教皇、機上記者会見で米大統領との会談への期待、聖職者の性的虐待問題に言及(CRUX)

Pope says abuse survivor who quit Vatican panel was ‘right on some issues’

(Credit: Tiziana Fabi/Pool Photo via AP.)

  (2017.5.13 Crux バチカン特派員 イネス・サン・マーチン)教皇フランシスコは13日、ポルトガル・ファティマ巡礼からの帰国途上の機内会見で、自身が設置した弱者保護・対策委員会の聖職者による性的虐待被害者代表がバチカンの非協力に抗議して先日、委員を辞任した問題を取り上げ、「(彼女のとった行為は)しかるべき問題については正しいこと」と評価する一方、24日に予定するトランプ米大統領との会見については「バチカンとホワイトハウスの協力が閉じられないような扉が見つかることを期待している」と語った。

 教皇はまた、1960年代半ばの第二バチカン公会議が決定した典礼改革に反対してバチカンから離反している伝統主義の聖ピオ十世会との関係修復のための対話継続を確認したが、拙速に修復を実現する考えはないことを明らかにした。教皇がこれまで示してきた、聖職者主義(教会内の活動で聖職者が信徒に対し全面的な力をふるうこと)を「教会の疫病」とする見方や、人々を選ぶのが下手であることも含めて自身の過ちについて聖母マリアに赦しを願ったことについては、さらに突っ込んだ言明はなかった。機上会見での発言の詳細は次の通り。

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(トランプ米大統領との会見について)

 「私は、実際に会ってその人の考えを聞くことをせずに、人を判断することはしません」と教皇は語り、初となる24日の会見前に大統領の人物評をすることを避けた。「私も、彼も、自分が考えていることを語ることになるでしょう。彼の考えを聞かずに人物を判断するようなことは、絶対にしたくありません」とし、「閉じられていない扉」は常に存在する、バチカンとホワイトハウスの関係を前進させるための共通点を見出したい、と抱負を述べ、「一歩一歩、平和は日々、作られていくものです」と着実な成果を期待していることを明らかにした。

 トランプ大統領が教皇との会見後に、これまでの強硬な姿勢を軟化させる可能性があるか、との記者の質問には、「(政治的な分野は当然のこと)宗教的な分野でも、私は、相手を〝改宗〟させる者ではない」と言明。またポルトガル語を話すグループの記者からは、会談に具体的に何を期待するか、との質問があったが、「自分と話す人だれもが、教皇は平和について語ることを期待しているでしょう」と答えた。

(聖職者による性的虐待問題と被害者代表の委員の辞任について)

 英語を話す記者グループから、教皇が設置した弱者保護・対策委員会に聖職者による性的虐待被害者の代表として参加していたアイルランド女性が抗議の委員辞任をした問題が取り上げられた。辞任の際、彼女は、バチカンの関係者の対応に強い不満を、その理由としていた。この問題について、教皇は「私は彼女と話をし、彼女が実状を説明してくれました。彼女は素晴らしい女性です」と述べ、彼女が、聖職者による性的虐待が繰り返されないようにする司祭育成の分野でバチカンに引き続き協力してくれる、との見通しを示した。

 そして、彼女が委員辞任の理由として具体的に指摘したことについて、「いくつかの点で、彼女は正しい」「(バチカンの)対応が遅れている案件が多すぎます。処理が滞っています」と認めたうえで、「聖職者の性的虐待防止への取り組みの約束のいくつかには前進が見られます」とした。また、注意すべき事柄には、この問題を扱う部署の人的な能力の不足があり、(担当部署である)国務省と教理省が人材の増強を図ろうとしているなど、対応に努めていることに理解を求める一方、性的虐待が起きた時の対処の仕方について世界中のほとんどの教区でルールが作られたのは「大きな前進」と強調した。

 さらに、司祭が性的虐待で有罪とされた場合に、判決を不服とする司祭から上訴を受ける上級裁判所が新設され、マルタのシクルナ大司教が裁判長のポストについているが、教皇は「彼は、性的虐待に対する最強の人物です」と評した。大司教は、前教皇が教理省長官だった時に、同省でこの問題を担当する主席検察官を務め、厳しい対応で知られていた。「判決が(上級裁判所で)支持されれば、それで裁判は完結です。判決が確定した者にとって最後の手段は教皇に赦しの手紙を出すことです。でも私はこれまでに一度も赦しに署名したことはありません」と述べた。この言葉は、最近、マスコミで取りざたされていた、教皇が、有罪判決を受けたあるイタリア人の司祭を赦免するのではないか、という噂を最終的に否定したものと受け取られている。

(聖ピオ十世会との関係修復問題)

 聖ピオ十世会の問題について質問された教皇は、会の代表であるベルナール・フェレ大司教とは良い関係にあるが、関係修復を急ぐことはしない、と述べ、教皇がプロテスタント教会との一致運動や宗教間対話について語る際によく使う表現、「一歩、一歩、また一歩です」を繰り返した。そして、現在の同会との関係を「兄弟的関係」とし、バチカンとの教理上の差異はあるものの、聖職者による性的虐待問題で具体的案件をバチカンに通報するなど、連絡を取り続けていることも指摘した。

(その他の発言)

