダイナミズムから出てくる、参加者相互の新たな気づきが生まれにくかった面があったと思われる。

B. 分かち合いの前段階で、現代の日本の教会が抱える困難が語られた。司祭・修道者の減少とその召命の激減、信徒数の減少と高齢化、子どもや若者が教会にいないこと、会議やイベントで疲弊した小教区、教会の資金不足、信者職員がほとんどいないカトリック施設、教会内部の不一致、一般社会からの認知度の低下、といった課題である。これらは教区や地域によって程度の差はあるものの、現在の日本の教会に共通する課題である。

C. 教会に集う若い世代の信徒が少数であることによって、若者が声を出す機会を作れないといった現状が明らかになったが、一方で外国籍の信徒の回答には比較的若い世代が含まれていることに気づかされた。

D. 教区フェーズの時間的制約に関しては、現場での工夫で困難を克服したところも多くあったが、根本的に「今回、回答しなかった人たちの声をどう拾い上げるか」という課題が残る。また、普段教会に来ても話そうとしない人の声を拾い集めることは非常に困難であるが、そこにこそ共同体づくりと宣教の新たな材料が見つかるはずである。何らかの理由で教会から距離をとっている信者に対する宣教的関心は、すべての教区で共有されている。

Ⅱ.10の質問についての全国からの意見

(1)ともに歩んでいる人

小さくされている人々

A. 信者たちが「ともに歩む」べき人と考えるのは「助けを必要とする人」、つまり、高齢者、病者、生活困窮者、外国籍の人々、ホームレスの人、さまざまな障がいを抱える人、依存症者、犯罪被害者、受刑者、LGBTQ の人、離婚再婚者、ひとり親の家庭などと、列挙することはできるが、実際にともに歩めているかと言えば一概にそうとは言えない。

B. 意見収集のプロセスの中で、洗礼の恵みを受けたすべての人が、自らに呼びかける聖霊の導きを分かち合い、識別しながら、ともに歩んでいくことが重要であるという理解も深まり、「シノドス的教会」においては「ともに歩む」ことが宣教する教会となる道であるという有意義な気付きがあった。これは、各教区のシノドス事務局が有益な種々の資料を作成し解説するといった努力の成果といえる。

「ともに歩む」ことへの困難さ

A. しかし信者たちは、実際「ともに歩む」ことにさまざまな困難さを感じている。たとえば、小教区の仲間内の「サロン化」、新しい人に対する排他的な傾向、信者同士の関係が希薄になることへの懸念、教会内の人間関係のトラブル、悪口、差別意識、対立や争い、裁く姿勢などである。また個人的には精神的、経済的に余裕がなく、自分の生活で手一杯と感じ、周囲の人に積極的にかかわれないといった声もあった。コロナ禍にあってこうした障害が加速し、人々の交わりがさらに困難になっている。

B. 「日本の教会」といっても、外国にルーツのある人々が含まれていることをつねに留意する必要がある。日本人信徒と外国籍信徒の考え方や感じ方における違いが、回答内容に影響している。外国籍信徒との交流が不足していると感じている人は多い。一方で、日本語教室や子どもの教会学校など、協働が進んでいる教会も多い。近年顕著な問題は、日本独自の政策による、いわゆる「技能実習生」(フィリピンやべトナムなどアジア諸国からの実習生)は、比較的短期(3 年)の滞在となり、日本語が習得できず、小教区共同体とのコミュニケーションがいっそう難しくなっていることである。

C. 教会の中で、聖職者による性的なハラスメントを含め、さまざまなハラスメントを受けたという指摘もある。当然のこととして、各教区においては対応のための窓口などを設けてはいるが、ハラスメントに対する社会の理解が大きく変化する中で、教会の対応は後手に回っている。そのため、組織として隠蔽をしているのではないかという疑義を、教会内外から向けられることもある。聖職者中心主義の歴史的積み重ねがその背景にあるという指摘には充分に耳を傾け、司祭・修道者の養成課程での信徒との関わりの強化を当該責任者に求める声がある。

