・愛ある船旅への幻想曲 (47)学び合いの中学生グループの発した言葉に共感する私

 2025年、主のご降誕、新しい年の始まりおめでとうございます。信者未信者にとって、それぞれのクリスマス。戦争や自然災害で平和が壊されている国々のクリスマス…。一人ひとりの上にどのような意味があったのでしょうか。キリストの愛と平和が、皆さんの上にありますように、お祈りします

 年々、子供そして若者たちと接する環境に恵まれていることに喜び、感謝する日々をおくっている。互いに身構えることなく分かち合えるのは、毎回ユニークで考えさせられる問いを発する中学生グループだ。「イエスの教えを広めたのは、後の宣教師・聖職者だ、という本を読みました。それは、イエスが教えたことと違っているのではないか、ということを聞きましたが…」と。

 彼は、どこでその文章を見つけたのか。今の教会の問題はこれで一気に解決できそうな中学1年生からの質問に今回も姿勢を正した私である。後日、若者との集いでこの話をすると「的を得た質問ですね。新鮮であり素晴らしい」と。

 3年間の”シノドスの道”を歩んだはずのカトリック教会だが、日本の教会の現状は、どうだろう。クリスマスシーズン、馬小屋は洞窟に変わり、にぎやかなイルミネーションの飾り方は、若い外国人信徒の自国の風習によるデコレーションであることが一目瞭然である。各教会ともに多種多様性の時代を感じる1シーンがそこにあり、黙想会の指導司教は、外国人に感謝の言葉を最後に述べておられた。

 私が知る地方の教会は、限られた日本人女性が中心となり奉仕されている。日本人信徒の高齢化が進み、日本人の若者のいない教会であるが、ほとんどの司祭は、「このままの教会の姿がずっと続くだろう」と思っているようだ。司祭がそれで良しとするならば何も言うことはない。

 そんな中、シノドスと真剣に取り組み最終文書も、既に目を通された司祭がおられることも知っている。教会について、人間として、信徒の視線で考えを述べてくださる一司祭の存在に安心する私である。

 私とて、今の教会を支える世代、後に続く世代のいく末も、同じかもしれない、と思っている。これは、「教区の方針に合う信徒しか、教区には必要ない」、つまり「司教の意見に従う信徒しか要らない」(!)と私たちに言ったことから、”正しい見方”であろう。

 何を訴えても、聖職者と圧倒的な力の差があること、自分を守るだけの信徒の状態から、「愛がない教会」と実感してカトリック教会を離れた信徒。それでも神からは離れられない信徒が、私の周りで何人プロテスタント教会また正教会に行っていることか。

 私の知る限りでは、若い牧師のプロテスタント教会に、以前から若者と子供たちが多く集い和気あいあいの教会の姿がある。日本で正教会は珍しいが、司祭が唱える長い祈祷文に感動し、祈りと愛の深さを知らされるのを経験する。結局、男女の愛、家族の愛を知らなければ、人は愛を語れないだろう。頭で考えるだけの愛には、人間らしさも優しさもない。これからは、人間イエスの教会を求めて人が集まるに違いない、と私は思っている。

 「どこのカトリック教会もおばあさんばかりですね。たまにおじいさんもいますが」という、若い外国人信徒の感想を皆さんお聞きになったこたことがあるだろうか?私は彼に一票だ。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2024年12月31日

・神様からの贈り物 ⑰20年前に訪れたカレン族の村で祈る体験を通して今、思うこと

  明けましておめでとうございます!

 今から20年前の1月に訪れた、タイ北部の山岳地帯にあるカレン族の村での体験は、私自身を構成する欠かせない要素です。日に焼けた手で、私の白い手をぎゅっと握りしめて歓迎してもらった時の喜びは、当時の2倍の年齢になった今でも、鮮明に思い出せます。

 カレン族の文化には「食事を相手に食べてもらうことが祝福」というものがありました。未信者だった私は、祝福という言葉がぴんときませんでした。けれども、お世話役のシスターの「祝福を断るなんてできないから、出されたものは、一口でもいいから食べてね」と念を押されました。食べ終わると、隣の家からも「オメ(ご飯だよ)」と声がかかりました。そんなことを繰り返して、私は朝ごはんを3回も食べることになりました。

 どの家へ行っても、村人たちは食事の前に、十字を切りました。十字を切る姿は、まるで呼吸をするように自然な動きでした。見よう見まねで私もやってみましたが、うまくいきませんでした。

 ある夕方、私の家のモーモー(お母さん)と、のんびり湯冷ましを飲んでいたら、遠くの方から、カーン、カーン!と鐘の音がしました。それを聞いたモーモーの表情が、ぱっと明るくなり「ミサ!」と嬉しそうな声をあげました。その様子を見た私も、なんだかウキウキした気持ちになりました。

 私たちは、手をつないで教会へ向かいました。日はあっという間に傾き、村人たちが、続々と、焦げ茶色をした木造の教会の入り口に吸い込まれていきました。電気が通っていない教会なのに、ぼんやり明るかったです。中に入ってみると、一人一人のそばには、小さなロウソクが立ててあった。となりのロウソクの灯りをもらって、少し溶けたロウを、丁寧にぽとりと床に垂らし、その上にロウソクを立てるーその丁寧な手つきから、もう神聖なミサが始まっていると感じました。

 山岳地帯の冬の夜は、信じられないほど寒いものでした。床に直に座るので、冷え込みが強く、私たちは、毛糸の帽子をかぶり、ダウン着込んだ状態で、ミサに与りました。

 司祭から「祈りましょう」という声があり、お御堂がしんと静まり返りました。その時、私はどうしてもモーモーがどんな風に祈るのか、気になってしまいました。そっと盗み見るように、私は目だけを彼女の方へ向けました。すると、彼女は、いつもの賑やかさから程遠い、静かで清らかなのに、密度の高い空気をまとっていたのです。手を合わせ、目を閉じた彼女の顔を、足元からのろうそくの光が、照らしていました。その様子を見て「祈りは、信者にとって、何よりも大事な時間なんだ」と初めて知りました。「祈りは、神様との親密な語らいの時間だ」だと体感した瞬間でした。

 ミサが終わると、モーモーはいつもの明るい笑顔を見せ、私の手を取り、にぎやかに話しながら、家路へ向かいました。このような祈りの時間の積み重ねが、彼女の生活を作っていることが、すとんと胸に落ちました。

*****

 「過去と人は変えられない。変えられるのは、自分だけだ」とは、よく聞く言葉です。そして、祈りもまた、どんなにお願い事をしても、「過去や周囲の人間たちを変えるわけではなさそうだ」と感じます。ただ、祈ることで、私自身が変化するのは実感します。環境や状況は、簡単には変わらないけれども、私自身が変化を拒むことさえしなければ、未来は明るいものになるという気持ちです。

 2025年1月、皆様にとって今月が素晴らしい一年のスタートでありますように!!

(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)

2024年12月31日

・カトリック精神を広める⑭ 神様からの呼び掛け:聖マリアの場合

 

 あなたは信じるだろうか?神様から直接人間に呼び掛けることがあることを。

  聖マリアの場合は、ルカ福音書1章によると、天使ガブリエルが神から遣わされてマリアのもとを訪れて、こう言ったという。当時、マリアは16歳。既に、婚約者のヨゼフがいた。

 「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる… マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる」(28∼32章)。

 これに対し、マリアは「どうして、そんなことがありえましょうか。私は男の人を知りませんのに」。 当然ではある。未婚なのだから。これに対し、天使ガブリエルは「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを覆う。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。あなたの親類エリサベトも、老年ながら男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない」(34~37節)。

 これに対するマリアの答えは、秀逸である。マリアは言った。「私は主の仕え女です。お言葉どおり、この身に成りますように」(38節)。

  ここで重要なことは、いわゆる「処女懐胎」である。当時も今も、結婚していないのに、身ごもるなら、世間から白い目で見られるのは必至。それなのに、マリアは、「私は主の仕え女です」と言い、「お言葉通りになりますように」と述べている。この謙虚さの故に、人類は今も神への取り次ぎをお願いしている。

  婚約者のヨゼフは、マリアが身ごもっていることを知って、密かに別れようとしたが、夢の中で天使が現れ、「恐れず、マリアを妻に迎えなさい。マリアに宿った子は聖霊の働きによるのである。マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである」(マタイ福音書1章20~21節)。

