教皇が既婚男性の聖職者叙階の可能性を示唆(Crux)

(2017.3.8 Crux Staff)ドイツの有力週刊紙DieZeitが9日付けで掲載した教皇フランシスコのインタビューで、教皇が既婚司祭の問題について答え、(司祭になる条件として)独身制を自由選択にすることだけでは〝問題解決″にならない、としたうえで、’viri probati’(試練に耐えた既婚者)の叙階に門戸を開く可能性を示唆した。

 教皇はこれまでも、カトリック教会で既婚司祭について検討すること、とくに’viri probati’と呼ばれる人を叙階する可能性について門戸を開くことを表明していた。インタビューで教皇は、「それで、私たちは、彼らが条件を満たすためにどのようなことをすべきかを考えなければならない。例えば、外界と切り離された共同体での生活とかです」と語った。

 教皇に対する問いは具体的に’viri probati’を助祭として叙階することを念頭に置いたが、多くの神学者や何人かの司教は司祭叙階も可能という考えを示している。教皇はこうした前向きの姿勢を明らかにする一方で、「解決の道ではない」という言い方で、司祭の独身制の単なる自由選択化を否定した。

 また、司祭職への召命の減少について「とても大きな問題」とし、まず祈らねばならず、「司祭職への進路を希望する若い人たちとともに働く」ことにもっと力を入れる必要がある、と強調。司祭不足は、教会を弱体化する。それは「ミサの無い教会は力を持たない、教会はミサを行うところであり、ミサが教会を作るからです」とした。さらに、教会が直面する問題に恐れることなく立ち向かう必要を強調して、「恐れは扉を閉じさせるが、自由は扉を開けさせます。自由の余地が小さくても、窓をあけるのです」と訴えた。

 現在、カトリック教会では司祭のほとんどが独身だが、カトリック教会は23の東方教会とミサ聖祭で一致しており、その東方教会では司祭の結婚が認められている。米国には、カトリックに改宗し、司祭に叙階された後も結婚したままでいることを認められた既婚の元プロテスタントの牧師たちが何百人かいる。2014年4月、ブラジルのある司教が「私は教皇フランシスコとの個人的な会話の中で、’viri probati’の叙階について議論をし、教皇は前向きの姿勢を示され、それに沿った提案をするかどうかは司教たちの会談が判断すること、という考えを示唆された」いう話をした。

 昨年秋、教皇は7家族の共同体と会いにローマ市内に出向いたが、その家族の主は全員が聖職を離れて結婚した人たちだった。そこで、教皇は2018年のシノドスのテーマに結婚した司祭の問題を取り上げるのではないか、との観測も流れたが、実際には若者、信仰、召命の識別がテーマになることが決まっている。

(翻訳・南條俊二)

 

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

 

2017年3月11日

 教皇、「カトリック原理主義者」をやんわり批判-ドイツ週刊紙との会見で(Crux)

「私はバーク枢機卿を敵とは見ていない」

(2017.3.8 Cruxバチカン特派員 Inés San Martín)教皇フランシスコが使徒的勧告「(家庭における)愛の喜び」で示した離婚・再婚者に対する聖体拝領への対応をきっかけに米国のレイモンド・バーク枢機卿をリーダーとする保守派との確執が伝えられているが、教皇は8日付けの独週刊紙Die Zeit のインタビューで、この質問に答え、「私はバーク枢機卿を〝敵″と見ていません」と言明した。その一方で、「彼らの自信がイエスを否認する直前の聖ペトロを思い起こさせます」という表現で〝カトリック原理主義者″をやんわりと批判した。

 教皇はまた、バーク枢機卿について、幼児性的虐待で訴えられたグアムの大司教の教会法上の裁判を指揮するため現地に派遣したことを〝追放″を意味するものとする見方を否定し、「彼の派遣は、現地で起きている酷い出来事のためです。彼にはとても感謝している。優れた法律家です。現地での仕事は間もなく終わります」と述べた。

 また最近、欧米の新聞をにぎわした(「かとりっく・あい」注・慈善活動の一環としてミャンマーでコンドームを配布した問題をめぐる)マルタ騎士団事務総長の解任、再任事件と同組織の指導司祭であるバーク枢機卿の役割については、米国人高位聖職者(バーク枢機卿を指す)が関与できなかった問題がある、としつつ、「彼はマルタ騎士団の支援者であり続ける」との見方を示した。

 ただし、教皇が〝原理主義者のカトリック教徒″としている、同枢機卿がしばしば関わっていたグループについてはやんわりと非難し、「信仰の危機の中で信者が互いにどのように助け合うことができでしょうか」と問われた教皇は「危機は人生と信仰が育つために欠かせません」とし、新約聖書から、パウロが、絶対に否認しないと誓った後で、キリストを三度、否認した箇所を取り上げた。そして、「イエスがペトロが必ずそうすると思われた場面は、たくさんの原理主義者のカトリック信徒のことを私に考えさせます」。なぜなら、ペトロは「イエスを否認し、大きな危機を招き、そして教皇にされたのです!」と述べた。

女性助祭の可能性-「時間」が教えてくれる

 インタビューはこのほかにも多岐に及び、その一つに、教皇が最近設置した、教会における女性助祭の歴史的役割について研究する委員会については、(早期に実現するという期待に水を差すような姿勢が教皇にある、という見方もあるが、との問いに)「女性たちが過去に教会で何をしていたか、聖職者として叙階されていたのか否かをはっきりさせる委員会を、なぜ作らなかったのか、と質問されたことがあります。

 私は『作らなかったのが、どうしていけないのですか』と聞き返しました。」。「委員会はこの問題を探求するもので、扉を開くものではない・・委員会が何を見つけるか、時間が教えてくれるでしょう。委員会は3月中に三回目の会議を開く予定で、そこで私はどこに立脚点を置くか聞いてみようと思います」と説明した。

 今年の外国訪問の予定については、エジプト訪問ができないか作業中であることを明らかにする一方、可能性が言われていた南スーダンとコンゴ共和国、コンゴ民主共和国への訪問は年内実現の可能性がほぼなくなった。ロシア訪問も「訪問する場合はウクライナも対象とする必要」があることなどから不可能、とした。インドとバングラデシュの訪問は準備中だが、具体的な日程は未定。ポルトガルのファティマ巡礼は5月中旬に実現する見通しだ。

 バチカン内部などから受ける教皇批判が個人的に彼を傷つけているか、との問いには答えなかったが、「教皇に選ばれた時以来、一度も心の平静を失ったことはありません」と語り、「私の行動様式を好かない人がいるであろうことは理解します。批判の根拠もわかります。たくさんの考え方がありますが、許されています。人間的であり、豊かささえあると言えるのです」と述べた。

聖トマス・モアのユーモアのセンスに学ぶ

 そして最近、ローマ市内の至ることろに教皇批判のポスターが貼られたり、バチカンの機関紙の偽物が出たりしていることに対しては、後者には〝豊かさ″が全く感じられないが、ポスターはそうではない、とし、「ポスターにある Romanesco(イタリアの方言)は素晴らしい。文化を大事にする人が書いたのでしょう」。記者の「バチカンの人ですか」との問いに、教皇は「違います。文化を大事にする人ですよ」と笑いながら答えた。

 教皇は、関連して、自分は聖トマス・モアのユーモアのセンスを願う祈りを毎日唱えていることを明らかにし、「主は心の平安を私から取り去らず、たっぷりのユーモアのセンスをくださるのです」と説明した。

 教皇はまた自分自身について聞かれ、就任当初のインタビューで語ったように、自分は罪びとであること、イエスにいらだつ時があることを自覚しており、なぜあることが起こるのか、自身が作ることも含めて理解できないこともある、「それは私自身の罪によるものです。私は罪びと、いら立ち・・それが慣れっこになっています」と答えた。