 教皇は、ファティマ巡礼に発つ直前に、ローマでの会合に参加した科学者のグループと会見したが、その時、「ある無神論者の方が、出身国は明らかにしなかったのですが、このように私に挨拶をされました。『私は無神論者です。お願いしたことがあります。キリスト教の信者に、イスラム教の信者をもっと愛するように言ってください』と。これこそ、平和のメッセージです」。

 また、5月13日は教皇がブエノスアイレスの補佐司教に叙階されて25周年の記念の日だったが、「その前日、私は聖母マリアに祈りました。私の数々の過ちをお赦しください。人々を選ぶのが下手なのをお赦しください、と」と述べたものの、その「人々」が誰を念頭に置いているのかは明らかにしなかった。

 会見の最後に、カトリック国だったポルトガルで最近、同性愛者同士の結婚が認められ、堕胎を処罰の対象から外されたことについて、意見を求められた教皇は、「イタリアでも中南米でも、多くの住民がカトリック信者で同時に反聖職者で、〝司祭を食い物にする〟ような地域があります」「そのようなことは気がかりなことですが、司祭たちに私はこう警告しています。『人々を(教会から)追い出しているのは、聖職者主義です』と」「聖職者主義は教会における疫病なのです」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

・・Cruxは、カトリック専門のニュース、分析、評論を網羅する米国のインターネット・メディアです。 2014年9月に米国の主要日刊紙の一つである「ボストン・グローブ」 (欧米を中心にした聖職者による幼児性的虐待事件摘発のきっかけとなった世界的なスクープで有名。映画化され、日本でも昨年、全国上映された)の報道活動の一環として創刊されました。現在は、米国に本拠を置くカトリック団体とパートナーシップを組み、多くのカトリック関係団体、機関、個人の支援を受けて、バチカンを含め,どこからも干渉を受けない、独立系カトリック・メディアとして世界的に高い評価を受けています。「カトリック・あい」は、カトリック専門の非営利メディアとして、Cruxが発信するニュース、分析、評論の日本語への翻訳、転載について了解を得て、掲載します。

2017年5月15日

「私たちには母がいる」‐教皇がファティマで牧童の兄と妹を列聖

ファティマの聖母出現100年と、フランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの列聖を祝う教皇ミサ、ポルトガル・ファティマで

(2017.5.13 バチカン放送)教皇フランシスコは、5月13日、巡礼先のポルトガル・ファティマでミサを捧げ、同地での聖母出現100年を祝うと共に、聖母の出現に会ったフランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの、2人の牧童を聖人の列に加えられた。

 カトリックの教会暦で「ファティマの聖母」を記念するこの日、ファティマの聖母巡礼地には、地元ポルトガルをはじめ、世界中から熱心な信者らが集い、教皇と共に聖母への崇敬を新たにし、フランシスコとジャシンタ兄妹の列聖の喜びを分かち合った。

 1917年5月13日、フランシスコ・マルト(当時9歳)とジャシンタ・マルト(当時7歳)が、従姉妹ルシア・ドスサントス(当時10歳)と、ファティマのコヴァ・ダ・イリアで羊の群れの世話をしていると、突然強い光が差し、ロザリオを手にした輝く婦人が現れ、罪人の回心のために祈るようにと3人の子どもたちに告げた。牧童たちは聖母の出現を計6回にわたって受けた。これからわずかの間に、フランシスコは1919年に11歳で、ジャシンタはその翌年に10歳で、共に当時世界的に流行したインフルエンザ「スペイン風邪」のために、短くも、信仰と愛と祈りに満ちた人生を閉じた。ファティマの大聖堂内には、フランシスコとジャシンタ兄妹が、その後修道女となり2005年に亡くなった従姉妹ルシアと並んで葬られている。

 教皇はミサの説教で「聖母は神の無い生活、神を冒涜する生活が地獄へとつながる危険を予告し、私ちの心に住み、私たちを被う神の光を思い出させるために来られました」とし、「聖母を通して牧童たちを包んだ神の光を観想しつつ、ファティマはもとより世界のどこにいても、私たちが聖母に保護を求め、『御子を私たちに示してください』とお願いする時、私たちはこの光のマントに包まれるでしょう」と語られた。

 そして「私たちには母がいます、母がいるのです」と呼びかけられた教皇は、聖母に子としてすがり、イエスに置かれた希望を生きるよう招かれた。さらに「聖母のマントの下で私たちは道を見失うことはなく、聖母の腕からは希望と平和を受け取るでしょう」と説きながら、「すべての人々、特に、病者や身体の不自由な人々、受刑者、失業者、貧しい人々、見捨てられた人々」をその御手に委ねられた。

 最後に、「聖母の保護の下で、私たちが世界において、救い主イエスの真の御顔を観想する『夜明けの見張り人』となり、宣教的、受容的で、自由にして忠実な、貧しくとも愛に豊かな、若く美しい教会の顔を再発見できますように」と祈られた。

 2日間に渡るファティマ巡礼を終了された教皇は、同日午後、帰国の途に着かれた。

2017年5月14日

 教皇、ポルトガルのファティマ巡礼

教皇フランシスコ、ポルトガル・ファティマ訪問、到着したモンテ・レアル空軍基地で – EPA

(2017.5.12 バチカン放送)2日間の予定でポルトガルのファティマ巡礼をされる教皇フランシスコは、現地時間12日午後、同国中西部のモンテ・リアル空軍基地に到着。マルセロ・レベロ・デ・ソウザ大統領はじめ政府要人、同国のカトリック教会関係者らに迎えられた。

