・カトリック精神を広める ⑮ 水をワインに変えたイエス・キリストの奇跡

 「この世」で一番美味しいワインは

 現実世界にはグラス一杯で1万円以上するワインがあるが、そのような高価なワインは飲みたくない。食事を美味しくしてくれる脇役がワインだと考えると、料理よりも高いワインには眉をひそめる。しかし、「このワインなら是非飲んでみたい」というのが、今回紹介する奇跡である。

 新約聖書に出てくる、イエス・キリストが水をワインに変えた奇跡は、キリスト自身が望んで起こしたものではない。母である聖母マリアに促され、図らずも、ご自身の生涯最初の奇跡となった。ヨハネ福音書2章1-11節の「カナでの婚礼」として知られる奇跡は、次のように記述されている。

 場面は結婚式である。イエス・キリストとその母マリア、そして弟子たちが結婚式に招かれていた。宴たけなわとなった時、肝心のワインが飲み尽くされていることにマリアは気づいた。そこで、息子のイエスのところに行って、「ぶどう酒がありません」と告げた。この時のイエスの答え方が妙である—「女よ、私とどんな関わりがあるのです。私の時はまだ来ていません」。

 聖母は構わず、周りにいた召使いたちに言われた—「この人が言いつける通りにしてください」。マリアは、奇跡を起こして欲しいと望んでおられたのであろうか。思うに、既に世に打って出る前から、イエスは家庭の中で、幾たびか奇跡を起こしておられたのではないかと考える。

 イエスは観念し、召使いたちに言った。「水がめに水をいっぱいに入れなさい… 宴会の世話役のところへ持って行きなさい」。召使いたちは言われた通りに、かめの縁まで水を満たし、世話役のところに持って行った。恐らく、持って行く途中で、水がワインに変わったのに気がついたのであろうか。世話役のところに持って行ったら、彼はそれを一口飲んで、恐ろしく美味しいワインであることに気がつき、花婿を呼んでこう言った—「誰でも初めに良いぶどう酒を出し、酔いが回った頃に劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました」。

 召使いたちは口をつぐんでいたが、イエスの弟子たちは、一部始終を見ていたであろう。「我らが親分、イエスは、ただ者では無い」と初めて知ったのではなかろうか。イエスが水からワインに変えたそのワインを、是非飲んでみたいものである。「この世界」ではない、「この世」で一番美味しいワインであろうから。

(森川海守:横浜教区信徒)HP:https//www.morikawa12.com

*聖書の引用は、「聖書協会・共同訳」に統一しています(「カトリック・あい」)。

2025年2月28日

・読者投稿・叔母からの電話、入院して教会のミサに出れなかった私を気遣ってくれた?

 70代半ばの叔母との会話が興味深いものでしたので、共有させていただきます。

 私が入院して教会に数か月来ていない事を心配して、昨日、叔母が電話をくれました。元気だと分かると、次第に話が変り、以前、私が神父のパワハラに「おかしい」と声を上げた事について叔母が、「あんな事やるべきではなかった、間違いだった」と諭し始めました。

 今ではその神父も別の教会へ移り、私にとって既に「済んだ話」なのですが、「そうね」と適当な言葉を返すことができず、「どうして?」と聞くと、「そんな事をしても無駄」「教会は特殊な団体だから信徒が何しても無理」「やるだけ自分が擦り切れる」と、自分や知人の経験を山ほど話してくれました。

 そこまでは共感できるのですが、納得できなかったのは「○○さんもその神父に暴力を振るわれたけど、黙って耐えた」「暴力を間近に見た人も皆、教会で広まらないよう沈黙していた」と”美談”のように話し、私が神父に直接声を上げたこと自体を「間違い」と結論づけたことでした。

 叔母からすれば、私がとった行動は、”内乱罪”のようなものなのでしょう。心配して電話してきたはずの叔母ですが、電話を切る頃には「根詰めて教会に来なくていい」「復活祭やクリスマスだけ来るのでもいい」と語り、「ミサで毎週、会いたい」という電話ではないことが分かってきました。

 この会話で痛感したのは、姪に起こったハラスメントにでさえ、自分の事のように真剣に受け止めることが、彼女にはできない、ということです。そして事実がどうであれ、「聖職者を悪く言ったあなたが悪い」「教会の平穏を乱すなら、教会に関わらないで欲しい」「老い先短いし、毎週楽しく教会に行きたいのに、あなたが問題提起するから楽しくなくなった」「あなたに起こった問題について深く考えたくない」「あなたは問題に巻き込まれないよう適当に教会に通えば良い」「なんなら教会以外に情熱を注げる活動を見つける方がいい」という考えなのです。

 声を上げる被害者を視界から消して、問題も消えた、として楽しく「平和」に過ごしたいのでしょう。私は「被害者が声を上げる事が間違いとされるなら、それはキリスト教なの? この教会がそうなら、そのうち誰もいなくなって葬式もできなくなるよ」と笑顔で話を終えました。あなたなら、どうなさいますか。

(一読者の信徒)

2025年2月28日

共に歩む信仰に向けて③ キリシタン史と現代・その2ー歴史の教訓から学ぶべきは

 初めに、伴天連が行なったことを幾つか項目別にして概観してみます。すなわち、集団改宗、寺社仏閣の破壊、日本人を奴隷として売り飛ばす(奴隷売買に関与)、政治的動きなど。現代において「ヒエラルキーの教会」から「シノダルな教会」への改革の必然性を理解できると考えるからです。

*キリシタンへの「集団改宗」は強制改宗でもある

前回述べたような精神で、初期の頃はイエズス会が宣教していきます。そのやり方は大名や領主を教化して領民へ民衆へ、という集団改宗を行ないました。集団改宗は強制改宗です。「キリシタン宣教師とりわけイエズス会士は日本の権力者に近づいて彼らを入信せしめ、上から下へ信仰を広める政策の効果的なことを当初から確信し、実行したのです。

 ヴァリニャーノは、日本人の領主への隷属性は極めて強く、彼らの積極的支援なしには教会の発展はおぼつかない、と日本布教の責任者に指示しました。ですから、多くの日本人が、一人一人が教えを理解して納得して信仰を自分のものにしたとは言えません。領主など高山右近のような身分の高い例外もありますが。

 彼らは「ドチリイナ・キリシタン」(カトリックの教え)などを教えられたのでしょうが、福音書に示されるイエスの行動や言葉を十分に学ばずに、主祷文、使徒信経、普遍的教会、秘跡などをどれだけ理解できたのか、極めて疑問ではあります。

 ましてや日本語に習熟していない宣教師(伴天連)とその補助をした同宿が教えたのです。領民が一人一人個別に教えを聞いて納得して改宗したわけではないでしょう。

*寺社仏閣の破壊、会衆を拒否した仏僧を国外追放…

 宣教師は、自分たちが信奉するカトリック教だけが本当の宗教で、他の宗教は異教・邪教だから捨て去るべきもの、との信念から、寺社仏閣を破壊していきます。

 「日本においても、在来の宗教といった敵に対しては、徹底的に攻撃の手を緩めず、後に述べるごとく、彼らによる神社仏閣の破壊はすさまじいものがあった」「実際に手を下して破壊したのが日本人信徒でり、パードレがそれに無関係であったかのごとく強弁しても、それは無理である。イエズス会宣教師の指示によって寺社の破壊が行なわれた事例は少なくない」。

 ヴィレラは1557年に、平戸で領内で1300人を改宗させます。しかし「パードレたちが寺社から仏像等を集めさせて焼いたり、経典を俵詰めにして焼却した行為が、仏僧らの怒りを招かないはずはなかった」(五野井)。天正年間に大村純忠の手により領内の神社仏閣のすさまじい破壊、大友宗麟による寺社の破壊、また寺社領を奪って家臣に与えるなどの行為があった。高山右近も、自己の高槻領で寺社の破壊、仏僧たちに対しキリシタンへの改宗の強要、拒否した僧たちを追放し、寺社は焼却したり教会に転用したりしました。