教会を離れている人

A. 多くの人が心を痛めている問題として、教会を離れていった人たち、離れざるをえなくなった人たちのことが挙げられた。人間関係のトラブル、教会活動の重い負担からの逃避、仕事の多忙さや病気が理由で教会に来られなくなるなど、さまざまな理由で教会を離れた人への関心は高い。宣教地の日本で、せっかく神の招きで教会に結びついた人たちが離れざるをえなくなる痛みを多くの信者が共有している。

B. 同様に、カトリックに改宗した第二世代以降の教会離れについても、多くの人が痛みを感じている。福音の魅力を伝えきれなかったことへの反省の声もある。また、青年たちにとっては教会に同世代の仲間がなく、教会が魅力的でないと感じる現実の根は深い。

C. 成人洗礼者の受洗後のフォローアップの重要性も多く語られた。代父母の役割を活かし、教会活動への参加を促すなど、小教区全体でとりくむ新信者の信仰養成が求められる。

(2)聴くこと

聴く「場」として

A. 教会の中で、孤独な人、神を求める人、声を出しにくい人、弱い立場の人の声を「聴く場」が十分ではないという反省意見が多く見られた。

B. 教会外の場所で寄り添おうと、一般民家を借りたり、街頭のスペースを確保して一般の人たちの声を聴くという方法も実践されている。さらに自死予防や独居者支援を行う市民団体と協力して、聴くための活動に出向いている信徒も多い。

声を聴くことへの困難さ

A. 声を聴くことへの困難さについては、個々人の姿勢(自己中心、傲慢、思い込み、不寛容、無関心、教会の特権意識、攻撃性、聴く側の疲れ、傷つくことへの恐れ、閉鎖性、消極性、心の余裕のなさなど)が指摘された。さらに、不安定な人間関係、時間がない、自分の方が聴いてほしいという欲求などの理由が挙げられた。これらを克服するには、「語る」教会から「聴く」教会への文化的な変容が求められる。

B. 『ラウダート・シ』が呼びかけるように、教会がだれにとっても「共通の家」として、差別なく、互いに連帯して、祈りと感謝のうちに聞き合える教会を目指さなければならない。

(3)声を出すこと

声を出す「場」として

A. 教会の中では、ミサ、結婚式、葬儀、教会受付、屋外掲示板、講演会、コンサートなどの機会、その他の広報活動、ネットや SNS、手紙やニュースレターの送付など、多様な活動が行われている。降誕祭など大祝日の集いに地域の人を招待したり、教会施設を地域活動に開放するなど、地域のニーズにも応えている。

B. 教会外では、カトリック幼稚園と保育園、学校、大学、ボーイスカウト、社会福祉・医療施設、カトリック書店などでより多くの非信者に接触できる。こうした場で、キリスト者としての生き方や行動を通して信仰を伝えることで、押しつけでない神との出会いへの奉仕ができる。さらに、自治会活動や近隣清掃・草刈り、「子ども食堂」、エコ活動なども、出会いの場となっている。個人として地域にかかわっている信者を小教区で支えるといったかかわり方もある。

声を出すことへの困難さ

A. 「聴くこと」のへの困難さにも通じ、無関心、自己中心、異なる意見の排除、効率重視、勇気のなさといった態度が挙げられた。

B. 日本においては、社会から宗教は怖いという警戒感、宗教アレルギー、宗教団体に属することへの抵抗感が存在し、キリスト教に対する反感や疑惑の目が向けられやすい地域もある。こうした状況では、信者として孤独感があり、面と向かっての宣教活動に躊躇する心理がある。少数派であるカトリック信者が人前で声をあげ、社会に対しチャレンジとなるような発言をするには、宣教意識の涵養や信仰の生涯養成の継続が必要である。

C. 外国籍信徒のケースでは、社会的に弱い立場に置かれ、差別を受けているケースも多く、世間に対し声を出すことがさらに困難である。

(4)祝うこと・典礼の実際

ミサが源泉であることの再確認

A. コロナ禍によってミサ参加が制限されたことで、かえってミサこそが信仰生活と宣教活動の源泉だと、その重要性が再認識された。この体験を活かしていくために、典礼と祈りに関する学びと養成、信徒の積極的な典礼奉仕が必要だと、皆が感じている。

B. 社会が多国籍化する中で、国籍と文化を越えてともに祈ることの大切さを多くの人が唱えている。多言語でともに祈るための方法と人材の養成、ノベナなどの諸外国の信心業の共有、日本のミサは「静かすぎる」といった感想を受けての新たな活力ある典礼への挑戦など、課題は多い。

