(2023.3.13 カトリック・あい)
米国の大手メディアが所有するポーランドのニュースチャンネルTVN24が6日に報道した内容が、同国内で大きな波紋を呼んでいる。
内容は、教皇ヨハネ・パウロ二世が教皇の選出される前、1970年年代にカロル・ウォイテワ枢機卿として母国ポーランドのクラクフ大司教を務めていた当時、未成年者に対する性的虐待で告発されていた3人の司祭を処罰せず、隠ぺいしたまま、他教区などへ移動させた、というもので、ウォイテワ枢機卿が、欧州で強い影響力を持っていたウイーン大司教、ケーニッヒ枢機卿に送った関係の書簡とされる資料も明らかにされている。
米国の通信社APによると、この報道に対して、ポーランドではモラヴィエツキ首相を含む政府関係者は、故教皇を「国民的英雄であり、国の最高の道徳的権威」と強く擁護する一方、 左派の政治家たちは、ヨハネ・パウロ二世教皇が”未成年者を食い物”にする司祭を故意に保護していた、と非難し、街の通りや学校に付けられた教皇の名前を削除するよう求める声も上がっている、という。
ポーランド司教協議会のガデツキ大司教は9日、故教皇を強く擁護し、彼の遺産を破壊しないよう、「善意のすべての人々」に訴え、バチカンの聖ペトロ大聖堂のヨハネ パウロ 2 世の墓でミサを捧げ、故教皇の信用を傷つけようとしている人々のために祈ったという。また、この報道で、引用された資料の一部は「教会を危険にさらそうとしていた共産主義時代の秘密警察のファイルからのものだった」という関係者の指摘を引用し、「真実と善への関心という名目で、ヨハネ・パウロ2世自身と彼の遺産の信用を傷つけようとする試みが行われていることにショックを受けている」とも述べた。
APによると、カデツキ大司教はその一方で、故教皇の「聖人としての資質と偉大さ」は「過ちを犯すことがなかった」ことを意味しない、とも語り、当時、教会と社会全体が虐待に対して今とは異なる対応をしており、「問題を解決することに、現在とは異なる社会的意識と慣習的な方法があった」としている。
また、教皇フランシスコは、10日のアルゼンチンの日刊紙La Nacionとのインタビューで、この問題を聞かれ、承知していない、としたうえで、「私たちは、当時の時代状況の中で解釈する必要がある。(2002年に表面化した)”ボストンスキャンダル”まで、すべてが隠蔽されていました。ボストン教区で隠ぺいが破綻した時、教会はその問題に目を向け始めた。それ以前の(聖職者による性的虐待問題の)解決策は、当事者の任地を移すか、繰り返させないことで、(表に出されなくても)批判が起こることはありませんでした」と、このケースは別にして、教会に隠ぺい体質があったことを認めている。
*注:”ボストン・スキャンダル”=世界的な問題であり続けているカトリック教会の聖職者による性的虐待が初めて取り上げたのは米国の有力紙Boston Glove。2002年1月に、ボストン教区の司祭が30年にわたり6つの小教区で延べ130人の未成年者に性的虐待を行ったとして訴えられていること、カトリック教会はこの司祭に何も効果的な処分をせず、他の教会へ異動させるにとどまり、事態を悪化させてきたことを、同紙が報道。この司祭は2002年に禁錮9 – 10年の実刑判決を受け、翌年、獄中で他の収容者に暴行されて死亡。当時のボストン大司教、バーナード・ロー枢機卿は世論の厳しい批判を受けて辞任。後任のショーン・オマリー司教は1200万ドルともいわれる被害者への賠償金の支払いなどを捻出するため、教区資産の売却を余儀なくされた。