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2018「若者」主題のシノドス、準備進む
(2016.11.24 「カトリック・あい」)
教皇、特別聖年閉幕受け使徒的書簡を発表(バチカン放送)
(2016.11.21 バチカン放送)
教皇フランシスコは20日付けで、使徒的書簡「ミデリコルディア・エト・ミゼラ」を発表された。「いつくしみの特別聖年」の終了に伴い発表された使徒的書簡は、聖年の恵みを振り返ると共に、この体験を基に、神の無限の愛に信頼し、いつくしみの業をより広げていくよう招き、カトリック教会典礼暦で「王であるキリスト」の祭日を前にした「年間第33主日」に「貧しい人々の日」を制定し記念することを明らかにしている。
また、教皇は、聖年開幕前の2015年9月、「いつくしみの特別聖年の免償についての書簡」で、堕胎の罪を犯したが心から悔悛して赦しを願う者に対し、聖年期間に限り、(赦しの秘跡をもって)赦しを与える権限をすべての司祭に許可されていたが、今回の使徒的書簡により、聖年終了後もすべての司祭がこの権限を行使できるよう定めた。
教皇はこの使徒的書簡の「ミデリコルディア・エト・ミゼラ」というタイトルに、「イエスと姦通の女との出会い」(ヨハネ8,1-11)を観想する聖アウグスティヌスの言葉、「そこに残ったのは、憐れな女と、憐れみの、二人だけであった」を反映させられた。このエピソードは、姦通で捕らえられた女とイエスとの出会いを語っている。「姦通した女は石で打ち殺せと、モーセは立法の中で命じているが、あなたはどう考えるか」と聞かれたイエスは、長い沈黙の末に「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言う。人々が一人また一人と立ち去った後、イエスと女だけが残った。イエスは女に「婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか。」「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」と言った。
「イエスと姦通の女」のエピソードから来る教えを、「いつくしみの特別聖年」の終了を照らし、教会の未来への歩みを導くものとして提示された教皇は、「いつくしみは教会生活の一部ではなく、本質そのもの」、「すべてはいつくしみの中に啓示され、すべては御父のいつくしみの愛の中に解かれる」と述べている。「福音書のこのエピソードの中にあるものは、罪と裁きという抽象的なものの出会いではなく、罪に落ちた女と救い主との出会いである。イエスはこの女の目を見つめることで、理解され、赦され、解放されたいというその心を読み取った。罪の惨めさは、愛のいつくしみによって再び覆われたのである」と教皇はこのように記された。
また、教皇はルカ福音書の「罪深い女を赦す」エピソード(7,36-50)を同時に引用。イエスがファリサイ派の人の家に招かれ食事をしていると、罪深いことで知られる一人の女がその家に入ってきて、イエスの足を涙で濡らし、自分の髪でぬぐい、香油を塗った。驚き、いぶかしがるファリサイ派の人に、イエスは「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と語った。これについて教皇は、「悔悛した罪びとを前に、いつくしみ深い神が赦しの抱擁をしないことはない。わたしたちは神のいつくしみに対し、条件を設けることはできない。赦しは常に天の御父の無償の行為、無条件にして、わたしたちには過分な愛である」と記された。