 さらに、自分が「例外的な人間」とは思っておらず、自分自身に対する期待が誇張されすぎているのは正しくない、としたうえで、「私はつまらない男ではありませんが、できることをする、普通の人間です。誰かが私に『そうではない。あなたは・・』などと言うことは、決して私にとっていいことではありません」と強調した。(翻訳・南條俊二)

 

 

委員会は3月中に三回目の会議を開く予定で、そこで私はどこに立脚点を置くか聞いてみようと思います

◇聖トマス・モアのユーモアのセンスに学ぶ

誰かが

2017年3月11日

 「提言が実行されない」-教皇設置の″聖職者による性的虐待”対策委員会、被害者代表が辞任(TABLET)

(2017.3.6  Tablet ローマ特派員  Christopher Lamb

 マリー・コリンズ女史は憔悴している。彼女がバチカンの政治と内部抗争に強い不満を抱き、教皇フランシスコが設置した「聖職者による青少年性的虐待対策委員会」の委員を辞任して以来、メディアの取材競争の渦中に巻き込まれているのだ。

(「カトリック・あい」注・幼児を中心とした少年・少女に対する聖職者による性的虐待は、フランシスコの教皇就任よりはるか以前から、欧米を中心に問題が表面化を続け、カトリック教会での聖職者の権威失墜、信徒の激減を招いているにもかかわらず、いまだに収束の気配を見せていない。「子供のための委員会」は、この問題の深刻さを痛感するフランシスコが教皇就任後、問題の抜本的対処のために真っ先に発足させていた。)

「毛布をかぶって、一週間、眠りたい」と女史は語る。これは、単に彼女が委員を辞めて、それでおしまい、という話ではない。彼女にとって、性的虐待に対する戦いは、彼女自身の体験に基づくものであり、性的虐待の防止は彼女のライフ・ワークだ。その彼女がここ数日、味わったのは、魂がいっぺんに抜けたしまうような経験だった。

 彼女は、聖職者による性的虐待のもっとも酷い被害者だ。13歳の時、ダブリンのカトリック病院の専属司祭から性的暴行を受けた。彼女は衝撃を受け、自分が過ちを犯したように感じた。罪の意識に打ちひしがれ、自信を失った。他の多くの犠牲者と同じように、加害者への訴えは教会に無視され、対応を誤られ、彼女の精神的苦痛はさらにひどいものとなった。

 それでも、彼女は苦難を乗り越え、青少年保護の専門家になり、ダブリン大司教区とアイルランド教会全体とともに、効果的な青少年保護のガイドラインを作成した。確固とした信念を持ち、はっきりとものを言う彼女は、犠牲者と教会の橋渡しをする公正な役割を果たす人として尊敬されている。 アイルランドでこの問題が隠蔽され続けた暗い日々を経験した後、彼女は犠牲の求めを理解する一方で、司教たちが、問題解決に必要な改革に取り組むのを助けようと努力した。

 2014年に教皇フランシスコがこの問題に対する抜本的な対策の提言を受けるために委員会を設置した時、彼女は委員就任を要請されて引き受けた。委員会は3年にわたる問題の検証、議論を経て、提言をまとめ、教皇に提出した。「教皇は提言のすべてを受理されました」。だが、それは実行に移されなかった。「教皇に問題があるのではない。バチカンの担当者たちが、やる気をもたなかったのです」と彼女は言う。

 教皇庁のこの問題の担当部署は教理省だ。同省は性的虐待の訴えを受理し、取り調べをし、”有罪”と判断した聖職者の処分を決める責任がある。ところが、委員会との協力を拒み、特に、委員会が一般信徒の専門家の力を借りたことから、「この問題を扱う教会法上の権限が何もない」とし、委員会は単なる助言グループに過ぎず、バチカンの公的な部署でもない、と敵意さえ示したのだ。

 委員会は、提言の中に、性的虐待防止のためのガイドラインを盛り込み、さらに、それを守らない司教への対応についての方策も協議した。「出来上がったガイドライン案は、世界一すぐれたものでした。でも、実行されなければ、司教たちがそれに従わなければ、何の価値もありません」。教理省には、性的虐待を審理する部署がすでに存在しているが、教皇はこの問題を扱う別の部署を作ることを発表している。

 「忍耐の限界を越えているのは、性的虐待の被害者に対する司牧的な配慮の欠落です。その象徴的な例が、被害者からの手紙に対する回答を、バチカンの担当部署が拒んだことに表れている。外部の者の憤りと一般信徒の屈辱を招くような聖職権主義と『我々がいちばんよく知っているのだ』という高慢な姿勢、それは教皇が指摘していることです」と彼女は語り、「『そんなことは我々が何年もやってきた。どうしてお前たちの話を聞かなければならないのか』という彼らの態度を見せつけられる。それが、私が委員を辞任した理由です。彼らは、助言を受けることが権威の低下を招くことにつながる、と考えているようです」。

 そして、「そう言えば、委員会発足の時に、教皇庁のどの部署からも代表を送ってきませんでした。とても落胆しました。そのようなことは予想もしていなかった。バチカンの外の世界では、『問題解決のお手伝いをしましょう』という集まりと一緒の対策を考えるのが当然なのに。彼らは初めから私たちの活動に反対だったのです」と振り返った。

 このような現状を打開するのに必要なのは「文化を改めることです」と彼女は言う。教皇は今、性的虐待に処罰をしない、という問題、性的虐待を犯した者に対する過度の”慈悲”を示すという問題の最前線に立っている。さらに、教皇は彼の宿舎であるサンタマルタの館に泊まった委員会のメンバーと個別に会うことはしたが、委員会には出席したことがなかった。彼女は、教皇は、性的虐待問題でいくつか疑問符のつく判断をしたことがあるが、子供たちを危険な状態に置くようなことは何もしていない、としている。「重要な点は、彼の決定の結果、子供たちの危険にさらすような場所に誰も置かれることがなくなった、ということです」とも言う。また、委員会に対して拒否の姿勢を示すことで、その設立者の教皇フランシスコの権威を削ごうと狙う者もおり、「まったく、恥ずべきことです」と強く批判した。

 コリンズ女史の辞任で、このバチカンの委員会には、性的虐待を経験したメンバーがいなくなったが、彼女は、公的な教会の組織の外で活動を続けるつもりだ。しかし、彼女の辞任は、聖職者による青少年の性的虐待問題で揺れ続けるカトリック教会にとって大きな損失だ。彼女の委員会での業績は徐々に成果を見せており、委員会もさらなる成果に向けて活動を続ける、としている。だが、女史の辞任で改めて表面化した教会内部の改革に対する抵抗は、まだまだ成果への道は遠いことを示している。

   (抄訳・南條俊二)

“The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher” and that you quote our website address http://www.thetablet.co.uk

 

2017年3月8日

 バチカンの赤字は14億円―2015年決算

(2017.3.4 バチカン放送)教皇庁財務事務局が3月4日、2015年の教皇庁、バチカン市国、関係機関の2015年の連結決算について声明を発表した。

 それによると、教皇庁の2015年の財政赤字は1200万4000ユーロ(約14億円)となっている。主な歳入は、教会法1271条に基づく収入が2400万ユーロ(約29億円)、IWR(バチカン銀行)からが5000万ユーロ(約60億円)。歳出では、人件費が多くを占める傾向に大きな変化はない。バチカン市国についてはバチカン美術館など文化活動から得た収入が2015年で5990万ユーロ(約72億円)に上っている。

