・「愛の心を持って神の福音を告げ知らせよう」ー菊地大司教の年間第4主日メッセージ

2022年1月29日 (土)週刊大司教第六十二回:年間第四主日

 1月最後の主日である年間第四主日は,世界こども助け合いの日と定められています。今年のテーマは、「わかち合うこころはたからもの」とされています。中央協議会のホームページには,次のように説明されています。

 『「世界こども助け合いの日」は、子どもたちが使徒職に目覚め、思いやりのある人間に成長することを願って制定されました。この日はまず第一に、子どもたちが自分たちの幸せだけでなく世界中の子どもたちの幸せを願い、そのために祈り、犠牲や献金をささげます。毎日のおやつや買いたいものなどを我慢してためた子どもたち自身のお小遣いの中から献金することが勧められています。日本では、各教会だけでなく、カトリック系の幼稚園や保育園の大勢の子どもたちがこの日の献金に協力しています』

 教皇庁宣教事業の児童福祉会が担当する事業で、日本の教会の全国の担当者は、東京教区の門間直輝神父様,東京教区の担当者は教区職員の田所さんです。

 準備されている今年の日本のポスターには、「コロナ禍を超えて、すべてのこどもたちが神さまに愛されているこどもとして互いに助け合い、励ましあって今を乗り越えて欲しいという願いが込められています」と門間神父様が解説しています。

 また昨年のこの日に集められた日本での献金総額は、4700万円を超え、マダガスカル、ナイジェリア、ルワンダ、ウガンダ、ザンビア、ジンバブエ、トリニダード・トバゴ、インド、スリランカ での支援事業のために送金されたとのことです。今年もまた,ご協力とお祈りをお願いいたします。

 2月2日の「主の奉献の祝日」を前に,1月29日午後、日本カトリック管区長協議会(男子)と日本女子修道会総長管区長会の共催による「奉献生活者のミサ」が、イグナチオ教会で捧げられました。本来であれば聖堂一杯に奉献生活者が大集合するのですが,現在の感染状況もあり,主な方々だけが参加して,ミサはオンラインで配信されました。

 私は司式を担当し、教皇大使が英語で説教、そして山野内司教様も共同司式に参加。奉献生活を営む方々の教会の福音宣教活動への貢献に感謝し,その道の上に聖霊の導きと祝福を祈り,同時に奉献生活者の生きた証しを通じて福音に多くの人が触れ、さらには召命が豊かに与えられるように,共に祈りをささげました。

 来年こそは,大勢の修道者で聖堂を一杯にし,ともに祈りを捧げたいと願っています。今回のミサの最後には、誓願宣立10年の奉献生活者が,励ましの意味を込めて教皇大使からプレゼントをいただきました。会場には代表として男女それぞれ2人ずつが参加しました。

 奉献生活を営む男女の皆さんに,心から感謝します。

以下、本日午後6時配信の,週刊大司教第62回目、年間第四主日のメッセージ原稿です。

年間第四主日C(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第62回 2022年1月30日

 神の望まれる世界が実現しないのは、一体どうしてなのでしょうか。

 ルカ福音は、ナザレの会堂でイエスが、自らの使命を記したイザヤ書を朗読した後に、神の言葉がその日に実現した、と告げた後のことを記しています。神の言葉に接した人々は、自分たちがよく知るヨセフの子が、このようなことを言うとは一体どういうことだと、つまづいたことを記します。

 神の望まれる世界が実現しない一番の理由は、私たちが、神の言葉をそのままで素直に受け取ることができないことにあります。私たちは、受けた言葉を解釈します。往々にしてその解釈は、神の思いを推し量る識別によらず、自分の経験と知識に基づいた判断による解釈です。私たちは、神の言葉を「この世の価値観」という枠にはめて解釈しようとすることで、その実現を阻んでしまいます。

 エレミヤ書は、預言者エレミヤの召命を物語っています。エレミヤが誕生する前から、彼を預言者に選ばれていた神は、「あなたは腰に帯を締め、立って、彼らに語れ」と命じます。しかも、「私が命じることをすべて」語るようにと、神は指示します。

 すなわち、エレミヤが語ろうとすることは、エレミヤの解釈ではなく、エレミヤの知恵と知識に基づいた言葉でもなく、神が語ることを「すべて」そのままで告げるように、との命令です。そこに人間の価値観の枠組みが介入する余地はありません。だからこそ、簡単には受け入れられないのです。拒絶されるのです。それに対して、「私があなたと共にいて、救い出す」と神は約束されます。「神の言葉に従い、この世の価値観によってゆがめられることなく伝えようとする者と、神は共にいてくださる」という約束であります。

 とは言うものの、ただ単に神の言葉を繰り返していればそれで良いわけではない、とパウロはコリントの教会への手紙に記します。すなわち、「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしい”どら”、やかましいシンバルにすぎない」とパウロは記します。

 私たちは、愛の心を持って、神の言葉を語り伝えなくてはなりません。この世の価値観の枠ではなく、神の愛の価値観の枠を前面に掲げて、神の言葉を告げ知らせなくてはなりません。

 「愛は、忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」

 私たち一人ひとりには、一体何が欠けているのでしょうか。自らの言葉と行いを、振り返ってみたいと思います。

 さて、教会は30日を「世界こども助け合いの日」と定めています。以前は「児童福祉の日」と呼ばれ、子どもたちのために何かしてあげる日のように考えられていました。実際には、この日は、「子どもたち自身が使徒職に目覚め、思いやりのある人間に成長すること」を願って制定されたのです。ですから「助け合い」という言葉が入りました。今年のテーマは「わかち合うこころはたからもの」です。

 新型コロナ感染症の世界的拡大で、世界中の子供たちも、心と体に大きな影響を受けています。生活環境の劇的な変化によって、心身に不調を来している子供、経済の悪化によって命の危機に直面する子供… 世界に目を向けると、助けを求める子供の姿が見えてきます。

 生きている神の言葉が共にあることを信じる私たちは、将来の世代を担う子供たちが、互いに助け合い支え合う生き方を選択するよう、神の愛に生きる道を共に歩んで参りましょう。

 

 

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2022年1月29日