・「UT UNUM SINT(すべての人を一つに)」を最優先に-シノドス総会直前、有力枢機卿が語る

 Cardinal Christoph SchönbornCardinal Christoph Schönborn

問:「シノダリティ」をテーマとする今年、来年の2回にわたるにシノドス総会の1回目が間もなく始まります。一連の総会から、どのような成果が生まれることを期待しますか?

答: まず申し上げたいのは、 この総会では多くのことが起きる可能性がありますが、何が起きるか、私たちには分かりません。教皇フランシスコは、私たちを「耳を傾ける」「識別する」というかなりユニークな道に導かれました。  これらは常に行われなければならないことであり、教会の活動にとって基本的なことですが、教皇は識別力の問題、つまり「主は、私たちに何を示しておられるのか」という問題をより明確に強調されました。神は、私たち、そして今日の教会に、何を望んでおられるのでしょうか? 総会は、この識別の道を深め、学び、経験する試みです。

問:  数年前、ウィーンの教会で、教区シノドスが開かれましたね。そこで何が起こりましたか?

答: それは”シノドス”ではなかったので、少し説明が必要でしょう。「教区シノドス」には、教会法で定めた非常に正確な定義があります。 私には、それとは別の「教区集会」を考え、多くの信者の賛同を得て、実施したのです。5回開き、それぞれの教区、教育機関、修道会など、私たちの教区のあらゆる現場から 1400 人から1500 人の代表が参加しました。 その基本は、教皇フランシスコが何度か言及した、(新約聖書の)使徒言行録にある「使徒会議」のイメージです。私が教区の司祭、信徒たちに提案したのは、主と共に歩む旅で経験したこと、神が私たちの生活の場や小教区で何を気付かせたのか、秩序を持って互いに話し合うことでした。

問:  そのプロセスで最も印象に残ったことは何ですか?

答: 使徒言行録に示された方法論でした。 当時の生まれたばかりの教会共同体では、キリスト教徒になろうとする異教徒たちに問題がありました。洗礼を受けるべきか?洗礼を受けた場合、ユダヤ教の律法も守り続けねばならないのか?それともキリストへの信仰で十分なのか? この大問題を解決するために、彼らは自分たちの経験を振り返り、いくつかの識別をしました。まずペトロが話し、次にパウロとバルナバが話し、最後に集会全体が互いに耳を傾け、祈りました。そして 最終的に、「聖霊と私たちが決めたことは…」という結論を導き出しました。

  2015年に教皇フランシスコが、シノドス設立50周年記念の式典で、シノドスについてのご自身の講話の前に、私に話をするよう頼まれ、私は、使徒たちの原始キリスト教会の経験について語りました。この道、教皇が何度も繰り返しておられる、「語り、耳を傾け、識別する道」が、私たちが今、歩み続けている”シノドスの道”にふさわしいものだと考えています。

問:  ウイーン教区集会の結果はどうなりましたか?

答: 私たちが教区でやろうとしたことは、私たちの間の親睦を深め、司牧的な取り組みを促進することでした。何かを決めるための投票をせず、決議案も提出も文書も出しませんでした。自分たちの経験に照らして教会の活動についての課題を共有したのです。それが、5回行われた教区集会のやり方でした。聖職者による性的虐待の悲劇と、そらがもたらしている教会の信頼の危機という困難な時期に、非常に前向きな経験になりました。私たちは、強い信仰と交わりの経験を持っており、それが私たちが落胆することなく前進するのに役立ちました。

 

問:  今回の総会のテーマ「Synod on Synodality(シノダリティに関するシノドス)」は、多くの人たちの感性からかけ離れているように見え、やや専門的なタイトルのように思われますが

答: 1985年に開かれたシノドス第二回臨時総会に司教としてではなく、神学者として参加しました。テーマは「第2バチカン公会議の再確認」。第二バチカン公会議が閉幕して20年後に開かれたこの総会では、特定の具体的課題は設定されませんでしたが、「交わり」に関する議論が大半を占めました。教会の本質的な特徴としても「交わり」です。

 今回の、「シノダリティに関するシノドス」も同様のものだと思います。 シノダリティは非常に単純です。それは教会の交わりの在り方であり、統治の問題や決定、教会活動全般についても言えることです。 シノダリティに関するシノドスは、教会的交わりは、神の民全員による共なる旅は、どのように福音的なものとして生かされるのか、に関するシノドスです。