 歓迎式に続き、教皇は空港内の施設でソウザ大統領と個人会談を持たれ、空港の敷地内で病者や、お年寄り、子どもたちを祝福された後、空軍基地の礼拝堂を訪問された教皇は、ヘリコプターでファティマへ向かわれた

 

 訪問は、ファティマのコヴァ・ダ・イリアにおける聖母出現から100年を記念するもの。ポルトガル大統領と、同国カトリック司教評議会の招待によって行われ、教皇フランシスコの第19回目の海外訪問(イタリアを除く)。一方、ポルトガルは同教皇にとって28カ国目の訪問国となる。

 今回の教皇のポルトガル訪問は、巡礼としての性格から公式行事は大統領、首相との会見を除いては、宗教行事が中心となる予定。ファティマ巡礼初日、12日夕方、教皇は「出現の礼拝堂」で祈り、夜にはろうそくの祝別を行い、ロザリオの祈りを唱えられる。

 2日目、ファティマの聖母の祝日である13日は、巡礼地の大聖堂前の広場でミサを捧げ、コヴァ・ダ・イリアで聖母に出会ったフランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの兄妹の列聖式を予定している。

2017年5月13日

 バチカンとミャンマー、外交関係樹立

教皇フランシスコ、ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問兼外相を迎えて – AP

(2017. 5.4 バチカン放送)バチカンとミャンマーは外交関係の樹立に合意した。

 教皇フランシスコは、5月4日、ミャンマーのアウンサンスーチー国家顧問兼外相の訪問を受けられた。会見後、「教皇庁とミャンマー連邦共和国は友好関係推進のために外交関係を樹立し、相互の大使館設置に合意した」ことが、バチカン広報局を通じて発表された。

(関連記事)ミャンマー少数民族への残虐行為に対する国連調査をカトリック教会が支持(Tablet)

(2017.3.30 Tablet Rose Gamble)ミャンマー政府軍によるイスラム教徒ロヒンギア族に対する残虐行為が問題になっているが、ジュネーブの国連規約人権委員会は残虐行為の申し立て立証のために特別調査団の緊急派遣を決定、ミャンマーのカトリック教会も支持を表明した。

 ミャンマーの少数民族、ロヒンギアの武装グループによる国境警備隊の詰め所攻撃で9人の警察官が殺害されたとされる事件に対する報復として、政府軍が防衛作戦を始めて以来、約7万7千人がミャンマーのラカイン州から避難したと報じられている。

 国連報告によると、今年2月までの数か月間にミャンマーの北西部で、政府軍による大量殺戮や集団強姦など重大な人権侵害があった。国連人権委員会は3月24日に特別調査団の派遣を決定した後、ミャンマー政府に対して、調査に全面的に協力するよう強く要請したが、ミャンマー政府はこれを拒絶。政府軍のミン・アウン・フライン最高司令官が3月29日の記者会見で「イスラム教徒ロヒンギアは不法移民である」とし、自らの行為を正当化する発言をしている。

 これに対して、ミャンマーカトリック司教協議会議長でヤンゴン大司教のチャールス・ボー枢機卿が声明を出し、「民族、宗教の異なる人々への憎しみが、強い警戒レベルまで増大している。衝撃的で深い悲しみを覚える悲惨な事態だ」と述べ、「ミャンマーの民主化への脆弱な旅路を世界中が注視する必要がある」と訴えた。

 国連の2月の報告では、ミャンマー政府軍はヘリコプターからの攻撃、手りゅう弾の使用によってイスラム教の僧や教師を集中的に殺戮し、ナイフで喉を切り裂いたり、家に閉じ込めて焼き殺したーなど無差別攻撃を詳細に示し、「計画的恐怖政策」と糾弾している。さらに「17歳から45歳の男子は力もあり軍や権力への潜在的脅威とみなされた」と述べ、彼らが後ろ手に縛られて連れ去られた、という多くの報告があると付け加えた。

 ミャンマーの西北部では、およそ1100万人のイスラム教ロヒンガがアパルトヘイト(人種隔離制度)状態で生活している。市民権を与えられず、仏教徒が大多数を占めるミャンマーでは彼らはバングラデッシュからの不法移民とみなされている。 (岡山康子訳)

2017年5月5日

 カトリック・アクション創始150年を教皇が関係者と共に記念

教皇フランシスコ、カトリック・アクション創始150年記念行事で – AP

(2017.5.2 バチカン放送)教皇フランシスコは、カトリック・アクション創始150年を関係者らと共に記念した。

 信徒の使徒的活動を目的とした組織、「カトリック・アクション」は、1867年、イタリアのボローニャで2人の大学生によって結成された「イタリア・カトリック青年会」がその起源。運動は間もなくイタリア全土に広がり、やがて世界各地、特にヨーロッパ、北・南アメリカに拡大していった。

 カトリック・アクション創立150年を機会に、バチカンでは国際フォーラムが開催されたほか、会員らによる教皇との集いが行われた。4月30日、聖ペトロ広場で行われた記念行事には、世界各国からおよそ7万人のカトリック・アクション会員らが詰め掛けた。