  マリアは、息子のイエス・キリストのご受難に際して、ペトロはじめ弟子たちが離れていったのに、十字架上で死ぬまで、キリストに付き添い、最後はヨハネに引き取られた(ヨハネ福音書19章)。亡くなった後、マリアは肉体も霊魂も天に上げられたと信仰され、 1950年11月1日に、教皇ピオ十二世(在位1939~1958)が全世界に向かって、処女聖マリアの被昇天の教義を荘厳に公布している。

 

横浜教区信徒 森川海守 (ホームページ:https://www.morikawa12.com(X ツイッター:https://x.com/morikawa121(楽天ブログ: https://plaza.rakuten.co.jp/morikawa12/

2024年12月31日

・菊地・新枢機卿:12月7日の枢機卿会とその後の動きは・・

2024年12月14日 (土) 今週の週刊大司教はお休みです。

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  お待ちいただいている皆様には申し訳ありません。枢機卿会などの出張が重なり撮影が間に合わなかったため、12月14日の週刊大司教はお休みとさせてください。  来週12月21日は、午前11時から東京カテドラル聖マリア大聖堂で、枢機卿叙任の感謝ミサを捧げる予定です。また週刊大司教も再開するようにいたします。お待ちください。

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  12月7日夕方の枢機卿会では、教皇様の前に順番に進み出て。ビレッタ(儀式用の帽子)と指輪をいただきました。デザインは写真の通りですが、前田枢機卿様も同じ指輪でしたので、共通の指輪かと思います。ペトロとパウロの姿が刻まれています。事前に制作している工房でサイズ合わせをしました。

  これらをいただいた後に白い筒をいただきました。この中には教皇様からの枢機卿親任の書簡と、その中に。名義教会名が記されています。前回も記しましたが、ローマ教区の小教区でSan Giovanni Leonardiと言う教会です。現在、来年の着座式の日程を調整中です。

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  これらをいただいた後に、出席してくださった先輩の枢機卿様の全員とあいさつを交わしました。一人一人を回りましたので、かなりの時間を要しました。私にとっては、司教枢機卿として一番前の列におられたタグレ枢機卿様やタクソン枢機卿様にはお世話になってきたので、お祝いしていただいたのは感謝の一言でした。

  それ以外にも、これまでのカリタスでの務めを通じて存じ上げている枢機卿様がたくさんおられたので、あいさつ回りは感動の連続でした。(写真右は、タグレ枢機卿とあいさつのハグをしているところ)

 また、枢機卿会後には、バチカン美術館内のギャラリーに場所を移して、一人一人の新しい枢機卿がブースを設け、おいでいただいた方々のお祝いを受けるという儀式もありました。ここImg20241210wa0004にも多くの方に来ていただき、感謝です。今回は21名も新しい枢機卿が誕生したために、この会場に入る入口は大混乱であったと後からうかがいました。

 12月9日の月曜には、駐バチカン日本大使公邸をお借りして、レセプションを開いていただきました。日本大使公邸の準備される和食には定評があり、多くの外交関係者が集まると聞いていましたが、その通りでした。多くの国の大使の皆様に来ていただきました。

 バチカンからも、外交をつかさどる国務次官のギャラガー大司教をはじめ、典礼秘跡省長官のローチェ枢機卿、福音宣教省のタグレ枢機卿、そして海外出張に出かけるために空港に向かう途中によってくださったタクソン枢機卿、昨年のシノドスでお世話になった外交官養成所アカデミアの校長ペナッキオ大司教、神言会の総本部の皆さん、ローマ在住のカトリック日本人会の皆さん、国際カリタスの本部事務局の皆さんなど、多くの方に来ていただき、さらには多くのメディア関係者も来てくださり感謝でした。前田枢機卿様は、お得意の一句を披露されながら、乾杯の音頭を取ってくださいました。ありがとうございます。

 水曜日の昼に、前田枢機卿様とともに帰国し、そのまま夕方は麹町教会で司教団主催の教皇訪日5周年記念感謝ミサをささげ、その翌日は臨時司教総会でした。そのようなわけで、新しい枢機卿の服に変わってから、週刊大司教を撮影する時間をとれませんでした。

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 皆様のお祈りとお祝いの言葉に、心から感謝申し上げます。今後とも、お祈りを持って支えてくださるようにお願い申し上げます。

(菊地功・東京大司教・枢機卿)

2024年12月15日

・愛ある船旅への幻想曲 (46) 待降節、黙想会の季節に思う…

    12月1日、待降節C年第1主日となった。

   各小教区では、恒例の待降節黙想会が開催されたことだろう。私は、黙想会の指導者(スピーカー)とテーマには興味津々である。今を生きる司祭司教方が語る教会の姿とご自身の思い、そして、聖書の解釈等々新しい導きを期待するのである。信徒として真面目に自分の宗教を考えているなら、聖職者からの黙想指導は必要である。

 最近では、自分よりも若い司祭方の指導を受ける信徒がほとんどだろう。時として以前の神学校の指導とは違うのでは⁉︎と、彼らから感じるのは私だけだろうか。

 先の衆議院選挙の時、いつも正直な辛口同級生は「今は、自分よりも若い政治家達が圧倒的に多いことを忘れてはいけないよ。年寄りが何言ってるんだと言われる年なんだよ、我々は。それを忘れてはダメだよ」と。「いやいや、私の気持ちは今も若いんですけど」とは言えず、そんなことを考える年なんだ、と改めて認識した次第である。教会でもそのことを肝に銘じて生きていかねばならないのかも知れない。

 待降節は、クリスマスを準備する期間である。スピーカーがどのようにイエスとマリアとヨセフを語るかによって黙想の中身も変わってくる。いろんなドラマを見たい好奇心旺盛の私であるが、何よりもイエスをもっともっと、知りたいのである。私自身、結構沢山イエスについての本を読んでいるとは思うのだが、未だに謎だらけのイエス。青年たちにも「イエスについて新しい発見があれば教えてね」と言い続けている。

 「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。私は思う。もしそれらを一つ一つ書き記すならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」(ヨハネ福音書21章25節)

 イエスは教会の中心でありリーダーである。人間イエスはどのように生きたのか。なぜ短い生涯だったのか等々、私たちが教会で生きていくためにはイエスについて分かち合うことが永遠の課題ではないだろうか。今教会が抱えている問題も、真のイエスを知っているなら起こり得なかったのではないか。(教会に多々ある問題すら知らない信者は多いが)。

 「日本ではイエス・キリストの教えが受け入れられにくい」と言われている。しかし、その日本で、キリスト教を伝えることに尽力された聖職者や信徒の書籍も多々ある。『信者としての苦しみ』を大なり小なり経験した著者故に発表できたのだろう。

 そんな彼らには信仰を語り合う良き友と師と仰ぐ聖職者の存在があった。羨ましい限りである。なぜならば、今、ミサ中に毎週、司祭から福音説教が聞けない教会がある。言い換えれば、司祭として福音宣教ができないのかも知れない。司祭職で大事な働きは何?と考えてしまう。これでは今も使命を持って一生懸命働いている老司祭や、教会を正しく導こうとしておられる司祭方の面目が丸潰れであろう。

 偶然にも「カトリック・あい」に掲載中の教皇連続講話「聖霊について」⑯は「説教をする人」について、「説教によってキリストを宣べ伝えるために、聖霊の恵みを祈らなければなりません」と言われている。ホッとした私である。

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 最後に申し上げたいことがある。講話の中で「自分は結婚したかった。子供が欲しかった」と話される司祭方が多い。「だから⁈」と信徒の私は言いたいのである。。司祭の独身制にはいろいろな意味があるのも承知であるが、何よりも人間として自然に生きることがこれからの教会には必要、と私は思っている。「互いに愛し合いなさい」―この言葉の意味は深い。。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2024年12月5日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑦長崎で手話の「主和会」を発足させて40周年!