 純忠の性急なやり方は、家臣や領民に不快感を与え、離反を招くことになります。比叡山の僧たちは京都の治政に関して請願書を大名・松永久秀に提出する中で、パードレとキリシタンが日本人の祖先崇拝の対象である神々を悪く言い、そのために一般の人々が仏教への信心を失い、反逆や罪悪を犯すことを怖れなくなった、として、パードレを追放することを求めています。天皇や公家、仏教界の反発が大きかったことは、言うまでもありません。

 

*異教徒の日本人を、奴隷として海外に売り飛ばした

 

  インドや南米その他の地域で宣教師がやったことは「植民地化、異教徒を奴隷にすること」。教皇も容認してのことです。「日本人奴隷を売買したのはあくまでポルトガル商人であり、イエズス会士はその禁止に向けて尽力したということになるが、当時のイエズス会自体、世界各地で奴隷使役の上に成り立っていた、という点を忘れてはならない」「新大陸におけるイエズス会の砂糖きび栽培も、黒人奴隷の使役によるものであった… 日本のイエズス会が奴隷の売買をした記録が会計帳簿に記載されているし、朝鮮半島で宣教したセスペデスは、日本人奴隷売買に関わったようである」。

 日本人奴隷の売買にイエズス会宣教師も関わっていたことは、幾つかの研究によって明らかにされており、秀吉が伴天連追放令(1587年)の理由の一つとしてあげていることからも、そうした行為の言い逃れはできないでしょう。ルシオ・デ・ソウザは「秀吉が、日本人が海外に売却されている現実を、イエズス会の問題でもあると認識していた… またイエズス会は、奴隷売買に、紛れもなく加担しており、それを秀吉は見逃さなかった」と。

 秀吉に詰問されたイエズス会士のコエリョは「日本人が”売るから”だ。教会は日本人を奴隷とするのを止めさせようとしている」と苦しい抗弁をしており、売買の事実は否定しようのないものでした。

 

*伴天連の政治的・軍事的な動き

 これまで述べてきたことよりもっと重要なことは、伴天連の政治的な動きです。大村純忠が1580年に、イエズス会に長崎と茂木を寄進し、近隣の反キリスト教勢力(竜造寺氏)から守るため、大砲や武器を与えて要塞化していきます。ヴァリニャーノは『日本の布教長のための規則』で武装・要塞化を指示していました。住人と兵士に武器を持たせ、軍艦のフスタ船を所有し、その指揮は修道士がするなど。まヴァリニャーノは、「有馬晴信に対し、軍事的てこ入れを行なった。同じころ彼は、武力征服が布教のための有効な手段である旨、書簡に記述しています。

 カブラルも、大村純忠に対し「何回にもわたり金銭援助をした」「戦国時代に、近隣の諸大名との戦いで、キリシタン大名が危機に瀕した場合、イエズス会は、さまざまな支援を与えた」と述べ、日本準管区長のコエリョが1585年(天正13年)にフィリピン教会の同僚にあてた書簡には、「キリシタン大名救援のために、武装艦隊の派遣を、総督に取り次いでもらいたい旨、要望した」とあります。当時、日本にいたイエズス会士の多くが一致して、”迫害者”秀吉に対し、内外呼応して武力を行使することが計画されてい―「宣教」と「征服」は繋がっていたのです。

 

*伴天連追放令と禁教令の時代へ

 そして秀吉は1587年、伴天連追放令を出します。その後も、フランシスコ会など托鉢修道会が日本に来て、活動しますが、長崎での司祭、子供も含む信者26人の処刑などが続き、徳川幕府のもとで、宣教師は表立った活動はできなくなります。家康も、秀吉が出した伴天連追放令を撤回することはなく、キリシタンや宣教師がらみの幾つかの事件を機に、1605年、家康はフィリピン総督アクーニャに、キリシタン布教を固く禁じる旨、通告します。

 そしてまず家康のいる駿府や天領などで、キリシタン禁令が出され、1614年には幕府によって全国的な禁教令が発布され、宣教師は国外に退去するか、隠れて活動するしかできなくなります。

 

*「カトリック教会が布教地を広げることは『日本征服』につながる」と

 以上のような伴天連の政治的かつ軍事的動きから、高橋裕史氏は「宣教師は<霊魂の司牧者>なのか<武の司令官>なのか、あるいはその両方であったのか容易に答えは見つからない」と言っていますが、その両方だったため伴天連追放令や禁教令が出たことは否定できないでしょう。

 「宣教師がキリシタン大名に対して軍事的てこ入れをしたことと、彼らが日本をカトリック国にすることを夢見て、ポルトガルやスペインの武力による日本征服を企図したこととの間には、本質的な差異はない、と言うべきであろう」(高瀬)。1615年ごろにローマで司祭叙階された最初の日本人、トマス・アラキは後に「パードレの説く法は良いが、彼らの意図は布教を手段に日本を自国の国王に服させるにある」と語ったと言います。

 フランシスコ会士のアセンシオンは1597年長崎で殉教した一人ですが、彼の所論の一部を紹介すると、「教皇は霊的な事柄についてその権力を行使できるが、その目的を遂げることが出来ない時には世俗的な事柄についても権力を行使できる。もし異教徒が布教を妨げたら、教皇は強制的にその妨害を排除できる。日本はデマルカシオンによる分割においてスペイン側に位置する。従ってスペイン国王は日本に対して支配権を有する」。日本は植民地の一歩手前まで行っていた、と言えます。

 キリシタン勢力が政治的な反逆を企てることが実際に明らかになったのが、島原・天草の乱でした。農民一揆の性格が強いが、領民のほとんどはキリシタン。制圧するまでに幕藩側が要した日数や動員数は莫大なものでした。

 全国各地で転びキリシタンたちが蜂起して由々しい事態に陥ることも、幕府は危惧しました。そこに外国勢力が加わるとどうなるでしょうか。その後の徳川幕府による「鎖国」政策もキリシタン禁制が第一の目的だったことは間違いありません。いわゆる鎖国令の最後のものが出されたのは島原の乱終結の翌年、1639年です。

 

*今日まで続いてきた「ヒエラルキーの教会」から脱皮すべきだ

 以上のような次第で、伴天連の伝えたキリスト教が邪宗だとの認識が日本中に定着していきますし、日本という国の法秩序を否定し、国を傾け国を奪おうとする邪法であると断定せざるを得なかったのです。国の主権に対する自覚を持った秀吉や徳川政権が「国家理性」に基づいて自己の存立を主張したところに、キリシタン禁教が成り立っていました。伴天連追放令や禁教令を出し信徒を弾圧迫害したのは自然なことだったのです。

 政権にとって、キリシタン大名等の増加は、全国統一の妨げになるだけでなく全国家分裂を招く恐れがある、という危機感も強かったでしょう。信徒の信仰は本物だったとしても、その背後にある伴天連と彼らが所属するローマ教皇中心の「ヒエラルキーの教会」、それと結びついたポルトガル等の国家権力は、日本の亡国を招く「敵対勢力」だった、と言わざるを得ません。

 

*教皇の歴史的謝罪に学ぶ森一弘司教にならいたい

 2000年の上智大学での夏期神学講習会で、今は亡き森一弘・司教が「新しい時代に向けての日本の教会―教皇の歴史的謝罪に学ぶ」という題で講演をなさいました。教皇ヨハネ・パウロ二世が2000年3
月に、中世の十字軍や異端審問、そして現地の文化や宗教を根こそぎに破壊した16世紀の中南米の宣教活動など、過去の教会の過ちを公けに謝罪されたことに、日本の教会も学ぶ必要がある、とし、「そのように遠い昔の時代の過ちに対して、教皇は頭をお下げになったのです」と言っておられました(佐久間勤編『想起そして連帯―終末と歴史の神学』=サンパウロ=)。

 ザビエルの時代の教会は、16世紀のトリエント公会議後の教会です。それが第二バチカン公会議まで続いてきました。教皇フランシスコは昨年10月2日、「シノダリティ(共働性)」をテーマにした世界代表司教会議第16回通常総会の第2会期を前にして、悔い改めと許しを願う「祈りの集い」を主宰され、その中で権力の乱用、植民地主義についても神に赦しを願われました。「権力」の教会から「仕える」「共に歩む」シノダル(共働的)な教会に変わらなければ、カトリック教会に未来はありません。

 長崎の26人がピオ9世教皇によって聖なる殉教者とされたのも、第2千年期の教会を正しいものとしたい、という願いからです。当時の日本人に与えた苦しみや損害を考えれば、高山右近の列聖についての運動も、26聖人を殉教者と全面的に讃えることも控えめにすべきと考えますが、読者の皆様はどう思われるでしょうか。

(参考文献等は「その1」の最後をご覧ください)    

(西方の一司祭)

2025年2月28日

共に歩む信仰に向けて③ キリシタン史と現代・その1ー宣教師は「素晴らしい教え」を説いただけだったのか?