「祝う」実感のなさ

A. 聖堂の静謐さ、清潔に整った美しい聖堂空間を大切に思う心情は日本的霊性の表れとしても、そもそも祈りと典礼への参加を「祝うこと」と表現したこと自体を意外に感じ、「祝う」実感がないまま典礼に参加していることへの気づきがあった。また典礼が形骸化・空洞化しているといった反省もある。公会議による典礼改革から半世紀以上経っているが、典礼が信者の心に響いていないところがあるのであれば、活性化の余地がある。

B. 司祭の減少、司祭の準備不足、ミサ参加者の減少、連帯意識の希薄化、信徒の多忙さ、信徒の養成不足、信徒の役割の固定化・特権化、ミサより趣味、仕事、学校を優先する、といった課題が挙げられた。

C. 信徒からはミサ説教の充実が求められている。献堂などを祝う周年行事の意義も指摘されている。祈りのためのオンラインツールの活用、非信者とともに祈る機会の創設といった工夫が求められ、子どもや若者が減っている中、その年代に焦点を当てた典礼ももっと工夫されるべきである。

(5)宣教における共同責任

日本における宣教の場

A. 日本では、異宗婚の家庭が多く、また家族の中で一人だけ信者である場合が多い。信者ではない他の家族への遠慮から教会へ足が遠のくこともあれば、教会を優先し家族と溝ができるといった問題も生じる。しかし、そのような信徒も家庭は宣教の場であるとの自覚はあり、彼らを支える司牧者たちの熱意と小教区共同体の温かなかかわりが求められる。

B. カトリック幼稚園や学校、施設においては、信徒でない教職員、園児、保護者、入所者、地域住民とのかかわりは日常的であり、信徒以外の人とともに歩む実感は、小教区よりも強く意識されている。祈りの時間を通してキリスト教に触れ、また医療・社会福祉施設では生老病死にかかわり、キリスト教的霊性を感じる場面も多い。宣教国のカトリック施設は、福音のあかしの場として有効である。

C. 教会を訪ねてくる非信者に対する対応や求道者への対応に関する信徒の奉仕が求めらる。こうした新しい人を迎え入れる温かさは、若者に対しても必要である。宣教に向かう体制づくりや、そのための養成を受ける機会に対するニーズは大きい。聖書、宣教、典礼、祈り、殉教者についてなどの学びが望まれている。また洗礼を前提としない、キリスト教を学ぶ講座や、教会以外のたとえば公共施設などで行う聖書講座も大切である。

宣教に向かうことへの困難さ

A. 各人の無関心、怠慢、安楽を求める気持ち、勉強不足、信仰の弱さ、負担感、といったところから宣教活動を躊躇する人も多い。司祭・修道者に依存する意識から、宣教に消極的な信徒も多い。信徒の場合、教会活動とは別に、地域社会や職場で、信者であることを周りの人たちに公表しながら、自分の生活を通して宣教することの大切さも自覚しているが、現実はそううまくいっていない。

B. 聖職者が信徒の参加を妨げることもある。司祭、修道者、信徒の支え合いが弱いと教会が外に向かわない。信徒の高齢化、減少により、教会の働き手が不足し、信仰教育や社会奉仕活動はかなり後退している地域も多い。

(6)教会と社会における対話

さまざまな社会課題について

A. 日本の教会では、社会的弱者や小さくされている人、たとえば、生活困窮者、災害被災者、高齢者、病者、精神疾患者、依存症者、DV 被害者、移住移動者、在留資格のない人や入管収容者などとのかかわり、また環境問題への取り組みを通して、社会との対話を重要視し、実際の活動を継続している信徒は多い。市民運動の人たちや自治体と協働している教会も各地で見られる。近年、ジェンダー、LGBTQ などの理解が教会内でも深まってきた面がある。ただし、直接的な政治問題についてのかかわりには、信徒間に温度差がある。