 教皇は参加者への挨拶で、カトリック・アクションの150年の歩みを「世界と教会に対する情熱の歴史」と述べ、その活動に感謝を表された。そして、「会員たちに後ろを振り返らず、また楽なソファに腰掛けたりせず、キリストの弟子・宣教者として前を見つめ、神の愛を郊外へ、地の果てへと喜びをもって伝えていって欲しい」と希望された。

2017年5月2日

 教皇エジプト訪問、コプト正教会のタワドロス2世と

エジプト訪問:教皇フランシスコ、コプト正教会の教皇タワドロス2世と – AP

(2017.4.29 バチカン放送)教皇フランシスコは、エジプト訪問中の4月28日、コプト正教会の教皇タワドロス2世らとお会いになった。

 エジプト訪問初日、教皇はアブドゥル・ファタハ・アル・シーシー大統領、カイロのアル=アズハル・モスクのグランド・イマーム、アフマド・アル・タイーブ師らと会見。 続いて、コプト正教会総主教庁に、コプト正教会の第118代教皇、アレクサンドリアおよび聖マルコ大主教管区総主教、タワドロス2世を表敬訪問し、個人会談を行われた。

 両教会の合同会見で教皇フランシスコは、殉教者たちの流した無実の血においてキリスト者たちは一致すると強調。善を説き、愛徳の業を共にすることで、暴力に対抗しようと呼びかけられた。「行いや言葉を通したエキュメニズムだけでなく、私たちには洗礼に基づく、すでに具体化された交わりがある」と教皇は指摘。「キリスト者の完全な一致に向けた歩みは常にここから出発するのです」と話された。特に、「コプト正教会とカトリック教会は『慈愛』という共通の言語を話すことができる」と述べ、イエスにおける信仰を共にする兄弟姉妹たちが愛徳の業において協力することを望まれた。

 教皇はまた、初代教会の時代から今日まで続くキリスト者たちの殉教に言及。「悪に悪をもって答えるよも、殉教を選んだコプト教会の信者たちの証し」を思い起こされた。「天上のエルサレムが一つであるように、私たちの殉教録も一つ」「皆さんの苦しみは私たちの苦しみであり、彼らの無実の血において私たちは一致します」と述べた教皇は、これらの殉教者の証しに強められ、善を説き広めながら「暴力に反対していかなければなりません」と強調された。

 この後、タワドロス2世と教皇フランシスコの参加で、近くの聖ペトロ教会まで宗教行列が行われた。同教会は、昨年12月11日、テロ攻撃を受け、29人が犠牲になった。教皇は同教会の入口で犠牲者を偲び祈りを捧げられた。聖堂内で行われたエキュメニカルな祈りの集いには、他のキリスト教諸教会の指導者らも出席し、共に犠牲者のために祈り、平和を希求した。

2017年5月2日

 殉教者の栄誉のために教皇は列聖を急ぐ(CRUX)  

 

(2017.4.23 CRUX ジョン・アレンJr)  世界中でキリスト教徒への迫害がますます広がり問題化している中で、教皇といえど、ただ魔法の杖を振って警察国家を作り武装化した暴徒やテロリストを消すことはできない。だが、教皇ならできることがある。それは新しい殉教者たちを迅速に列聖するという教皇だけがもつ権力を用いることだ。そして、教皇フランシスコのインド訪問に際しては、まさにそれを行う機会が浮かび上がっている。

  22日の教皇フランシスコの、教会の現代の新しい殉教者たちを記念するローマ・バルトロメオ教会への訪問は感動的なものだった。そこで、教皇は「今日の殉教者たちから,私たちは、平和と一致という遺産を受け継ぎます。殉教者たちは、横暴や暴力、戦争、に愛の力と温和さをもって対抗し、忍耐によって平和を実現することを私たちに教えてくれているのです」と説かれた。

  今日、キリスト教徒に対する迫害が、世界中でますます激化していることは、疑いの余地がない。それにどう対処するかが難しく、悲しいかな、教皇といえども取れる手段は限られている。多くのキリスト教徒が、北朝鮮や中国に見られるように、独裁的国家の犠牲となっている。また、コンゴ、コロンビアや他の国々で見られるように、正義を守る為に銃火の犠牲となり、また、中東やアフリカのイスラム系テロリストやインドのヒンズー教原理主義、ミャンマーの過激な仏教徒のナショナリストのような宗教的過激主義の犠牲となっている。

  もちろん教皇はそのような状況に対し、土曜日の、殉教者を記念するバルトロメオ教会訪問のような、世論を喚起するための行動をとることができる。また、問題の国々にやり方を変えるよう圧力をかけるためにバチカンの外交的影響力を使うこともできる。このようなことは教皇でなくでも可能だが、教皇にしかできないことが一つだけある。それは、新しい殉教者たちの持つ意味の大きさを強調することである。すなわち、迅速に列聖することだ。

  確かに、教皇フランシスコは列聖を加速している。よく知られているように、聖ヨハネ23世の列聖を含め、レオ13世(1878-1903)以来のどの教皇より、奇跡に代わる同等の列聖を推進している。2013年から2014年にかけても、名高い福音伝道者たちを列聖するために、奇跡要件を特免したケースが5件にのぼっている。 殉教者の場合、列福には奇跡要件はない。その死そのものが、恩寵の奇跡と考えられるからだ。