教皇は「いつくしみの聖年」が終わったこれからも、ミサや、ゆるしの秘跡、塗油の秘跡などを通して神のいつくしみを「記念」し、また聖書に親しみ、助けを必要とする人々に寄り添うことを通して、神のいつくしみの豊かさを体験し続けるようにと願われた。特にゆるしの秘跡をキリスト教生活の中心として再発見するよう招く教皇は、真剣に悔い改める人々が神の愛に立ち返ることを妨げぬよう、これらの人々の神との和解の歩みを支え奉仕して欲しいと、司祭らを励ましている。
堕胎の罪を犯し、悔悛し赦しを乞う者に、赦しを与える権限を聖年中に限りすべての司祭に許可されていた教皇は、この権限を今後恒久のものとして行使できるよう定めた。これについて教皇は「無実の命を絶つ堕胎は大罪であると渾身の力を混めて主張したい」と強調。しかし同時に「神のいつくしみが及ばない罪、心から悔い改めた者の御父との和解を願う心を打ち壊すような罪は存在しない」とも明言されている。カトリック倫理において、堕胎は大罪とされ、通常、その罪に対しては、司教、または司教がその権限を託し任命した司祭だけが赦しを与えることができたが、今後すべての聴罪司祭にこの権限が認可されることになる。
今日の家族の複雑な現実にも触れた教皇は、こうした家庭の人間的困難を、疲れることなく受け入れ寄添う神の愛の態度をもって見つめて欲しいと希望された。「聖年の終了と共に聖なる扉は閉じられるが、わたしたちの心のいつくしみの扉は常に大きく開かれている」「キリストの近くにいたいならば、兄弟たちの近くに寄添わなければならない。いつくしみの具体的なしるしほど、御父に喜ばれるものはないからである」
このように記された教皇は、飢えに苦しむ人、移民、病者、受刑者、教育を受ける機会のない人などに寄り添うことを願うと共に、他人に対する連帯や責任の精神を失わせてしまう行き過ぎた個人主義に陥らないよう警告された。「今はいつくしみの時」と述べた教皇は、「年間第33主日」に「貧しい人々の日」を制定。小さく貧しい人たちへのイエスの愛を思い起こし、それに倣うことで、信者たちが、続く「王であるキリスト」の祭日をふさわしく迎えることができるようにと願われた。
*「カトリック・あい」注*堕胎をされた方に対して赦しを与える権限は、日本や米国ではバチカンの了解のもとに、すでに、全司祭に与えられています。今回の決定は、主としてこの問題が深刻な欧州の教会を念頭に置き、かつ保守派の抵抗が強い米国などの教会においても徹底を期する狙いがあると思われます。
教皇書簡「教会は世界の現実に目を見開き、新たないつくしみの業を」(CRUX)
(2016.11.20 ジョン・アレンJr Crux editor)
教皇フランシスコは、この使徒的書簡で、「いつくしみ」が行き過ぎ、と見る向きもあるのに対して、「赦しは神の愛の本質」であると強調。「私たちの誰ひとりとして、条件付きで赦す権利を持ってはいません。いつくしみは常に私たちの天の父による無償の行為、無条件、無制限の愛の行為なのです」「ですから、私たちは、神がひとりひとりの暮らしに介入されるときにお持ちになる愛の完全な自由に反対するリスクを犯すことはできません」と述べている。
また教皇は、いつくしみを強調する教皇の姿勢が神の法についての教会の伝統的な公式見解に馴染まない、との見方を否定し、「そのような法のレベルのみにとどまることは、信仰と神のいつくしみを挫くことに等しい」と言明。悩み苦しむ人とcompassion(思いを同じくする)ことは、いつくしみの特別の形であり、特別聖年の閉幕を越えて続ける必要がある、と力説した。
「涙を乾かすことは、私たちがしばしば罠にかかる孤立の悪循環を打ち壊す道」とし、「私たちが安心する言葉、私たちが理解されていると感じる抱擁、私たちが愛を感じる愛撫、私たちがもっと強くなる祈り・・これらすべてが、私たちの兄弟姉妹によってもたらされる慰めを通した神の親密さの表明なのです」と教皇は言明。