 1965年以降に開かれたシノドス総会のほとんどは、具体的な課題を持っていました。2014年から2015年にかけてのシノドスでは、悔い改めや家族などがテーマとなりました。今回の総会の「シノダリティ」というテーマは、第2バチカン公会議の貴重であった、交わりと交わりの在り方、シノダリティのさらなる一歩となることを目指しています。忘れてならないのは、シノダリティの旅は、現代だけでなく、歴史の中でもなされてきた、ということです。ですから、シノダリティは、信仰において私たちの先輩だった人たちの旅を思い起すことにもなるのです。

問:  教皇フランシスコは、シノドスは祈り、聖霊の声に耳を傾け、互いに耳を傾け合い、識別することで成り立つ、と強調しておられます。それは、多数、少数の論理に従う民主主義国の議会とは異なりますが。

答:  私たちは議会、本物の議会、議会制民主主義を有するすべての国に敬意を表します 少しだけ付け加えたいことがあります。当然ながら、議会は明示的に聖霊を呼び起こすわけではありません。世界の議会の中には、祈りの伝統をもつものが、まれではありますが、存在します。 私は、ベネディクト16世教皇の、イギリス議会で行った演説を思い出します。教皇は、「議会制民主主義においてさえ、何らかの形での識別が存在する、と指摘しました。イギリス議会における奴隷制度の廃止の決定は、この制度が人間の尊厳に反するという認識が議会での議論を通じて深まったことによるものだった、と語られたのです。確かに、シノドスは「議会」ではありませんが、そのことは、議会の機能が良くない、と言うことを意味しません。

 

問:  では、シノドスと議会の違いはどこにあるのでしょう?

答: 違いは、シノドスでは、教会の様々な活動について常に全会一致を目指していますが、それは、独裁政権や共産主義の国の議会のように誰もが同じ投票をせねばならない、という意味ではなく、「一致に向けた緊張」をもったものなのです。ほぼ満場一致に達するまで、真理の探求と善の探求を進める聖霊の声に耳を傾けることです。 これは私が知っている教区の評議会、さらにはシノドスでもやってきたこと。会議の運営規則で投票を差でめている場合は、決定のためには投票総数の 3 分の 2 の票を獲得しなければなりません。

 また、シノドス総会は、教皇の諮問機関。立法機関ではないことも忘れてはなりません。 それは、耳を傾けること、聖霊に皆で耳を傾けることが求められます。教皇フランシスコは、家族に関するシノドス総会と、今総会に準備のために、教区や国、大陸などの2段階または複数の段階での司祭、信徒の集まりを開くことを希望されていました。そして、そのまとめとなるシノドス総会も、今年と来年の2回開くことを望まれました。なぜなら、それが、全員一致への道であり、使徒たちの原始キリスト教会について、使徒言行録が書いているように「ut sin,  cor unum et anima una(信じた人々の群れは心も思いも一つ・・)」でなければならないからです。その調和が、聖霊のしるしなのです。

問:  「聖霊の声に耳を傾ける」とはどういうことでしょうか? 具体的にどういう意味ですか?

答: 教皇は私たちに、霊的な会話の仕方を教えてくださいました。 それは何で構成されているでしょうか?  「敬意を持って、相手を受け入れ」ながら、「互いの話に耳を傾け」、「識別力を働かせ」、神の御心が何かを知ることです。 数年前に開かれたアマゾン地域シノドスでは、教皇フランシスコが、このことを会議の運営に反映するよう提案されました。「識別力が欠けているように思えます。もっと識別力が必要です」と。

 決定に至るために必要な識別力を持っていることをどうやって知ることができるのでしょうか?  識別力を働かせることは、教皇の統治に必要な技巧ですが、シノドス総会の運営、総会参加者の調和を図るための技巧でもあります。私たちはこの「耳を傾ける」プロセスにおいて、教会としてのこれまでの経験を生かすことになるでしょう。当然ながら、総会で提起されるであろう問題や今日的な課題は数多く、議論や意見の交換に多くの時間を費やすことになるでしょうが、常に「聖霊に耳を傾ける」ことが必要です。

問:  確かに、今回の総会に至る”シノドスの道”のこれまでにない特徴は、現地の教会を巻き込み、地域社会や教会から離れていた人々さえも巻き込んで、幅広く参加させ、その意見に耳を傾けよう、という試みにありました。 このようなやり方は重要ですか? 重要だとしたら、その理由はどこにあるのでしょう?