 日本のキリシタン史がどのように語られたかを振り返ってみると、私が大学生の頃の語り手は、片岡弥吉、結城了吾、高木一雄、H・チースリク、海老沢有道といった人たちでした。どちらかというと、教会の立場から、宣教師は素晴らしい教えを説き、信徒はそれを理解して受容し、立派な信仰を持ち、迫害を受け、殉教していったと、そんな感じだったと思います。

 ところがその後、80年代になって潮目が変わりました。高瀬弘一郎、佐藤彰一の論文が出てきました。研究の方法がもっと客観的、かつ実証主義的になったのです。宣教師の属した西欧世界とカトリック教会の構造といった背景を理解したうえで、宣教師(伴天連)の具体的な行動(経済的、宣教的、政治的な行動)と、それに対して日本人(大名や領主,その元にある武士や庶民)がどう応じたか、が叙述されるようになり、キリスト信者でなくても「読める」ものに変わったのです。

 

*キリシタンは何も悪いことをしてないのに迫害されて殉教したのか?

 「キリシタンの時代」は短期間でした。戦国時代末期の1549年ザビエルら鹿児島に到着してから、江戸時代の1639年にポルトガル船の長崎来航が禁止され、鎖国が完成するまでの間ですから、わずか百年にも満たない期間です。なぜこんなに短かったのか。秀吉による伴天連追放と江戸幕府による禁教令により徹底的に迫害されたからです。では、なぜそれほどまでに迫害されたのでしょうか。伴天連やキリシタンがそれなりに悪いことをしたから、ではないのでしょうか。

 日本という国のあり方に政治的に力で介入しようとしたので、自国を守るために日本の為政者はキリシタンを迫害したのです。キリスト教の発生後、ローマ帝国でキリスト者は何も悪いことはしていないのに迫害されて殉教しました。しかし日本のキリシタンや伴天連が迫害されたのは、迫害されるだけの悪いことをし、また伴天連や信徒を自由にしておくことは一国にとって危険だ、と判断したので徹底的に迫害したのではないか。そして、それは正しかったのではないか、というのが私の結論です。以下にその理由を述べていきましょう。

 

*宣教師が来日する西洋側の背景は・・

  西欧から伴天連がやってきたのは大航海時代です。高校生の参考書『詳説日本史研究」(山川出版社)の一節「ヨーロッパ人の東アジア進出」に、西欧は近代社会に移行しつつあったが、ヨーロッパに隣接する地域ではオスマン帝国などのイスラム勢力が存在し、経済的にも宗教的にも西欧キリスト教世界を圧迫していたので、ヨーロッパ諸国は香料を入手し、「アジアにキリスト教世界を拡大してイスラーム世界を挟撃する」ために、海路アジアを目指した、とあります。

 西洋中世史が専門の佐藤彰一氏も、13世紀にすでに教皇庁にはモンゴル帝国と連携してオスマン帝国を挟撃する構想があったこと、その後イスラーム教徒の世界であったインド洋にバスコ・ダ・ガマ(主キリスト騎士修道会の一員)が参入したこと、コロンブスが十字軍思想の持ち主であり、大西洋を西進しアジアの側からイスラームの背面を衝くという戦略的構想に取りつかれていた、と述べています。イベリア半島のポルトガルとスペインは常時イスラーム勢力と対峙していたからこそ、大航海時代となり、その精神で宣教師も来日することにもなったのでした。

*世界に進出する西欧の思惑は…

 「大航海時代、ローマ教皇はイベリア諸侯(ポルトガルとスペインの王たち)に布教保護権を与えたが、同時に彼らに対し、未知の世界に航海し、武力で切り拓いてそこを奪い取り、植民地として支配し、そこで貿易等を行なう独占的権限を授けた」(高瀬)。ローマ教皇は教権と俗権両方の頂点に立つ、と自認しており、王たちもそれを認めていました。当時の教皇たちによって世界(地球)はポルトガルとスペインによって二分されて―デマルカシオンという―支配されるようになります(1494年のトルデシリャス条約)。

 「異教徒を奴隷にすることも教皇は容認した」。イベリア両国は教俗一体化して国家的進出をしたのであり、その中に宣教師も組み込まれており、彼らの宣教の経費も貿易の収益や仲介料などから充てられたのであり、この点、ザビエルも後続のキリシタン宣教師も同じでした。ザビエルも、ポルトガル国王の保護とポルトガル商人の援助なくしては日本での布教は遂行できないこと、すなわち「貿易と布教の一体化」を痛感していた、と五野井氏は指摘しています。

*騎士修道会と世界征服

 ここで、騎士修道会について触れておきます。佐藤彰一『剣と清貧のヨーロッパ』の第1章の冒頭は「騎士修道会の起源は異教徒に対する征服戦争に求められる」で始まっています。この言葉は重要です。時は大航海時代です。エンリケ航海王子は騎士修道会の総長になり、教皇からアフリカのイスラム教徒と戦い、アフリカにキリスト教を布教するようにとの、きわめて十字軍的な使命を与えられました。

 エンリケはマデーラ諸島、アゾレス諸島を征服します。アフリカ南端の喜望峰を回ったヴァスコ・ダ・ガマも騎士修道会の所属です。インドへの航路を発見しますが、すぐその後、ポルトガルの艦隊(13隻、1000人の兵士)がインド西海岸(ゴア、カリカット、コーチンなど)に派遣され、武力制圧し、インド副王(インド総督)を置きます。歴代のほとんどすべての副王が、騎士修道会に所属し、土地の占領、駐留軍、要塞の建設などを行って、植民地化していきます。

 それから30年後、植民地にし、多くのポルトガル兵士が駐留しているゴアに、ザビエルは到着したのです(1542年)。ですからザビエルは、自分の目でインドその他のアジアの国や地域が植民地化されるのを見ているのです。

*イエズス会の精神は騎士修道会と同じもの

 
 イエズス会を作ったイグナチオ・ロヨラは『霊操』という本を書いています。そして彼の同志であるフランシスコ・ザビエルもこれに基づいて生きました。『霊操』の中で、この世の王と永遠の王キリストが並行して書かれています。

 「この世の王」は部下に向かって、私は「異教徒の地をことごとく従わせ」ようと思う。だから… あなたたちは卑怯な騎士にならないように」と。同様に「永遠の王」キリストも、「私は全世界とすべての敵を征服し」父の栄光に入ろうと決めた。だから私と一緒に来たい人は、私と共に働きなさい… 神は人間で満ちた地球の全面を眺め、人々が皆地獄に落ちるのをご覧になり、人類を救うために人となって地上に来て、働き、死に、そして位階制度に基づく教会を建てた。人は神と教会に従わなければならない」と。さらに、「世界の人々は地獄に落ちる」と考えていましたが、それは「異教徒は洗礼を受けていないから」と教えられていたからです。だから「世界中に宣教に行かねばならない」と。

 また教会は「位階制の教会」であるとロヨラは書いています。また告解に関する箇所では、上長の勧めとは、例えば、十字軍勅書、免償状のことであると。イエズス会がきわめて騎士修道会的で十字軍的な精神を持っていることがわかります。