 列聖にはもう一つ、奇跡が必要だが、教皇フランシスコが示したように、教皇がそれなりの理由で列聖を認めようと望むときには、この要件もそれを邪魔だてするものではない。フランス人のジャック・アメル司祭はその先例だ。彼は昨年の7月26日、ノルマンディーの小教区で朝のミサをたてている最中にイスラム過激派組織「イスラム国」に忠誠を誓う二人の暗殺者に喉を切り裂かれた。その残虐さは世界中に衝撃の波を巻き起こし、明らかに教皇フランシスコを動かしたのだ。彼の死から3か月後の10月、バチカン列聖省は、彼の教区を所管するドミニク・レブルン・ルーアン大司教に、列聖を待つのために通常必要な5年間を教皇が免除した旨を告げた。

  教皇は9月にアメル司祭のためにミサをたてられた時、既にそれを決めておられた。殺害された彼の写真を祝福し、レブルン大司教に、教会の祭壇に写真を飾っておくように言われた。そして、「アメル神父は今や(聖人として)承認されています。もし誰かが、あなたにはそんな権利はない、と言ったら、教皇が許可してくれた、といいなさい」と言われた、とレブルン大司教は回想している。

  神学的にも霊的にも、殉教者の死の価値に変わりはない。しかしながら、シンボルとして見れば、アメル司祭はヨーロッパ人であり、今、圧倒的に多くの殉教者が出ているのは発展途上国・地域だ、ということを考える必要があるだろう。教皇に自然に機会が巡ってくる列聖迅速化のグループには、今日の現実が具体的に表れている。インドのKandhamalの殉教者たちだ。

 Kandhamalは、かつてオリッサとして知られたインド東部のオディーシャ州にあるが、2008年8月、貧しいキリスト教の少数民族が、ヒンズー教暴徒により襲撃された。ヒンズー教過激派による度重なる暴動で、およそ100人が殺され、何千人もが負傷し、いくつもの教会と6000戸の家屋が破壊され、およそ5万人が住まいを追い出され、多くは近隣の森に隠れ、さらに多くの住民が飢えやヘビに襲われて命を落とした。襲ったのは右翼の攻撃的ヒンズー教徒のしるしである黄色い鉢巻きの暴徒たちで、ヒンズーの神に勝利を意味する‘Jai shri ram!’と叫びながら、棒や三又、刀、銃、灯油、酸まで使って襲いかかった。

  信じがたいほどのことが起こった。キリスト教徒たちはたたき切られて惨殺され、戦利記念品のように腸が切り裂かれた。一人のカトリック修道女は集団強姦され裸で村を引き回された。キリスト教徒たちは酸で焼かれ、打たれ、生きたまま埋められた。バーナード・ディガル神父はもう一人の老司祭を助けようしている間に殴られ、死んだものと放置された。彼は何とか生き延びたが、その時かかった熱病がもとで、ムンバイの病院に搬送されたものの、ひと月後に死亡した。

  Kandhamalの殉教者たちは、現代の殉教の典型だ。キリスト教徒であることに加え、貧しく、虐げられた少数民族で、ほとんど教育を受けておらず、忘れ去られた人々である。カトリック教徒も英国国教徒もアングリカンも福音主義者もペンテコステ派も共に死んだ、それは、またエキュメニカルな犠牲なのだ。

  この秋、教皇フランシスコはインドを訪問する。その機会に、Kandhamalの殉教者たちを列聖するという計画を発表し、そのための日程を組むなら、彼らの記憶に最大のスポットライトの光をあてることとなり、キリスト教徒の苦難の全景をさらに広げる光をあてることとなるだろう。教皇はキリスト教徒への迫害を魔法の杖で追い払うことはできないが、また、無力でもない。現代の新しい殉教者たちを聖人に引き上げるという教皇だけが持つ権力を使うことは一つの力強い道具でありKandhamalは教皇フランシスコにとってまたとない貴重なチャンスなのだ。

(翻訳「カトリック・あい」岡山康子)

2017年5月1日

 ファティマの牧童フランシスコとジャシンタ、5月13日に列聖

ファティマの牧童、ジャシンタ、フランシスコ、ルチア – ANSA

(2017.4.21 バチカン放送)

 今年5月13日に、ファティマの牧童、フランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトが列聖されることが決定した。教皇フランシスコは、コヴァ・ダ・イリアにおける聖母出現100年を記念して5月12、13両日、ポルトガル・ファティマを司牧訪問される。フランシスコとジャシンタ兄妹の列聖式は、教皇によって現地で司式される予定。