答:「内部」ではない、離れていった人々の声に耳を傾けることは重要です。それによって、私たちがよりよく識別できるようになるからです。 そして当然ながら、信者の方々の声に耳を傾けることが必要。 信仰の問題で信者の声に耳を傾けることに関する聖ヨハネ・ヘンリー・ニューマンの有名な本を読んでみてください。 第一バチカン公会議の時に書かれたこの小さな本は、シノダリティを模索する私たちにとって、とても参考になります。

問:  「神の民の信仰に耳を傾ける」とは、具体的に何を意味しますか?

答: それは 「sensus fidei(信仰の感覚)」です。 もちろん、これは統計では明らかにされません。私たちが、信仰の感覚に耳を傾けることをしないなら、聖霊に耳を傾けていることにはなりません。なぜなら、神の民の「信仰の感覚真」の中に生き、認識されるものが十字架、神の民の信仰の核心だからです。

 私が若い神学生だった時、ブルトマンの思想と Entmythologisierung (脱神話化) の考えについて学びました。 それは従来のキリスト教の信仰に対する根本的な疑問を投げかけるものでした。 家に帰ってそのことを母に話すと、熱心に聴いてくれた彼女は、しばらくして、驚いたような目で私を見て、こう言いました。「でも、もちイエスが生ける神の子でなければ、私たちの信仰は空っぽになってしまう」と。

  母がいつも私に教えてくれたことは、神の民、素朴な人の信仰、神の民の信仰に耳を傾けることでした。 これが、教皇フランシスコが強調する「大衆の信心」「人々の信仰」であり、アマゾン地域シノドスの最終文書の中に見られる主張の要点です。(同じドイツ人で高名な進歩派神学者ハンス・キュンク師と危機的な関係にあった時、当時のラッツィンガー枢機卿(後のベネディクト16世教皇)が説教で次のように語ったことを思い出します-「神の民の信仰に耳を傾けるために謙虚に奉仕しない神学は役に立たない。 それは霊的な知識だが、信仰には役に立たない」。多くの信者だけでなく、教会から距離を置いていた人たちも巻き込む方法が識別のために重要だと思います。

 

 

問:  今回のシノドス総会のもう1つの特徴は、司教以外の人々の参加です。かなりの数の信徒、特に女性が含まれていますが、総会の進め方などは、従来のシノドス総会と比べてどこまで変わるのでしょう。総会の 結果はどうなるとお考えですか?

答: 過去 50 年間のシノドス総会には、専門家あるいは聞き役として男女の信徒が常に参加していました。 今回初めて、男女かなりの数の信徒が議決権を持つシノドスの正規のメンバーとして参加することになりました。それでも、私は、シノドスの本質的には変わっていないと思います。というのは、シノドスは確かに司教の会議であり、参加者の大多数を占めるのは、依然として司教です。会議の伝統は、何よりもまず、地域、国家などの司教が集まるものだからです。しかし、一般の信徒の正規のメンバーとしての参加は、互いに耳を傾ける習慣を向上させるために重要です。

 これまでかなりの数のシノドスに参加してきた経験から、男女の一般信徒や聖職者の専門家、聞き役としての参加が議論に大きな影響を与えたと言えますが、 今回はさらに一歩進んだ形で、司教たち以外の声を、議論に取り込みます。 今回のシノドス総会にも、引き続き専門家が参加し、カトリック以外の兄弟教会からも代表者が参加する予定です。 

 そこで私たちは、55 年以上前のパウロ 6 世教皇によるシノドスの始まりを思い起こす必要があります。シノドスは、「ペトロの後継者の周りに集まる普遍教会の司教の声」として考えられていました。 非常に重要な意味を持つ投票でシノドスの意見が決められることもありました。ですがこれは、最終的に、さらなる識別のために教皇に伝えられる神の民の期待の表現です。 今総会に導入された新たな参加の形は、第2バチカン公会議後のシノドスの意味を本質的に変えるものではありません。

問:  司教以外にも広範な信者が参加する今回のシノドス総会の準備文書には、これまで何十年にもわたって議論されてきた多くのトピックが取り入れられました。一般信徒や女性の教会活動への参加を増やすための具体的な改革や、道徳神学に関連するいくつかの問題を再考するための要求などが含まれています。今総会では、このような課題がどれほど重視されるのでしょう?

