・司祭による性暴力被害者が神言会に損害賠償求める裁判、東京地裁第二回口頭弁論を司祭、シスター、一般信徒50人が傍聴-被告側「『使用責任』は争わない」・次回は5月8日

(2024.3.11 カトリック・あい)

 カトリック信者の女性が「外国人司祭からの性被害を訴えたにもかかわらず適切な対応をとらなかった」として司祭が所属していたカトリック修道会、神言会(日本管区の本部・名古屋市)に損害賠償を求めた裁判の第二回口頭弁論が11日、東京地方裁判所で行われた。次回は、5月8日午後2時から東京地裁第615法廷で。

 前回の倍近い、司祭、修道女、一般信徒など関東、関西、北海道などから集まった約50人が傍聴席から見守る中で、裁判長と前回はいなかった2人の陪席裁判官のもと、原告の田中時枝さん(東京教区信徒)、代理人の秋田一惠弁護士、そして今回初めて被告側から神言会日本管区の代理人弁護士が出廷(神言会管区代表自身は引き続き欠席) し、提出済みの書面の内容などをめぐってやり取りがあった。

*裁判長が被告側に「主張をもう少し明確に、『不知』ばかりではないか」と苦言

 

 その中で、裁判長から、被告代理人弁護士に対して、「被告側の主張をもう少し明確にするするように。原告の訴状に対して、書面では、ほとんど『不知』(知らない)となっているが、どういうことか」と質問があったのに対して、被告弁護人は「被告のやったことについて承知していない」という意味の答えをし、さらに裁判長が「(被告と神言会の)雇用関係、使用者責任」について尋ねると、「その司祭と神言会は単純な雇用関係ではない(⇒ではどのような関係かは説明せず)が、使用責任については争わない」として、使用責任については事実上認めるかのような発言をした。

*「神言会は説明責任を果たして」と原告被害者が訴え

 

 口頭弁論終了後、東京弁護士会館で原告と原告代理人弁護士が会見を開き、原告の田中さんが「一人で心細く悩み続け、自虐の念に駆られてきましたが、本物の信仰をもったたくさんの方が支援してくださり、ありがたく思っています」と参加者に感謝を宣べ、「神言会の責任で適切に対応してくれると思っていたが、裏切られ、失望し、心をさらに傷つけられました。神言会には説明責任を果たしてほしい」と訴えた。

 秋田弁護士も「50人もの方が裁判を傍聴してくださったことが、原告本人にとって最高の贈り物。私たちの目的は裁判で勝つことではなく、被害に対して堂々と声を上げること。これまで、教会関係では、問題が起きても、「沈黙」、「見てむ見ぬふり」、「助けない」、挙句は「無かったことにする」が横行してきた。なぜ、こんなにひどいことが繰り返され続けているのか、しっかりと検証しないと前に進めない。これからも努力を続ける」と言明した。

 また、秋田弁護士は、「被告側は、加害者が会を辞め、結婚して国内にいることを知っているが、準備書面では、『居場所は個人情報だから』と明らかにしない。以前の居場所は知っているが、『今どこにいる分からない』と不誠実な対応を取り続けている。ただ、今日の口頭弁論で、神言会に『使用責任』があることについては争わない、と被告代理人弁護士がしたのは重要。加害者を会の一員として、司祭修道士として活動させていた修道会が『責任がない』と言うのはもともと無理がある」と述べた。

*傍聴したシスターは「罪は罪。加害者は回心してもらいたい」

 

 続いて約40人の会見参加者が一人づつ、発言があり、シスターたちからは「神様はすべて知っておられます。心を強くして」という励ましの言葉や、「初めて裁判を傍聴した。被害者が泣き寝入りすることがあってならない」「人はみな弱いけれど、罪は罪。加害者は神の前で回心してもらいたい」「虐待の話をすると、『私も経験がある』という反応が少なくない」「このような犯罪をきちんと認める社会、教会になって欲しい」など共感の言葉が述べられた。

 ある女性信徒からは「大学にいた時に、虐待の話を耳にしたことがあったが、そんなに深刻な問題があるとは気が付かなかった。後悔している」という反省や、「告解の場でこのようなことがされたのを知ってショックを受けている。勇気をもって声を挙げた田中さんを支援し、お祈りしたい」、男性信徒からも「聖職者がこのようなことをするのは許せない。この裁判ではぜひとも勝ってもらいたい」と激励があった。

 

*「私もパリ外国宣教会の司祭からレイプされた」と仏人男性信徒が告白

 

 なお、この会見での意見交換で、日本に来て23年になるというフランス人男性信徒から、「2022年4月に、札幌教区の帯広教会で、当時の主任司祭でバリ外国宣教会所属のフィリップという神父から性的暴行を受けた」との告白があった。

 そして、「その後、宣教会の責任者や日本の司教たちに繰り返し訴えても対応がなく、『事件を隠ぺいし続けるなら、私が公表する』と訴えて、ようやく昨日、札幌教区長の勝谷司教からメールがあった。『パリ外国宣教会の日本管区長を東京に呼び、経過などの説明を受ける、菊地東京大司教とも面談の機会を持つ、この件を公表することを検討する、場合によっては独自で公表することも考えている』との連絡をいただいたので、様子を見る」と説明した。この件は、別項で詳しく扱うことを考えている。

