☩「神が、シノドス総会に『耳を傾ける賜物』をお与えくださるように」エキュメニズムの祈りの集いで (2023.9.30 Vatican News By Joseph Tulloch) 10月4日からの世界代表司教会議(シノドス)総会を前にした9月30日、教皇フランシスコは聖ペトロ広場で、キリスト教各宗派代表はじめ数千人が参加するエキュメニズム(信教一致)の祈りの集いを主宰され、説教で、「真理を人々の心に届けるために、大声で叫ぶ必要はありません」と説かれた。 教皇は、説教で、今日のキリスト教徒にとっての沈黙の3つの側面について言及。その一つ目として、「沈黙は、キリストの地上での存在の始まりと終わりにあります。御父の御言葉は、飼い葉桶の中でも、十字架の上でも、降誕の夜でも、受難の夜でも、『沈黙』になりました」 と指摘。 「神は、『叫び声やうわさ話、騒音』よりも、沈黙を好まれるようです… 預言者エリヤの前に神が現れるとき、神は風や地震や火の中ではなく、『静かで小さな声』として現れます。 要するに、真実を人々の心に届けるのに、大声で叫ぶ必要はありません」とされ、「ですから、私たちも信者として主の声を聞くために、多くの”騒音”から自分自身を解放せねばなりません… 私たちの沈黙の中でのみ、主の言葉は響き渡るのです」と説かれた。 二つ目の側面として、教皇は使徒言行録に書かれている「エルサレムで開かれた使徒会議でペトロが演説した後、『全会衆が静かになった』(15章12節)」ことに注目され、「 このことは私たちに、『教会共同体では沈黙が兄弟間のコミュニケーションを可能にする』ということを思い起させます。 私たちが沈黙して他の人の話を聞くときにのみ、聖霊は、様々な見方を一つにまとめることができるのです」と語られた。 さらに、「沈黙は、神の民の中に響き渡る、言葉では言い表せないほど深い聖霊のため息に、注意深く耳を傾けることを通してによって、真の識別を可能にします」とされたうえで、「間もなく始まるシノドス総会の参加者たちに『耳を傾ける賜物』を与えてくださるよう、聖霊に願うように」と聖ペトロ広場に集まった信者たちに勧められた。 そして、「沈黙」の三つ目の側面について、教皇は、「沈黙は、私たちキリスト教徒のエキュメニズムの旅路に欠かすことができないものです」とされ、 「それは、沈黙が祈りの基本であり、エキュメニズムは祈りから始まり、祈りなしでは不毛だからです… 私たちが祈りの中で、主に目を向ければむけるほど、『私たちを清め、違いを超えて私たちを一つに結び付けてくださるのは主だ』とますます感じるようになります」と強調された。 教皇は説教の最後に、「沈黙すること、つまり御父の声、イエスの呼びかけ、聖霊のうめきに耳を傾けることを再び学ぶように」「シノドス総会が友愛のkairós(ギリシャ語で『絶好の機会』)となり、聖霊が『ゴシップ、イデオロギー、二極化』から教会を清めてくださる場所となるように」、そして、「東方の賢者たちのように、一致と沈黙のうちに、神が人を造られた神秘を崇敬し、キリストに近づけば近づくほど、私たちの間でさらに一致が進むことを確信する方法を、私たちも知ることができるように」と、シノドス総会参加者はじめ、すべての信者に。主に祈るよう願われた。 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二) ツイート
教皇は、説教で、今日のキリスト教徒にとっての沈黙の3つの側面について言及。その一つ目として、「沈黙は、キリストの地上での存在の始まりと終わりにあります。御父の御言葉は、飼い葉桶の中でも、十字架の上でも、降誕の夜でも、受難の夜でも、『沈黙』になりました」 と指摘。 「神は、『叫び声やうわさ話、騒音』よりも、沈黙を好まれるようです… 預言者エリヤの前に神が現れるとき、神は風や地震や火の中ではなく、『静かで小さな声』として現れます。 要するに、真実を人々の心に届けるのに、大声で叫ぶ必要はありません」とされ、「ですから、私たちも信者として主の声を聞くために、多くの”騒音”から自分自身を解放せねばなりません… 私たちの沈黙の中でのみ、主の言葉は響き渡るのです」と説かれた。 二つ目の側面として、教皇は使徒言行録に書かれている「エルサレムで開かれた使徒会議でペトロが演説した後、『全会衆が静かになった』(15章12節)」ことに注目され、「 このことは私たちに、『教会共同体では沈黙が兄弟間のコミュニケーションを可能にする』ということを思い起させます。 私たちが沈黙して他の人の話を聞くときにのみ、聖霊は、様々な見方を一つにまとめることができるのです」と語られた。 さらに、「沈黙は、神の民の中に響き渡る、言葉では言い表せないほど深い聖霊のため息に、注意深く耳を傾けることを通してによって、真の識別を可能にします」とされたうえで、「間もなく始まるシノドス総会の参加者たちに『耳を傾ける賜物』を与えてくださるよう、聖霊に願うように」と聖ペトロ広場に集まった信者たちに勧められた。 そして、「沈黙」の三つ目の側面について、教皇は、「沈黙は、私たちキリスト教徒のエキュメニズムの旅路に欠かすことができないものです」とされ、 「それは、沈黙が祈りの基本であり、エキュメニズムは祈りから始まり、祈りなしでは不毛だからです… 私たちが祈りの中で、主に目を向ければむけるほど、『私たちを清め、違いを超えて私たちを一つに結び付けてくださるのは主だ』とますます感じるようになります」と強調された。 教皇は説教の最後に、「沈黙すること、つまり御父の声、イエスの呼びかけ、聖霊のうめきに耳を傾けることを再び学ぶように」「シノドス総会が友愛のkairós(ギリシャ語で『絶好の機会』)となり、聖霊が『ゴシップ、イデオロギー、二極化』から教会を清めてくださる場所となるように」、そして、「東方の賢者たちのように、一致と沈黙のうちに、神が人を造られた神秘を崇敬し、キリストに近づけば近づくほど、私たちの間でさらに一致が進むことを確信する方法を、私たちも知ることができるように」と、シノドス総会参加者はじめ、すべての信者に。主に祈るよう願われた。 (翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)