 ついでに申し上げると、ザビエルは、ポルトガル王ジョアン3世に宛てた報告書の中で、「インドのゴアにも異端審問所を開設すべきだ」と進言します。ポルトガルはザビエルの提案を受け、ザビエルの死から数年後、ゴアに異端審問所を開設。「異端」とされた多数の旧ユダヤ教徒を火刑に処しています。

 以上、ザビエルらが、どのような背景をもって、来日したかを見てきました。次回は彼ら宣教師が何をしたか、それに対して日本側は、どのように反応したかを見ていきます。

【引用と参照】(拙稿「その2」の分もここに掲載します)

 高瀬弘一郎『キリシタンの世紀』(岩波書店)、五野井隆史『日本キリスト教史』(吉川弘文館)、浅見雅一『概説キリシタン史』(慶応義塾大学出版局)、高橋裕史『イエズス会の世界戦略』(講談社選書)、佐藤彰一『宣教のヨーロッパ』『剣と清貧のヨーロッパ』(中公新書)、三浦小太郎『なぜ秀吉はバテレンを追放したか』(ハート出版)、徳永恂『インド・ユダヤ人の光と闇』(新曜社、関根謙司「異端審問についての一考察」(文京学院大学)

(西方のある司祭)

2025年2月28日

・神様からの贈り物 ⑲街のどこかにいるクリスチャンを思うと、心強くなれる

 十字架のネックレスを首からかけている人を見ると、思わず声をかけたくなってしまう。「あの人も、クリスチャンかもしれない」と想像すると、胸が暖まり、自然と頬が緩んでしまう。しかし、最近はファッションとして十字架をつけている人もいるので、そっと見送ってしまうことが多い。

***

 私はリハビリのために、障害者施設に通っている。その施設とつながりのある福祉施設の『感謝会』というイベントに招待された。キリスト教系の団体が立ち上げた地域活動支援センターで、精神障害を持つ方々の居場所として運営されている。

 私は、神様の話はできなくても、「ここにも信者がいる」と気づいてほしかった。その目印として、こげ茶色の紐で編んだ手作りの十字架のネックレスをつけていくことにした。私の作戦はうまくいき、『感謝会』では何人かから話しかけてもらえた。その施設の英語の先生から「素敵な十字架ですね。手作りですか?」と質問された。「私の姉が作ってくれました」と答えると「beautiful!!」と、弾けるような笑顔で返事をしてくれた。

 その様子を見ていた女性の職員も、話の輪に入った。私たちはしばし談笑し、彼女は去り際に小さな声で「クリスチャン?」と聞いた。私が「はい」と、目を見て答えると、職員は「私も」と、優しく微笑んだ。たった数秒のやり取りだったのに、ずっしりと重みのある特別なプレゼントを受け取った気持ちになった。

 ふと私は、「遥か昔の隠れキリシタンたちが、同じ神を信じる人を思いがけず発見したとき、こんな気持ちになったのかも知れない」と想像した。

 今の日本では、宗教の自由が保証されているので、迫害されることはない。けれども、クリスチャンの数は少なく、信じる神が違う人たちに囲まれていると、ちょっぴり心細くなることもある。そんな時、この街のどこかに、同じように祈る人がいることを思い出すと、「よし、今日も頑張ろう!」という気持ちになれる。

 そしてまた、十字架のネックレスと共に、出かけたいと思った。街の中でも、同じ神様を信じる人を見つけたいし、私のことも見つけてほしい。

(東京教区信徒・三品麻衣)

2025年2月28日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑨人生は「出る」「出会う」の連続!そして「出向いて行く」こと

  思えば人生、生まれた時から「出る」「出会う」の連続であることに驚き、感慨深く、日々の出来事を観察するこの頃です。

 先日は天候が雨雪の予報で下井草カトリック教会での新刊紹介販売を延期。それで冷たい雨の中、思いがけない出会いで親しくなった友人と小岩教会のミサに与りました。地図を見て尋ねながら… 教会とレジナ幼稚園、看板を見つけた喜び、聖堂いっぱいの信徒、生き生きした信仰の交わりを感じるミサに与り、共に祈り歌いました。出て来てよかった!

 産道を通って必死で生まれてくる赤ちゃんと心ひとつに、妹と弟達のお産に臨んだ母の話を思い出すと勇気が湧いて、困難を乗り切ることができました。お母さん、人生の先生、ありがとう!

 これまで聖霊のWiFiナビに誘導されながら辿った道、今日は東京の空の下で『自分から出て-差し出す』人生を歩いています、感謝!

 出して空っぽになった、と思いきや、また、いっぱいに溢れている。不思議な現象、創造主が人間をこのようにお造りになったのですね。時に、これでもかと打ちのめされ、全て断念する誘惑にも遭いますが… 心底から突き動かされて、いつも脱出-Exsodusに成功、なすべき事に面と向かわさてくれる霊の力。

 『空の手で 裸足のままで ついて行きたいキリストに』の歌を口ずさみながら、出会い、差し出す歩みを続けて行きたいです。

 フランシスコ教皇は使徒的勧告『福音の喜び』で強調されました。『出向いて行く』ことこそ、教会共同体の使命(第1章・Ⅰ 出向いて行く教会20₋24項参照)だと。

 「カトリック・あい」の愛読者の皆さん、「出向いて行く」工夫をして、地道に前進しましょう。そして福音の喜びに満たされますように、アーメン。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2025年2月6日

・神様からの贈り物 ⑱相手を信じて見守ること〜中学生の職場体験を見て思い出したこと

 「困っている人を見守る」というのは、とても難しいです。どうしても、手を出したくなってしまいます。そこを、ぐっと我慢して、その人が自分自身で物事を解決できるよう、じっと見守る胆力をつけようと、日々挑戦中の私です。

***

 先日、昼食をとるために入った店に、明らかに幼い顔の女の子が二人いました。ネームプレートに『職場体験生』の文字があり、彼女たちが中学生だと分かりました。その女の子たちが、店のスタッフと一緒に、私の食事をテーブルに運んできました。

 服薬のためのお水を頼み忘れてたのに気が付き、「この子に頼んで大丈夫かしら?」と不安を覚えつつ、「お薬が飲みたいので、お水を一杯もらえますか?」と彼女の目を見て伝えました。一瞬、目がゆらりと細かく揺れたのが分かりました。後ろについていたスタッフが「氷をお入れしてもよろしいですか?」とフォローしました。「はい、お願いします」と、スタッフと職場体験生の両方の顔を見てから、伝えました。

 そんな出来事があって、中学3年の時の私自身の職場体験を思い出しました。職場体験をする場所について、先生が、生徒たちの挙手で希望をとり、希望者の名前を白いチョークで黒板に書きました。私は、保育園での体験を希望していましたが、希望者が多く、じゃんけんで決めることになり、それに参加したくなかったので、希望者のいない花屋さんを選びました。

 「 第一希望ではなかったけれどせっかくだから、頑張りたい」と思い、たくさん質問を準備して、花屋さんでの体験に挑みました。花屋のおじさんが丁寧に指導してくださり、メモを取る紙が足りなくなったほどでしたが、「熱心に聞いてくれて、うれしかったよ」とほめてくれ、水がいっぱい入ったバケツを運ぶ仕事を、私たち中学生に任せてくれました。

 その時は、おじさんの意図が分からず、重たくて大変だった記憶しかなかったのですが、振り返ってみると、私たち中学生が転ぶかもしれないし、バケツをひっくり返して水浸しにしてしまうかも知れないのに、それでも、仕事を任せてくれたことを、今になって、ありがたく感じます。

***

 神様は、私たち人間に自由を与えてくださいました。間違えるかもしれないし、失敗する可能性もあります。そんな人間を見て、危険から守るために、手を出したくなることもあるでしょう。それでも、私たちを信頼して見守り、成長を促してくださいます。また、何度失敗しても、決して見離さずに、私たちを見守ってくださいます。

 だからこそ、私は今日も明日も、新しいことにチャレンジする勇気を持てます。いつも、私の可能性を信じて、見守ってくださる神様に、心から感謝!!

(東京教区信徒・三品麻衣)

2025年1月31日

・共に歩む信仰に向けて ② 「召命」のために祈る前になすべきことは…

 

*なぜ召命が減っているのか?