 また声明は、「2015年決算は、教皇フランシスコが了承した国際公共会計基準に基づくバチカン財政管理政策によって作られた最初のものだ。教皇庁財務事務局は経済評議会に対して、財政管理政策の完全な達成に向けた努力は確実に進んでいるが、作業が終わるまでにまだ何年かが必要、と説明した」としている。

 さらに、この連結決算は、「教皇が進めるバチカンの経済改革にとって、新政策に向けた努力の重要な一歩」であり、「バチカンの経済評議会は、この新政策の実施過程にある2015年連結決算が未監査であることを指摘したが、国際公共会計基準の採用は、財政状況の質と透明性を高め、財務諸表と財政規律を向上させる見地から、教皇庁とバチカン市国にとって大きな利益をもたらすもの」と強調。

 そして「2017年予算は、初めて新財政年度に先立って経済評議会に提示され、了承を受けている。このことは、了承された財政計画に対してそれが実際に適正に行われているかを監視することを通して、歳出の見直しをさらに厳正に管理することを可能にする。経済評議会は財務事務局にたいして、教皇が了承された経済改革を達成しよう努めていることに感謝を表明している」と説明している。(英語版より抄訳)

 

 

2017年3月6日

 離婚・再婚者の聖体拝領問題で、教皇「正義と慈しみは一つの道」を強調(Crux)

  • On divorce/remarriage, Pope says keep justice and mercy together2017.2.24 Crux staff ) 教皇フランシスコが23日朝、お住いの聖マルタの館でのミサの説教で、昨年4月に公布した家庭についての使徒的勧告「愛の喜び」の中で議論を呼んでいる離婚・再婚者に対する聖体拝領の問題について触れ、「大事なことは、正義と慈しみをともに持つことであり、細かい法律解釈にとらわれないことです」と強調された。

     説教で、教皇は、この日の福音朗読で読まれた「離婚のルールについての律法学者の問いに対するイエスの答え」を取り上げられ、「イエスは、それが律法にかなっているかどうかについてお応えにならず、

    casuistry( 決疑論)に踏み込むこともされませんでした」と、具体的なケースに対する幅広い原則の適用に関する道徳神学の用語を使ってお話しになった。ただ、その「casuistry( 決疑論 )」は、本来の意味-社会の慣行教会などの律法に照らして行為道徳的正邪決めようとすること-でお使いになったのではなく、神の意志を解釈するための律法重視の方法の同義語として使われたようだ。

      教皇は律法学者たちを指して、「彼らは信仰について『できる』『できない』という視点からだけで考えたのです」と語り、これに対して、「イエスはいつも真理をお話しになりました」とし、「そのような理由から、イエスは弟子たちにありのままにこう述べたのです。『妻を離縁して他の人と結婚する者は誰もが、妻に対して不倫を犯すことになる。妻が夫を離縁して他の人に嫁ぐ場合も、不倫を犯すことになる』と」。さらに、イエスが「決疑論も許しも無しに語られた」ことを強調された。

    そのうえで、教皇は「もしも、イエスが不倫を重大な罪とされたのなら、イエスが不倫を犯した者と言葉を交わし、彼女に『私はあなたを罪に定めない。行きなさい。そして二度と罪を犯さないように』と話すことが、どうして可能なのでしょうか?」と問いかけ、「イエスの道は、私たちははっきりと知ることができますが、不倫から真理そして慈しみに至る行程なのです」と説明され、さらに、イエスは、不倫の問題を棚上げし、自分を試みようとする人々、『できる』『できない』の論法で考えようとする人々に対して、同じ次元ではなく、福音の他の道筋を使って、彼らを『偽善者』として評された、と語られた。

 教皇によれば、キリストの道が示すのは、注意深い律法的な論証ではなく、慈しみと正義を合わせることであり、「(不倫への)誘惑に心が惹かれた時、不倫から抜け出し、真理と慈しみを目指す道は容易ではありません。神の恩恵が必要であり、神の恩恵によって私たちは(真理と慈しみに向かって)前に進むことができるのです」と訴えられた。そして「決疑論的な発想をする人はこう尋ねるでしょう。『神に対して重要なのは何ですか。正義ですか、それとも慈しみですか?』と。それはうんざりするような発想です。二通りの道があるのではなく、道は一つです。神にとって正義は慈しみであり、慈しみは正義なのです」と説明された。

 そして、「主は、このような道が分かるように私たちを助けてくださいます。たしかに易しい道ではありませんが、私たちを幸せにし、多くの人を幸せにする道なのです」と結論付けられた。(翻訳・南條俊二)

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2017年2月25日

 バチカンの法律解釈のトップが教皇の使徒的勧告「愛の喜び」を肯定(Crux)

(2017.2.17 Crux バチカン特派員 イネス・サン・マーチン)。

 教皇庁・法文評議会教会一般法の正統な解釈をつかさどる機関)議長の フランチェスコ・コッコパルメリオ枢機卿 がこのほど、バチカン担当記者を集めて記者会見を行った。それは、カフカ的(切迫した恐怖感のある)記者会見だった。教会法のトップである枢機卿が、教皇フランシスコの家庭生活に関する使徒的勧告「愛の喜び」について書いた冊子をまとめ、発刊することを発表するのが、会見の目的だった。

 記者たちは、離婚し、再婚した人々が聖体拝領できるか、について「愛の喜び」でははっきりしない、明確にしてほしい、と批判を込めて教皇に要求した4人の枢機卿たちの質問状に対する、バチカンの”回答″ではないか、と予想していた。記者たちが会見場にやってきた時、コッコパルメリオ枢機卿の姿はなかった。そして、冊子は、枢機卿たちの質問状に対するバチカンの答えでもなければ、ローマ教皇庁の正式文書でもない、と記者たちは説明されたのだった。だが、その冊子はバチカンの公式出版社から出版され、ローマの司祭マウリツオ・グロンキ教授によって、バチカン放送などで紹介されたものだった。

 コッコパルメリオ枢機卿が出席できなかったのは「スケジュールが重なり、列聖省の会議に出席しければならなかったからだ」と説明を受けた。

 反フランシスコ教皇のポスターが貼られたり、バチカンを揶揄する新聞に教皇を嘲笑する記事が掲載されたりして、ローマで緊張が高まる中で、今、教会に必要とされるのは、「愛の喜び」をめぐる教会内部の対立に終止符を打つ”奇跡”だ。

 枢機卿たちは今、フランシスコ教皇を擁護しようと踏み出した。コッコパルメリオ枢機卿の冊子の重要な点は、再婚者に聖体拝領を許そうという教皇の姿勢を支持することだ。だが、一方で、「再婚は姦通」であり、聖体拝領を認めるような動きは教会の結婚に関する教えに反する、として、反対する枢機卿や司教たちがいる。そうした中で、コッコパルメリオ枢機卿はこの冊子で「再婚した離婚者たちも、彼らが状況を変えることができず、再婚した伴侶との間に子供がいるなら、秘跡を受けることが許される」と、はっきりと述べている。

 彼のバチカンでの仕事は教会法の解釈だから、その見解は重要な意味を持つ。この冊子は、9人の枢機卿からなる教皇顧問団が教皇フランシスコへの全面支持を宣言し、特に重要なことだが、教皇の’教導権’、つまり教皇の教義への権限を支持する、と誓約した翌日に発行された。

 教皇の枢機卿顧問団がそのような声明を出す必要を感じたという事実は、現在教皇が受けているプレッシャーの大きさを物語ってもいる。「我々は劇的なことを望んでいたわけではなく、教皇を支持しているということを。我々から繰り返し述べるべき時期だったということだ。教会内で議論があるのは、当たり前のことだ。議論があり、緊張があり、いつもこんな風だ」と顧問団のメンバーのラインハルト・マルクス枢機卿は語ったが、「今、カトリック教徒が教皇に対し、“忠誠”を示すことが必要なのです」と付け加えた。

 問題は、離婚経験者に聖体拝領をさせてよいかどうか、というまさに議論の中心点で、司教たちが同意できていない、ということだ。アルゼンチン,マルタ、ドイツの司教たちは「よい」とする一方で、ポーランド、米国、カナダでは、反対の声がある。多くの国の司教たちは、無言でその問題の決着を待っている。そして、教皇は今週、「司教や司祭の間で、’亀裂’が生じている。それは、処置しないと、より大きな問題に発展しかねない」と述べている。カトリック教会内部の亀裂は、今、ビンの外にあふれようとしているのだ。.