書簡の中で、教皇は、今年4月に公表した使徒的勧告「愛の喜び」の内容、とくに離婚・再婚者に聖体拝領を認めることを示唆する内容をめぐって起きている論争について直接触れてはいないが、間接的な答えとして、困難な状況にある家庭にたして神のいつくしみは特に必要であることを強調している。そして「今回の特別聖年は家庭生活の現実の複雑さを見過ごすことはできない。いつくしみの経験は、私たちが、受け入れ、ともに歩む神の愛の立場から、あらゆる人間的な問題を考えることを可能にします」と語っている。
そして幅広い見地から「21世紀の苦難と病理はいつくしみの伝統的な徳目を再評価する必要性を際立たせている」とし、「多くの人びとが、食料、仕事、避難所、そして平和を求めて、こちらの国からあちらの国へと移動している。様々な形の疾病が、助けと癒し、支えを叫び求める苦難の尽きることのない原因になっている」と指摘。「読み書きができない人々はいまだに世界各地にいて、子供たちは潜在能力を引き出すことが出来ず、新しい形の奴隷となる危険にさらされている」と指摘する教皇は「いきすぎた個人主義の文化は、特に西側諸国で、他の人々との連帯感、責任感の喪失につながっている」と警告。
このような問題の指摘をさらに広げて、「失業し、あるいは仕事はしていても十分な収入を得られない、住む家や土地を持つことができない、信教、人種、社会的立場で差別を経験する。これらは、人の尊厳を傷つけるたくさんの現状のほんの少しの例でしかない」「そのような脅威に直面して、キリスト教徒のいつくしみは、何よりも油断なく、連帯を伴って反応するのです」「私たちの世界は、人の尊厳を傷つける新たな形の精神的、物質的貧困を作り出し続けています」と指摘したうえで、「このような事ゆえに、教会は、常に目を見開き、いつくしみの新たな業を見出し、寛大さと熱意を持って実行する用意をしていなければなりません」と訴えている。
(南條俊二訳)
教皇「世界青年の日」の今後3年間のテーマ発表(バチカン放送)
(2016.11.22 バチカン放送)
教皇フランシスコは、カトリック教会の「世界青年の日」における、向こう3年間のテーマを決定された。「世界青年の日」(ワールドユースデー、WYD)は、カトリックの若者たちの祭典で、「復活祭」の一週間前の日曜日、「受難の主日」に記念される。毎年教区レベルで行なわれ、数年毎に「国際大会」が開かれる。次回の「世界青年の日大会」は、2019年、パナマで開催される。
教皇庁信徒・家庭・生命省の発表によれば、教皇はパナマ大会を頂点とするWYDの今後3年間の歩みを導くものとして、マリアを中心に置く次のテーマを選ばれた。2017年・第32回世界青年の日「力ある方が、わたしに偉大なことをなさいました」(ルカ1,49) 2018年・第33回世界青年の日「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた」(ルカ1,30) 2019年・第34回世界青年の日(パナマ大会)「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」(ルカ1,38)
ちなみに、過去3年間(2014~2016)の「世界青年の日」は、イエスが山上で説いた「真福八端(八つの幸い)」を主題とし、2016年7月に行われたポーランド・クラクフ大会のテーマは「あわれみ深い人々は、幸いである、その人たちはあわれみを受ける」(マタイ5・7)であった。教皇はこの「幸いな者」に対する考察の継続として、「今から後、いつの世の人も、わたしを幸いな者と言うでしょう」(ルカ1, 48)と神をたたえたマリアを、今後3年間のテーマとされた。