 教皇は20日、バチカンで、列聖について審議する枢機卿会議を開き、この会議で、次の福者たちの列聖が決まった。

*フランシスコ・マルトとジャシンタ・マルト(1917年5月13日、従姉妹ルシア・ドスサントスと、ファティマのコヴァ・ダ・イリアで聖母に出会い、罪人の回心のために祈るようにと告げられ、同様の体験を計6回にわたって受けた。これから間もない1919年にフランシスコ(11歳)が、翌1920年にジャシンタ(10歳)が、当時流行したインフルエンザ「スペイン風邪」のために相次いで亡くなった。短くも、信仰と、愛、祈りに満ちた人生であった。)*アンドレア・デ・ソヴェラル、アンブロジョ・フランシスコ・フェロ(共に教区司祭)、マテオ・モレイラ(信徒)と27人の同志殉教者(17世紀のブラジル北東において、カトリック信仰を守り、カルヴァン主義への転向を拒み、オランダ兵によって殺害された。)*クリストフォロ、アントニオ、フアン、3人の少年殉教者(1500年代初頭のメキシコで、フランシスコ会士らによってキリスト教信仰を得た。土地の偶像崇拝を行なう人々に殺害された。)*フアウスティノ・ミゲツ(司祭・エスコラピオス修道会会員。19世紀から20世紀のスペインで活躍。貧しく、見捨てられた子どもたちに無償で教育の機会を与えることを目的に、聖ヨセフ・カラサンスの精神を汲む女子修道会を創立した。)*アンジェロ・ダ・アクリ(本名:ルカ・アントニオ・ファルコーネ、カプチン会修道士)17・18世紀のナポリ王国で、神のみ言葉を精力的に伝え、弱い立場の人々を権力者たちによる搾取から守った。)

 フランシスコ・マルトとジャシンタ・マルトの列聖は5月13日(土)、この他35人の列聖は10月15日(日)に行なわれる。

2017年4月22日

 未来は信徒数増加続くアフリカにー世界のカトリック現勢2017年版(Crux)

(2017.4.6 Crux バチカン特派員 イネス・サン・マーチン)アフリカのカトリック信徒数は世界のどの地域よりも急速に増えており、カトリック教会の将来の中心軸になりつつある。

 教皇庁広報局が6日発表した「世界のカトリック教会の現勢・2017年版」によると、世界のカトリック信徒の総人口は2015年現在で12億8500万人となり、前年の12億7200万人より1パーセント、1300万人増加し、世界の総人口の17.7パーセントを占めた。

 2010年から2015年の地域別伸びをみると、アフリカが19.4パーセントで最も高い。いわゆる‶旧大陸″、欧州は横ばいとなっているものの、出生率の低下で、死亡者数が誕生者数を上回っている国も出てきており、今後、減少が見込まれる。地域別の信徒数では、北米と中南米を合わせたアメリカ大陸の信徒数が世界全体の49パーセントを占めている。

 信徒数が多い上位10か国にこのところ変化はなく、うち地域別ではアメリカ大陸が5か国、欧州は3か国、アフリカは1国で、その他はアジアの国。国別では、ブラジルが1億7220万人で1位、2位はメキシコの1億1090万人で、以下、フィリピン(8360万人)、米国(7230万人)、イタリア(5800万人)、フランス(4830万人)、コロンビア(4530万人)、スペイン(4330万人)コンゴ共和国(4320万人)の順。教皇フランシスコの出身国、アルゼンチンは4000万人をわずかに上回って10位。

 聖職者数は、司教が5年前に比べて4パーセント増えて5304人、司祭は41万5656人、終身助祭4万5255人、修道女67万320人となっており、司祭数は前年よりも136人減った。2010年から2015年の間の司祭数の変化をみると、欧州で2502人減ったのに対し、アフリカとアジアではそれぞれ1000人以上増えている。召命者数も減少傾向を見せており、信徒100万人あたりの神学生数は2010年に99.5人だったが、2015年には90.9人に減っている。地域別では、アフリカでは増加傾向にあるのに対して、欧州、中東は減少している。

 その中で目立つのは、終身助祭が2015年現在で2010年に比べて14パーセント増えていることだが、総数の98パーセントが欧米で占められている。

2017年4月12日

 伝統に厳格なカトリック関係団体も性的虐待を隠蔽ースウェ―デン・テレビが報じる(CRUX)

  • 2017.4.5 Crux バチカン特派員  Inés San Martín)

     バチカンから破門され、現在カトリック教会への復帰に向けた交渉中の「聖ピオ十世会」が、少なくとも同会に関係する3人の聖職者が性的虐待で訴えられたことを知っていたにもかかわらず、隠蔽していた-とスウェーデン・テレビが5日夜の報道番組で報じた

     同テレビによると、3人は現職の司祭。もう1人は聖ピオ十世会がアイダホで運営する教会でボランティアをしていた元学生で、7人の少年に対する性的虐待罪で終身刑の判決を受け、現在服役中だ。彼らは30年以上の期間にわたって、フランス、ドイツ、オーストラリア、アイルランド、米国、英国で少なくとも12人の幼児に対し、性的な虐待をした。

     「聖ピオ十世会」は、1970年フランスマルセル・ルフェーブル大司教によって創立された。教皇の許可を得ない司教叙階を行ったことから創立者ら6名が教皇庁から破門されたが、2009年に破門を取り消され、教皇庁との関係修復に向けて現在交渉中。同会は創立以来、第2バチカン公会議 (1962-65)で始まったカトリック教会の改革の波の「避難所」として一部の信徒から支持される一方、公会議で実施が決められた教会一致運動、宗教間対話、信教自由、典礼改革などを受け入れようとしない同会に批判的な多くの信徒からは「教会改革の流れに逆行する危い存在」と見られてきた。