B. キリスト教会が少数派である日本では、カトリック学校や施設の存在は重要である。そのため、非信者の教職員が生徒・利用者に福音を伝えるための継続的な養成が必要である。

C. また、カトリック学校・施設と教区や小教区の連携が改善されることで、社会への対話も促進される。小教区の枠を超えた医療関係者、学校教員といった同業者グループの活性化もこれに寄与している。

D. 離婚や性的少数者、生命倫理問題に関するカトリック教会の教義は、日本社会の価値観と異なる場合があるが、これらについても社会と対話を続けなければならない。

地域社会における教会の存在感の減退

A. 残念ながら、司牧者・信徒とも、高齢化と減少がすすむ中、小教区、修道会、信徒団体、教育施設等の連携が弱まり、諸活動から信者への情報共有も不足し、個々の活動が孤立する傾向にある。

B. 以前に比べ、教会内でも社会の課題について話されることも増えたが、依然として、環境問題、社会正義、教会の社会教説などへの問題意識は、いまだに一部の人には深まっていない。無関心や受身な姿勢が見られ、カトリック教会の発信力が育たない。

(7)キリスト教諸派とのつながり

具体的活動を通じたエキュメニズム

A. 日本では少数派であるキリスト教会は、エキュメニカルな動きによって、日本社会からキリスト教そのものへの評価を得ることができる。カトリック教会はキリスト教諸派と、市民クリスマス、朝祷会などの合同礼拝、一致祈祷週間などの祈りの集いで、小教区・教区レベルでともに活動している。また、社会奉仕活動(ホームレスの支援活動など)や、社会問題(平和運動、被差別部落問題、難民支援など)に対する活動での連携も各地で行われている。

B. 教団同士、またキリスト者同士が具体的な活動を通じて互いに知り合うことで、異なる信仰告白があることを知り、それによって自らの信仰を問い直す機会となっている。小教区の聖堂建設中に、プロテスタント教会の聖堂を借りるという事例もあった。

C. 司教団は、日本聖公会、日本福音ルーテル教会、日本キリスト教協議会(NCC)の代表者から、シノドスのテーマに関する意見を聴く懇談会と合同礼拝を2022年7月21日に行った。

限定的な体験

エキュメニカルな活動に参加したことのない一般の信徒にとっては、他のキリスト教諸派との交わりの機会は限られる。信者の中には、キリスト教諸派との交わりに無関心、批判的、拒絶的な態度の人も存在し、司牧者の理解と姿勢に依存していることが多い。

(8)権威と参加

教会の意志決定プロセスの再構築

A. 教区・小教区の意思決定の質は、徐々に向上してきている。教区レベルの諸委員会や経済問題評議会などで、司祭、修道者、信徒が協力態勢を組む姿も多くの教区で定着してきている。小教区の年間目標を司祭と信徒が共同で作成するところが増え、教区・小教区の宣教司牧評議会の構成メンバーも多国籍化し、意見収集の過程も活性化している。教区・小教区の現状や財政状況は公表が進み、運営はより透明化されたものへと変化している。

B. 外国籍信徒の場合、外国語のミサが週毎に違う教会で行われることもあり、特定の小教区への帰属意識が低い場合が多い。これも共同決定のために、乗り越えるべき課題である。

 

信徒全般の意識は依然「司祭中心」

A. 役員となる信徒とは別に、一般信徒レベルでは、司祭と信徒との協働精神が共同体全体に浸透していない面もあり、教会の決定は司祭任せで、無関心な信徒も多い。その原因として、決定にかかわる信徒がいつも同じで、声の大きな信徒の意見に偏るといった問題がある。役員の任期制が重要だが、交代できる信徒がいないという悩みもある。仕事や家庭の事情で、教会の役割を担いたくても担えない信徒のジレンマもある。

B. 司祭の中で聖職者主義的な意識が強い場合もあり、信徒と協働する志向と準備が必要になる。司祭と男女の信徒とが十分に対話することが、協働していくためには必須であるが、信徒の中では画一的な平等を求め、位階制に必要以上に反発するケースでは、混乱が生じることもある。