「世界青年の日」クラクフ大会の折、教皇はボランティアの若者たちとの集いで、イエスの母マリアの態度を倣うべきモデルとして示されている。このように、来る3年間のテーマはマリアを強く意識すると同時に、過去(2017)から、現在(2018)、未来(2019)へと続く、若者たちの歩みを象徴するものになるという。
「いつくしみ」の心の扉は開かれ続ける、と教皇(CRUX)
(2016.11.20 Crux バチカン特派員 イネス・サン・マーチン)
ローマ発―いつくしみの特別聖年の閉幕にあたって、教皇フランシスコは「神には罪の記憶はありません」と述べ、神の赦しを与えたいという心は特別聖年の幕が下りた後も続くことを強調した。また教皇は、「権力と栄光を追い求める」罠に陥ることのないように、自由で信仰深く、富において貧しく、愛において豊かな暮らしを大切にするようにとの、教皇の願いを繰り返された。そのような暮らし方は、いつくしみの特別聖年の真の成果になるだろうと述べられた。そして「聖なる扉が閉じられても、キリストの御心である、いつくしみの真の扉は、これからも、私たちにいつも開かれ続けます」。
さらに、「神は私たちの罪を完全に、永遠に取り消す用意をされています。神の記憶は、私たちと違って、なされた悪を残されない、経験された不正を記録されないのです」とし、「神は罪の記憶をお持ちにならない。私たちだけ、私たち一人ひとりを覚えておられる。私たちは神の愛する子供たち。新たに始めること、私たち自身が立ち上がることが常に可能だと神は信じておられるのです」と確信を述べられた。
閉幕式のミサの中で、教皇は福音書の十字架に挙げられたキリストの場面を回想し、お前が本当に王様なら、その力を使って自分を助ければいい、と言ってイエスを嘲った人々のことを取り上げ、「これこそ最も恐るべき誘惑、福音書に書かれた最初で最後のものです」と語り、彼の生き方そのものへの挑戦に直面した時、「イエスは語らず・・愛し、赦し続け、父の意思―愛が実を結ぶという確信―に従って、裁きの時を生きられたのです」としたうえで、信徒たちに、『つつましやかな愛』の不名誉を包み込んだイエスに習うように強く促した。
「いつくしみの特別聖年」終わるー教皇が閉幕ミサ(バチカン放送)
カトリック教会がおよそ1年にわたり開催した「いつくしみの特別聖年」が、典礼暦で「王であるキリスト」を祝う11月20日、教皇フランシスコによる閉幕ミサをもって終了した。バチカンで行われた閉幕ミサには、およそ7万人の信者が参集した。閉幕ミサに先立ち、聖ペトロ大聖堂のアトリウムで「聖年の扉」の閉門の儀式をとり行われ、「聖年の扉」を前にした教皇は、聖年を通して無限のいつくしみの御顔を示してくださった神に感謝を捧げ、続いて、「真剣な心で探し求める者には『常に開いた門』であり、聖霊が、『天国へと導く唯一の門』である救い主キリストにおける希望を新たなものにしてくださるように」と祈りつつ、教皇は「聖年の扉」を構成する2枚のブロンズの扉を、左右一つずつゆっくりと閉じられた。
この後、聖ペトロ広場で行われたミサの説教で、教皇は「このいつくしみの聖年は、わたしたちに本質に戻るよう招いた」と述べ、復活の光の中にあるわたしたちの王の本当の御顔を見つめ、若く美しい教会の顔、人々を受け入れ、自由、忠実であり、清貧だが愛に富み、宣教的である時に輝く教会のその顔を、再発見しようと説かれた。そして、ミサの終わりに、使徒的書簡「ミゼリコルディア・エト・ミゼラ」に署名され、普遍の教会を代表する、世界の首都大司教・司祭・修道者・若い夫婦・家族・病者らにこの書簡を渡された。