   タイの人々は進取の気性に富み、新しい物事に興味を持ちすぐ取り入れる。「気持ちが若いなぁ」といつも感心していました。そんな気風の中で長く生活して、「頑固な私のこだわり性も随分影響されたなぁ」と感じています。

 タイ国のスマホ普及率は人口を上回る123% 、使い勝手もよい。ある日、バンコクの電車の中で、スマホを鏡にかざして手話でカメラ通話している姿に出会いました。本当に嬉しい驚きで、やった!と、思いました。聾唖の障害を持つ人々にとって便利至極なスマートフォン、懐かしい長崎の聾唖友人仲間を思い出しました。

 40 年前、長崎勤務の頃、仕事の合間に手話講座に通い、勉強していた時のこと。ある日、「カトリック信者の多い長崎にも聾唖者がいるはず、調べたけど見つからない」と26聖人記念聖堂の故林神父様が書院にいらしてポツリ。ほんとにね、と思いました。

 それから聾唖のカトリック信者を探し、見つかりました。10余人。折良く手話の勉強会で、名古屋から転任された神言会の飯野神父様に出会い、話が決まり、急遽、手話ミサの準備を始めました。故結城了悟神父様のご配慮で、26聖人の記念聖堂でミサと初の集いをすることになり、10数通のお知らせの手紙を出しました。

 そして最初の手話のミサ。本当に、嬉しい暖かい集いの誕生でした。私は”助産婦”、誇りに思っています。名前は「主和会」と名付けられました。里脇枢機卿様の承認を得て、指導司祭もいただいて典礼行事には手話通訳が付き、正義と平和全国大会で

も手話通訳を付けるなど、毎月の手話ミサ、勉強会、 小教区をめぐっての手話ミサ… 、ボランティアも増え着実に成長しました。10年後、佐世保地区で「みことば会」も誕生。

 しっかりと歩み始めた主和会を神様にお任せして、私は大阪に転勤、次いでタイ国に派遣されて30年。今年は主和会40周年(みことば会30周年)、11月4日、お二人の大司教様をお招きして、長崎西町教会で感謝のミサと祝賀会が行われました。タイでの宣教を終え日本に帰った私への神様からの素晴らしい贈り物でした。久しく手話を使っていませんでしたが、皆の顔を見ると嬉しくて、手が動き出しました。心のこもった喜びに、はち切れそうな出会いでした。

 心の手と手で語らい、結ばれ、神様からの愛と喜び、希望の火が人々の心に灯されますように。スマートフォーンを大いに活躍させて、素敵なクリスマスを準備しお迎えください、マラナタ。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2024年12月3日

・“シノドスの道”に思う⑱ シノドスの最終文書後に向かう先は・・

*「洗礼による尊厳」から「秘跡」が出てくる

最終文書第15項から「神の民としての教会、一致の秘跡としての教会」という第2バチカン公会議の考えです。三位一体の神の名によって洗礼を受けた人々は「神の民」となり、まだ洗礼を受けていない人々に対してこの民は「しるし、秘跡」となります。そのため教会の外に向かって派遣され、宣教する召命を頂いていると言っています。

 教会すなわち神の民は洗礼において同じ一つの霊から飲んでいるので、「洗礼の尊厳(洗礼による尊厳)」はすべての人に等しく与えられています。この等しく与えられた「洗礼による尊厳以上に高いもの・優れているものは何もない(第21項)のです。種々のカリスマや召命や奉仕職があってもです。ぶどうの木の枝のようにすべての人はキリストにつながっている。

*「シノダリティを優先するヒエラルキー」であるべきだが・・

この「秘跡・しるし」としての教会の中に 洗礼、ユーカリスト(聖体)、叙階などの7つの秘跡があります。ですから ある人が司教になっても「最も高い・優れている」と言われている洗礼による尊厳を上回るものではないのです。だからこそ「共に歩む」というシノダルな教会でなければならないし、可能なはずです。

 ただ制度の中で司教たちは「叙階」されることで、それが「秘跡」とされ、教会に奉仕する務めを見える形で受けている、公認されていると言えます(第32,33項)。洗礼も叙階も同じ秘跡だとすれば、洗礼の秘跡のほうが初めであり基本であるのですから、ヒエラルキーよりもシノダリティの方を、もっと重視した教会制度にしなければならないのではないでしょうか。

*聖なる人と一般信徒(俗人) の区別の歴史

いつから叙階が 「秘跡」 だと主張されるようになったのでしょうか。聖書には、教会の指導者を選ぶとき、 使徒が相応しい、と判断した人に「手を置いて 祈った」(使徒言行録13章3節)とし、洗礼のとき、その人の上に「手を置く」と聖霊が降った、とあります(同19章6節)。ですから叙階が秘跡と呼ばれるようになる以前から、「手を置いて聖別する」という形が習慣となり、それが叙階であり、聖なる務めのためのものという理解は早くからあったでしょう。

 しかしながら典礼史のユングマンは『古代キリスト教典礼史』の中で「祭司」(ヒエレウス、サチェルドス)という異教の用語を、キリスト教の司教や司祭に用いることは、長いこと避けられていた、はばかられていた、と2度も述べています。

 なぜなら異教における「人と神との仲介者」としての犠牲・いけにえを捧げる祭司は、キリスト教ではイエス・キリストのみであるからです。ようやく2世紀の終わり頃になって「祭司」という語が使われ
るようになったとユングマンは言っています。

 米田彰男(ドミニコ会司祭)によると、テルトゥリアヌス、ヒッポリュトスあたりから、そしてオリゲネスあたりで、キリスト者の奉仕職にためらいもなく「祭司」の名称を与えていく(『神と人との記憶―ミサの根源―』知泉書館 )ペトロの手紙1にあるように、神の民、「共同体」全体が祭司職を担うにもかかわらずです。

 そしてコンスタンチヌス帝によるキリスト教公認と国教化以降、司祭 司教は社会的な権力も与えられていき、一般信徒との区別は明確になっていきます。「神と人との仲介者は、人であるキリスト・イエ
スただ一人です」(テモテへの手紙1・2章5節)という重要な真理は徐々に忘れられていきました。

 話が飛びますが、第2ラテラン公会議(西暦113 年)の決議では「主の御聖体と御血の秘跡」とはありますが、奉仕職については「聖なる奉仕職」とだけ書かれています。1274年の第2リヨン公会議では「教会の秘跡は7つ であり、そのうちの一つ、叙階は秘跡である」と明確化されています。

*最終文書で「シノダリティはヒエラルキーの枠内で」となっている

初めに申し上げたように、まず「洗礼の秘跡」があり、その上で、その中のある人々が「叙階という秘跡」によって聖職者になるわけですが、その権威は制度としての教会が与えることは、誰もが納得するでしょう。しかしその権威が「使徒に由来する」とか、さらには「神に由来するものである」と断言されると、容易には受け入れ難いのではないでしょうか。

 第2バチカン公会議『教会憲章』で、ヒエラルキー、すなわち位階制度は「キリストが使徒たちに託した神的なもの」であると言いました。今回の最終文書でも、シノダリティは位階制度の枠内で具体化されていくことが随所に見られます。

 例えば、第68項を見ると「第二バチカン公会議は、神的に設立された叙階による奉仕職が種々の位階において、すなわち古代から、司教、司祭、助祭と呼ばれてきた人々によって行使されている」ことを想起させています(教会憲章28項) 最終文書の第33項にも「司牧者の権威は教会という体全体を建てるため頭(かしら)であるキリストの霊の特別な賜物である。この賜物は司牧者をキリストに似た姿にする叙階の秘跡に結ばれている」とあります。

 こういった理解は上述してきたように、容認するのが難しくなっていると言わざるを得ません。また実際、世界各国で聖職者による性的虐待が蔓延していることを考えると、なおさらです。

*男女は「同じ尊厳」を有するが「平等」ではない?

 最終文書にも引用されているガラテヤ書3章の言葉「洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。そこではもはやユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません」を文字通り受け入れるなら、男女は平等なはずです。ところが第52項では、男女の不平等は神の計画の中にはないが、男女の違いはある、男女の「この違いは神からの贈り物であり、生命の源泉である。男女間の等しい尊厳と相互性を尊重する関係のなかで生きようとするとき、私たちは福音を証しするのです」と。相互性とは相補性・補完性とほぼ同義です。

 男女の違い、という考えは、教皇フランシスコの『福音の喜び』にも見られます。男女は等しく尊厳を有しているが、女性には母性に表れるような特別の気配りがある。しかし「聖体の秘跡によって受け渡された花婿としてのキリストのしるしとして、司祭職は男性に留保されます。・・ここで考えられているのは役割であって、尊厳や聖性ではありません」(104項)と。つまり尊厳は男女とも同じであるが、役割が男と女では違うのだ、というのです。

 「カトリック・あい」1月のコラムで紹介したように、バチカンは「平等」という言葉を避けたがっているように見えます。第52項と第60項で「等しい尊厳equal dignity」という言葉は出てきますが、平等equalityという言葉は一度も出てきません。男女は同じ尊厳を有するが、平等ではない、と。

*教皇フランシスコの不合理な説

男性と同じ尊厳を持ち、同じ指導者としての役割を担う能力を女性が持っているのなら、「女性を助祭叙階できない」というのは、なかなか理解できないことです。ちなみに「ActionPurple Stole」という女性の助祭 司祭叙階を求める団体が各国にあり、保守的な司教が3人もいる南ドイツでも活動しています 。

