・「聖母の取り次ぎに信頼し、全被造界が神の望まれる状態となるように」菊地大司教の聖母の被昇天説教

2021年8月14日 (土)週刊大司教第三十九回:聖母の被昇天

  以下、本日午後6時配信の、週刊大司教第三十九回聖母の被昇天のメッセージ原稿です。

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【聖母の被昇天(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第39回 2021年8月15日】

 「共に手を取り合って、友情と団結のある未来を作ろうではありませんか。窮乏の中にある兄弟姉妹に手を差し伸べ、空腹に苦しむ者に食物を与え、家のない者に宿を与え、踏みにじられた者を自由にし、不正の支配するところに正義をもたらし、武器の支配するところには平和をもたらそうではありませんか」

 1981年の2月25日、教皇ヨハネパウロ二世は、広島での平和メッセージの中で、特に若者に対して呼びかけて、このように述べられました。イデオロギーの相違からくる東西の対立が深刻となり、全面的な核戦争の可能性も否定できなかった時代に、教皇は「戦争は人間の仕業です。戦争は人間の生命の破壊です。戦争は死です」と、広島の地から力強く宣言されました。

 それから38年後、同じ広島の地から、教皇フランシスコはこう呼びかけられました。

 「だからこそ、私たちは、共に歩むよう求められているのです。理解と赦しのまなざしで、希望の地平を切り開き、現代の空を覆うおびただしい黒雲の中に、一条の光をもたらすのです」 人間は命の危機を避けるために、「友情と団結」のうちに「共に歩む」ことを通じて行動できるはずだ、と教皇たちは広島から平和のための行動を求めて声を上げました。

 教皇フランシスコは「Fratelli futti」にこう記します。 「新型コロナウイルスの大感染が突如、発生し、安全が見せかけであることが暴露されました… 国同士が協力できないことは非常に明白になりました。私たちがインターネットによって高度に緊密に結ばれている中で、私たち全員に影響を与える問題を解決することを、より困難にする断片化を目の当たりにしましたた… 私が強く希望するのは、この私たちの時代に、一人ひとりの尊厳を認めることによって、友愛への普遍的な願望の再生に貢献できることです」(7~8項参照)。

 神の秩序が確立された世界、すなわち平和を求めて、国際的な連帯が不可欠であることが浮き彫りになりました。残念ながら、「友情と団結」のうちに「共に歩む」連帯は実現していません。 聖母被昇天にあたり、ルカ福音は、聖母讃歌「マグニフィカト」を記します。聖母マリアは、全身全霊をもって神を褒め称える理由は、へりくだるものに目を留められる主の慈しみにあるのだ、と宣言されています。

 すなわち、人間の常識が重要だと判断している「当たり前の価値観」とは異なる、神ご自身の価値観に基づいて、自らが創造されたすべての命が、一つの例外もなく大切なのだ、と言うことを証しするため、神は具体的に行動された。そこに神の偉大さがあるのだ、と聖母は自らの選びに照らし合わせて宣言します。神ご自身の価値観は、「思い上がるものを打ち散らし、権力あるものをその座から引き降ろし」、排除された人々を兄弟愛のうちに連れ戻す価値観であり、まさしく「友情と団結」のうちに「共に歩む」連帯に支えられています。 教皇フランシスコは、「ラウダート・シ」の終わりに、こう記しておられます。

 「イエスを大切になさった母マリアは、今、傷ついたこの世界を、母としての愛情と痛みをもって心にかけてくださいます… 天に上げられたマリアは、全被造界の母であり女王です」(241項)

 聖母の悲しみに心をとめ、その取り次ぎに信頼しながら、全被造界が神の望まれる状態となるよう、神の平和の実現のために、共に歩んで参りましょう。

(編集「カトリック・あい」=表記は原則として当用漢字表記に統一、また回勅|Fratelli tutti(兄弟の皆さん)」の翻訳は公式英語訳から「カトリック・あい」が翻訳し、掲載中のものとさせていただきました)

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2021年8月14日