「いつくしみの特別聖年」は、教皇フランシスコが自らの選出2年を迎えた2015年3月13日に開催を予告。同年4月11日、「神のいつくしみの主日」の前晩の祈りで特別聖年布告の勅書が公布され、「御父のように、いつくしみ深い者となりなさい」(ルカ 6,36)をモットーに、2015年12月8日の「無原罪の聖母」に開幕していた。開幕ミサで、教皇によりバチカンの聖ペトロ大聖堂の「聖年の扉」が荘厳に開かれたのに続き、ローマの他の教皇直属バジリカ(聖ヨハネ大聖堂、城壁外の聖パウロ大聖堂、聖マリア大聖堂)の「聖年の扉」も相次ぎ開門した。特別聖年の特徴として、中央アフリカ・バンギで行われたように、世界各地の大聖堂や巡礼聖堂、またローマ・カリタスなどの支援施設などにも「聖年の扉」が設けられ、巡礼者らに開放されていた。
そしてこの一年、バチカンでは、神のいつくしみをテーマに、司祭や、助祭、奉献生活者、カテキスタ、ボランティア、信心会、病者、子ども、お年寄り、受刑者、ホームレスの人々など、様々な人々を対象とした聖年行事が行われた。毎週水曜に開かれる教皇一般謁見では、「いつくしみ」をテーマとした教皇によるカテケーシス(教会の教えの解説)が続けられたほか、今年7月、ポーランド・クラクフで開催された世界青年の日(ワールドユースデー)では、教皇と若者たちが共にこの聖年を記念した。9月には、「いつくしみの聖人」としてコルカタのマザー・テレサの列聖式がバチカンでとり行われていた。
「分裂と排除の”ウイルス”に感染するな」教皇が新枢機卿たちに訓戒(CRUX)
(2016.11.19 イネス・サン・マーチン CRUX バチカン特派員)
ローマ発―教皇フランシスコは19日、新たに17人を枢機卿団に加える式にあたって、彼らの教会のリーダーとしての心構えを厳しく説いた。増大する”分裂と排他”の文化に囲まれる中にあって、教皇は新枢機卿たちに対して、分裂を引き起こす”ウイルス”が彼らの思考と行動に影響を与えるのを許してはならない、内部抗争は教会の普遍性を歪めるからだ、と力説した。
そして、「私たちは『分裂と排除』が大安売りされ、争いを解決する唯一に道だ、と考えられる時代に生きています」としたうえで、「移民や難民のような”よそ者”とされる人々が敵視され、脅威とされている。遠い地からやってくる、風俗習慣が違う、肌の色が違うという理由で、異なる信仰を持っているという理由で、敵、と決めつけかれているのです」「そして私たちはそれをはっきりと理解せずに、違いに根を持つ反目が敵対、脅威そして暴力に転じていくのです」「その結果、”反目と暴力の伝染病”によって傷はどんどん深くなる。それは、声をあげられず、無関心の病理によって黙らされる無力な人々に甚大な被害を与えるのです!」と強く指摘した。
教皇のこうした言葉は、カトリック教会内部の反目をはるかに超えて発せられていたが、それにも関わらず、彼が率いているカトリック教会内部の緊張状態を念頭に置いて、受け止められるのは避けがたい、と言えるだろう。ごく最近、教皇が4月に公表した家庭問題を扱った使徒的勧告「愛の喜び」をめぐって、司教たちの間で激しいやりとりがあり、さらに保守派枢機卿の小グループが教皇に”修正”を迫る考えをほのめかしている。
「膨れ上がる反目によって、なんと多くの不確実性と苦しみが人々の間で、そして私たちの間で振り撒かれているのでしょうか。そうです、私たちの間でです。そして私たちの共同体、司祭、集まりの中でも」と厳しく非難し、「分裂と反目のウイルスは私たちの考え、感じ、そして行動する仕方にしみわたってしまっている」としたうえで、教皇自身と同じように新たに枢機卿になった人々にも、そのウイルスに感染しないという保証はない、と警告し、教会の豊かさ、普遍性に反する分裂を起こす傾きを「心の中に持ってはならなりません」と注意を与えた。
200人を超えるカトリック教会の最高位である枢機卿は南北両極を除く全世界から選ばれているが、19日に正式就任し新枢機卿17人の出身は米国3人を含めて11か国。「私たちは違った土地の出であり、伝統、肌の色、社会的な背景を持っており、異なる考えをし、多様なやり方で信仰を表わします」「それが私たちを互いに敵にすることはない。最も偉大な豊かさの一つなのです」と教会の普遍性の素晴らしさを強調した。