(翻訳・岡山康子)

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2017年2月24日

(評論)教皇フランシスコを支持する枢機卿顧問団の声明が持つ意味(Crux)

 教皇フランシスコに対する、使徒的勧告「愛の喜び」などをめぐる保守派からの批判の声が続く中で、欧、米、アジア、アフリカなど9人の枢機卿で構成する教皇顧問団が2月13日、教皇支持の声明を出した。その意図は立派だし、熟考する価値はあるが、他の司教たちに先例にならうように圧力をかける可能性も含めて、意図しない結果を招く可能性もある。

 顧問団は、ホンジュラスのオスカル・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿と米国・ボストンのショーン・P・オマリー枢機卿が代表を務めている。

   一般論として、会社なら、経営責任者がトラブルに巻き込まれた時、誰かが、その人の指導力について〝全面的な信頼″を示す声明を出さねばならないことがあるだろう。仮に、会社の取締役会が社長に対してそうするとしたら、それは普通なら、社内でのスキャンダルか企業業績の落ち込みが起きた時だ。プロスポーツ・チームのオーナーが監督についてそうするなら、それはチームが弱くなっていることを意味する。だが、カトリック教会は一般企業でも、スポーツ・チームでもない。重要な点も含めて、多くの相違点がある-社長あるいは監督が解任されることはあるが、教皇はそうはならない。

 それでも、カトリック教会の統治をするためのご意見番として教皇フランシスコが任命した枢機卿顧問団(C9)がこのような短い声明を出す必要がある、と判断したのは、おそらく、全く意味のないことではない。注意が必要なのは、この声明を教皇庁は日々の公報に掲載して発表することをせず、全世界の司教たちにEメールで発出したことだ。

 声明は「最近のいくつかの出来事に関連して」で始まり、「枢機卿顧問団は、教皇のなさっていることに対して、全面的な支持を表明し、教皇の人格と威厳を全面的に固く支持し、護ることを確認する」と言明している。

 「最近のいくつかの出来事」で、声明が何を指そうとしているかは明白だ。2月4日にローマ市内の至ることろに張り出された反フランシスコの張り紙、先週出回った偽のバチカンの新聞、そして、「教皇は、批判の声を抑えるために権力を使う〝弱い者いじめ″」と非難する保守派や伝統主義者の不満表明が目立っていること、である。

 顧問団の一員であるドイツ・ミュンヘンのラインハルト・マルクス枢機卿は15日の記者会見で声明に触れ、「私たちはこのことを大げさなドラマにするつもりはなかったが、私たちが教皇を支持していること、教皇と共に歩んでいることを、改めて表明する時だと考えた」としたうえで、「この声明に対する反応は良好で、顧問団の意図を正しく受け止めていただいているようだ」と強調。さらに、「教会の中で議論はするが、それは正常な議論、緊張を伴うもの」「これからもそうしたことは続くだろうが、今の時期にカトリック教徒として、教皇に対する忠誠を確認することはカトリックの信仰、カトリックを信じる者にとって、大事なことだ」と念を押した。

 明らかに、声明の意図は立派なものだ。教皇が非難を浴びていると感じた枢機卿たちが連帯を表明したいと望んだのだ。2013年2月に当時の教皇ベネディクト16世が辞任を表明した際、ウイーンのクリストフ・ションボルン枢機卿が「枢機卿たちが大事な時に、教皇をしっかり支えなかったのではないか」と声高に疑問を呈したことが、彼らの脳裏に、あったかもしれない。今回の声明は、多くの議論もなく迅速にまとめられたようだ。枢機卿たちが教皇を支えるか、支えないかというような議論するまでもなかったからだ。

 だが、この声明がもつ潜在的な意味合いについて、考える意味はあるだろう。

 まず、このような声明が、これまでも異論を唱えていた反フランシスコの人々に深刻に受け取られないかどうかだ。反フランシスコの動きが出始めた当初から、大半の論者は、このような動きはツイッターでのつぶやきか、何枚かのポスターによるもので、大きな社会運動とは程遠いのだから、大げさに反応すべきではない、という見方をしていた。

 様々な世論調査の結果は、教皇フランシスコが草の根レベルで強い支持を受けていることを示しており、メディアでも教皇は極めて前向きな印象を与え続けている。ミサへの参加者、教会に対する献金などを見ても、教皇に対する反対の動きが広がるような兆候はこれっぽっちも見あたらない。そうしたことから判断する限り、揺り戻しの動きは毎度のこと以上のものではないし、深刻なものでもない。

 次に、顧問団が、意識しないうちに、世界中の司教たちのグループに声明に従うように、この声明にならって教皇支持の声明をだすようにと、圧力をかけることがないだろうか、ということだ。

 例えば今後、枢機卿全員が集まる会議が開かれる際には、このような声明を出すかどうかに、メディアの関心が集まり、出さなかった場合、なぜ出さなかったのか、誰が出すことに反対したのか、誰が賛成派で、誰が反対派だったのか、などと問い詰められることがあり得る。

 あるいは、今度の米国の司教たちの会議が開かれる時に、メディアから、顧問団の声明にならうつもりがあるのか、教皇への忠誠を誓うのか、質問を受けるだろう。世界中の司教たちの会議で、あるいはアフリカやアジア地域の司教の集まりが開かれる時に、同じことが起きるかも知れない。

 少なくともあり得るのは、今から1か月、誰もそのようなことをしないなら、顧問団の声明は無視されたということになり、彼らの目から見れば、当惑するような結果となるかも知れない。米国の司教たちが会議を開き、声明に近いような内容のことを言明しないなら、すでに米国の保守派の司教たちと進歩派の教皇の対立を書き立てている米国のメディアは、そのことを問題にするだろう。

 教皇フランシスコが、教会の課題について判断する時に地方教会の声を確実に吸い上げる目的で枢機卿顧問団を設け、その枢機卿たちがそれぞれの地域の地方教会を代表しているから、地方教会が改めて何か言う必要はない、と言う人がいるかも知れない。

 世界の教会、あるいはメディアがそのような見方をするかどうかは、まだ分からない。声明が時宜にかなっていない、あるいは適切だった、ということを示唆するものはない。だが、あなたが役者だったら、大舞台で演技をしている時に、次の幕について考える必要がよくあるのではないか。(翻訳・南條俊二)

(写真は、教皇フランシスコを補佐する枢機卿顧問団= CNS/Reuters/L’Osservatore Romano.)