 教皇の2月の祈りの意向は、「司祭職や修道生活の召命のために」だそうです。

 日本も韓国も召命が減少する一方、ベトナムなど新興国では召命が続いています。先進諸国での召命の減少は、「経済格差の拡大、政治の不寛容、個人主義の増大、少子高齢化」が影響している、と言われていますが、もっと重要なことは、日本や欧米諸国のような民主制の国家が与える「人間の尊厳」や「基本的人権」を、カトリック教会が軽視していることではないかと思います。

 「『民主主義を叫ぶ前に、神の意思を求めるべきだ』とか『シノダリティ(共働性)とは、議会制民主主義を教会に持ち込むことではありません』などと言う司教さんたちがおられますが、『民主主義の価値とカトリックの教えは両立しない』と刷り込まれているからではありませんか」と嘆く信者の方もおられます。私も同意見で、両立させない限り、召命はおろかカトリック教会は存続できないでしょう。

*現代民主主義国家と身分制的な教会の乖離

 召命が減少しているのは、民主制国家のカトリック教会です。専制国家や独裁政権の国家では、個人の人権がカトリック教会以上に制限されているため、精神的な自由を求めてカトリック教会に加入したり召命の道を選ぶこともあるでしょう。

 日本は戦後は民主主義国家に変わってきました。現在、教会に来ている人は70代、80代(1955年以前に生まれた人たち)が大部分ですが、彼らは古い価値観や身分制的な感覚が残っていた時代を生きてきて、カトリック教会のヒエラルキーや司祭と信徒の身分な区別を違和感なく受け入れる方も少なくありません。「神父様」という呼び方も不自然ではないようです。

 しかし、徐々に民主主義が定着し、学校でも教師と生徒の区別や上下感がないほどになっている今、良くも悪くも民主的にならなければ、カトリック教会の教えも教会観も受け入れられる可能性は乏しいと思います。

*民主化されない教会は、人類の歴史の進歩から取り残される

 吉田徹・同志社大教授(比較政治学)によると、世界で「民主国家」と「専制国家」のどちらが多いかというと、民主国家・地域は世界の半数しかない。欧米を見ても民主主義が危機にあることは、事実です。民主国家でも極右政党が躍進したり、独裁的、権威主義的になったりする現象が起きています。しかし吉田教授は「人類の歴史は、民主化の歴史です。それが他の動物と違う最たるものではないでしょうか。自分の運命は自分で決めたい、コントロールしたいという根本的な欲求です。人が人であることを突き詰めると、民主主義という政治体制が望ましいと思うのですが」とも言っておられます。

 「人類の歴史は民主化の歴史です」という言葉は重要だと思います。民主主義は個人の尊厳、個人の自主性を主張するものと言えます。国民一人一人が「自由、平等、相互愛」を生きれるようにすること、そのことに寄与しないどころかヒエラルキーを当然とする教会に、誰が喜んで来るでしょうか。このままでは、日本や欧米など民主国家にあるカトリック教会は信徒も司祭の減少は加速するかもしれません。

*インカルチュレーションの必要

 ドイツのシノドスの道が示したように、カトリック教会は民主主義社会にインカルチュレーション(文化内在化。文化の中に入っていくこと、歩調を合わせること)していかなければなりません。前にも紹介したドイツの「シノドスの道」、2022年の春と秋2回のシノドス集会で現行の教会法典とは別に、全信者の基本的権利を明記した「教会基本法 a Lex Ecclesiae Fundamentalis」を作るべきだ、ということが議決されました。

 聖職者だけでなく、信徒も等しく自由で平等な権利を持っていることをまず第一に明記し、すべての人がそれぞれのカリスマをもって宣教の使命を果たせるようになるために自由な発言権を持ち、キリスト教のメッセージについての共通理解を持ち、教会の奉仕職(役務)にジェンダーの違いや既婚・独身の違いを超えて参加できるように規定すること。

 このような基本法が地方教会レベルでも普遍教会レベルでも必要だと思います。その下に現行の教会法典を位置づけるくらいのことをしないと、民主主義社会に生きる人間にはカトリック教会は受け入れられないだろうと思います。

*民主主義と共存してシノダルな実践を

 ドイツのシノドスの道が構想する「教会基本法」と教会法典の関係は、例えて言えば日本の憲法と諸法律の関係に近いと言えます。近代の憲法は国民の権利や自由を守り、為政者を縛るものです。その下で国民は刑法や民法などの諸法律に従って生きています。同様に、教会基本法によって教会内の個人の権利と自由を守った上で、教会法典で全信者のあり方をシノダルに規定し直すのです。何が神の意思なのかをお互いに問いながら教会のあり方を決めていく。司教や司祭が特別神に近いわけではありません。そうすれば民主主義とカトリック教会は両立・共存できるはずです。

*教会は消滅の危機に

 最近は「聖年」ということばかりが多くの司教サイドから発信され、2023年、2024年と開かれた「シノダリティ(共働性」のあり方をテーマにした世界代表司教会議(シノドス)通常総会の最終文書は、「カトリック・あい」が全文試訳を出して2か月たった今も、司教団から翻訳は出されず、そればかりかこのシノドスそのものが、早くも忘れ去られようとしている感があります。

 シノダルな実践を伴わない「召命のため祈り」は空しく響きます。そうした中で、最近、ある女子修道院は一年かけて閉鎖することが決まったと聞きます。閉鎖予定の修道院は、あちこちにあるのではないでしょうか。

 私は最近、一人の女性信徒(80代半ば)の葬儀をしました。その方には娘がいて幼児洗礼は受けているが教会からは離れていた。葬儀担当のある信徒が、その娘さんに「告解をして、ご聖体をいただけますよ」と誘ったのですが、娘さんは丁重に断っておられました。お孫さんたちも洗礼は受けていませんから、親族は誰も聖体拝領をしません。母親の信仰を尊重して、葬儀ミサを教会に頼んだ、ということでしょう。このようにカトリック信仰は広がっていかないのです。福音中心に、シノダルに改革されることを望みます。

*引用:毎日新聞連載 デモクラシーズ 世界の人類では少数派「それでも民主主義がいい」のはなぜか

*ドイツの「教会基本法」については 、www.synodalerweg.de

                      (西方の一司祭)

2025年1月30日

・「愛ある船旅への幻想曲」(48) カトリックの信仰と教会が別個にならないように

 「カトリックあい」の新年1月の巻頭言を読ませていただいた。執筆、編集者の方々の働きには敬服しかない。「カトリックあい」は、社会に適合したカトリック系独立インターネット新聞であると私は思っている。

 私が所属していた小教区は、某宣教会の司祭たちが司牧していた。それが、ある日突然、教区管理となった。信徒たちが知らないだけで、水面下では何かが動いていたのだろう。教区の方針が次々に伝達されて、あまりの変わりように、私たち信徒は面食らった。ましてや、他教区司祭が転任して来られての”教区の教会”のスタートだった。

 長く小教区に属していた信徒たちの戸惑いは、怒りとなり、「教会に文句は言わないけど、献金も金輪際、しない!」と訴えた。教区会議に出席した私は、「宣教会から教区になったら何がどう変わるのですか?」と質問したが、「何も変わらないし、いつでも、宣教会に戻れます」と笑いながらの答えが返って来ただけ。だが、実態は、決してそうではなかった。今は亡き信徒の方々の無念さが、よく分かる。

 他の信徒たちにとっても「教区って何?」という状態であった。教区司祭と宣教会司祭の役割や立場が違うことなど、知るすべもなかった。

 そして、教区の会議報告・議事録が小教区には発表されず、会議に参加していない宣教会司祭にも伝えられない状態が続いていた。その後、いくらか改善されたものの、教区が作成、発表した議事録に書かれたやり取りが、信徒が報告した内容と違ったことがあった。この時は、教区の議事録の方が正しいとされたが、このような食い違いがあってはならない。教区会議に出る信徒代表は信徒たちの意見を把握し、結果も正確に報告することが重要だろう。