さらに、神は、弟子たちに、そして「私たち」に歩むべき道を示されたとし、それは「いつくしみ深くありなさい。あなたの父がいつくしみ深いように」だ、と念を押した。そして、いつくしみへの招きは、四つの訓戒とともにある。それは日々の状況の中で使徒達のなすべきことを作り、形にし、使徒としての道が感じられるようにするもの―愛し、善をなし、祝福し、祈ること―であり、この四つは「私たちの友、近しい人々、好意を持つ人々、好みや習慣で共通する人々」には、たやすく実行できるが、イエスは「敵を愛しなさい。あなたを嫌う人に善をなしなさい。あなたに悪態をつく人を祝福しなさい。あなたを虐げる人のために祈りなさい」と言われた。「この四つの訓戒は、私たちが対向者あるいは敵対者と考える人々に、たやすく実行できるものではありません。まず、するのは、除外し、疑う、呪うことでしょう。悪者あつかいし、彼らを除外することを”聖なる”正当化しようとすることもしばしばです」。神の心の中には「敵はいない」。なぜなら、彼には息子たち、娘たちがいるだけだから。「私たちは、壁を立て、障害を作り、人々にレッテルを貼っている」と自省を込めて語った。
最後に、新枢機卿たちが目指すべき目標は、「赦しと和解」の人となるために「神の民とともに」努力を重ねることだ、と述べ、「困難に出会ったら、『イエスとの友情から生まれる力、光、慰めを持たず、支えてくれる信仰共同体を持たず、人生の意味も目標も持たずに日々をおくっている兄弟姉妹が数多いという現実を思い起こすようにしなさい」と強く促した。
公開枢機卿会議:教皇による新枢機卿たちの叙任式(バチカン放送)
バチカンで11月19日、公開枢機卿会議が開催され、教皇フランシスコは、この中で最近任命された17人の新しい枢機卿(有権枢機卿13名、非有権枢機卿4名)の叙任式を行われた。「いつくしみの聖年」の閉幕を翌日に控え、聖ペトロ大聖堂でとり行われたこの公開枢機卿会議には、枢機卿団をはじめ、司教・司祭・修道者、そして新枢機卿の出身国を中心に世界各国の信者たちが集い、新しい枢機卿たちの叙任式を共に祝った。 教皇は新枢機卿たちに向けた言葉で、新しく与えられた使命を支え、形作るために、熱心に「愛し、善を行い、祝福し、祈る」よう励まされた。続く叙任の儀式で、教皇は新枢機卿一人ひとりに、枢機卿の帽子である、赤いベレッタを被せられ、次いで指輪と任命状を渡された。新枢機卿たちは、枢機卿団に温かく迎えられ、互いに喜びの抱擁を交わした。この日、教皇フランシスコによって叙任された新枢機卿たちは次の通り。(敬称略・括弧内は出身国・所属修道会)
有権枢機卿(教皇選挙の投票権を持つ80歳未満の枢機卿)13名
1.マリオ・ゼナーリ、駐シリア教皇大使(イタリア) 2.デュドネ・ヌザパランガ、バングイ大司教(中央アフリカ・聖霊会) 3.カルロス・オソロ・シエラ、マドリッド大司教(スペイン) 4.セルジョ・ダ・ロシャ、ブラジリア大司教(ブラジル) 5.ブレーズ・J・キュピック、シカゴ大司教(米国) 6.パトリック・ド・ロザリオ、ダッカ大司教(バングラディッシュ・聖十字会) 7.バルタサル・エンリケ・ポラス・カルドソ、メリダ大司教(ベネズエラ) 8.ジョセフ・ド・ケセル、ブリュッセル大司教(ベルギー) 9.モーリス・ピア、ポートルイス大司教(モーリシャス) 10.ケヴィン・ジョセフ・ファレル、教皇庁信徒・家族・生命省長官(米国) 11.カルロス・アギアール・レテス、トラルネパントラ大司教(メキシコ) 12.ジョン・リバト、ポートモレスビー大司教(パプア・ニューギニア・聖心布教会) 13.ジョセフ・ウィリアム・トビン、インディアナポリス大司教(米国・レデンプトール会)