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2017年2月23日

 オーストラリアでも多くの聖職者などによる性的虐待明らかに(Crux)

(2017.2.6 Crux バチカン特派員 イネス・サン・マーチン)オーストラリアの幼児性的虐待への制度的対応に関する委員会が6日発表した報告書で、1980年から2015年の間に同国の1000以上のカトリックの組織・施設で4400人の子供たちが性的虐待を受けていたことが明らかになった。

 委員会の法律顧問を務めるゲイル・ファーネス氏は発表会見で、被害者が虐待された時点の平均年齢は女子が10.5歳、男子が11.5歳であり、全オーストラリアの司祭の7パーセントが1950年から2010年までの間に性的虐待を働いたとして告訴されていることを明らかにした。この比率は米国よりも高い。米国の場合、全米司教団の委託調査、ジョン・レイ報告で1950年から2000年までの間に性的虐待で訴えられた司祭の比率は全司祭の4%だった。さらに、ファーネス氏は、バチカンが2014年7月にオーストラリアの司祭たちが関係する記録書類の引き渡しを「要求された書類の提示は不可能だし不適切」との理由で拒否した、と言明した。

 アンソニー・フィッシャー・シドニー大司教は6日、ビデオを通じて、委員会の指摘を確認し、「恥ずかしく、悲しい。全オーストラリアで、1950年以降で、384人の教区司祭、188人の修道会司祭、597人の修道会ブラザー、そして96人の修道女が子供たちに性的虐待をしたと訴えられているようです」と語り、指摘された数字に異議を唱えるつもりのないことを明らかにした。

 報告書では、聖職者以外にも、性的虐待をしたものが、一般信徒の教会関係で働いている者543人、教会とのかかわりが不明な者72人いると指摘している。これはカトリック教会の司祭、修道士、修道女、そして一般信徒の合わせて約2000人が加害者となっていることを意味する。ただし、フィッシャー大司教によれば、報告書の数字は法的に有罪と判断されたものとまだ判断されていないもの、教会内部の調査で立証されたものと調査なしに教会が認めたものの区別がされていない。ジョン・レイ報告では、米国で4392人の司祭が11000件の訴えを起こされていた。

 また報告書では、教会の組織・施設別に見た性的虐待者の数は、 the St. John of God Brothers in Australia関係が全体の40パーセントを占め、the Salesians, the Christian Brothers,  the Marist Brothersの関係が20パーセントだ。

 フィッシャー大司教は「これほど多くの方を損なったこれまでの過ちに、カトリック教会は申し訳なく思っており、私自身も申し訳ないと思っています」「司祭、修道士、一般信徒の多くは同じ気持ちです。お恥ずかしい限りです」と謝罪した。

 委員会ではこれまで4年間に、公聴会を49回開き、このうち19回は教会関係の性的虐待についてだった。現在始まろうとしている16回目の公聴会・審査は個別具体的な案件についてではなく、より基本的な問題、何が「教会における歴史的な子供たちに対する性的虐待とそれに適切に対処できなかった」ことの原因だったのか、この問題に、「仕組み、政策、文化、司祭職と宗教的使命の識別、布教活動の仕方と監督の見直し」によって対応するために、教会はこれまで何をし、これから何をしようとしているのか、を明確にすることを目標にしている。

 報告書によれば、性的虐待の件数は1970年以降は減少しているが、大司教は「子供たちの安全、教会で子供たちが安心していられるような環境が確かに作られるまで満足しません」と語り、2度とこのようなことを起こさないためのあらゆる対策を実施する責任があることを自覚している、と強調した。

 また、現在、バチカンの経済省長官を務めるジョージ・ペル枢機卿は、教会関係者による性的虐待を隠蔽した疑いについてオーストラリアのカトリック教会の最高責任者として証言をする立場にあり、これまでローマにおいても含めて3回の審査を受けているが、これまでのところ責任を問われてはいない。

 オーストラリア・カトリック司教協議会会長のデニス・ハート・メルボルン大司教は2日に文書の形で声明を出し、大司教区の信徒たちに、公聴会は「難しく、動揺を覚える時」になるだろう、とし、「性的虐待がもたらした心の傷と痛みに深く思いを寄せ、私はカトリック教会を代表して、改めて謝罪をします」「性的虐待の犠牲となった方々に及ぼした損害を申し訳なく思います。教皇フランシスコが最近おっしゃったように、『私たちを恥じ入らせるのは罪』なのです」と教会内外の人々すべてに謝罪を表した。

 カトリック教会に対する審査への対応をまとめる立場にあるTruth Justice and Healing Councilのフランシス・サリバン会長は 報告書の発表を受けて、報告書で示されたデータは子供たちを守るべき教会の「数多くの過ち」を示したもの、と指摘し、こう語った。「このような数字は衝撃的です。悲劇であり、弁護する余地のないものです」「データの大部分は、本来、世話をし、守ってくれるはずの者から被害をうけた子供を代弁しています」。

 オーストラリアAP通信が6日報じたところによると、ビクトリア警察本部は、ジョージ・ペル枢機卿に対する性的虐待の訴えを調べている捜査官の収集した訴訟準備書面が検察の再調査に戻された。同通信は「これは、昨年10月に3人の捜査官がローマに行き、ペル枢機卿を尋問して以来、枢機卿の案件捜査に関する最大の進展だ」としながら、「ペル枢機卿が訴因について有罪という判断は検察からはない。捜査は継続中だ」とも述べている。

(翻訳・南條俊二)

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2017年2月9日

「右近は不屈の福音宣教推進者、信仰の宝」アマート枢機卿,一万人参加の列福式で

(2017.2.7 バチカン放送) キリシタン大名、ユスト高山右近(1553-1615)の列福式が2月7日、大阪城ホールで行われた。列福ミサは、教皇庁列聖省長官アンジェロ・アマート枢機卿を教皇代理として迎え、日本の司教団、駐日教皇大使ジョセフ・チェノット大司教、右近とゆかり深いフィリピン・マニラのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿、そしてアジアを中心とした各国の司教たちが参加して行われた。日本の各教区から多くの司祭が集り、司式関係者は300人以上に及んだ。ミサはラテン語と日本語を中心に進められ、信徒の祈りは英語・タガログ語・韓国語・ベトナム語など、説教は日本語訳を伴ったイタリア語で行われるなど、国際色豊かなものとなった。

 この中で、アマート枢機卿は、ユスト高山右近を福者として宣言する教皇フランシスコの書簡を厳かに読み上げた。これと共に、十字架を手にし、神の光に内心を照らされるかのように座するユスト高山右近を描いた画が除幕された。およそ1万人の参加者は、信仰の人、ユスト高山右近の生涯を改めて振り返り、大きな感動と感謝をもってその列福を祝った。

 アマート枢機卿はミサの説教の冒頭で、「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが死ねば、多くの実を結ぶ」(ヨハネ12,24)、「人々がわたしを迫害したのであれば、あなたがたをも迫害するだろう」(ヨハネ15,20)というイエスの言葉を引用し、このイエスの言葉がユスト高山右近の中に実現することになった、と話した。また、迫害者にも愛をもって向き合い、そのために祈ることさえした殉教者たちを、キリストの愛の証し人として示し、残忍さに対し愛にあふれる親切で答えた殉教者の生き方は、弱々しさではなく、強さの現れである、と述べるとともに、聖パウロ三木ら26聖人、聖トマス西と15殉教者、福者ペトロ岐部と187殉教者らに代表される、老若男女、社会のあらゆる階層の人々からなる、多くの殉教者たちの証しによって祝福された日本の教会の歴史を振り返った。

 枢機卿は「ユスト高山右近とは誰だったのか」、「そのキリスト者としての真髄はどのように息づいていたか」、「右近の言葉は現代のわたしたちにどのような意味があるのか」を考えるように勧め、キリストの教えを伝えることを望み、日本人の宣教師やカテキスタを養成するため、各地にセミナリオを創設するなど、領民に福音をもたらしたユスト右近の活発な宣教活動を紹介し、キリスタン追放令に対して棄教よりも欠乏、孤独、流浪を選び、マニラ到着後まもなく病に倒れた右近の最期を心に留めると共に、フィリピンにおいて右近の死とその聖性が人々に及ぼした感化に言及。「右近は、キリストの教え、愛の言葉、贖いの業に魅了され、その確信により日本の福音宣教の不屈の推進者となった」「真のキリストの武人、その技に長けた剣ではなく、言葉と業による武人であった」と語った。