【田中さんが説明した「神言会司祭による『告解』を悪用した繰り返しの性的暴行」】

 今年1月の第一回口頭弁論の際の会見で、田中さんは、「救いを求めた教会の司祭に、真実を打ち明け、神の赦しを得るはずの『告解』という機会を悪用され、肉体だけでなく、精神的に深い傷を負わされた。今も夜中に目が覚め、恐ろしさがよみがえり、絶望感に襲われることがしばしば。修道会もまともに対応してくれない。こんなことが繰り返され、同じように不幸な人を作ってはならない、との思いで、あえて実名も出し、訴訟に踏み切った」と語っている。

 代理人弁護士などの説明によると、田中さんは、子供時代に性的虐待を受け、トラウマに苦しみ続け、今から約十年前、50代になってようやく気持ちの整理がつき、当時在籍した長崎の教会で告解をした。ところが告解を聴いたチリ人で神言会士のヴァルカス・フロス・オズワルド・ザビエル神父から、教会の外の建物に連れて行かれ、性的暴行を受けたが、「逃げると殺される」という恐怖感から抵抗できず、4年半も繰り返され、回を重ねるごとに酷さが増した。

 神言会の日本管区長などに被害を伝えたところ、2019年に、その司祭に対して、「性犯罪を行い、貞潔の誓願を破ったと告発されていること」「将来スキャンダルを引き起こす可能性があること」などを理由に聖職を停止し、共同生活から離れる3年の「院外生活」を決め、母国への帰国を認めた。だが、その後、ヴァルカスは日本に戻り、神言会は、還俗して他の女性信徒と結婚し、東京都内(11日の口頭弁論で被告代理人弁護士は「関東」とした)にいたことを認めているが、「現在の所在は不明」と言い続けている。代理人の秋田弁護士は「神父は告解を利用して彼女の重大な秘密を知り、それに乗じて性加害を繰り返した。修道会は性被害の事実と加害者を組織的に隠蔽(いんぺい)している」と語っている。

 

【神言会からは現在、日本で2人の司教が出ている】

 
 神言会は、1875年に聖アーノルド・ヤンセン神父によって創られたカトリックの宣教修道会で、日本では1907年に宣教活動を開始。現在、名古屋市に中学、高校、大学を、長崎には中高を経営。新潟、仙台、東京、名古屋、福岡、長崎、鹿児島の各教区で約30の小教区を担当し、東京教区、新潟教区の教区長に、それぞれ同会出身の菊地大司教(日本カトリック司教協議会会長)、成井司教が就いている.

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・再掲(解説)教皇が言われる「虐待に対する”沈黙”を打ち破る」ために教会、司教団が求められることは

 カトリック教会では、聖職者による性的虐待問題が世界的に深刻な問題となり、信者の教会離れにもつなっがっているが、1月に入ってからも、南米ボリビアで「性的虐待被害者の会」がイエズス会の司祭9人とボリビア管区を相手取って訴訟を起こしたことが明らかになるなど、いまだに終息を見せていない。

 日本でも、教会自体で責任ある対応ができずに訴訟になった、あるいはなっているケースが、確認できただけで長崎で2件、仙台で1件、そして今回の東京での1件があり、他にも問題のケースが数件あると見られる。

 このうち、仙台市の女性信徒の場合、カトリック仙台教区の司祭から性的暴行を受け、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症、その後の教区関係者の不適切な対応、発言もあって多大な精神的苦痛を受けたとして、同教区などに謝罪と損害賠償を求め、仙台地方裁判所に提訴していた事件が昨年12月、和解金の支払いなどで一応の決着を見た。

 だが、教区から本人への謝罪も公けにはなく、精神的なケアもなく、それどころか一部の信徒たちから「和解金目当てに裁判をやったのか」という本人の心の傷にさらに塩をこすりつけるような声も出、本人を教会に絶望させる事態に追い込んでいる、という。

 日本の司教団は、バチカンからの指示を受けて性的虐待防止などのガイドラインの作成や各教区の女性や子供の保護のための担当司祭、窓口の設置などはしている。だが、長崎教区では窓口の担当職員が複数の司祭のパワハラでPTSDを発症、休職に追い込まれ、窓口は一時、閉鎖となり、東京教区のように担当司祭が、理由も公開されないまま、人事異動期でもないのに突然、解任されるなど、窓口そのものの信頼を大きく損なう事態も起きている。

 また司教団は、ガイドライン決定から2年半たって、ようやく一回目の監査結果を昨年9月に明らかにしたが、「各教区から提出された確認書によれば、2022年4月から2023年3月の間に性虐待の申し立てがあったのは4教区、5件であった」などとするだけだった。
 具体的な教区名、申し立てやそれに対する教区の対応などの説明はなく、「性虐待の申し立てのあった各教区には、監査役から提出された調査報告書に記載された所見を通知し、ガイドラインに基づいてさらなる対応をするよう求めた」とあるのみ。被害者に寄り添おうとする姿勢も、虐待問題に真剣に対応しようとする意志もうかがえない。

 聖職者による性的虐待が後を絶たないことに心を痛める教皇フランシスコは、昨年11月にフランス・ナント教区の聖職者による性的虐待被害者のグループと会見された際、聖職者による性的虐待の被害者が「家族とともに何が真実で善であるかを追求してきた場で、最大の悪に苦しんでいる」とされ、「『被害者や生存者の声に耳を傾ける』という積極的かつ敬意を持った心の広さが、受け手にあれば、虐待に対する”沈黙”は打ち破ることができる」と語られている。

 「受け手」としての日本の教会、そして何より司教団は、今回の東京での裁判開始を機会に、改めて、この教皇の言葉をかみしめる必要がある。

(「カトリック・あい」代表・南條俊二)

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2024年3月11日