 またこの団体のウェブサイトを見ますと、America Magazineとのインタビュー(2022年11月)で、教皇フランシスコは、女性と男性を分ける独特な考え方をしていて、「女性の司祭叙階を認められない」という説を紹介しています。

*一歩前進した「意思決定のプロセス

最終文書の第87∼94項で、教区や小教区その他で何かを決めるとき、そこに誰が参加してどのようなプロセスを経て決めるのかが、示されています。今シノドス総会の第1会期よりも第2会期で議論は深まったのでしょうか。

 第2会期に向けた 討議要綱』において意思決定のプロセスがどう記述されていたかについては、このコラムの「シノドスの道に思う⑮」で詳しく書きました。そこに書いたことから進展はほとんどないと思います。92項で、現行の教会法典にある「参考投票権のみ」とあるのは再検討されるべきで、シノダルな観点から諮問・協議と決議の違いと関係が明確になるように改訂すべきである、としているの
は前進ですが、決議権(決議投票権)も下位の者に与えるとは言っていません。

 すでに存在している団体や組織をシノダルに参加させること、差異化された共同責任、つまり位階制に基づく違いによる働きに基づいて参加することを促す、としています。ヒエラルキーの枠内においてです。また92項「シノダルな教会において、司教、司教団、ローマ司教の権威は、キリストによって設立された教会の位階制構造に基づいたものなので、意思決定のプロセスにおける決議権は彼らすなわち司教、司教団、ローマ司教に不可侵のものである」と、権威の不可侵性を主張しています。これではシノダリティが窒息することが危惧されます。

*「共に」が実現するか否かは 結局司教の意思と能力次第・・

 その他、シノダルな教会になるために一般信徒がもっと教会の活動に「参加」して奉仕の幅や場を広げることが66、75∼77項など、また「参加する団体や組織」を既存のものだけでなく新設することなどが103~108項に書かれていますが、果たして司教たちが率先して実行するのかどうか・・。指導力、実行力、組織力、責任負担能力・・そういったものを「神の国」建設のために持ちうる司教がいるのかどうか。

 信徒がいくら「共に」と声を上げても、司教が「否」と言えば、それでお終いになりそうな「意思決定のプロセス」から「透明性、説明責任」(95~99項)となっているように思います。司教、司祭と信徒の間の「信頼」(97項)の欠如、そして聖職者主義(98項)が、密かに日本の教会には蔓延しているように思います。

*信者団体「我らが教会」の主張

このコラムで何度か紹介したこの団体は、国際的に37か国に広がっています。

 今回のシノドスで残された問題に関して、 女性の助祭叙階だけでなく、①女性司祭、司教の叙階を求めていく② これまで司祭だけに限られていた指導的な仕事を、ジェンダーや性的指向や独身か既婚かなどに関係なく、誰であっても適切な人物に与えること③ 司教や司祭と、各分野の参加団体の間のルールを明確化して多数者の意見が無駄にされないようにすること④ 司教の選出に当たって、一般信徒も選挙に参加できるようにすること⑤ 同性カップルの祝福⑥ 独身制の自由選択。叙階によるすべての奉仕職は、ジェンダーや性的指向や生活形態の如何にかかわらず、全信徒に開かれるべき、などが主張されています。

 また、これまでドイツの「シノドスの道」でシノドス委員会の設立に反対してきたバイエルン州の3教区の司教たちに、建設的に参加することを強く希望しています。因みにアイルランド人司祭Tony Flanneryは「今のところヨーロッパで脱中央集権化に挑戦しているのは、ドイツの司教たちだけのように思える」と述べています。

*民主主義を基底に据えた教会に

最後に、ご存知のように欧州連合EUは最初6か国からスタートし、現在27か国が加盟しています。民主的な政体を持つことが条件です。人間はどこかに誰かに従属して生きるのではなく「自由、平等、相互愛」の中で生きることを望むものではないでしょうか。カトリック教会も民主主義をベースにして、その上に教会独自のものを置くようにしないと、少なくとも民主的な国の人々は受け入れないのではないでしょうか。

 最終文書で結論が出なかった課題について10の研究グループが来年6月までに成果を公表することになっています。また来年7月にはドイツの教勢報告も出ます。注視していきたいと思います。なお今回をも
ちまして、この「シノドスの道に思う」の連載を終わりにします。これまでお読みくださいました皆様に心より感謝いたします。

 (西方の一司祭)

*参考資料=フランシスコ教皇『福音の喜び』(カトリック中央協議会)、第2ラテラン公会議等についてはDenzinger、The Sources of Catholic Dogma、 学術誌『クリオ』2018年5月、32号(東京大学)、Tony Flannery、From the Outside、Red Stripe Press。その他 We are Church、Action Purple Stole等のウェブサイト参照。

2024年12月2日

・カトリック精神を広める⑬ 神様からの呼び掛け:聖ヨハネ・ドン・ボスコの場合

 あなたは信じますか?神様から直接、人間に呼び掛けることがあるのを…

 筆者は、幼児の時に父親が一人息子の自分を置いて出奔したため、小学1年から中学3年まで、東京サレジオ学園で寄宿し、サレジオ小・中学校で教育を受けた。このように、サレジオ修道会は、全世界に、学校、大学だけで4,100ヶ所、日本では1926年にチマッチ神父が8人の司祭を連れて来日して以来、全国12支部に、教会、学校、職業学校等が設立されている。これらの事業を起こしたのが、聖ヨハネ・ドン・ボスコである。

 彼は、1815年イタリアの寒村に、貧しい農家の3人兄弟の末っ子として生まれ、2歳の時に父親が病没、母親に育てられた。9歳の時に見た夢がドン・ボスコの一生涯を決定づけたという。夢の内容はこうである。

 家の庭に大勢の子供がおり、遊んだりしていたが、中には神を呪うような言葉を吐く子供がおり、ボスコは、腕力で黙らせようとした時、全身を白いマントで覆ったイエス・キリストと聖母マリアとおぼしき人物が現れ、「げんこつはいけない、柔和と愛を持ってこの子供たちの友達になるのだよ」(「ドン・ボスコ自叙伝」ドンボスコ社)といってさとされた。物音で夢からさめたボスコは、朝食の時に母親に夢の内容を告げたら、「司祭になるのかもしれないね」と言われた。

 この夢は何度も見て、26歳の時にとうとう神父になり、時のイタリアで、職に付けずに悪に手を染める青少年のために、職業訓練を中心に身に着けさせる青少年教育に一生涯を捧げることとなった。

 神様からの呼び掛けを夢の形で受け取る例は、聖書の中でも散見される。聖ヨゼフが結婚前に、マリアが既に身ごもっていることを知った時に、穏便にマリアと分かれることを考えていた時に見た夢が、マリアとの結婚を後押ししたし、3人の博士が、キリストの誕生を祝った夜に見た夢が、帰路に時のヘロデ王に寄らずに別の道を通って帰国した例が挙げられる。

 

横浜教区信徒 森川海守(ホームページ:https://www.morikawa12.com

2024年12月1日

・神様からの贈り物 ⑯メリー・クリスマス! すべての人に、愛と希望と喜びを!