 特権的な地位を失い、生活の貧しさが増し、打ち捨てられ隠れた境遇になっても、気落ちすることなく、平静を保ち、洗礼の約束に常に忠実だった右近の強い信仰を称え、「悲劇的な死を予感し続けた右近であったが、その殉教は、血を流す殉教ではなく、流刑による引き延ばされた死、十字架のキリストの苦しみに与ることでした」と指摘し、「自分を迫害する人々のために祈り、彼らを赦し、日本の回心を念じて命を捧げた右近は、不和と迫害の困難な時代にあってキリストへの信仰を卓越した方法で証したのです」と述べた。

 さらに、右近が日本の教会とすべての信者に残したものは「偉大な信仰の宝」だったことを強調し、貧者を助け、病人を見舞い、寛大な施しをし、父ダリヨと共に身寄りのない人の埋葬を行なったユストの、深い福音性に満ちたその数々の慈愛の業、「だれがキリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう」(ローマの信徒への手紙8,35)という聖パウロの言葉をそのままに生きたユストを思い起こし、「わたしたちの福者の模範が、イエス・キリストの福音への信仰と信頼へと、わたしたちすべてをを突き動かしますように。福者ユスト高山右近、わたしたちのために祈ってください」と呼びかけて、列福ミサの説教を締めくくった。

 

2017年2月8日

 ローマ市内に教皇批判のポスター出現、マルタ騎士団問題などで(CJC)

(2017.2.6 CJC通信)バチカン(ローマ教皇庁)の「お膝元」、ローマ市内に2月3日夜から4日未明にかけて、教皇フランシスコを批判するポスターが一斉に張り出された。内容は教皇に反発するカトリック保守派の主張にも合致するものだが、掲出団体の署名はなかった。

 4日昼から現地メディアが報道。いかつい表情をした教皇の肖像写真の下に、イタリア語のローマ方言で「お前のいつくしみはどこにあるのか」と糾弾文が印刷されている。カトリック教会は昨年11月20日に「いつくしみの特別聖年」が閉幕したばかり。

 ANSA通信によると、ポスターのことを知った教皇は「落ち着き、我関せず」の様子だという。ローマ市当局が「違法張り紙」としてポスターの撤去作業を始めている。

 ポスターは、中世から続く騎士修道会『マルタ騎士団』総長人事への教皇の介入や、保守派の枢機卿が昨年11月に教皇にあてた公開批判書簡に言及している。教皇は離婚した信徒らの苦悩に寄り添う姿勢を示し、教義の厳格適用を主張する保守派との対立が深まっている。

 『マルタ騎士団』は2016年12月6日、グランドチャンセラー(外務総官)だったアルプレヒト・フライヘル・フォン・ベーゼラガー氏がミャンマーでの援助事業の一つでコンドームの使用を容認したとして、マシュー・フェスティング総長が解任に踏み切った。

 コンドームの使用はカトリックの教義に反してはいる。しかし教皇は解任されたベーゼラガー氏の擁護に回り、内紛解決のための対話を求めるとともに、状況を調査するため5人の委員を指名した。しかし、解任は内部人事との見解を騎士団側がバチカンに通知。1月10日には、バチカンによる調査は違法のため協力を拒否するとの声明を発表した。

 教皇は、対立姿勢をあらわにしていたフェスティング総長に事実上の譴責を行い、1月24日の辞任へと追い込んだ。総長の辞任で、教会内の対立は治まらず、教皇の権威に対する新たな挑戦を招いた、とする報道もある。ロイター通信は、かねて活発に教皇批判を行っている米国のレイモンド・レオ・バーク枢機卿が主役と見ている。

2017年2月7日

 2018シノドスへ、教皇が「若者たち」の声に期待(TABLET)

(2017.1.13 TABLET ジェームス・ロバーツCNA)

 「Young People, the Faith and the Discernment of Vocation(若者たち、信仰、そして召命の識別)」を主題とする来年のシノドスの準備文書が13日に発表されたが、この文書は若者たちがシノドスの準備段階から実際の会議の議論に至るまで積極的な役割を求められていることを示している。文書は「シノドスの各段階を通じて、教会は例外なく、若者一人ひとりと出会い、寄り添い、心にかける、という熱意を明確にしたい」とし、また「教会は、彼らが社会で孤立したり、排除されたりするのを放置できないし、希望もしない」と言明している。

準備文書は「Young People in Today’s World」「Faith, Discernment and Vocation”」「Pastoral Action」の三章からなり、最後にシノドスと東方教会の総主教会議、司教会議、教皇庁会議、修道会総長会議などに向けた質問書が添付されている。質問書は、共通の質問事項と、世界の若者たちが置かれた様々に異なる環境に対応するための地域ごとの質問事項に分かれており、「西側世界、欧州、あるいはイタリア」のレンズを通さないことで「教会の現実を読み取れることも多い」とシノドス事務局長のバルディッセーリ枢機卿は説明している。

 準備文書が発表された記者会見には、事務局長、事務局次長のほか、教区の教会などで活発に活動している男女大学生も同席させ、来年のシノドスに至る議論で、若者たちにオブザーバー以上の役割を果たしてもらおうとする期待を示した。質問書には若者たち向けに設定された内容もあり、回答がインターネットで事務局に寄せられることも可能になる見通しで、そのためのウエブサイトは3月1日までに開設される、と事務局長は述べた。サイト名はwww.sinodogiovane2018.va.で、今のところはイタリア語のみにとどまっている。

 これらの質問に対する回答は、来年初めにまとめるシノドスでの議論のたたき台となる作業文書に反映される。

 また、準備文書では、「若者」の年齢上の定義を16歳から29歳までとしているが、世界のそれぞれの地域による「若者」の一般的な認識も考慮に入れている。

 準備文書の第3章「 Pastoral Action」は、「若者たちが福音の喜びへの招きを受け入れるのを、とくに不確かで、流動的で、不安な中で、教会はどのようにして助けていますか?」で始めている。準備文書の発表と同時に出された教皇フランシスコからの若者たちへの呼びかけの手紙で、教皇は「私は皆さんが関心の中心となることを望んでいます。それはあなた方が私の心の中にいるからです」と語った。昨年夏のポーランド・クラコフでのワールド・ユース・デーで、教皇は何回も「私たちは物事を変えることができますか?」と問いかけ、「はい」と大きな声で答えを受けていた。そのことを思い起こして、「あなた方の若い、若い気持ちから出たその叫びは、社会的な不正義に黙っていない、『捨てる文化』に迎合できない、『無関心のグローバル化』に負けることはできないのです」と述べたうえで、「あなた方の内なる叫び声を聞きなさい」と呼びかけた。

 さらに、「より良い世界はあなた方の努力、あなた方の変革への熱意、そしてあなた方の寛大さの結果として作られるのです」と強調し、聖霊がお示しになる「大胆な選択」を恐れないように、そして「あなた方の良心が、主に付き従うリスクを受け取るように働きかける時、遅れることのないように」と訴えられた。

 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher” and that you quote our website address http://www.thetablet.co.uk

2017年1月19日

 教皇、オマリー枢機卿を教理省担当に、幼児性的虐待対策を担当(CRUX)

(2017.1.14 CRUXバチカン特派員 イネス・サン・マーチン)教皇フランシスコが14日、バチカンの教理省担当にショーン・オマリー枢機卿(米・ボストン大司教)を任命した。オマリー枢機卿は高位聖職者の中で改革派のリーダーとされており、今回の任命は、フランシスコ教皇就任以前に発覚し、いまだに欧米や中南米で問題が続いている聖職者の幼児性的虐待対策を担当する。このため、この人事は、教皇のこの問題について抜本的な対処への決意の表れと注目される。

