【シノドス総会Ⅰ】総括文書が発表ー「すべての人を包み込み、世界の傷に寄り添う教会に」

The Assembly of the Synod on Synodality gathered together in the Paul VI HallThe Assembly of the Synod on Synodality gathered together in the Paul VI Hall  (Vatican Media)

 

 

 

 

*中心にいる貧しい人たち

 総括文書は、「『敬意を払われ、受け入れられ、認められる』ことと理解される『愛』を、教会に求める貧しい人々」に多くのスペースを割いている(4a)。 「教会にとって、貧しい人々や社会の周縁にいる人々のための選択肢は、文化的、社会学的、政治的、あるいは哲学的なカテゴリーである前に、神学的カテゴリーである」(4b)と繰り返し述べ、「貧しい人々」を「物質的に恵まれない人々だけではない… 移民・難民、先住民族、暴力や虐待の被害者(特に女性)、人種差別や人身売買の被害者、依存症の人、少数派の人、見捨てられた高齢者、そして搾取される労働者」と規定(4c)。」

 そして、「弱者の中で最も弱い立場にあり、その典型として、絶え間ない擁護が必要とされているのは、胎児とその母親である」と指摘。 今総会は、腐敗した政治と経済システムが引き起こす戦争とテロによって生み出された『新たな貧困層』の叫びを認識している」としている。

政治分野と共通利益に対する教会の責任

 この意味で、教会は、個人、政府、企業が犯した不正行為に対する公の弾劾と、政治、団体、労働組合、大衆運動(4fおよび4g)への積極的な関与について立場を明確にせねばならない、とし、 同時に、教育、保健、社会的援助の分野における教会の「いかなる差別も排除もなし」の強固な活動を軽んじてはならない(4k)、と総括文書は述べている。

*移民・難民問題

 総括文書は、移民、難民問題にも焦点を当て、「彼らの多くは故郷を追われ、戦争や暴力の傷を負っている」が、「多くの場合、彼らを歓迎する共同体社会にとって、再生と豊かさの源となり、地理的に離れた教会との直接のつながりを確立する機会となる」(5d)と指摘。 彼らに対する敵対的な態度の強まりに対して、今総会は「私たちは、率直な歓迎を実践し、彼らの新しい生活の構築に寄り添い、人々の間に真の異文化交流を構築することが求められている」とし、その基本となるのは、「移民・難民の典礼の伝統と宗教的実践の尊重、そして彼ら自身の言語の尊重」と強調している。

 また、「福音宣教が、植民地化、さらには大量虐殺と関連していた」という文脈で使われる「使命」のような言葉には、(被害を受けた民族、現地の人々には)「痛ましい歴史的記憶」が刻まれており、「今日の交わりを妨げている」(5e)。 「こうした状況で福音宣教するには、犯した間違いを認め、これらの問題に対する新たな感性を学ぶ必要がある」と述べている。

 

 

*人種差別と外国人排斥との闘いで教会に求められる配慮

 

 教会に求められているのは、「特に司牧形成を通じて、教育、対話と出会いの文化、人種差別と外国人排斥との闘いに断固として取り組む」(5p)ために、上記のような問題への配慮であり、 「人種的不正を生み出したり、維持したりする教会内のシステム」(5q)を特定し、改めることも急務、と指摘している。

*ラテン典礼教会は、大量流入の東方カトリック信者に支援を

 

 総括文書は、移民・難民問題に関連して、東欧と、ラテン系住民が多数を占める地域への東方カトリック信者の大量流入が引き起こした争いについても取り上げ、「独自性を保ち、独自の伝統を育むために移り住む東方カトリックの信者を『シノダリティ(共働性)』の精神のもとに支援するよう、総会に参加した司教たちは、現地のラテン典礼教会に願う」(6c)と述べている。

 

*エキュメニズムに必要な「霊的刷新」、必要な諸教派間協力

 エキュメニズム(キリスト教諸教派一致)に関して、総括文書は「悔い改めと記憶の癒しのプロセス」を必要とする「霊的刷新」について述べている(7c)。 また、「血のエキュメニズム」についての教皇フランシスコの表現を引用し、 それは「イエス・キリストへの信仰のために命を捧げるさまざまな教派のキリスト教徒」(7d)であるとし、エキュメニカルな殉教についても言及されている(7o)。

 さらに、「すべてのキリスト教徒間の協力」が「集団、民族、国家を互いに対立させる憎しみ、分裂、戦争の文化を癒す」ための資源である、と繰り返し述べている。 「お互いに福音を伝えることが可能だ」という現実を指摘し、いわゆる”混合結婚”の問題も念頭に置いている7 f)。