 後に、自分自身が教区の会議に出席するようになったが、回を重ねるたびに「おかしい!」と思うことが増えた。だが、質問しても納得できる答えはなく、カトリック組織の在り方に幼稚さを感じ続けた。会議の大半の時間は会計報告にあてられ、討議すべき議題は後回しだ。他の出席者たちも、「教区の会議はお金しか興味がないのか」と疑問を呈していた。

 私たちは「小教区あっての教区でしょう」と小教区が財政的にも自立を保てるようにするよう主張し続けた。だが、”トップ集団”から、「そうじゃない。教区あっての小教区だ」と一蹴され、「そんな信徒はいらん」とまで言われた。全ての小教区の運営が困難になったら、教区はどうなるのか、私たち信徒は百も承知だった。

 そして、「教会とは何?」と考えるようになった。森司教様の著書を読んでいた私は、ある日,『カトリックあい』に出会った。その後、当時の担当司祭が「森司教を黙想会指導にお呼びしましょうか」と言われた時には、私は飛び上がって喜んだ。そして、私は森司教様本人と出会ったわけである。1対1で話をする機会があり、初対面の私に「あなたも書きなさい」と言われたことが頭から離れず、、今やこのように辛口コラムを書かせていただいている訳である。

 私とて、カトリック信徒として”ほんわかしたこと”を書こうとは思うのだが、「地方信徒の教会離れにはそれなりの原因がある、このままの教会でいいのか」と、捨て身覚悟の投稿を続けている。

 カトリックの信仰と教会が別個の状態にならないように、と願い、今日も「人間らしく自然体で生きていければ幸い」と思っている私である。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2025年1月30日

・カトリック精神を広める ⑮ミレニアル世代で初めての聖人に注目

 今年、ミレニアル世代(誕生年が1981年以降で2000年代で成人または、社会人となる世代)の最も若い「スニーカーの聖人」が誕生する。

 カトリックで言う聖人は、亡くなった後に与えられる最大の名誉で、賞の性格が異なるものの、生前に与えられるノーベル賞よりもはるかに格が高い。今年2025年、1991年生まれで、2006年15歳の時に、白血病で亡くなった福者カルロ・アクティス氏が聖人の位に列せられる予定になっており、ミレニアル世代生まれが聖人になるのは今回が初めてという。

 以下は、ウィキペディアやCNN等より引用。

 福者カルロ・アクティス氏は、1991年に英ロンドンで生まれ、幼少期にイタリア人の両親、アンドレア・アクティスとアントニア・サルツァーノとともにミラノに移住。彼は、どこにでもいる若者で、スニーカーをはき、ジーンズやスウェットシャツを着用し、「スーパーマリオ」や「ポケモン」を楽しむゲーマーであった。「歴史上初めて、ジーンズやスウェットシャツを着た聖人」、「スニーカーの聖人」となる予定である。

 彼は、独学でプログラミングを学び、『現代社会において教会に来る人が少ないのはご聖体のうちにイエズス・キリストが現存することを信じない人が多いからだ』と考え、9歳の時にご聖体の奇跡の研究に着手し、世界各地で発生した「ご聖体の奇跡」を収集したウェブサイトを誰の力も借りずに自力で立ち上げ」(カトリック・アクション同志会公式ホームページより引用)、コンピューターの技術を使ってカトリックの信仰を広めたことで「神のインフルエンサー」の異名を取った。

 また、両親が離婚したクラスメートを支えたり、いじめられている障害のある仲間を擁護したり、ミラノの路上生活者に食事や寝袋を提供する活動も行っていた。聖体の秘跡への賛美と聖母への崇敬が深く、毎日ミサに参加し、ロザリオを唱えていた、という。

 福者カルロ・アクティスが作成したウェブサイト<http://www.miracolieucaristici.org/en/Liste/list.html>より。

 2006年10月に白血病を発症。病気の苦しみを教皇と教会のために捧げ、同月モンツァのサン・ジェラルド病院で死去。ミラノのサンタ・マリア・セグレタ教会で葬儀が行われ、遺体は埋葬された。12年後、聖人の位に上げるのにふさわしい人かどうかを調べるために、2019年1月に遺体が発掘された。この時、聖人と認定される人がそうであるように、防腐剤等の死後の処置を施していないのに、遺体が腐敗せず、現在は、アッシジのサンタ・マリア・マッジョーレ教会で、そのご遺体を見ることができる。

 ところで、聖人の位に上げてもらうためには、死後2つの奇跡が必要で、アクティス氏の最初の奇跡は、ブラジルの7歳の少年が亡きアクティス氏のTシャツに触れた後、難病の膵臓疾患から回復したことである。これが奇跡であると教会に認められ、アクティス氏は2020年に列福され福者となった。もう一つの奇跡は、頭部の外傷から脳出血を起こしていたイタリア・フィレンツェの大学生を癒したことが、教会により第二の「奇跡」と認定された。
[cid:image001.png@01DB720C.CDCC64A0](「Holyロザリ屋」HPよりスクリーンショットでコピー)

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森川海守(舟木賢徳)〒247-0051 神奈川県鎌倉市岩瀬925番地 レーベンハイム鎌倉マナーハウス402号 TEL:0467-67-3419  携帯:080-5378-2327
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2025年1月30日

・Sr.阿部の「乃木坂の修道院から」⑧新年も、燃えて、輝いて、命いっぱいの人生を生きたい!

 謹賀新年-久しぶりにこの言葉を心底味わいながら、清々しい気持ちで、日本での正月を迎えました。乃木坂の修道院で、姉妹たちとすき焼を囲んで語らいながら… なんとも嬉しいですね。

 八十路の祖国での宣教再出発、燃えています。イエス様の喜びと平和の福音を胸とカバンに詰めて、今年の聖年、「希望の巡礼」の年を歩み始めました。初日曜、市川カトリック教会に出かけミサに与り、新刊『声に出して読む7歳からの聖書』と『愛と平和の使者マザーテレサの日めくり』(私の書)の2冊の本の紹介展示即売。教会の皆さんとの新年の出会いと初売り、晴佐久神父様の説教と『行きましょう…』に激励された嬉しい出初式でした。

 年末年始、改めて亜熱帯気候での来し方を、ぶるっと身震いしながら思い出しています。タイ国での宣教の日々、出会った人々が走馬灯のように浮かんできます。全てが神様の深い摂理のご配慮の裡(うち)にあり、今日に至った事、感謝と賛美のひと言です。

 過日、国際NGOのWorld Vision のスタッフ養成のため、宣教体験から私が生きた『塩と光』について話す機会がありました。このNGOは、キリスト教精神に基づいて、緊急人道支援や途上国援助をしたり、市民社会や関係国政府へ支援を働きかけたりしている機関で、対象国は100カ国に上ります。

 このNGOの職員としてカンボジアで働いていた方が、タイに立ち寄られ親しくなり、私が日本に帰ったのを知り、話を頼まれることになったわけです。出会いの不思議!