     同会に対して、最近の歴代教皇は、カトリック教会に戻ってくるよう働きかけを続けており、ごく最近では教皇フランシスコのもとで新たな復帰のための条件が検討されていた。今回の問題表面化で、そうした復帰へ動きに影響が出るかどうかはまだ不明だが、同会が聖職者の性的虐待に対して断固として戦う姿勢を見せることが、復帰の重要なカギとなるに違いない。

     バチカンは、今回のケースも含めて、聖職者による性的虐待の隠蔽工作にかかわった司祭、司教に対して「いっさい妥協せず、厳しい処分をする」という方針を明確にしている。スウェーデン・テレビの報道で3人の司祭のうちの1人から性的虐待を受けたとされた男性が匿名を条件にCruxのインタビューに応じ、「聖ピオ十世会と復帰交渉をしているバチカンの担当部署の人と会うことができたら、『あなた方はこの事件のことをすべて知っていたはずだ。無責任で偽善的だ』と言いたい」と語った。その部署とは、教皇庁教理省だ。同省は、聖ピオ十世会のカトリック教会への復帰問題を扱っているが、聖職者による性的虐待問題処理も担当している。だが、同会に対するバチカンの影響力は極端に限られている。バチカンの権威を認めていないからだ。

    (翻訳・海老澤猛)

     

2017年4月12日

 バチカン、来年の教皇訪日を「前向きに検討」(CJC)

【2017.3.27 CJC】河井克行・首相補佐官は、3月22日から24日まで、バチカン(ローマ教皇庁)を訪問、要人との会談を行った。。

  河井補佐官は22日、ピエトロ・パロリン国務長官らと会談し、教皇フランシスコの早期訪日を希望し、「被爆地の広島市と長崎市、東日本大震災被災地への訪問を期待している」との安倍晋三首相の意向を伝達した模様。これに対し、バチカン側は「来年の教皇訪日に向け前向きに検討する」と応じた。在バチカン日本大使館が発表した。□

2017年3月28日

「カトリック・プロテスタント改革共同宣言は分裂を棚上げ」ハンス・キュングが批判 (Tablet)

 

(2017.3.1 Tablet)

  「500年後の今こそ、教派分裂を終わりにする時です」。スイス人の著名な神学者がタブレット誌に胸の内を語った。 長年にわたりエキュメニュカルな相互理解を推進してきたハンス・キュングは、ドイツのカトリックとプロテスタント教会が、宗教改革500年を記念して発表した「共同宣言(“Common Word)」文書を批判した。それは「重要な問題に関して両教会の上層部の間に存在する膠着状態」に真剣に対処できていないからだという。 本誌と米・NCR誌が独占的に入手した手紙の中でキュングは、「宗教改革から500年が過ぎた今こそ、教派分裂を終わりにする時だ」と宣言している。

    2016年9月、ドイツのプロテスタント教会(福音ルター教会)議長のハインリッヒ・ベッドフォード=ストローム師と、ドイツ司教協議会会長のラインハルト・マルクス枢機卿は、「過去の記憶を修復し、キリストを証しする(Healing Memories – Bearing Witness to Christ)」と題した「共同宣言(Common Word)」を発表した。5世紀にわたる非難と攻撃の応酬のあと、ドイツの二大教会は、宗教改革500周年の記念日を「イエス・キリストの祝日」とする宣言を行ったとキュングは伝える。

     キュングによれば、教皇フランシスコがローマで二大教会の指導者に会ったとき、教皇は「既に和解した相違点」について話し、宗教改革がキリスト教徒に与えた霊的、神学的な賜物について深く認識していると述べ、「未だ残る障壁を克服するために」出来ることは何でもしたいと語ったという。「われわれエキュメニズムに関わってきたキリスト者は、長い間、アクション(行動)を待ち続けてきました。残念ながら『共同宣言』は、重要な問題に関して両教会の上層部の間に存在する膠着状態に触れていない上に、既に多くのプロテスタント、カトリックの両教会共同体において、長期にわたりエキュメニズムが実践されている事実を無視しています」とキュングは言う。

    またキュングは、これらの障壁を乗り越えようというバチカンの決意の強さについて、いささか懐疑的である。「わたしたちは、これまでにも度々バチカンが反省と和解の意図を示す宣言を行うのを聞いてきました」。

  キュングは、タブレット誌とNCR誌に語った。「そのような共同体にとっては、互いの司牧活動や聖体拝領を相互に認め合うことなどはもはや問題にもなりません。このような共同体と比べ、教会の指導者たちは遙かに遅れをとっているのです。もしも、指導者たちが『未だに残る障壁を克服する』ことを真剣に捉えないなら、神と信者たちの前で、その責任を一身に負うことになるでしょう」。  教会はマルティン・ルター師の復権を考えるべきであり、また、宗教改革の時代に宣言されたすべての破門を取り消すこと、プロテスタントとイギリス聖公会の聖職者、そして「‘聖餐’の分かち合い」を認めることを考慮すべきである、とキュングは言う。

 単に宗教改革500周年を祝うばかりで、分裂に真の終止符を打たないならば、更に罪を重ねることになるとキュングは主張する。「願わくは、神学者たちや草の根レベルのキリスト者たち、キリスト者共同体、そして心ある多くの男女の力によって、ためらいや怖れを抱きがちな教会指導者たち…ローマや世界各地にいる指導者たちが、この歴史的好機を逃すことなく、目を覚ますよう助けてやってほしいのです。さもないと、更に多くの人たちが教会を離れ、更に多くの共同体やグループが恣意的な裁きを行うようになるでしょう」とハンス・キュングは警告する。「今日の世界においては、キリスト教が真に分裂を乗り越えて和解した姿を示すことによって、初めて、人々の信頼を勝ち取ることができるのです」。