答: このご質問に私は答えることができません。確かに、これまでの”シノドスの道”の大陸レベルの会議や世界中のいくつかの司教会議で、教会活動への一般信徒の参加の問題が取り上げられています。 これはすでに第2バチカン公会議の中心テーマとなっていたものです。 一般信徒の参加は公会議の意向の中心にありました。ですが、学ぶべきこと、やるべきことはまだたくさんあります。

 (公会議を始められた)聖ヨハネ23世教皇は、「『教会活動における女性』のテーマは時代のしるしの一つであり、世界中で生じている大きな問題の一つであり、このテーマは確実に存在する」と述べておられました。しかし、私は、特に世俗化した西側世界でさかんに議論されている諸問題が教会全体にとって中心的な課題だ、という主張には、少々懐疑的です。

 例を挙げてみましょう。 アマゾン地域シノドスでは、既婚男性の司祭叙階を認めるようにとの強い主張が、特定のグループからなされました。(この地域の 信徒数に対して司祭があまりにも少ない、と言うのがこの主張の根拠とされいたが)司祭の召命が数多いコロンビア出身の司祭が1200人も、中南米以外、米国とカナダで活動している、というのを疑問に思う人もいます。どうして、彼らのうちの100人か200人でも、アマゾン地域の司牧に行かないのでしょうか? そうすれば司祭不足の問題も解決されるでしょう。 このように、もう少し識別力を働かせ、問題の複雑さをしっかりと理解しようとする姿勢が必要な場合のあるのです。そうした姿勢を確認する意味でも、私は今回のシノドス総会が有意義な機会を提供する、これらの問題についての認識を共有する機会となる、と確信しています。

問: 欧米では世俗化が進んでおり、かつては家族内で行われていた信仰の伝承が断たれているようです。 このような状況の中で、どうやって人々に福音を告げ知らせることができるのでしょうか?  今回のシノドス総会は、これにどのように役立つでしょうか?

答: あなたは、「信仰の伝達は家族の中で行われた」とおっしゃいました。家族内でそれがなされなくても、信仰を伝えることは不可能ではありませんが、難しい。その意味で、2014年から2015年にかけて開かれた、家族に関する二度のシノドス総会が非常に重要です。 信仰の伝達は、主の御業であり、絶えず行われている、と私は確信しています。私たちに 呼びかけるのも、招くのも主であり、人々の心の中で働かれ、イエスが言われたように、ご自分に引き寄せるのも主です。 イエスは世界中で働いておられますが、この呼びかけ、主の働きを理解するのを助ける人々も必要です。

 もちろん、世俗化は大きな問題ですが、私は、世俗化した社会について語られたベネディクト16世の言葉を思い起こします。チェコ共和国を訪問された時、こう言われたのです-「ここにも、聖霊が働かれるチャンスがあります」と。それは真実です。ですから、世俗化は、マイナスであるばかりではなく、前向きな面もあるのです。主は活動的です。これは福音です。生命の力、命を奮い立たせるもの。その意味で、私は確信しています。多くの批判が起きているにもかかわらず、教会の一致へ前進する一歩となることを。

 

*クリストフ・シェーンボルン枢機卿=オーストリアカトリック教会のリーダー。神学者。77歳。オーストリア司教協議会会長(在任:1998年 – )。ドミニコ会所属。現在のチェコの首都プラハ郊外、リトムニェジツェ生まれの77歳。両親はドイツ系の旧貴族の末裔で、父のシェーンボルン家は17世紀以降、数多くの司教、枢機卿、選帝侯といった高位聖職者を輩出してきた。画家だった父はナチス・ドイツ占領統治期には抵抗活動に身を投じ、第2次世界大戦後、チェコスロバキアがソ連の支配下に置かれドイツ系住民に対する迫害を始めたため、両親に連れられて生後9か月でオーストリアに亡命した。若いころから師弟関係にあった故ベネディクト16世教皇の側近の1人だった。行政能力、危機管理能力に長け、枢機卿団の中では保守派とされながら、漸進的な改革論者で、教会内の保守・革新両派から好意的に見られ、様々な問題について穏健で寛容な姿勢を取ることもあって、教皇候補として名前が挙がることが多い。(「カトリック・あい」)

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2023年9月20日