 『塩』は、ほんの少し、人生をおいしく味付けし、役割を果たしたら見えなくなる…。『光』は出会う人々の道を照らすために、蝋燭のように『私』を灯しながら生きる—確かに、私の全てを精一杯、灯して、溶けて、生きて、消えていく人生でした。神様ありがとう、出会ったすべての人にありがとう。

 新しい年も、燃えて、輝いて、命いっぱいの人生を生きたいと思います。コラムを愛読してくださる皆さん、心よりの祝賀とお祈りを捧げています。

 『汝らは地の塩なり、世の光なり』(マタイ福音書5章13-14節)。

(阿部羊子=あべ・ようこ=聖パウロ女子修道会会員)

2025年1月11日

・ガブリエルの信仰見聞思 ㊳新年の抱負を立てる意味は

*一年の計は元旦にあり

 新しい年の始まりに、仕事や勉強、ダイエットなど、様々な新たな目標や挑戦のために計画を立てる方が多いのではないでしょうか。一方「「新年の抱負なんて馬鹿げている」とお思いになる方も少なくないでしょう。

 そもそも、新しい年が始まる日付は、様々な背景や理由により実は恣意的なものなのだ、といわれています。例えば、バビロニアや古代ローマでは3月(マルティウス=Martius)、ドイツやイギリスは13世紀まで12月25日のクリスマス、中国では太陰暦の月の満ち欠けの周期をもとに、設定されています。そして、我らカトリック教会の典礼暦では、待降節初日が一年の始まりとされています。従って、新しい目標や抱負を立てるのに、わざわざ1月まで待つ理由はない、というわけです。

 また、世の中で行われてきた多種多様な調査をみると、「私たちが立てた新年の抱負の概ね90%以上は、その1年を通して持続しない」ともいわれています。とりわけ1年の変化が急激で、自分の身の回りも社会全体もあっという間に変わってしまう今日の時代において、はたして「一年の計は元旦にあり」に意味があるのでしょうか。それでも、1月1日に自分の人生や生活に変化をもたらすような目標や抱負を立て続けおられる方が、少なくない。いろいろ言われているにもかかわらず、「それが素晴らしいことだ」と私も思っています。

*希望を持って、新たな出発

 新年の真の目的は、単に暦の変り目を告げることではなく、私たちの心と視界の再生に火を付けることだ、と思います。新年は、私たちに「新しい視点を受け入れ、新たな決意で前進し、勇気ある気概を強めるよう」と呼びかけています。新たな耳で聞き、明るい目で見、生きることの素晴らしさを再発見することを促しています。

 なぜなら、果敢な抱負がなければ、私たちは立ち止まってしまう危険があるからです。人生そのものが真新しいかのように、あえてもう一度始める勇気がなければ、変革の深遠な力を逃してしまいます。真に生きるとは、新たに出発することであり、神聖な刷新の可能性を受け入れることであり、天国の約束に一歩でも近づくために、希望を持って、新たに思い描かれた人生へと歩みを進める希望なのだ、と思います。

 主イエスは言われました。「よくよく言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない」(ヨハネ福音書3章3節)。希望は、私たちを新しい人間にしてくれます。「明日も昨日と同じに違いない」、「人生は決して変わらない」と考えるのは、「心の中で死ぬこと」と同じではないか、と思います。新年の抱負のような単純なものでさえ、神が私たちを希望の被造物として造られたことを認めることではないでしょうか。

(ガブリエル・ギデオン=シンガポールで生まれ育ち、日本に住むカトリック信徒)

2025年1月3日

・竹内神父の午後の散歩道 ㉙年頭に…平和を願い求めて

 年の初めにあたって、改めて思いを馳せること—それは、平和です。いったいどうなってるんだろうか、と思うほど、世の中は、争い、不和、そして戦争に満ちています。それらが本来は良くないことだと分かっている(だろう)にもかかわらず、なぜ人間は、これほどまでに愚かなんだろうか、と思います。

 平和はしかし、何も国や民族のレベルだけのことではありません。一人ひとりの人間関係においても、さらには一人ひとりの人間においても求められます。つまり、今自分の心は穏やかであるかどうか、ということです。もしそうでなければ、人との平和な関係を築くことはできないでしょう。この不確かな自分を、いい点も悪い点も含めて、とりあえず受け容れられるかどうか、ということです。自分が自分と対立し合っているかぎり、私たちは、決して平和を享受することはできません。

 もし自分の中に平和を見出すことができたら、次は家族、学校や職場と少しずつ半径を大きくしていき、やがてそれは世界レベルにまで広がります。すべての人が、一つの中心を見定め、それを大切にしようとするなら、たとえ時間や労力がかかっても、平和の実現は不可能ではないでしょう。そのために、自分は、何を考え何を思い、そして何を行うかが、問われます。

 「一人のみどりごが私たちのために生まれ」(イザヤ書9章5節)ました。その子の名は、「平和の君」。これが、イエスのもう一つの名前です。彼は、「私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点で同じように試練に遭われた」(ヘブライ人への手紙4章15節)と語られます。その彼が、復活の後、恐怖の中にある弟子たちに現われて、こう語ります—「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ福音書20章19、21、26節)。

 かつて、マザー・テレサは、こう語りました—「沈黙の実りは祈り、祈りの実りは信仰、信仰の実りは愛、愛の実りは奉仕、奉仕の実りは平和」。真の平和は、一人ひとりが、自らに囁きかける神の言葉に耳を傾け、心を開き、静かにそれを聴くことから始まるのでしょう。

(竹内 修一=上智大学神学部教授、イエズス会司祭)

2025年1月2日

・共に歩む信仰に向けて ①一陽来復-聖家族と、その真逆の家族を考える

 昨年は12月21日が冬至で、その後太陽神とも言えるイエスキリストの誕生を祝いました。古代の不敗太陽神の祝日をキリスト教が受け継いでイエスの誕生日として祝うようになったことは、よく知られていると思います。闇から光、日照時間が長くなっていく起点となる日です。陰から陽へ。一陽来復。

*聖家族の祝日

 その後、12月29日は「聖家族」の祝日でした。ミサの聖書個所はサムエル記上1章20∼28節、ルカ福音書2章41∼52節。イエス、マリア、ヨセフ。これを「聖家族」と呼び、模範とするようにと言われています。理想化されてきた面もあります。

 イエスは、肉の欲や人の欲によってではなく、「神によって生まれた」人です。第1朗読で出てきた預言者サムエルは、洗礼者ヨハネと同じように、長い間不妊の女であるにもかかわらず、ハンナの祈りによって神から恵まれて生まれた存在であり、それゆえ神との特別の結びつきがあり、神に捧げられる存在となったのでしょう。同様に、と言うか、それ以上にイエスもマリアという乙女から聖霊によって生まれたといわれ、特別な存在と見なされます。

 マリアとヨセフは、このイエス・キリストの成長のために尽くすという献身的生き方をしたのだ、とされています。これが実際にそうだったのかは、問わないでおきましょう。

*神殿に残るイエス・・

 さて、ルカの福音。イエスたち一行は過越祭の頃エルサレムに行きますが、その帰り、両親と一緒には帰らず、神殿にとどまって学者たちと話をしていた。どのような話をしていたのでしょうか。イエスには何か気懸りなことがあり、そのため両親には断りもしないまま、学者たちのところへ行ってしまったのではないか、と思います。何が気懸りで、どのような質問をしたのでしょうか。

 イエス当時のユダヤ教がどのようなものだったか考えますと、律法学者と大祭司、祭司たちによって形を与えられていました。律法学者は聖書の解釈を独占し、神殿祭司、大祭司は祭儀を取り仕切っていました。人々の宗教的生活の形を作っていた、と言えます。

 宗教かつ政治的にはサンヘドリン(最高法院)の71名が支配層として外国の支配者たちとも妥協しながらやっていた。それらを嫌って、砂漠に入って修道的な生活をしていたのがエッセネ派などでした。イエスの家族ほか一行がエルサレム詣でをしたのは、過越祭の時です。

*イエスが問いかけたのは何だったのだろう

 イエスは昔からずっと行われてきたこと、具体的には律法のたくさんの規定を守ることや動物の犠牲を捧げたりすることを今も神は望んでいるのか、つまりこれらによってユダヤ人は神に良しとされるのかどうかについて、学者たちに尋ねていたのではないでしょうか。

 モーセの時代から自分たちの先祖がどう生きてきたかを振り返ってみても、外国の神々を持ち込んで信仰したり、神の望まない行ないをしたりして、救いがたい状況にあった。それで神は預言者を遣わして、そんなことをしていてはダメだよ、律法を守りなさい、そうでないと、大きな災いに見舞われるだろう、と警告しました。

 さらに、大部分の人々は律法を守っていないし、守れない、だから預言者たちは律法と祭儀はもはや無効であり、そのような礼拝を神は喜んでいない、新しいことが始まらなければ、このままではダメだろう、民の罪や過ちを担うメシアを送ってくださる、と預言されている、と聞いている。

 預言者たちが、これではダメだ、と言ったことを継続している現在のユダヤ教はどうなのでしょうかと、そんなことをイエスは念頭に置いて、学者たちがこの現状をどのように捉えているのかを質問していたのではないでしょうか。要するに、「もう古い時代は去り、新しい時代、預言者エレミヤたちが言った新しい契約の時代が来るはずではないのか」という問いかけです。