   (「学び合いの会」海外ニュースより転載)

*Tabletは、イギリスのイエズス会が発行する世界的に権威のあるカトリック週刊誌です。「カトリック・あい」は発行者から許可を得て、日本語に翻訳、転載しています。

“The Tablet: The International Catholic News Weekly. Reproduced with permission of the Publisher” and that you quote our website address http://www.thetablet.co.uk

 

2017年3月18日

 教皇フランシスコ、3月13日で選出から4年に(バチカン放送)

(2017.3.14 バチカン放送)教皇フランシスコは、3月13日で、選出から満4年を迎えられた。アルゼンチンのブエノスアイレス大司教だったホルヘ・マリオ・ベルゴリオ枢機卿は、2013年3月13日、前教皇ベネディクト16世の引退に伴うコンクラーベ(教皇選挙)で第266代目のローマ教皇に選出され、教皇フランシスコとなった。

 選出から4年、教皇フランシスコは教会の改革・刷新を精力的に進めつつ、昨年4月には2014・15年の2回にわたる家庭をめぐる世界代表司教会議の実りを受けた使徒的勧告「Amoris Laetitia(家庭における『愛の喜び』)」を発表。

 また、2015年12月8日から2016年11月20日まで、「御父のように、いつくしみ深く」をモットーに「いつくしみの特別聖年」を開催し、神の偉大ないつくしみを示すと共に、わたしたちもまたいつくしみを生きるように勧められた。

 聖年中の昨年2月、教皇はキューバでロシア正教会のキリル総主教と初めて会見、同7月、「世界青年の日・クラクフ大会」のためポーランドを訪れた際、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪問されている。いつくしみの聖年の象徴的行事として、教皇は昨年9月コルカタのマザー・テレサの列聖式をバチカンで司式。翌10月には、スウェーデンを訪問し、マルチン・ルターの宗教改革500年を機会とするエキュメニカルな記念行事に出席された。

 バチカン国務長官ピエトロ・パロリン枢機卿は、教皇庁広報事務局のインタビューで、教皇フランシスコが目指す「外に向かう教会」「常に歩む教会」の姿勢について「第2バチカン公会議から始まったとも言えるこの歩みが、教会生活の中に定着し続けることを、教皇は願っておられます」と語り、教皇フランシスコが強調する「神のいつくしみ」について枢機卿は「神の救いの歴史は、神の愛、そのいつくしみと優しさの啓示の歴史に他ならず、教皇はこのことを中心に示し、皆に思い出させようとされているのです」と改めて説明した。

 さらに、教皇が唱える「外に向かう、宣教的な教会」を実現するための改革は、教会がよりその真の姿を表すため、歴史の歩みの中でこびりついたものを取り去り、福音の透明性をもって輝くためのものであるとしながら、同枢機卿は「教皇の改革の本質は『心の刷新』なのです」と力説した。

2017年3月15日

 教皇、四旬節の黙想会を終了(バチカン放送)

(2017.3.10 バチカン放送)教皇フランシスコは、3月10日、ローマ郊外での四旬節の黙想会を終え、バチカンに戻られた。

 復活祭前の準備期間、四旬節に入り、教皇とバチカン諸機関で働く高位聖職者らは、カステリロマーニ地方の町、アリッチャで6日間にわたる黙想を行なっていた。

 最終日、教皇は黙想指導にあたったフランシスコ会士ジュリオ・ミケリーニ神父の連日の講話とその準備に感謝を表された。そして、この黙想の日々を通して多くの気付きがあったと思うが、これらの単純なテーマ、複雑なテーマを通して、主は皆さん一人ひとりに語りかけるでしょうと述べられた。

 教皇は黙想の姿勢について、「確かに、黙想すべき材料は山のようにあるでしょう。しかし、聖イグナチオは、黙想する時に、何か慰めを得ること、苦悩を与えられることが一つあったならば、そこにじっと留まるように教えています」と話し、この黙想で参加者らはそうした留まるべき点をいくつか見出したことだろうと話された。

 教皇は、この日アリッチャで司式されたミサをシリアの平和のために捧げられた。また、教皇庁の協力を得て、教皇は義援金をアレッポに送られた。

 

2017年3月11日

 教皇、今年9月にコロンビア訪問へ(バチカン放送)

 (2017.3.10 バチカン放送)教皇フランシスコは、今年9月、コロンビアを司牧訪問される。バチカン広報室によれば、この訪問はコロンビア大統領と同国の司教団の招待に応えるもので、9月6日(水)から11日(月)の日程で、ボゴタ、ビジャビセンシオ、メデジン、カルタヘナの各都市を訪れる。訪問の詳細は、後日発表される。

 また、同時にコロンビアの教会が発表した、教皇訪問のモットーは「最初の一歩を踏み出そう」。このモットーは、「和解の宣教者」である教皇の助けのもと、平和を構築するための一歩を踏み出そうとの、すべてのコロンビアの人々に向けた招きであると、関係者は強調した。

2017年3月11日