(9)祈りと共同識別

聖霊の助けを願い、イエスの求める共同体に

A. 日本では、おしなべて「識別」という用語に対して馴染みが薄く、現状では識別が定着しているとは言い難い。まず識別とは何かを学ぶ必要がある。その上で、個人の霊的識別を助けるための霊的同伴者が必要であり、その霊的同伴者の養成が求められている。地域によっては、観想修道会と信徒との霊的結びつきは大きな支えとなる。

B. 信徒同士の共同での識別や、小教区共同体としての識別については、聖職者主義が残っていたり、リーダーシップの取れる信徒が少ないという現実はあるが、実践をとおして学ぶことが求められる。外国籍信徒と共同識別するには、ことばの壁を克服するなどの工夫が必要である。

(10)シノドス的成長・自己形成

シノドスの動きを活性化する

A. 各教会で分かち合いを深め、霊的識別を探求するというシノドスの動きを活性化するため、聖書研究、分かち合い、対話スキル、黙想、共同での祈りと識別といったことに関する養成を、総合的に行うことが重要である。もっと学びたいという情熱は全体ににあふれている。この実現のために、教区・小教区でシノドスの歩みを継続することは重要である。

B. 信徒の生涯養成には、外国籍信徒、障がいのある人、困難を抱える人たちなど、教会の中で周縁に置かれがちな人も忘れてはならない。養成のための諸課題を克服するためにデジタル技術も活用できるが、IT に対応できない世代への配慮も忘れてはならない。

Ⅲ.今後に向けて

今後、教会の「シノドス性」をさらに豊かに生きるために、今回行ったような意見交換の場を定期的に続けることが必要であろう。以下の課題を挙げたい。

1. 少数派としての日本の宣教

A. 滞日外国籍信徒を加味した日本のカトリック信徒の推定数は人口の約 0.72%であるが、わたしたちには、アジアまたは東洋特有の伝統的な霊性・精神性を背景に、国際化する日本社会の中で生きている開かれた信仰共同体としての独自の宣教の歩みがある。普遍教会はこのことを理解すべきである。

B. キリスト教が少数派である日本社会の中で、福音のメッセージを発信するためにキリスト教諸派が相互交流を推進してひとつになり、社会とオープンな対話を続け、社会の福音化に寄与したい。

2.「ともに歩む」ための霊的サポート

A. わたしたちの信仰が共同体を通してはぐくまれ、培われていくことを再確認する必要がある。そのためには聖職者も含めて、信仰共同体の一人ひとりを大切にし、心を配り、励まし助ける共同体とならなければならない。そのような共同体として成長するために、信仰共同体を支える人、霊的同伴者の存在が必要となる。

B. とりわけ、高齢となっていく兄弟姉妹に対する霊的サポートに加え、日本の社会の中で生きる外国籍の人々、その家族に対する霊的サポートは必須である。

3.信仰共同体の絆を深める

A. 洗礼を受けてもさまざまな理由で教会との距離が生まれてしまう信徒に対するアプローチに力を入れている、という声もある。教会から離れてしまいがちな若い世代のニーズに応え、次の世代を育てることは緊急の課題である。

B. 日本は全国で多国籍化しており、ことばや文化の違いを超えて共生していく機会を恵みとしてとらえたい。その中で、多文化の教会を目指すとき、日本の教会は「ともに歩む」教会として、日本社会に対し、宗教の真価と福音的価値を、説得力を持って発信することができる。

4.全国的な規模でのシノドス性の進展

A. 今回のシノドスへの回答がなされなかった人の声を聴くことや思いをくみ取ることは課題として残る。今回のシノドスが日本の教会に変化をもたらすために、まだ参加していない信徒、奉献生活者、聖職者に対して、教会とシノドスが同義であるという理解を促し、わかちあいを通じて、現代の日本社会の中でともに歩むことが実りにつながると実感してもらえるように働きかける。

B. 今回のシノドスへの回答に関する各教区の取り組みには目を見張るものがある。こういったシノドス的教会の歩みを、今後も教区を越えて全国的に活かしていきたい。司教団も各教区も、今回の取り組みをこれで終わりにしないことが大切である。

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2022年8月28日