 当時イエスがおられて地方では、満13歳が法的な成人だった、といわれます。12歳のイエスはどのような意識を持っていたのでしょうか。現代でも幼少期に大病を患っている子は普通以上にしっかりしていて、大人びた考えをすることがあるようですから、12歳のイエスはわれわれの想像以上にしっかりした考えを持っていただろうと考えていいのかも知れません。

*少年イエスの意識は・・・

 両親がイエスを探して神殿に戻ってきた時、イエスが言った言葉、「私が自分の父の家にいるはずだということを、知らなかったのですか」は、イエスが自分もサムエルのように神に捧げられた人間ではないのだろうか、神との交わりを深めていくことが自分の務めではないのだろうかと、そういった意識というか、自覚が芽生えていたのではないでしょうか。だから「自分の父の家にいる…」のだと。

 それから彼ら一家はナザレに帰ります。「両親に仕えてお暮しになった」とあります。「両親に仕えて」というのが、現代の民主主義の国に住む私たちにとっては違和感がありますが、父子の序、長幼の序を守るような習慣があったのでしょう。イエスの「両親に仕える」が、後に社会や民族を視野において「神に仕える」に移行していくのだろうと思います。

*聖家族は「模範」か?

 聖家族を私たちの模範とすべき、とか言われてきました。私たちとしては、イエス・キリストへの信仰を中心として、家族のみんなを思いやりながら生活すべきだ、ということでしょうか。理想通りには行かないでしょうが、家族の間に相互の思いやりがあって、一人が過ちを犯したり欠点や病気があっても、それをカバーして共に生きる、足りないところを補い、赦し合って生きていければいいのでは、と思います。イエス・キリストを光、太陽としてあおぎながらです。

*真逆な家族もたくさんある…「アジャセの家族」の場合は

聖家族とは真逆な家族も、たくさんあります。例えば父親殺しの家族。古代ギリシャのオイディプスの家族も、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の家族も、そしてこれから紹介するアジャセの家族もそうです。イエス、マリアとヨセフという聖家族はキリスト教を開いたと言えますが、同様に、父親殺しの家族も新しい宗教を開いたのです。観無量寿経に記されている「王舎城の悲劇」がそのことを伝えています。

 紀元前600年頃のインドのマガダ国の王ビンバシャラ、その王妃韋提希(イダイケ)、その王子アジャセという家族、そしてアジャセの悪友提婆達多(ダイバダッタ)の物語です。単純化して言うと、提婆達多は王子アジャセの友になり、彼をそそのかしてアジャセにとって父であり王であるビンバシャラを殺害させます。アジャセはさらに母親である韋提希夫人を牢獄に幽閉してしまいます。獄中の韋提希はこの俗世から逃れたいと思い、霊鷲山にいる世尊の教えを請い求めます。

 ブッダ(世尊、釈尊)は浄土の観想方法すなわち「救われる方法」を教えます。こうして新しい浄土教という道が人類に開かれることになりました。家族の悲劇が機縁となって、新しい宗教が開かれたのです。

*親鸞聖人の言葉―心の隅々まで照らす太陽神の光

 親鸞聖人は「弥陀如来の本願によって、煩悩の障りにも遮られずして、私どもの胸の奥底までも照らして下さる光明は、あらゆる煩悩の源である自力疑心の闇を破り、そして孤独な寂しい冷たい心を温めて下さる太陽であります」と述べています(『教行信証』の総序)。阿弥陀如来はアミターバ、太陽神、太陽霊です。どのように重い罪や煩悩を抱えていたとしても、我々の心の隅々にまで霊的な太陽の光は注いでくださるというのです。

 そして提婆達多、アジャセ、韋提希等は、われわれと同じ悪人凡夫です。その救いのために如来の本願があり仏菩薩の働きがあります。聖家族を模範とせよ、と言うのは、一面の真理ですが、父親殺しとまではいかなくとも悪人凡夫の家族のほうが圧倒的に多いはずです。こちらに救いがないわけではありません。陰から陽へ。「陰極まって陽に転じる」です。不幸は不幸で終わるわけではない。この世界にキリスト(太陽神)が存在する限り、希望も存在しているのですから。

 ところで、昨年まで「シノドスに思う」で連載をしてきました。日本のカトリック教会はどうなるのでしょうか。「シノダルな教会」にしていこうという取り組みについて考えようという兆しは、まだ見られないようです。教会に依存した信仰、教会に期待する信仰は止めるべきなのかもしれません。新年はもっと主に信頼して歩みたいと思います。

*参考*山辺習学・赤沼智善共著『教行信証講義 教行の巻』法蔵館

(西方の一司祭)

2024年12月31日

・愛ある船旅への幻想曲 (47)学び合いの中学生グループの発した言葉に共感する私

 2025年、主のご降誕、新しい年の始まりおめでとうございます。信者未信者にとって、それぞれのクリスマス。戦争や自然災害で平和が壊されている国々のクリスマス…。一人ひとりの上にどのような意味があったのでしょうか。キリストの愛と平和が、皆さんの上にありますように、お祈りします

 年々、子供そして若者たちと接する環境に恵まれていることに喜び、感謝する日々をおくっている。互いに身構えることなく分かち合えるのは、毎回ユニークで考えさせられる問いを発する中学生グループだ。「イエスの教えを広めたのは、後の宣教師・聖職者だ、という本を読みました。それは、イエスが教えたことと違っているのではないか、ということを聞きましたが…」と。

 彼は、どこでその文章を見つけたのか。今の教会の問題はこれで一気に解決できそうな中学1年生からの質問に今回も姿勢を正した私である。後日、若者との集いでこの話をすると「的を得た質問ですね。新鮮であり素晴らしい」と。

 3年間の”シノドスの道”を歩んだはずのカトリック教会だが、日本の教会の現状は、どうだろう。クリスマスシーズン、馬小屋は洞窟に変わり、にぎやかなイルミネーションの飾り方は、若い外国人信徒の自国の風習によるデコレーションであることが一目瞭然である。各教会ともに多種多様性の時代を感じる1シーンがそこにあり、黙想会の指導司教は、外国人に感謝の言葉を最後に述べておられた。

 私が知る地方の教会は、限られた日本人女性が中心となり奉仕されている。日本人信徒の高齢化が進み、日本人の若者のいない教会であるが、ほとんどの司祭は、「このままの教会の姿がずっと続くだろう」と思っているようだ。司祭がそれで良しとするならば何も言うことはない。

 そんな中、シノドスと真剣に取り組み最終文書も、既に目を通された司祭がおられることも知っている。教会について、人間として、信徒の視線で考えを述べてくださる一司祭の存在に安心する私である。

 私とて、今の教会を支える世代、後に続く世代のいく末も、同じかもしれない、と思っている。これは、「教区の方針に合う信徒しか、教区には必要ない」、つまり「司教の意見に従う信徒しか要らない」(!)と私たちに言ったことから、”正しい見方”であろう。

 何を訴えても、聖職者と圧倒的な力の差があること、自分を守るだけの信徒の状態から、「愛がない教会」と実感してカトリック教会を離れた信徒。それでも神からは離れられない信徒が、私の周りで何人プロテスタント教会また正教会に行っていることか。

 私の知る限りでは、若い牧師のプロテスタント教会に、以前から若者と子供たちが多く集い和気あいあいの教会の姿がある。日本で正教会は珍しいが、司祭が唱える長い祈祷文に感動し、祈りと愛の深さを知らされるのを経験する。結局、男女の愛、家族の愛を知らなければ、人は愛を語れないだろう。頭で考えるだけの愛には、人間らしさも優しさもない。これからは、人間イエスの教会を求めて人が集まるに違いない、と私は思っている。

 「どこのカトリック教会もおばあさんばかりですね。たまにおじいさんもいますが」という、若い外国人信徒の感想を皆さんお聞きになったこたことがあるだろうか?私は彼に一票だ。

(西の憂うるパヴァーヌ)

2024年12月31日