 20年ほど前に洗礼を受けたばかりの私は、真っ白な心で希望にあふれていた。「信者になったのだから、きっと私は毎年クリスマスのミサに与るものだ」と疑いもしなかった。そう、あのクリスマスがやってくるまでは…。

 

 ☆ ☆ ☆ ☆

 8年ほど前、初めての入院から帰宅した。退院後の私が、『母の娘』としてではなく、『ひとりの人間』として歩み始めた時、母とのトラブルがたくさん起きた。母からは「こんなひどい娘、退院してこなければよかった。障害者のくせに、何もしないでごはん食べてずるい」と罵声を浴びせられた。父は、その様子をただ見ているだけで、止めようとはしなかった。

 さらにショックだったのは、担当医に、幼少期から母にされて辛かったことを相談した時。「お母さんがあなたにしてきたことは、虐待です」ときっぱり告げられたのだ。自分の親からされたことが、単なる躾や口喧嘩ではなく、虐待だった、という事実は、とても受け止めきれなかった。しばらくは認めたくなかった。

  秋も深まり、冬の入り口に立った頃、医療、福祉、警察などの専門家たちからのアドバイスを受け、実家から逃げて、とある場所で避難することになった。すべてを失った現実が辛すぎて、涙もすっかり枯れてしまった。

  ☆ ☆ ☆ ☆

 その年のクリスマスは、ひとりで過ごすことになった。寂しさに加え、ミサに行くことさえできない状況に、すっかり落ち込んでいた。そんな時、ちょうどクリスマス・イブの夕方、私が避難していた場所に、カードが届いた。シスターYからのメッセージだった。

 「おうちを出た理由、分かりました。涙いっぱいのお捧げでしたね。でも、今まで育ててくれたことには、感謝ですね。お母さんが元気になるよう、祈りましょう。赤ちゃんのイエス様と再出発!」

 枯れ果てていたはずの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。「辛いときこそ、イエス様は、私のすぐそばにいる。それを忘れそうになっても、思い出させてくれる人が、私には、いる」と、改めて感じた。

 真っ暗な空には、いくつかの小さな星たちが輝いていた。生まれて初めてひとりで過ごすクリスマスだった。深い孤独と、悲しみの中で「ひとかけらの希望をつかみ取ろう」と決めた。

  ☆ ☆ ☆ ☆

 私は、あの日以上に、イエス様を身近に感じたクリスマスは、まだ体験していない。『私は弱いときにこそ、強い』というパウロの言葉が、胸に響いた。これからだって、きっと大丈夫! 主の深いご配慮は、いつも不思議で素晴らしいのだから。

 メリー・クリスマス! すべての人に、愛と希望と喜びを!!

 

(カトリック東京教区信徒・三品麻衣)

2024年11月30日

・愛ある船旅への幻想曲 (45)一人一人の経験が「教会の愛」を具体的なものにできる

   昨年秋から2会期にわたるシノダリティ(共働性)に関する世界代表司教会議(シノドス)第16回通常総会が終了した。今、87歳の教皇フランシスコの教会改革のための働きには、尊敬の念しかない。

 「教会とは何か?」と問い続けている私にとって、教皇の回勅やメッセージは現代社会を知り、若々しく生きていらっしゃるからこその発想が私に伝わって来る。(私自身、決して若くはないが…)

 10月24日に4回目の回勅『私たちを愛して下さった』を発表された。「イエス・キリストの心にある人間的で神的な愛」に関する思想の伝統と関連性をたどり、信仰の優しさ、奉仕の喜び、宣教の熱意を忘れないために、真の献身を新たにするよう呼びかけている、と“カトリックあい”に紹介されている。教皇のメッセージには『愛』がキーワードになっていることはカトリック教会として当然と言えよう。

*教皇フランシスコ「愛を具体的なものにするために」

 「愛を具体的なものにするために、二つのことを覚えておきましょう。愛は言葉ではなく、行動だ、ということを。そして、愛においては、受け取ることよりも、与えることの方が大切だ、ということです。愛さない人はいつまでも受け取ろうとしますが、愛する人は与え尽くします」。

 私の仲良しの信徒が「愛が分からない」と言う。彼女の祖父は、ここの教会の発足当初の信者である。敬虔な信者の家庭で育った幼児洗礼者である。私もコラムに『愛』を記すが、彼女は「難しい」と言う。次に「『平等』も分からない」と言う。もう1人の仲良し信徒は「教会に愛がない」と言う。彼はイタリア系アメリカ人の熱心なカトリック信者の家庭で育った幼児洗礼者である。成人洗礼の私などとは、全く違う家庭環境で育ち、真面目にカトリックの信仰を貫いてきた二人だからこそ今の言葉に悩む私に、「ちょうど2つ重なったのね」と、彼女は笑顔である。

 私たちは、『教会への愛』があったから性別、年齢、国が違えども、教会について各々の意見を根気よく聞き、喧々諤々と分かち合ってきた。だからこそ今、愛への疑問と平等、教会に対する感情の表れが私にも分かるのだ。

 ジョルジュ・ネラン司祭の『ネラン塾へようこそ』には、「愛そのものは存在しない。存在するのは、愛する人と愛される者だけである… 自由への道は愛である。自由を得るには束縛を一つひとつ解いていくこと、そしてそこに愛を見出すことである… 自由を求めるのなら愛しなさい」とある。

 そして、哲学者、マルクス・ガブリエルの『分かり合えない他者と生きる』には、「人を愛することの中には、喧嘩も含まれています。どんな愛情関係にも、喧嘩は絶対につきものです… だから、正しく喧嘩する能力も養わなくてはなりません」とある。

 愛は多様だ。カトリック信者として、愛を正しく学ぶためにも、自らが「愛する人と愛される者」となり、互いに束縛を喧嘩を正しく解き明かすことが必要だろう。このような一人一人の経験が、教会の愛を具体的なものにできるのではないだろうか。何よりもキリストは、愛する私たちからの愛を我慢強く待っていらっしゃる、と私は思っている。

 

(西の憂うるパヴァーヌ)

2024年11月5日

・“シノドスの道”に思う⑰ 世界代表司教会議(シノドス)総会第2会期が終了して

 10月2日に始まった第2会期は27日に終わり、最終文書が出されたが、筆者はまだ読んでいませんので、最終文書についての3つのカトリック系メディア(ALETEIA, The Pller,Catholic News Agency)の概要の記事から主なものを紹介しますが、その前に、シノドスの進め方の主な部分を紹介します。その後、今回のシノドスに参加したトマス・ゼーディンクがドイツに送ったメールから幾つか紹介します。

 

 

*最終文書の重み、そして意義は・・

 その前に、フランシスコ教皇が、通常なら最終文書が出たあとで『シノドス後の使徒的勧告」を公刊なさるはずなのに、それをしないで、約360名で成し遂げたシノドスの最終文書をすぐに認可し、これをもってご自分の通常の教導権(マジステリウム)の内にあるとされたことは、極めて異例ですが、また同時に、このことによって極めてシノダルな教会の姿を見せてくださったと筆者は思います。(ただし、このやり方を今後も規範をするとはしていません。)

 これまでのシノドスは司教だけの会議でしたが、今回のシノドスは司教以外が96名、そのうち女性は57名(カトリック新聞10月20日付けによる)。フランシスコ教皇は前々から「教える教会」と「学ぶ=教えられる教会」を厳密に分けてはいけないと言っています。「神の民」は同じ信仰の感覚を持ち、司教と同様に聖霊の働きもいただいているわけですから、司教以外が参加しても、ただ型破りというだけで、支障はないと言えます。そもそも司教だけの会議という「上から下へ」というやり方が旧式なのです。

*シノドス総会第2会期の議事内容は何か

 発言・討議の内容は前もって周知されている第2会期の討議要綱の「基礎」(シノダリティとは何か、シノダルな教会とは何か)、「関係」、「道筋」、「場所」、そして「最終文書」の4つ。「基礎」から「場所」までの討議とその要約を済ませてから「最終文書」を作り、さらに討議と投票をして確定するという作業です。

 

 

*会議の進め方:まず作業グループで

 会議の進行は大きく分けて2つあります。作業グループ(約10名)での対話と全体会合(360名全員)です。作業グループは言語別で英語(16グループ)、イタリア語(7グループ)とフランス語(6グループ)、スペイン語(6グループ)、ポルトガル語(1グループ)、全部で36のテーブルに約10名ずつとなります。第1ラウンドは、討議要綱から順に数項目ずつを主題として取り上げ、それについて参加者が順に自分の意見を最大3分間述べる。一回りしたら、さらにもう一度見落としていたこと、言い足りなかったことを順に3分間以内で述べる。ゼーディンクによると、自分の教会で実際に生じていることを考えてテキスト(主題)を省察するということです。

 従って第1ラウンドは「私は何を考えるか」の段階と言えます。次に第2ラウンド。第1ラウンドで聴いた他者の意見について良いと思ったこと、重要だと思ったこと、反発することなどを述べる。第3ラウンドは、これまで分かち合ってきたことを深めて何が最も重要か、全体会合で何を取り上げて討議するべきかをグループで決める。このようにして意見の一致点と相違点の理解を深める。そしてそれを短い要約報告書にまとめる。以上、「霊における会話」の方法で第1ラウンドは私の考え、第2ラウンドは他者の考え、第3ラウンドは、全体の考えということになって「霊における会話」の方法に従ったことになります。もちろん、祈りをもって始め、聖霊の望みに従う意向で取り組むことは言うまでもありません。