*教会で存在感を増す一般信徒、無視されたり、活用されないことがあってはならない

 「男性信徒と女性信徒、奉献生活を営む人々、そして叙階された聖職者は同等の尊厳を持っている」(8b)ことは、総括文書で繰り返し強調されており、「一般信​​徒がキリスト教共同体内で、いかに存在感を高め、積極的に奉仕活動を行っているか」を印象付けている( 8e)。 彼らは、信仰の教育者、神学者、育成担当者、霊的鼓舞者、カテキスタなどとして、積極的に活動しており、「教会の使命を果たすために不可欠」(8 e)。 したがって、さまざまなカリスマ性は「呼び出され、認識され、十分に評価される」(8 f) 必要があり、無視されたり、十分に活用されなかったり、「聖職化」されたりしてはならない(8 f)、と自戒を込めている。

*女性信徒のあらゆる側面の理解が教会に求められている

 また、司牧的、秘跡的な分野も含めて、女性信徒の生活のあらゆる側面において寄り添い、理解する、教会側の強い取り組みが求められている、と総括文書は指摘。 「性暴力、経済的不平等、女性をモノとして扱う傾向が依然として存在する社会で、女性たちは正義を求めて叫んでいる」(9c)と述べ、「司牧的な寄り添いと、女性に対する積極的な擁護は密接に連携すべきである」としている。

*教会の効果的な構造変化の基礎に「深い霊的回心」が必要

 

 総括文書は、今総会に出席した多くの女性が「司祭と司教の働きに深い感謝の意を表明する」とともに、「傷を負わせる教会」についても語った(9 f)と指摘している。 そして、「効果的な構造変化の基礎として、深い霊的回心の必要」を強調し、「私たちは、従属、排除、競争なしに、男女が共に対話する教会を促進したいと望んでいる…」(9h)と述べている。

 

*「女性の助祭職」は賛否両論でまとまらず、さらなる「神学的、司牧的研究」を求める

 助祭職を女性に開放することについて、総括文書では、「総会では、さまざまな意見があった」(9 j)としている。具体的には、「伝統との断絶、と考えているので、受け入れられない」と反対意見がある一方で、「初代教会の習慣を回復することになる」と支持する意見があり、「時代の兆しに対する適切かつ必要な対応であり、教会に新たなエネルギーと活力を求める多くの人々の心に響くだろう」と積極的に受け入れようとする参加者もいた。また、「憂慮すべき人類学的混乱」を伴うのではないか、と懸念する声や、「女性に助祭職がが認められれば、教会は時代の精神と融合することになるだろう」と理解を示す声もあった。

 総括文書では、今総会の参加者たちは、教皇が特別に設置した委員会の結果と、すでに行われている神学的、歴史的、釈義的な研究を活用し、「助祭職を女性に開放することに関する神学的、司牧的研究」を継続することを求め、「可能であれば」、「この研究の結果は、次の議会で発表されるべきである」(9n)と述べている。

*女性の意思決定過程への参加、司牧や奉仕で責任ある役割は、積極支持で一致

 女性の助祭職についての意見の一致がみられなかった一方で、今総会では、「女性が教会の意思決定プロセスに参加し、司牧や奉仕において責任ある役割を担う」ことを確実にすることの緊急性が繰り返し述べられ、総括文書で、そのための教会法の適応に必要が指摘されている(9m)。 聖別された女性がしばしば「安価な労働力」とみなされる教会内の事例を含め、雇用差別や不当な報酬の事例にも対処する必要(9o)。 典礼文書や教会文書における包括的な言葉の使用の促進を含め、神学教育および研修プログラムへの女性のアクセスを拡大する必要(9 p)も指摘されている。

 

*奉献生活の豊かさと多様性を評価、権威主義的なスタイルに警告

 

 総括文書は、さまざまな形の奉献生活の豊かさと多様性に目を向け、「対話の余地を与えない権威主義的なスタイルを続けること」に警告している。

 また、「宗教関係者や信徒協会の会員、特に女性が経験したさまざまな種類の虐待の事例は、権威の行使に問題があることを示しており、断固とした適切な介入を必要としている」とも指摘(10d)した。

 

*聖職者主義は、司祭候補の育成を妨げる

 

 次に総会は、叙階され​​た聖職者たちに「深い個人の霊性と祈りの生活を培いながら、人々に寄り添い、すべての人を歓迎し、耳を傾ける姿勢で神の民への奉仕を生きるよう召されている」(11b) )と謝意を述べた。そのうえで、総括文書は、聖職者主義、つまり「司祭の召命の歪み」に対して警告し、人々や困難を感じている人々との「緊密な連絡」の確保に、「養成の初期の段階から取り組む必要がある」(11c)。 また、これらの方針に沿って、「聖職者としての真の育成を妨げる、権威主義につながる形式主義とイデオロギーのリスクを回避するために、セミナーやその他の司祭候補者の育成が地域社会の日常生活と結びつけられるようにする」ことも要請されている(11e)。