 教皇は、この問題に関して2015年6月、性的虐待の罪を犯した司祭だけでなく、その事実を隠蔽しようとした司教など教会幹部についても取り調べを行う部署を、教理省内に設けることを、枢機卿9人の顧問団の全面的な支持を得て決定した。だが、部署の発足は法令上や執行上の議論が長引いて、いまだに実現しておらず、「バチカンはこの問題にいまだに真剣に対処する意思がないのか」と批判の声も出ていた。枢機卿9人の教皇顧問団のメンバーであり、社会的弱者門体担当の責任者でもあるオマリー枢機卿の教理省担当就任は、まず、この担当部署を機能させることが狙いだ。

2017年1月18日

「皆の声を聴く教会」シノドス準備へ若者の意見をインターネット公募(TABLET)

(2017.1.13 TABLET クリストファー・ラム) 時として「カニ歩き」のようであり、よろめいてもいるが、教皇フランシスコのカトリック教会の中に、一般信徒の声を聴き、反応する公式の仕組みが正しい方向に動き始めた。それは、2018年秋に開く「若者たちと召命」をテーマにする全世界司教会議(シノドス)の準備文書を13日に発表した、バチカンのシノドス事務局である。

 事務局は、教皇が教会の中で対話と声を聴くというプロセスがとられるための仕組みとして考えられた。そして、13日の準備文書発表の中で、世界の若者たちが彼らの考えをインターネットを使って直接、バチカンに伝える、というオンライン・アンケートの実施を明らかにした。このようなことは今までなかったことだ。会見した事務局長のロレンツォ・バルディッセーリ枢機卿は、両脇に、21歳と24歳の若者代表を座らせるという演出をしたが、このことは、世界の司教たちがただ「若者たちが教会に行かない」と嘆いてはいられない、積極的に若者たちの考えを聴こう、という姿勢を明確にしたものだ。

 オンラインによるアンケートに合わせて、別の質問状を世界各国・地域の司教協議会に送り、回答をまとめて、事務局に報告する、という2014年、2015年のシノドス開催にあたってのやり方も行う予定だ。これらの手段で吸い上げられた全世界の一般信徒の声は来年2018年秋のシノドスの議論のもとになる作業文書に生かされることになる。

だが、問題もある。オンライン・アンケートによって、本当に全世界の若者の声を吸い上げることができるのか、という問題だ。アンケートは今年5月に発出される予定だが、現時点ではイタリア語のドメイン www.sinodogiovani2018.va でしかアクセスできない。

 一方で、質問内容は、地域別にそれぞれの実情に合わせる形で、異なった部分もある。南北アメリカに対しては「暴力の影響」、欧州には「選挙権を奪われた若者たち」、アジアは「各国、各地の文化と教会の教えをどのように調和させているか」、という具合だ。

 だが、質問全体の基調をなしたのは最初の質問「教会はどのような形で若者たちが実際に置かれている状況を聞いていますか」だ。準備文書の姿勢は、若者たちに「間違っている場所」で指導者のような言い方をするのでなく、彼らが「今いるところ」で会おうとする、つまり、司教たちはじめ聖職者に対して、「受け売りの答え」を予定するような枠組みを越え、「現代世界の変化が激しく不確実な現実の中で生きている若者たちに寄り添う」ことに努めるよう求めている、と準備文書は強調している。

 教会はこれまでの硬直的な態度を捨て、若者たち、若者たちが住む世界から学ぶべきだ、とも述べている。彼らの世界がデジタルの世界であることが多いことから、準備文書は、インターネットなどによるニューメディアとそれが次の世代である若者たちに与えている圧倒的な影響を理解するよう求め、さらに、NEETs(教育、雇用、訓練)で若者たちが直面している不安を特に重視している。

 教会の中には、50歳未満を若者としている場合もあるが、シノドスは若者の現実的な年齢的な範囲を16歳から29歳を中心に考えている。

 この準備書面は完璧でないものの、教会を〝協働性〟の教会とするという教皇の目標へ、さらに一歩踏み出した、とは言えるだろう。指導者たちは聴き、そして仕えるようにする、という目標だ。教皇フランシスコの下で、シノドスは司教たちが周期的に集まる会合以上のものとなり、カトリック信徒誰もが巻き込まれていく可能性のあるプロセスなのだ。(南條俊二訳)

 *Tabletは、イギリスのイエズス会が発行する世界的に権威のあるカトリック週刊誌です。「カトリック・あい」は発行者から許可を得て、日本語に翻訳、転載しています。

 “The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher” and that you quote our website address http://www.thetablet.co.uk

 

 

 

 

 

 

 

2017年1月18日

若者と召命をめぐる来年のシノドスに向けて全世界の教会へ準備書と質問状

 (2017.1.13 バチカン放送)バチカンで2018年10月に、「若者たち、信仰と召命の判断」をテーマに、世界代表司教会議(シノドス)第15回通常総会が開かれるが、その準備書が13日発表された。

 このシノドスでは、「若者たちが自分の人生の召命を知り、それに精一杯応えることができるよう導くための、また、若者たちによって効果的な方法で福音を伝えるための最良の方法を見出す」ことを目標としている。

 シノドス事務局(事務局長、ロレンツォ・バルディッセーリ枢機卿)がまとめた準備書は、次回シノドスの討議内容の原案として、各国の司教団をはじめ、教皇庁各組織、修道会総長連盟など、教会関係者に広く意見を募ることを目的としているが、近い将来的に、インターネットなどを通して、若者たち自身が目を通すことが期待されている。

 この準備書は、今日の世界中の16歳から29歳の若者の社会文化的な状況についての情報を集め、その様々な背景を理解し、シノドスに生かすために作られ、内容は主に「現実を知り見つめる」「召命と判断の重要性」「教会における司牧活動」の3部に分かれ、次のようなタイトルで構成されている。

序章 イエスに愛された弟子のように

第1章 今日の世界における若者たち
1.急速に変化する世界 2.新しい世代 3.若者と選択

第2章 信仰・判断・召命
1.信仰と召命 2.判断の賜物 3.召命とミッションの道のり 4.指導

第3章 司牧活動
1.若者と歩む 2.主役となるもの 3.場所 4.手段 5.ナザレのマリア

 文書は現在のところ5カ国語(イタリア語・英語・フランス語・ドイツ語・スペイン語)で用意されている。シノドス事務局関係者は「次回のシノドスが、若者たちが福音の光のもとに人生の選択ができるよう、どのように見守るべきかを考えるだけでなく、若者たちの望みや計画や夢、それを実現するために出会う困難などに耳を傾けていく機会となることを期待している」と語っている。

(カトリック・あい)なお、全世界に送られるこの準備文書には、以上の文章の後に、シノドスでの議論のたたき台をまとめるために各教会、修道会、学校、その他の機関の意見を聞くための質問状が添付されています。2014年、2015年の「家庭」をテーマとするシノドスの前例から判断すると、一般信徒個人からの回答も受け付けるものと思われます。質問状全文の日本語私訳を別項をご覧ください)

*(カトリック・あい)日本の司教団も、早急に日本語訳を作成し、国内のすべての小教区、修道会、学校、そして若者たちに届くように、準備書を配布し、積極的に回答を吸い上げ、日本の教会の声としてシノドス事務局に提示する、真剣な努力が求められます。「若者シノドス」は、昨年春まとめられた教皇の使徒的勧告「愛の喜び」の延長上にあるが、それすらいまだに日本語訳が出ていません。

 勧告の前に二回にわたって家庭をテーマにシノドスが開かれましたが、日本の教会は議論に積極的に参加したとは言い難く、そもそもそれぞれのシノドスの前に、シノドス事務局から世界の教会に送られた質問書も、日本の小教区などには届かず、小教区の現状や声を吸い上げることができず、おざなりな回答となった、という前歴があります。こうした当然の作業が満足に行われなかったことが、現在も尾を引いているが、そのような”失態”を繰り返さないように、教皇の真摯な呼びかけに真剣に対応する努力を求めたいと思います。

2017年1月14日

教皇2017年の課題・・海外訪問と”75歳定年”迎えた日本などの司教たちは・・(CRUX)

(2017.1.4 Crux エディター ジョン・L・アレンJr.)