*会議の進め方:次に全体集会で

 全体会合の前に、36の作業グループからの代表者(報告者)がまず同じ言語グループでそしてそれら全部で、先の要約報告書を持ち寄って、次の全体会合で何を主題とするか、またそれを選択した理由や焦点を当てるべき重要な言葉(語句)を明確にする。バチカンの文書『方法論』の言葉を借りて言えば、全体的総合的な集会において、地方・地域の文脈から出てきた見通しや問題が、この全体的・総合的な会合において取り扱われ、識別されることで、普遍性とカトリック性が明らかになることが狙いです。ここで、シノドスの構成員は各自がそれら主題を考察吟味します。10月4日の場合だと、最初は丸テーブルで「討議要綱」の「基礎」についての7つの報告書から諸主題が一つずつ順番に取り上げられが、90分間にわたって多くの人が発言したとのことです。(聖座のウェブサイトを見ますと、日程表でいつ何を主題としたかがわかります。)

 以上、会議の進め方で分かることは「霊における会話」はあくまでも方法であって、会話の中身は参加者が持参しているはずだということです。参加者は個人の意見を述べるのではなく、あくまでも国や地域を代表しているのですから、「討議要綱」を基に前もって自国で議論し集約されたことを語るということです。またドイツの司教協議会のウェブサイトを見ますと、ドイツのベッティング司教などシノドス参加者たちはシノドスに参加する前に意気込みを語っています。

 またドイツの信者団体「我が教会」もウェブサイトを見ますと、参加者が個人の意見ではなくドイツ国の信徒が何を考えているか望んでいるかを語るように求めています。「霊における会話」ばかりを唱えていた日本の参加者は果たして何を語ったのでしょうか。

 次にカトリック系メディアから最終文書の主な内容の幾つかを紹介します。シノダルな教会になるために、一般信徒の参加を拡大すべき特に女性の参加を拡大すべきであること。助祭への叙階に関しては教皇の意向もあり今会期の議題とはせず、研究グループに委任して2025年6月には一つの結論が出る予定です。しかし今回のシノドスで議論できないことに対してシノドス参加者たちから大きな批判が起こったことには大きな意義があります。最終文書には「女性が教会において指導的役割を担うことを妨げる理由も障害もない」が 現状は「女性のカリスマや召命、教会生活の様々な領域における役割を承認してもらうことが阻まれ続けている」と述べています。

小教区や教区のあらゆる評議会などにもっと信徒を参加させるよう促すこと、そして意思決定のプロセスのどの過程においても信徒が関与できるようにすることが求められています。すでに教会法の中に教区司牧評議会や小教区司牧評議会などありますが、「諮問」に止まっていることが多いので、さらに意思決定の最後の段階まで参加できるように求めています。信徒の参加を義務的、必須のものとしていますので、教会の統治のあり方が改革されるはずです。

 信徒の参加は会議的なものだけでなく奉仕職の形態をもっと増やすことを勧めています。
典礼に関して、シノダルな教会であることをもっと可視化するような祝祭(つまり感謝の祭儀など)のあり方が求められています。 ミサなどでもっと信徒が能動的に活動する方向と言えます)
第2会期の討議要綱に「傾聴と同伴の奉仕」を公認し適切な制度を設けるというのがありましたが、この奉仕はすべての信徒の役割であるとか、この奉仕は教会の周辺にいる人たちや真理を求めている人たちへの奉仕であるべきとか多様な意見があって、見送られました。信徒の参加ということではさらに典礼において信徒の説教を認めることに関しても、まだ検討が必要ということになりました。

*教会の脱中央集権化

 ペトロの後継者としてのローマ司教は、信仰の遺産と道徳を守るという役割を持っているが、同時にシノダルな過程が 一致の方向に進むよう努めるべきだとしています。また補完性の原理に基づいて、教皇に留保されることと、地方教会の司教たちに委ねられることを特定するよう、神学及び教会法の領域で研究ができるとしています。各地域において司教協議会は教会の「主体」としてもっと大きな役割を果たすべきであり、教会の教えについての権限が認められるべきとしています。

 従って、教会法の改訂も検討されることになります。また、信徒等の参加のために、司教たちの側に「審議団体」や「諮問会議」などを設けることに触れています。最終文書の投票で最も争われた項目です。このような会議や集会が適正な識別をした時には、それを司教は無視できないと。司教は意思決定の権威を持っていることを認めつつも、このような団体・会議等が単なる諮問機関に終わるのではなく、もっと大きな優位性を与えるべく、教会法の改正を求めています。

*結婚やLGBTQについて

「離婚や再婚などの婚姻の状況や性的アイデンティティやセクシュアリティ」を理由にその人を排除することは容認しないとしつつも、LGBTQについての言及はありません。倫理的な微妙な問題については研究グループに委ねているので、言及を避けています。 その他、説明責任や透明性についての言及も重要ですが、省略します。以上から筆者が思うに 世界各地の教会が個々の問題で同じ考えになることが不可能に近いと思います。保守的伝統的立場と進歩的革新的立場の違いがあり、同時に民族的な違いがあります。歴史的に虐げられてきて未だに十分民主的な国家になっていない国や地域と、民主的な国や地域では結婚観や倫理、社会風習も違います。長い伝統があるからです。

 「人類学と倫理」は大きなテーマです。教皇は「一致」のための奉仕をすることになっていますが、それらの「多様性」をどのように認めるかです。また「一致」と「画一性」は違います。そもそも教会の普遍性とは何なのか、カトリック性とは何なのか。「真理の順位」という思想も考慮しなければなりません(第2バチカン公会議『エキュメニズムに関する教令第11項)。また統治に関しては各地方地域の自主性、すなわち「補完性(相補性)の原理」をどのように働かせるのか、今後の大きな課題だと思います。

*トマス・ゼーディンクのメールよりいくつか、また、筆者の考え

 ゼーディンクは聖書学を教えている神学者であり、今回の第16回シノドスだけでなく、その前の3回のシノドスにも神学者として参加しています。今回は4回目です。前にも何度か書いていますように、彼はドイツの信徒団体ZdKの副議長でもあり、今回もローマからZdKに宛ててメールを毎日送信していて、ZdKのウェブサイトで見ることができます。そのうちから幾つか紹介します。

シノドスの会議場や講堂の外には、各国から関心を持っている人や団体がたくさん参集しているようです。そこにいた知人から聞いた話。10月12日、アンジェラスの時間にフランシスコ教皇が聴衆に向けて話をしていた時、信徒団体「我が教会」のメンバーたちは「平等」と書いた横断幕(バナー)を掲げていた。しばらくすると、数名の警察官がやってきた。私服の者と制服を着た者が何人かずついたが、バナーを巻いてIDカードを渡すように要求した。

 他のグループは許されてバナーを掲げているのに、なぜ私たちはダメなのか尋ねても答えはなかった。ただバナーを下ろすよう要求するのみ。しまいには、彼らはIDカードを取り上げて警官の詰め所に連行されたそうです。IDカードを渡すのを拒んだ人は手錠をかけられて連行された しばらく経って、皆は解放されたそうです。バチカンの警察官たちも指令を受けていて、それに従ったまでだろうが・・と。ウクライナ、パレスチナ、レバノンなどの国旗は振られ、環境団体や中絶反対活動家なども現場にいたのに、なぜ「平等」だけが禁止されるのか・・・と。

  ROOT&BRANCHというカトリック教会の改革を求める団体のウェブサイトで、そのバナーの写真を見つけましたので載せておきます。(右下の写真)

 筆者の考えですが、「平等」は 女性も助祭になる権利があるとか、LGBTQの人、離婚者や再婚者、伝統的な教会の掟に違反する人など平等な権利を求める多種多様な人がいますが、とりわけ一般信徒も司祭司教と本質的には平等だとする考えをバチカンは認めたくないのだろうと思います。

 これまで紹介してきたドイツの「シノドスの道」で信徒と聖職者が「共同統治」することを、それは秘跡的な教会の性格に合わないからダメだとする。バチカンは教会だけではなく、「バチカン市国」として存在しますので、警察権を発動できるのでしょう。「秘跡的(サクラメンタル)」という言葉も注意しなければなりません。ある意味、胡散臭い言葉です。バチカンが女性の秘跡的叙階を認めないのは、まずは男性社会で押し切ってきた中に女性を受け入れると、次は女性の司祭叙階、その次は司教、教皇へとつながっていきます。

 また一般信徒と聖職者は本質的に<平等>であることを強調すると、叙階の秘跡によって司祭は本質的に一般信徒とは異なるのだとする「位階制の教会」はいずれ崩壊していくかもしれません。そのことを恐れている人々がローマにはいるのかもしれません。

