*聖母マリア、教会、個々のキリスト教徒は結ばれている
枢機卿は、聖パウロが聖母マリアを「女性」と呼ぶことで、「『イブ』から始まり、『太陽をまとって月を足元に置いた黙示録の女性』で終わる長い聖書の伝統の中に、彼女-教会ーを置いています」、さらに「このことはまた、ヨハネ福音書の中で、カナの婚宴とゴルゴタで、ご自分の母に言及されたイエスのなさり方を反映しています」と指摘。
このようにして「教父たちは、教会、聖母マリア、そして個々のキリスト教徒のイメージを密接に結びつけ」ており、聖書が一つについて述べていることは、他の二つにも同様に適用することができる、として次のように語った。
「霊感を受けた聖書の中で、聖母マリアー教会ーについて普遍的な意味で語られていることは、聖母マリアの個人的な意味で理解されており、乙女である聖母マリアの特定の意味で語られていることは、聖母ー教会ーの一般的な意味で理解されています… ある意味で、すべてのキリスト教徒は、神の御言葉の花嫁、キリストの母、娘そして姉妹であり、それはそのまま、汚れのない、実り豊かな存在である、と見られているのです。これらの言葉は、教会について普遍的な意味で、マリアについて特別な意味で、個々のキリスト教徒について特定の意味で使われています(Isaac of Stella=12世紀のイングランドの神学者、哲学者=の言葉より)」
*キリストは教会にこの世へのメッセージを託した
「ですから、マリアがその胎にイエスを宿し、この世のために、イエスを肉体として産んだように、教会も、あらゆる年齢の人のために、”イエスを産まねば”なりません… 教会を見る人は誰であっても、そこに目を止めるのでなく、イエスに目を向けるべきなのです」と枢機卿は続け、「これは、教会が自己言及的にならないようにする、非常に努力を要する取り組みであり、現在の最も素晴らしい二人の教皇、ベネディクト16世とフランシスコが頻繁に強調されているテーマでもあります」と述べた。
さらに「キリストは、救いのメッセージを教会に託し、この世に教会を派遣したのですーもっとも、多くの人がいまだに、そのメッセージを受け取ることを無意識に夢見ている状態ではありますが」と付け加えた。
*だが、教会内部には様々な危険、”分裂の壁”が潜む
だが、「そのようなメッセージを託された教会の内部には、さまざまな危険と”分裂の壁”が潜んでいる。その中には、行き過ぎた官僚主義、意味のない祭儀の残滓、祭服、昔の法律、そして今では瓦礫に過ぎない論争などが含まれています」と警告した。
また、枢機卿は「世界の周辺部に手を差し伸べ、キリストのメッセージを届けることで、教会を『前進』させた」として、教皇フランシスコに感謝を表明。
さらに、「個々のキリスト教徒は、この世のために、キリストを負わなければなりません」と述べ、次のように指摘した。
*”キリストの母”に必要なのは、御言葉を聴き、実践すること
「福音書の中で、イエスは”キリストの母”になる方法を私たちに説明しています。それは御言葉を聴いて、実践することです(ルカ福音書8章21節参照)。この二つが必要です。マリアも、この二つのプロセスを通して、キリストの母になりました。キリストを胎に宿し、そしてキリストを産むことによってです」
同時に、枢機卿は、二つの形の”精神的中絶”を警告。その一つは、「イエスを胎に宿すが、産まない」ーつまり、「御言葉を進んで受け入れるが、それを具体的な行動で実践しない」ことであり、もう一つは、「”体外受精”のように、キリストを胎に宿さずに、産む」ことだ。
「このような人たちは、優しさ、神の愛、あるいは正しい意図によって動機づけられることなく、多くの良いことを演じます。習癖や偽善で動機づけられた行為です。私たちの行いは、それと異なり、心からの、神の愛と信仰に根差したものである場合に限って、良い行いなのです」と強調。
*実践に必要な「健全な識別」
そして、心の中で考えことを実践しようとする際に必要なこととして、「健全な識別」を挙げ、次のように語った。
「その際、私たちは1つのことに注意する必要があります。それは、新しい人生を送るという決意や決断を、私たちの生き方や習慣を変えるような、表に見えるようなやり方で、速やかに具体的な行動に移さねばならない、ということです。決断が実行されないなら、イエスは胎に宿られますが、お生まれにはなりません。”霊的な堕胎”になってしまう」と改めて警告した。
*まず、「ほんの少しの沈黙」から始めよう
最後に枢機卿は「まず始めるべきは、『私たちの周りと私たちの心の中に、ほんの少しの沈黙』を作ることです。そうすることで、私たちは、処女マリアによってこの世に生を受けたイエスを取り巻いた”瞑想的な沈黙”を映し出すことができるでしょう」と講話を締めくくった。