(2022.3.22 カトリック・あい)
18日の日本のカトリック教会の「聖職者による性虐待被害者への祈りと償いの日」を前に「カトリック・あい」に掲載した評論は、多くの方が閲覧され、この問題への関心の高さが改めて示されています。そうした読者の方からメールをいただきましたので、ご本人のプライバシー保護のために匿名としたうえで、以下に掲載いたします。
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「性虐待被害者への償い」についての「カトリック・あい」の評論を読ましていただきました。私も、自分の教区の対応を見ていて、同様の感想を持っています。この日を前にしての教区本部の呼びかけは何もありませんでした。教区報の3月の「行事予定」に「18日に性虐待…償いの日」とあるだけ。昨年もそうでした。司教も、教区本部もやるきがないのです。
教区でこれまでになされたのは、2020年4月に性虐待防止教区規程および宣言の通達が出されただけでした。司教協議会への提出の締め切りに間に合わせるために、急いで作成したもので、他教区の文書をほとんどそのまま借用したもの。コロナ対策を優先すべき大変な時期であるにもかかわらず、司祭会議は映画鑑賞でした。
それ以来、今年に至るまでの約2年間、信徒には、この問題について説明は全くありません。昨年も今年も、「償いの日」に関して、司教からメッセージが出されたこともありません。ホームページに、中央協議会の記事が紹介されているだけです。
「子どもと女性の人権相談室」は作られましたが、相談の件数はもちろんのこと、内容、対応すら一切公表されていません。担当者に相談件数について尋ねても答えてくれない、という話を知人から聞きました。
2年前の「宣言」には、聖職者による性的虐待問題を扱う「第三者機関」、「規程」には「第三者委員会」の設置が書いてありましたが、これらの組織が本当に設置されているか不明です。設置されたとの広報もありません。
要するに、”形”を整えただけで、中身は空っぽということです。長崎教区の問題も「対岸の火事」。そこから教訓を得ようとする意識も感じられません。教皇が世界の教会に参加を訴えておられる来年秋の世界代表司教会議に向けた「シノドスの道」の歩みにも、司教には本気で取り組む熱意を感じません。昨年暮れに意見書の締め切りを決めたままで、現在どうなっているのか、報告がありません。シノドス前会議をやる予定もないので、担当司祭がひとりで報告書を作成して、司教団に送るのではないかと危惧しています。
教区の現状を憂いている信徒・司祭は複数おり、そういう方々と連帯して、何とか現状を打開したいと試みてはいるのですが、なかなか進めません。「聖職者中心主義」が浸透しているため、司教や教区本部に抗することにためらいがあるのです。
(西日本のある教区の男性信徒より)