非有権枢機卿(教皇選挙の投票権を持たない80歳以上の枢機卿)4名
1.アンソニー・ソテル・フェルナンデス、クアランプール名誉大司教(マレーシア) 2.レナート・コルティ、ノヴァラ名誉司教(イタリア) 3.セバスティアン・コト・コアライ、モハレス・フーク名誉司教(レソト・オブレート会) 4.エルネスト・シモーニ、シュコドラ=プルト大司教区・司祭(アルバニア)
(「カトリック・あい」解説) 注目されるのは、新枢機卿17人のうち教皇選挙権をもつ80歳以下のうち13人のうち3人が米国から3人が選ばれたことだ。現教皇が就任して以来、2014年、2015年の2回の枢機卿任命で米国は外れていた。また、空席だったモーリシャス、バングラディシュ、パプアニューギニアから枢機卿が選ばれている。80歳以下の枢機卿新規任命は前任のベネディクト16世は56人、聖ヨハネ・パウロ2世は24人だったが、教皇フランシスコによる選任は今回で44人。
枢機卿はカトリック教会における教皇の最高顧問。今回の新規任命で教皇選挙権を持つ80歳以下の枢機卿は121人となるが、この後80歳を超える枢機卿が出てくるので、11月19日時点では120人となるという。アジアでは、インドに5人、フィリピンに4人、香港、韓国、タイ、ベトナムにそれぞれ2人、インドネシア、ミャンマー、スリランカ、そして今回新任のバングラデシュ、パプアニューギニアにそれぞれ1人となる。日本はゼロが続いている。
日本では明治以降、5人の枢機卿が選ばれているが、白柳誠一枢機卿が2009年12月30日に亡くなって以来、枢機卿は空席のまま、教皇選挙権もない状況が続いており、今回も選ばれることはなかった。アジアの国々の中で、日本よりもカトリック信者が少ない国でも枢機卿が次々と誕生しているにもかかわらず、なぜ日本から選ばれることがないのか。真剣に反省する必要があるのではないか。
「理解しようとしない人々がいる」―教皇が「愛の喜び」批判にコメント(CRUX)
(2016.11.18 CRUXバチカン特派員 イナス・サン・マーチン
教皇フランシスコはイタリア司教団の公式新聞Avvenire紙との幅広いテーマにわたるインタビューで、自身のキリスト教会一致への努力に対する批判に言及し、「そうした批判に悩まされることはないが、自分たちの不満を助長したいと望んだり、単に隠したりする人々は見分けがつくものです」と語った。
ローマ発―教皇フランシスコは4月に発表した家庭を主題とする使徒的勧告「愛のよろこび」に対して出ている批判について、反論した。主として、欧米の4人の枢機卿が最近、教皇あての文書を送り、勧告が重大な混乱と当惑、修正のうわささえ出ている、とし、「イデオロギー的とも言える形式主義」に苦しめられている、とほのめかしたことに対するもので、教皇は「勧告への反応について考えると、それを理解しない姿勢を続ける方々がおられます」と述べ、そうした方々は、「人生の絶え間ない変化の中で識別が必要な場合にも白か黒かで考える」とした。
教皇は、18日に発行されたAvvenire紙に、20日に閉幕する「いつくしみの特別聖年」と、その1960年代に開かれた第二バチカン公会議との関係についての質問に関連して答えた。教皇は「人々に神の慈しみの計画を伝える道具としてのみ、教会は存在するのです」と語り、教会は第二バチカン公会議で「父の愛の生きたしるしとして、この世に存在する必要がある」と感じ、とくに教会憲章 (「Lumen Gentium 諸国民の光」)で、教会の考え方の軸が「イデオロギー的になりうる、ある種の形式主義」から、人となられた御子を通して、神ご自身に移したのです、と指摘した。