 また「カトリック教会は(7つの)秘跡が特徴だ」と言う人がいます。7つの秘跡は神の恩寵を得る手段と教えられていますが、それだけでなく、西欧キリスト教社会の人々の誕生から死(墓地埋葬)に至るまでの人生の節目節目に通らなくてはならない通過儀礼であり関所でした。つまり人々を支配する道具であり、制度が7つの秘跡だったのです。なぜなら社会と教会は一体化していたので、それらの秘跡を受けたくないとは言えなかったのです。

 10月18日、ゼーディンクは神学の「専門家」として第5研究グループに意見を求められ、「女性の助祭職」について2ページ書きます。「新約聖書では女性の助祭がいて、彼女らは最初の教会の形成期に属している。それで、第2バチカン公会議における秘跡的な助祭職の再発見のあと、女性に助祭職を開くのは次の論理的なステップである」と書いています。

 もう一つ。10月9日夕刻、ゼーディンクは神学・司牧フォーラムに参加しました。主題は「神の民は宣教の主体」であるというもの。かつて人々は宣教の客体、宣教される相手でした。古い思考では「教える」教会と「学ぶ」教会は厳格に分かれていましたので、司祭などの奉仕職は聖職者のみ、信徒は学ぶ存在、教えられる存在でした。しかし人間の中に聖霊が働いているとすれば、またどんな文化の中にも聖霊の働きがあるとすれば、「神の民」は宣教の客体であるだけでなく主体でもあります。ヨハネ福音書が言うように「聖霊の約束」が与えられているからでもあります。よって、すべての人は福音を証言することができるのであり、またしなければなりません。

 

*教皇フランシスコの回勅「彼(イエス)は私たちを愛した」

10月24日、教皇フランシスコは回勅を出しました。「イエスの御心」に私たちが結ばれて私たちも本当の愛の心を持って生きるように、との願いが込められているようです。イエスの御心から生ける水が流れて、私たちが犯した傷を癒してくださり、また私たちが愛を持って他者に仕えることができるように、正しく連帯した兄弟的な社会に向けて共に旅を続けるように」と。この回勅とシノドスの「最終文書」が現実化していく努力をすべきだと思います。

 *ウェブサイトHoly see, ALETEIA, The Pller, Catholic News、Agency ZdK ROOT&BRANCH等参照。

(西方の一司祭)

2024年11月2日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑥101歳のシスター、エレナ深堀を訪問。素敵な笑顔!

 先日、101歳になるシスターエレナ深堀千代子をご聖体を携えて訪問しました。車椅子のシスター、素敵な笑顔で出迎えに、手を取り合ってハグしました。スッキリと焦点の合った眼差し。敬愛する恩師大先輩で、女子パウロ会日本設立時、イタリアの宣教女達を助け大きな支えとなりました。長崎活水学院の先生で素敵な洒落た存在、修道会入会は皆が腰を抜かすほどの出来事でびっくり仰天したそうです。

 ご聖体は何よりも嬉しく、聖歌歌ってお祈り捧げパンを授けました。メガネ無しでゆっくり祈りを唱えるので、私は歩調を合わせて付いて行きました。ロザリオの祈りは先唱を引き受けてくれ、主の祈りを日本語で始めようとしたら、間髪を入れずラテン語で、一本取られました。スピードありスラスラと。正に、通いなれた祈りの路、ですね。日々培った平素の習性をいつか繰り返す日が来ますし、咄嗟について出ます、自戒。

 そう言えば、タイの人たちは長いお祈りを暗記して口ずさんでいるので、始めはびっくり。暗記は言葉を覚える基本で、私はタイ語学校で丸暗記授業には付いていけず、1か月で登校拒否した落第生でしたから。暗記が苦手な私、でもタイに行って間もなく、主の祈りの歌をテープで何度も聞いて覚えました。今も諳んじられます。何度も聞き、抓って叩いて体で記憶する方法で、タイ語学習50歳の挑戦でした。30年のタイでの宣教を終えて帰りましたが、タイ語で福音を毎日黙想、タイのために祈り続けています。

 シスター深堀と一緒にお祈りを捧げ、アヴェマリアの歌を幾度も歌い、手を取り合いました。共に祈ることが嬉しかったのですね。

 スマホで撮った修道院や姉妹たちの写真を見て質問攻め、次回はインタビューして生の声を届けたいです。1時間半の嬉しいひと時、いっぱいお話して11月号の毎日のミサを置いて帰りました。しっかり読んでいるのですよ。

 シスター深堀の祈りは、大きな支え「お元気で宣教に、私の分も頑張って下さい」と、いつもミニカードをいただき、「私の晩年の仕事としておりますので、どうぞ返信のご心配なく」と。ホームに入所する前は車椅子のシスターをミサに連れて行く役割、たまにタイから帰ってそんな姿を見て感動しました。

 帰り際に、「また来てね、私のためにお祈りしてね」と。励ましの温もりの手を肩に感じ『精一杯捧げよう』と坂を降りました。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2024年10月31日

・ガブリエルの信仰見聞思 ㊲ 「神を愛すること」を思い巡らす

 マタイによる福音書では、ファリサイ派の律法学者の一人がイエスを試そうとして、こう尋ねました。

 「先生、律法の中で、どの戒めが最も重要でしょうか」。イエスは言われました。『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい』。これが最も重要な第一の戒めである」(22章35~38節)。

 この福音箇所を読むたびに、『心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして神を愛する』とはどういうことか、改めて考えさせられます。

心を尽くして

 2010年カンヌ国際映画祭の特別グランプリ賞を受賞した『神々と男たち』(原題“Des Hommers Et Des Dieux”)という、1996年にアルジェリアで、7人のフランス人修道士が武装イスラム原理主義者によって誘拐・殺害された実話を基にした、ビューマンドラマの映画があります。信仰や暴力、人間性の問題を深く考えさせられる素晴らしい作品です。

 その映画の序盤のシーンで、イスラム教徒の若い女性が年老いたカトリック修道士に「恋に落ちるとはどういうことか」と尋ねる場面があります。修道士は素晴らしい答えを返しました。「あなたの中に、生き生きとした何かがある。それは抑え難く、心臓の鼓動を速める。それは惹きつけられるものであり、渇望なのだ」。そして、女性が修道士に「恋をしたことがあるか」と尋ねると 、 修道士はこう答えました。「ええ、何度もある。それからさらに大きな別の愛に出会った。そして、その愛に応えました」。

 「心を尽くして主を愛する」ということは、私たち自身の核心に、『カトリック教会のカテキズム』(以下「カテキズム」)の表現を借りれば、「自分の理性にも他人の理性にも把握し難い、私たちの秘められた中心」があることを認識することだと思います。それは決断の場であり、生死の選択の場であり、神の似姿である人間が神と真正面から見つめ合う場、すなわち、契約を交わす場です(カテキズム, 2563項参照)。

 心は、感傷的なもの以上に、私たちの最も深い住処であり、私たちが偽りの自分ではなく、本当の自分を生きることができるように、自分自身についての真実を知るために引きこもる場所なのだと思います。私たちは心を尽くして私たちの主なる神を愛します。なぜなら、それ以下の愛では、私たちには決して十分ではないからです。心は、自分が何のために作られているのかを知っています。

 聖アウグスチヌスはこの有名な言葉を残しています。「主よ、あなたが我々をお作りになりました。故に我々の心はあなたの内に憩うまで休まらない」(『告白』、第1巻)。

魂を尽くして

 カテキズムでは、「魂」を人間の最も内面的な側面であり、人間にとって最も価値のあるもの、それによって人間は最も特別に神の似姿にかなうものである、と述べられています。すなわち、「霊魂」は人間の中の霊的原理を意味します(カテキズム, 363項参照) 。そして、私たちを養うのに十分な唯一の「魂の糧」は、神の愛と、神の愛の中に生きることす。

 詩編はこのように強調しています。「鹿が涸れ谷で水をあえぎ求めるように/神よ、私の魂はあなたをあえぎ求める。/神に、生ける神に私の魂は渇く。/いつ御前に出て、神の御顔を仰げるのか」(42編2~3節)。

 「愛しなさい」という主イエス・キリストの命令は、キリストなしでは決して理解できない恵みと特権を、私たちに明らかにしています。それは、「魂は無償で神との交わりに高められることができる」(カテキズム, 367項)というものです。愛はこれを可能にします。

思いを尽くして

 『神々と男たち』では、修道士の小さな共同体は、自分たちがとてつもない脅威にさらされて暮らしていることに気づいています。テロリストがいつでも修道院に押し入り、彼らを連れ去り、拷問し、殺すかもしれないのです。このまま留まれば、これが自分たちの運命だと彼らは知っています。彼らは残るべきか去るべきかの決断を迫られます。

