(2023.10.2 Crux Senior Correspondent Elise Ann Allen)
教皇、枢機卿5人の”疑問”に返答-同性カップルの祝福は慎重な”Yes”、女性司祭は”No”(Crux)
(14行目)カトリックの啓示と教会の教導権に沿っ他者たものであるか、の問いに対して、教皇は
(16行目)『部分的かつ類似した方法』にによるものと限定的に理解され
ローマ – 教皇フランシスコは2日、4日から始まる世界代表司教会議(シノドス)総会に関して、保守派の有力枢機卿5人が提起した批判的な問いについての回答内容を公表。その中で、女性司祭叙階について、なお研究する余地を残しつつ、それを禁じる現在の教会の方針をおおむね支持する一方、同性カップルに祝福を与えることにについては、結婚の秘跡を混同しないことを条件に、前向きな姿勢を示した。
教皇は7月に、5人に対して回答していたが、公表は2日となった。5人の保守派枢機卿は9月29日に、教皇に宛てたdubia(疑念の文書)を公表していた。この文書は、女性の司祭叙階、同性愛者の祝福、拘束力のある教義を公布するシノドスの権限などについて、教皇の考え方を問うもので、7月10日に教皇に提出し、翌11日に回答を受け取ったが、dubiaに対する伝統的な答え方である「Yes」No」となっていなかったため、質問の表現を明確にしたうえで、改訂版を8月21日に提出した。だが、返答を得られなかったため、シノドス総会開幕直前に、公表に踏み切った、という。
これに関して、バチカン教理省の長官に就任したばかりのビクトル・フェルナンデス新枢機卿から教皇宛てた9月25日付けの書簡が2日に公表され、その中には7月に提出された5人の枢機卿のdubiaに対する教皇の回答が含まれていた。
*同性カップルの祝福はケースバイケース—だが「結婚」はあくまで男女間の解消不可能な結びつき
それによると、同性のunions(注:結合あるいは結婚などと訳される)を祝福する慣行がカトリックの啓示と教会の教導権に沿ったものか、の問いに対して、教皇は、「教会は結婚に関して、非常に明確な概念を持っています。それは、結婚とは、男性と女性の間の排他的で安定した解消不可能な結びつきであり、子供たちを授かることが自然のこととされています」とし、 「このunionだけが『結婚』と呼ばれる。unionの他の形は、『部分的かつ類似した方法』にによるものと限定的に理解され、それが、厳密には『結婚』と呼ぶことができない理由です… 結婚の秘跡は、単なる『理想』をはるかに超えたものであり、教会が、この確信に反し、結婚として認められないことを意味する可能性のある儀式や秘跡のあらゆる形を避けるわけは、そこにあります」と言明。
そのうえで、同性愛の個々の人々に対して司牧上のケアで、深い思いやりを持つ必要があることを強調、同性によるunionに、ケースバイケースで祝福を与えることに前向きな姿勢を示し、 「人々と関わる際に、司牧的な慈愛を失ってはなりません。それは私たちの判断と振る舞いのすべてを通してです… 客観的な真実を守ることだけが慈愛の表現ではなく、親切、忍耐、理解、優しさ、励ましもそうです」とされ、「したがって、私たちは拒否し、否定し、排除するだけの”裁判官”になってはなりません」と答えている。
そして、この理由から、「司牧的な思慮深さにおいて、結婚について誤った概念を伝えないような祝福の形が、さまざまな人々によって求められているかどうか、適切に見極めねばならない。それは、祝福を求めるとき、神からの助けを求め、より良く生きることができるようにと祈り、より良く生きるよう助けてくださる父への信頼を表明していることになるからです」とする一方で、「特定の状況では、司牧的慎重さが求められる可能性がある決定は、必ずしも規範による必要はない」とし、そうした趣旨の規範を作ることに否定的な考えを示した。
*ドイツ教会の”シノドスの道”-司教協議会がすべてをカバーすることはできない
また、教会のこれまでの規範などを壊す動きとして物議を醸しているドイツ教会の”シノドスの道”の歩みに関連して、教皇は「教区、司教協議会、その他の教会組織にとって、あらゆる種類の問題に対して常に公式に手順や儀式を適用しようとすることは適切ではありません… 特定の状況に直面した際の実際的な識別に関するものは、いかなるものも、規範のレベルに引き上げることはできず、耐え難い不自然さを引き起こすことになるからです」とし、さらに、「教会法はすべてをカバーしてはならないし、すべてをカバーはできない。さまざまな文書や議定書を備えた司教協議会も、すべてをカバーできると主張することはできません。なぜなら、教会活動は規範的なものに加えて多くのルートを通ってなされるからです」と述べた。
*女性の司祭叙階—聖ヨハネ・パウロ二世の「不可能」との判断は支持するが、それは女性蔑視ではない、女性には教会で重要な役割
女性の司祭叙階について、教皇は、第二バチカン公会議の「教会憲章」を引用し、「すべての信者の共通祭司職と司教及び司祭の職位的祭司職は、本質的に異なる」が、「信者の共通祭司職を、”第二分類”あるいは、価値の劣るもの(劣後したもの)のように考えることを意味する、程度の違いを支持するのは適切ではありません… 二つの祭司職は互いを照らし、支え合うものです」としたうえで、これまで通り、「女性を司祭叙階することが不可能なこと」を権威をもって確定した聖ヨハネ・パウロ二世教皇の判断を支持した。
ただし、ヨハネ・パウロ二世は「決して女性を蔑視したり、男性に最高権限を権力を与えたりしたわけでありません… 尊厳や神聖さではなく、職務上のこととして、祭司の権限について語られたのです」と説明。 「彼の言葉の真意を、私たちは十分に受けとめていない… 司祭の務めを果たすことは、ある人が他の人よりも優れていることを示すものではないし、支配の一形態として理解されるべきではなく、『キリストの手足の神聖さ』を構成することなのです… もしこのようなことが理解されなければ、司祭としての役割が男性だけに与えられていることを受け入れるのが難しくなり、女性の権利や、女性たちが様々な形で、教会における主導的な役割を担う必要があることを認識できなくなるでしょう」と強調した。
*神の啓示は、文化の変化に応じて、より良く解釈されるべきもの
また、文化の変化に応じて神の啓示を再解釈すべきかどうか、との問いには、「判断は、『再解釈する』という言葉にどのような意味をもたすか、によります。それが『より良く解釈される』という意味なら、その言葉は有効です」とし、 「神の啓示が不変で常に拘束力をもつのは事実ですが、教会は謙虚で、主から受けた計り知れない富を決して使い果たさず、啓示への理解を深めていく必要があることを認識する必要があります」と答えた。
そして、教会自身と教導職についての教会の理解は、 時が経つとともに成熟し、「文化の変化や新たな歴史的課題は、啓示を変えるものではありませんが、常に、さらに多く与えられる豊かな富のいくつかの側面をより明確にするように、私たちを刺激する可能性があります」と語った。
*「シノダリティ(共働性)」は教会活動に不可欠な要素