 

*独身主義は「さらなる検討が必要」

 

 司祭の独身主義も今総会で取り上げられたが、討議の中では、さまざまな評価が出された。 独身主義は、「豊かな預言であり、キリストについての深遠な証しであるとして、すべての人に認められている」との見方がある一方で、「神学的に、聖職者としての務めに対するその妥当性は、ラテン教会において、とりわけそれをより困難にする教会的および文化的文脈において、必然的に『規律上の義務』と理解すべきなのか」という疑問を抱く参加者もいた、と指摘。総括文書は「この議論は新しいものではありませんが、さらなる検討が必要」と結論している。

*司教はシノダリティ(共働性)の一例だが、常に人的、精神的支援を得られるわけでなく、孤独感も珍しくない

 

 今総会では、司教の在り様と役割については十分な考察がなされた。司教は「共同責任」を負うことで「シノダリティ(共働性)の一例」(12c)とされ、教区内および聖職者の中において他の主体と関り合いを持つ者、と理解されている。それは、司教としての使命を妨げる可能性のある「行政上および法的義務」の負担を軽減するため(12e)と述べている。 これに加えて、司教は「必要な人的、精神的なサポート」を常に見つけられるわけではなく、「ある種の孤独感を抱くのは珍しいことではない」(12 e)とも指摘している。

 

*多くの司教は、”父親”と”裁判官”の二つの枠割を演じる困難な状況に置かれている

 

 上記に関連して、総括文書は「多くの司教を、父親の役割と裁判官の役割を調和させなければならない、という困難な状況に陥らせている」(12 i)と述べ、虐待の問題に関して、「教会法上の司法的役割を、別の機関に割り当てることの妥当性」を探求することを支持している。 (12 i)。

 

*育成にもシノドス的対応が必要—若者の成熟を支える人間関係と性の教育

 

 「シノドス的対応」は、育成にも必要とされ、次のことが推奨された—個人として、そして性的に成熟する中で、若者たちと共に歩むために、独身主義と聖別された純潔に召された人々の成熟を支えるために、人間関係と性の教育について取り組むこと-だ。

 また総括文書は、「教会内で物議を醸している問題についての慎重な検討」(15 b)を可能にするために、自己確認や性、人生の終末、複雑な夫婦関係、人工知能に関連する倫理問題などに関連した「人間科学の間の対話」(14 h)を深めることの重要性を強調した。

 そして、このような問題が物議を醸すのは、まさに社会や教会において「新たな問題が提起されるから」(15g)であり、 「個人や教会共同体を傷つける短絡的な判断に屈することなく、この考察に必要な時間を取り、最善のエネルギーを注ぐことが重要」とする一方で、教会の教えの中で、これらの問題の多くについては方向性が示されているが、司牧の実践に合うように”翻訳”する必要が、依然として存在する」とも指摘している。

 

*教会から排除されていると感じる人々に耳を傾ける 

 総括文書はまた、「結婚の形、自己の主体性、あるいは性の問題で教会から疎外されている、あるいは排除されていると感じている人々にに耳を傾け、寄り添うこと」を改めて呼びかけている。 「今総会では、教会に傷つけられたり、無視されたり、あるいはそのように感じている人々、安心して話を聞き、敬意を持って対応してくれる『家』を求めている人々に対する、深い愛、慈しみ、同情が感じられた」と述べ、「裁かれていると感じることへの恐怖」を感じている人もいる、「キリスト教とは、常に、あらゆる人の尊厳を大切にせねばならない」(16 h)と強調している。

 

*一夫多妻について神学的かつ司牧的な識別」の促進を、アフリカ司教団に奨励

 アフリカからの参加者の一部からの報告を踏まえて、SECAM(アフリカおよびマダガスカル司教協議会)は、一夫多妻制と一夫多妻で信仰を持っている人の課題について、(16 q)と総括文書は述べている。

 

*デジタル環境を生かせるかは私たち次第、偽情報、性的搾取、依存症など負の側面も留意が必要

 

 総括文書は最後に、デジタル環境について次のように指摘している。「携帯電話やタブレットを通じて人々が入る空間を含め、人々が意味と愛を求めるすべての空間で、今日の文化に到達できるかどうかは、私たち次第だ」(17 c)。インターネットは「脅迫、偽情報、性的搾取、依存症などを通じて危害や損害を引き起こす可能性もある」ことに留意する必要がある、と。

 さらに、「キリスト教共同体は、オンライン空間が安全なだけでなく、霊的な命を与えるものであることを保証するために、家族をどのように支援できるかを早急に検討する必要がある」と提言している(17 f)。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2023年10月29日