*主役は聖霊
教皇は9日の全体集会で、”シノダリティ”を「交わり、参加、宣教」を通してどのように実現するかに話されるとともに、その道の途上で出会う可能性のある「危険」と「機会」を指摘され、「一致の賜物をいただき、生かす教会、聖霊の声に心を開く教会を実感するために、一つにまとまった神の民として、共に旅をしましょう。」と呼びかけられた。
さらに、「シノドスは『議会』や『意見を調べること』ではなく、聖霊が主人公を務める『教会にとっての節目』なのです。聖霊を欠いたシノドスはありません」と強調された。
*シノドスの道のキーワードー交わり、参加、宣教
続いて教皇は、今回のシノドス定時総会のテーマである「交わり、参加、宣教」を取り上げ、「『交わり』と『宣教』は、『教会の神秘』を示しています。第二バチカン公会議によると、『交わり』は教会の本質そのものを表わすもの、とされています。聖パウロ6世教皇によれば、『交わり』は、結束と内面の充満、恵み、真理と協力…そして宣教、つまり、今日の世界への使徒的献身であり、聖ヨハネパウロ2世教皇は、koinonia (神と人、人と人の交わり)はコイノニアが、人類家族の神との親密な一致のしるしとしての奉仕する教会の宣教の使命を果たすもとだ、としておられます」と指摘。
このような理由から、教皇は「今回のシノドス定時総会には十分な準備が必要であり、特に、すべての信徒、司祭が参加する小教区、教区レベルの準備が重要です」と強調された。
*信徒全員の参加、小教区、教区レベルの取り組みが重要
さらに教皇は、「交わり」と「宣教」は、シノドスの道の歩みのすべての段階で具体的に表現され、すべての人の参加が勧められない限り、抽象的なものになるリスクがある、と注意され、 「洗礼を受けたすべての人は、教会の生活と宣教の使命に参加するように召されているのです」と訴えられた。
また、「多くの司牧の働き手、教区の関係者、小教区の諮問機関と女性たちが、(宣教の使命の)”周辺”に追いやられ、欲求不満と焦りを感じていることを知っています。誰もが、参加できるようにすることは、教会の重要な義務です。それは、受洗の”身分証明書”に基づく、欠かすことのできない教会が果たすべき義務なのです」と強調された。
*避けるべき3つのリスクー「形式的、表面的イベント」「博学だが抽象的な処方箋」「自己満足」
シノドスが冒しやすいリスクとして、教皇は「自分たちの良い外見を投影するのではなく、歴史の中で神の業とより効果的に共働するように、本物の霊的識別を働かせるのではなく、”単なる形式的、表面的なイベント”にしてしまうこと」を挙げ、そうならないために、「私たちに、神の民の中、とくに司祭と信徒の間で、対話を交わりを活発にすることのできる中身、手段、仕組みを作ることが求められているのです」と指摘。
これと関連して、「聖職者の中に、自分たちを信徒から遠ざける一種の”エリート主義”があり、それが”羊飼い”ではなく”家の主”にしてしまっている」と警告し、「教会、司祭の働き、平信徒の役割、教会の責任、統治の役割などについての過度に垂直的で歪曲し、バランスを欠いた見方を改める必要があります」と聖職者たちに注意を与えられた。
もう一つのリスクとして、シノドスが「“知的”に走り、教会の諸問題と世界の諸悪に対して、”博学ではあるが抽象的”なー聖なる神の民が置かれた現実と世界中の共同体社会の具体的な暮らしからかけ離れたー処方箋を示す可能性」を指摘。
そしてシノドスが避けねばならない三つ目のリスクとして、「”自己満足への誘惑”がある」とされ、「私たちはいつもこうして来ましたー『変えない方がいい』と。『complacency(注:自己満足から来る安心感、ひとりよがり)』という言葉は、教会の活動における毒です」と言明。そのような態度を持つ人々は、新たな問題に対して古い解決策を’適用しようとする、とも指摘された。
そして、シノドスの道の歩みは、「それに似つかわしい歩み、local Churches(注:小教区、教区など)を巻き込んだ歩み、様々な異なる段階でボトムアップしていく歩み、宣教の使命に向けた交わりと参加のスタイルを作り上げていく歩みなのです」と強調された。
*シノドスが提供する3つの機会を生かす
また教皇は、「出会い」「聴き」「じっくりと考える」のシノドスのプロセスは、神の民、教会が少なくとも3つの機会を見分けるのに役立つ、とされ、「一つ目は、すべての人がくつろいで参加できる『シノドス(共働)的な教会』を実現する機会。そのために、”時たま”でなく”仕組みとして”努めねばなりません。二つ目に、シノドスは私たちに、まず崇敬と祈りをもって聖霊に、そして私たちの兄弟姉妹、彼らの希望、世界中の信仰の危機、司牧活動の刷新の要請に『耳を傾ける教会』になるための、『お決まりの手順を破り捨て、立ち止まって耳を傾ける』ための機会、を提供します」と語られた。
さらに、シノドスは、教会の存在そのものによって社会、世界との友情のより大きな絆を編み上げる「親密さの教会」となる機会、でもある、とも指摘され、「人々の暮らしと関わりを持ち、現代社会の問題と要請に密着し、人々の傷に包帯を巻き、壊れた心を”神の香油”で癒す教会」にならねばならない、と言明された。
*これまでと”別の教会”ではなく、”異なる教会”を作る
このために、教皇は「私たちは、常に変わることのない神、聖霊の新たな息吹を必要としています。その息吹きは、あらゆる形の自己陶酔から私たちを解放し、瀕死の状態から快復させ、束縛を解き、喜びを広めます」とされ、20世紀を代表する神学者、イヴ・コンガール神父の言葉を引用する形で、「これまでとは”別の教会”を作る必要はありませんが、”異なる教会”を作らねばなりません」と述べ、「”異なる教会”のために、より大きな熱意と頻度で聖霊を呼び起こし、謙虚に耳を傾けるように」と、すべての人に強く促された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)