一人の若い修道士が、すべての不安と格闘しながら、ある夜遅く、独房で苦悶の祈りを捧げました。「助けてください、助けてください!私を見捨てないでください。見捨てないでください!どうか助けてください!」と。その懇願は悲鳴に変わり、他の修道士たちを起こしました。修道士たちは彼が襲われたのか、と思いました。しかし、この若い修道士はその後、その絶望的と思われる状況に信仰の心を向けるようにします。

 そして彼は、非常に意図的に、思いを尽くして、主を愛し始めます。共同体が決断に近づくにつれ、この修道士は再び独房で、一人で祈っているところの場面があります。しかし、今回は、彼の祈りはささやき声です。「あなたです。あなたは私を包み込み、私を支え、私を取り囲んでくださいます。あなたは私を抱きしめてくださいます。私はあなたを愛しています」。

「恋に落ちること」

 あるイエズス会の神父*は、このような美しく意味深い言葉を残しています。

 「神を見つけることほど、現実的なことはなく、完全に、そして最終的に恋に落ちることほど、現実的なことはありません。あなたが恋に落ちるもの、あなたの想像力をかき立てるものは、すべてに影響を与えます。朝、何に起きるか、夜は何をするか、週末をどう過ごすか、何を読むか、誰と知り合いになるか、何に胸に打たれるか、何に喜びと感謝の念で驚かされるかは、それによって決まります。
恋に落ち、恋をし続ければ 、それがすべてを決めます。(拙訳)*https://www.ignatianspirituality.com/ignatian-prayer/prayers-by-st-ignatius-and-others/fall-
in-love/)

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、現在日本に住むカトリック信徒)

2024年10月30日

・神様からの贈り物⑮ ひと足先に天国へ帰った同級生

 

 6年前の深夜1時ごろ、友人から久々にメールが届いた。「私たちのUちゃんが、ガンで亡くなりました。以下、ご家族からのメールを引用します」という内容だった。まだ30代だった私は、自分と同じ年の友人が若くして亡くなるなど、頭の隅にも想像していなかった。

 Uちゃんとは、20代の半ば頃、共通の友人を通して知り合った。あの頃の彼女は、舞台に立つことを夢見ていた。舞台俳優の島田歌穂さんと同じ誕生日なのが自慢だった彼女は、優しさゆえに、周囲からも信頼を置かれていた。特に、メイクが上手だった。「彼女が、クラスメイトの顔にお化粧をしてあげると、みんな笑顔になり、自信を持った表情に変わった」と、共通の友人が話していた。

 私たちは、短期間で濃密な友情を築いた。しかし、精神的に一番辛かった時期を乗り越えると、いつしかお互いを切実に必要とはしなくなった。私が、お化粧を教えてもらう前に、互いの距離が開き、自然と連絡を取らなくなった。

 そこから、数年の年月が経った頃、冒頭のメールが届いた。体調が悪いのは風の便りで知っていたが、まさか癌だとは思わなかった。私は万障繰り合わせ、彼女の告別式に参列した。

 Uちゃんのお母様は、私のことを覚えていて、こうおっしゃった。「麻衣ちゃんが元気でよかった!私も、あなたのことを、ずっと心配していたのよ。今日はありがとうね」今まさに、悲しみの淵にいるお母様の思いやりの深さに、ピンと張りつめていたものが緩んだ。私はついに、声をあげて、わっと泣き出してしまった。

 そのままお母様に導かれ、Uちゃんと静かな対面をした。棺の中で眠る彼女は、きれいに化粧を施され、にっこりと笑っていた。今にも「ねえ、麻衣」と呼び掛けてきそうな表情だった。

 最期の言葉は、「ママ、ありがとう」という言葉だったそうだ。家族との関係性や距離感に悩み、葛藤し、それを通して、愛する喜びを知った彼女を見てきた者のひとりとして、感慨深いものがあった。

 

***

 

 あれから6年、私は、今ちょうど40歳だ。あの日、Uちゃんの告別式で「享年34歳」というアナウンスがあった時の衝撃は、忘れられない。目の前が真っ暗になり、頭が真っ白になった気持ちは、思い出したくないのに、鮮明によみがえる。

誕生日を迎える度に、同級生だったはずの彼女と年齢がどんどん離れていく。それは、私の胸をぎゅっと締め付けるような現実だ。将来、彼女が、白髪としわだらけになった私と天国で再会したら、どんな言葉をかけてくれるのだろう? 自分よりも年を重ねた同級生の私を、どんな表情で迎えてくれるだろう?

 朝、鏡の前に座ってメイク道具を取り出すとき、ふと彼女を思い出すことがある。「私も、お化粧をしてもらうことで、自信をつけたかったなぁ」という心残りはある。けれども、今の私の周りには、違う形で、私を勇気づけ、自信を育ててくれる人たちがいる。「私は、私の人生を最期まで生き抜かねば」と、改めて身の引き締まる思いになる。

 Uちゃん、私、頑張るから、天国で待っててね!

 

(東京教区信徒・三品麻衣)

2024年10月29日

・カトリック精神を広める⑫ 神様からの呼び掛け:聖ジャンヌ・ダルクの場合

 あなたは信じますか?神様から直接人間に呼び掛けることがあることを。(以下は、「聖人たちの生涯」池田敏雄著、中央出版社)より大部分引用執筆)

    彼女は、フランス東北部の寒村ドム・レムで、貧しい農家の娘として生まれた。12歳の時、ミサが終わって聖堂を出ようとしたときに、「ジャンヌ・ダルクよ、敵の手からフランスを救え!」という神の声を聴いた。「わたくしにどうしてそんな事ができますか」と尋ねると、神に代わって、大天使聖ミカエルが「天にまします御父が、お前を助けられるだろう」と答えたという(いずれも彼女が異端審問された時の証言に基づく)。

   当時のフランスは、イギリスとは異なり、各地に諸侯が群雄割拠し、フランスという国の意識が薄かった。対して、イギリスは、羊毛の輸出先としての毛織物工業の中心地のフランドル地方やブドウの産地のボルドーをフランスから奪い取ろうとして、英仏百年戦争の真っ只中で、次々とイギリスに領土を取られ、フランス国土存亡の危機にあり、最後の砦、オルレアン城が落城間近の時に、ジャンヌ・ダルクが登場したのである。

 

    ジャンヌ・ダルクは、神の声を聴いてからも、4年間も悩み、その間、聖女マリガリタや聖女カタリナからも勇気づけられたという。16歳になった時に、「神のみ旨のままに」と神に誓い、時の知事ボードリクールに「フランス王を救いに行きますから、わたくしに兵士を伴わせてください」と頼んだ。当然だが、一介の小娘の願いを聞き入れるはずもない。狂人扱いされるばかりだったが、彼女はひるまず、とうとう説得に成功。騎兵の服装で馬にまたがり、数人の兵士を伴い、シノンにいる皇太子、後のシャルル7世のもとを訪れた。

   その時、王となるべき皇太子は、整列した兵士の中に変装して隠れていた。「神の使いなら、俺を探し当ててみよ!」と言う訳である。このあたりは映画「ジャンヌ・ダルク」に詳しい。見事探し当てられた皇太子は、慎重を期して、ジャンヌを異端審問にかけた。1ヶ月間かけて行われた審問では、ジャンヌの使命の正当性が証明され、白い甲冑に、右手に剣、左手にイエズスとマリアの御名を記した白絹の軍旗を身につけ、精鋭部隊を率いて、イギリス軍に包囲されたオルレアン城の解放にむかった。途中で、兵士に罪の告解を得させた上で総攻撃をかけてオルレアン城を解放。この戦勝にフランス軍の士気は上がり、その後も連戦連勝。とうとう皇太子をフランス国王シャルル7世として正式にフランス王として即位させた。

 しかし、ジャンヌが19歳の時に、イギリス軍に捕らえられ、異端審問の結果、魔女として火炙りの刑に処せられた。死後25年後、この宗教裁判のやり直しが行われ、無罪の判決を得ている。そうして、ジャンヌが亡くなってから、約500年後の1920年、教皇ベネディクト15世により、聖女の列に加えられ、現在は、フランスの守護聖人の一人として尊敬されている。

 横浜教区信徒 森川海守(ホームページ:https://www.morikawa12.com

  *詩集を下記URLに掲載しています。ご覧いただけましたら幸いです。https://www.amazon.co.jp/dp/B0DHTWRHSK

2024年10月29日