 これまでに、教皇フランシスコの2017年のお皿に何が載るのか、かなり明らかになっている。海外訪問は5月にファティマ、年の後半にインドとバングラデシュが決まっており、あと二か所、アフリカ(おそらくコンゴと南スーダン)、ラテンアメリカ(コロンビアを始めとする)も可能性がある。

 イタリアでは、ミラノとジェノアに短期間訪れ、アドリミナでバチカンを訪れる世界の司教たちや、各国の元首たちと会い、聖週間には通常通りの宗教行事を主宰するだろうし、枢機卿9名からなる顧問団と教皇庁改革へのさらなる取り組みについて、協議を重ねることになるだろう。

 だが、教皇フランシスコについては、しばしば予想のつかないことが起きる。だから、単独行動好きの教皇が何をするか予想するのは、無駄骨というものだ。ただし、2017年について、少なくとも言えるのは、カトリック教会において彼の成果を形作り、文化を形成するうえで、ほぼ間違いなく重要な作業を続ける機会を、彼が手にするだろう、ということだ。それは、世界中の教会で働く司教たちの人事である。

 バチカンで働いている私の旧友は次のように言うのを好む。「カトリック教会においては、良い司教は素晴らしく多くの良いことができる。悪い司教はとんでもなく重大な害を及ぼすものだ!」と。

 司教たちは一般的に、自分たちの〝店〟を自分が良いと思うやり方で経営する自由度を持っている。教皇が昨年春に出した 使徒的勧告「Amoris Laetita(愛の喜び)」の実現のために様々な司教たちが選んだ対照的な方法が支持される範囲においてだ。結果として、教皇が行うことで重要なものを一つだけ選ぶとすれば、それは司教たちの選任だろう。

 そうした見地から、些細だが注目される司教人事が4日にあった。それはカナダ・カルガリー教区の司教をフレッド・ヘンリー氏からウイリアム・マクグラッタン師に替えた人事だ。ヘンリー師は、〝生命最優先”陣営のヒーロー的存在で、性的感染病の罹患を防ぐ政府支援事業のワクチンの接種をカトリック校で認めるのを、乱交を引き起こすものだ、として拒否した。これに対して、マクグラッタン師は対立よりも対話と協力に重きを置く〝教皇フランシスコ〟の姿勢に近い立場にあると見られている。

 カトリック教会の従来からの方針に沿って、世界に5000人以上いる司教一人ひとりが、75歳を迎えた時、教皇あてに、現在勤めている役職の辞任を表明する書簡を送ることになっている。それを受理するかどうかを決めるのは教皇本人だが、一般的に75歳は退職勧奨年齢とされている。

 教皇庁の役職に就いている高位聖職者ですでに75歳を超えているか、2017年中に75歳を迎えるのは①フランチェスコ・コッパメリオ枢機卿(法文評議会議長)②アンジェロ・アマート枢機卿(列聖省長官)③ベニアミノ・ステラ枢機卿(聖職者省長官)④ジェージ・ペル枢機卿(財務事務局長官)⑤ジャンフランコ・ラバージ枢機卿(文化評議会議長)⑥ロレンツィオ・バルディッセーリ枢機卿(世界代表司教会議=シノドス=事務局長)⑦マルチェロ・サンチェス・ソロンド司教(科学・社会科学アカデミー総裁)だ。

 このうち、ペル財務事務局長官については、すでに教皇が75歳を過ぎても現職に留まることを公にしており、ステラ、ラバージ、サンチェス・ソロンドの三枢機卿も現職に留任とみられている。

 それ以外の三人のうち、アマート列聖省長官は6月に79歳になり、退任がうわさされている。教皇が彼を更迭した場合、主要官庁のトップで、教皇フランシスコが選任していない、あるいは主要課題で教皇と同じ立場をとらないと見なされている者はマルク・ケレ司教協議会長、ゲルハルト・ミュラー教理省長官、そしてペル財務事務局長官の3人のみとなる。

 カトリック教会のリベラル派は、教皇の使徒的勧告「愛の喜び」巡る議論などで強硬な立場をとった69歳になるミュラー長官の退任を支持するだろう。教皇はこの人事について、二代前の教皇ヨハネ・パウロ二世が国務省長官にアゴスチノ・カサロ‐ーリ枢機卿の指名を考えたことを想起するかもしれない。ポーランド人教皇は、カサローリ枢機卿を指名すれば共産主義者に対して強硬な反対の立場をとることを知っており、バランスを重んじ、緊張緩和をもたらす人物を充てることを望んだのだ。教理的に言えば、教皇フランシスコのもとでは、別の道がとられることが考えられる。彼は緊張緩和を重んじる人であり、おそらくは、〝赤ん坊を風呂の湯と一緒に放り出す〟ように教理の責任者を扱うのを好まないだろう。

 世界の大司教区長については、次のような若干の大物がすでに75歳を超えているか、2017年に75歳の一里塚を過ぎることになる。

 ①ローレント・モンセングォ枢機卿(キンシャサ・コンゴ民主共和国)②ドナルド・ウァール枢機卿(ワシントンDC)③ウィルフリッド・フォックス・ネイピア枢機卿(ダーバン・南アフリカ)④アンジェロ・スコラ枢機卿(ミラノ)⑤ノルベルト・リベラ・カレラ枢機卿(メキシコシティ)⑥アンドレ・バン・トロワ枢機卿(パリ)⑦オスカー・ロドリゲス・マラディアガ枢機卿(テグチガルパ・ホンジュラス)⑧ジョン・トン・ホン枢機卿(香港)⑨ペトロ岡田大司教(東京)

 繰り返しになるが、教皇が以上のどの人物も更迭しなければならないルールはない。実際のところ、ウァール枢機卿を含む大部分は、当面は留任が確実と思われる。

 だが、2017年の劇的な事件が、ダーバン、メキシコシティ、ミラノの三つの大司教区で主役交替という形で起きる可能性がある。これらはそれぞれの大陸全体の教会の基調を定める力を持つ大司教区であり、そのトップは伝統的に、〝教皇フランシスコ型の司教〟という辞典的な定義には必ずしも当てはまらない。ネイピア枢機卿はフランシスコが主宰した二度のシノドスで保守派の代弁者の役割を演じ、リベラ枢機卿は権力と特権を好む旧世代の聖職者とみなされており、スコラ枢機卿は福音主義の〝ヨハネ・パウロ2世〟タイプの思想家であり指導者とされている。

 仮に、教皇が米国において行った枢機卿の選択と同じこと-つまり自身の見方に同調する人物を引き立てること-をこの3つの大司教区で行えば、世界の様々な場所で自分の成果を際立たせようとする人物とみなされるだろう。だが、仮に、別の方向をとり、今よりもさらに伝統主義的あるいは保守的とみなされている人物を指名すれば、教会内部の一致に向けたジェスチャー-そうしたグループにとっても自分たちの教皇だと確信させようとする―と受け取られるかもしれない。

 いずれにしても、これからの12か月の間の、いつ、あるいはどのような選択がされるか、前もって知るすべはない。確実なのは、いつその時が来ようとも、それが重要な意味を持つ、そしてカトリック教会の本質に関わるものになるだろう、ということだ。

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2017年1月10日