・2024年「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたって日本カトリック司教協議会会長

(2024.2.16  カトリック中央協議会)  

日本のカトリック信者の皆様

2024年「性虐待被害者のための祈りと償いの日」にあたって

 教会は、自分たちが「神との親密な交わりと全人類一致のしるし、道具」(第二バチカン公会議『教会憲章』1)となるよう呼ばれた召命を受け、その実現のために挑戦し続ける道をともに歩んでいます。

 もちろん教会を形作る私たちひとり一人は完全な存在ではなく、「神との親密な交わりと全人類の一致」を明確にあかしするしるしとはなり得ていません。とりわけ、教会が旅を続ける現代社会は、命に対する暴力が荒れ狂う世界であって、その現実の中で、賜物である命を最優先に守り抜き、人間の尊厳を尊重し、さらに全体として一致することは容易なことではありません。

 しかしながら教会は、その厳しい道を挑戦しながら歩むことをやめることはできません。なぜならば、教会にとって「イエスを宣べ伝えるとは、命を宣べ伝えることにほかならない」からです(ヨハネ・パウロ2世「命の福音」80)。

 その教会にあって、率先して人間の尊厳を守り、共同体の一致を促進するべき聖職者や霊的な指導者が、命に対する暴力を働き、人間の尊厳をないがしろにする行為を働いた事例が、近年相次いで報告されています。

 そういった言動を通じて、共同体の一致を破壊するばかりか、性虐待という人間の尊厳を辱め蹂躙する行為によって、多くの方を深く傷つけた聖職者や霊的な指導者が存在することは事実です。

 長い時間を経て、ようやくその心の傷や苦しみを吐露された方々もおられます。なかには、あたかも被害を受けられた方に責任があるかのような言動で、さらなる被害の拡大を生じた事例もしばしば見受けられます。

 このように長期にわたる深い苦しみを生み出した聖職者や霊的指導者の行為を、心から謝罪いたします。また被害を受けられた方に責任があるかのような言動を通じて、人間の尊厳をおとしめた行為を、心から謝罪します。責任は加害者にあるのは当然です。

 2018年に教皇フランシスコは、「神の民に宛てた手紙」を公表され、その中で、性虐待問題について次のように呼びかけました。そこに記されている次の言葉を、日本の教会も共有いたします。

 「苦痛と無力感を伴う根深い傷を、ほかでもなく被害者に、しかしそればかりか家族と共同体全体に負わせる犯罪です。起きてしまったことに鑑みれば、謝罪と、与えた被害を償う努力が、十分になることなど決してありません。今後について考えれば、このような事態が二度と繰り返されないようにするだけでなく、その隠蔽や存続の余地を与えない文化を作り出す努力をするほかありません」

 教皇フランシスコは、この問題に教会全体が真摯に取り組み、その罪を認め、ゆるしを請い、また被害にあった方々の尊厳の回復のために尽くすよう求め、「性虐待被害者のための祈りと償いの日」を設けるようにと指示されました。日本の教会では、四旬節・第二金曜日を、この祈りと償いの日と定めました。2024年にあっては、来る3月1日(金)がこの日にあたります。

 日本の司教団は、2002年以来、ガイドラインの制定や、「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」の設置など、対応にあたってきました。2021年2月の司教総会で、「未成年者と弱い立場におかれている成人の保護のためのガイドライン」を決議し、教会に求められている命を守るための行動に積極的に取り組む体制を整えてきました。

 また「子どもと女性の権利擁護のためのデスク」を通じて啓発活動を深めると共に、ガイドライン運用促進部門を別途設置し、それぞれの教区や修道会が、自らの聖職者や霊的な指導者の言動に責任をもって対応する態勢を整えつつあります。

 改めて、無関心や隠蔽も含め、教会の罪を心から謝罪いたします。神の癒やしの手によって被害を受けられた方々が包まれますように、心から祈ります。また聖職者のためにも、お祈りくださいますようお願いいたします。

 どうぞ、四旬節第二金曜日に、またはその近くの主日に、教皇様の意向に合わせ、司教団とともに、祈りをささげてくださいますようにお願いいたします。

2024年2月14日 日本カトリック司教協議会 会長 菊地 功

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2024年2月17日