・「ミサで聖書が朗読される時、神の言葉は生きており、主がおられる」菊地大司教の「神の言葉の主日」メッセージ

2022年1月22日 (土)週刊大司教第六十一回:年間第三主日

Okada22b

 東京と千葉は,まん延防止等重点措置の実施対象となりました。これについては,一つ前の記事でお知らせしています。原則として現在の感染対策を継続し、その徹底を改めて心したい、と思います。

 1月22日土曜日の午前中、公益財団法人東京カリタスの家主催のペトロ岡田武夫大司教追悼ミサが,東京カテドラル聖マリア大聖堂で捧げられました。写真はそのときのものです。

 岡田大司教様は,長年にわたり、この東京カリタスの家の理事長を務めておられ、社会福祉事情の充実にリーダーシップを発揮されました。現在は私が,その後任として理事長を務めさせていただいています。

Okada22c

 公益財団法人東京カリタスのホームページには,東京カリタスの家の理念が次のように記されています。

 「健康で幸せな生活には『身体的』『精神的』『社会的』『霊的』な健全さが満たされることが、必要です。私たちは生きづらさや苦しみを負っている方々を兄弟、姉妹として迎え、その困難や苦しみを共に担い、寄り添うことを目指します。その方が本来持っている『生きる力』が回復され、自分らしく生きることができるよう、共に歩みます」

 本日のミサは感染状況が深刻化する中でしたので,参列者を限定して行われましたが、イエスのカリタス会のシスター方に聖歌隊を勤めていただき、また暖かな晴天にも恵まれ、穏やかな心で,岡田大司教様の永遠の安息を祈る場となりました。

 以下、22日午後6時配信の週刊大司教第61回、年間第三主日のメッセージ原稿です。なお1月23日の関口教会10時ミサは,「神のことばの主日」であり、なおかつ「ケルンデー」でもありますから、大司教司式ミサです。

【年間第三主日C(ビデオ配信メッセージ)週刊大司教第61回 2022年1月23日】

 ルカ福音書は、公生活の初めに、聖霊に満たされたイエスが、ガリラヤ地方の会堂で教えた話を記します。ナザレの会堂で、イエスに渡されたイザヤ書の言葉こそ、イエスが告げる福音の根幹をなす生きる姿勢を明示したものでした。イエスこそは、捕らわれ人に解放を告げ、主の恵みの年を告げる存在であることが、明らかにされます。

 そのイザヤの言葉を受けて、イエスご自身が「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と言われた、と記されています。まさしく、人となられた神の言葉は、力ある生きた言葉であります。

 パウロはコリントの教会への手紙で、再び、キリストの体と私たちとの関係を解き明かし、多様性における一致こそが、キリストにおける教会共同体のあるべき姿であることを明確にします。

 ネヘミヤ書は、エルサレムの城壁が総督ネヘミヤによって修復された後,祭司エズラが民に向かって律法を読み上げた出来事を記します。この時、民にとって律法は単なるおきての羅列ではなく、神からの生きた呼びかけの言葉として、心に響き渡りました。

 年間第三主日は「神のことばの主日」とされています。この主日は教皇フランシスコによって2020年から始まりました。神のことばの主日を制定した使徒的書簡「アペルイット・イリス」で教皇様は、神のことばの主日を、「神のことばを祝い、学び、広めることに捧げる」主日とされました。その上で教皇様は、この主日がキリスト教一致祈祷週間と重なることも念頭に、次のように記しています。

 「私たちがユダヤ教を信じる人々との絆を深め、キリスト者の一致のために祈るように励まされる、その時期にふさわしいものとなることでしょう。これは、ただ時期が偶然重なる、ということ以上の意味をもっています。『神のことばの主日』を祝うことには、エキュメニカルな価値があります。聖書はそれを聴く人々に向かって、真の、そして堅固な一致への道筋を指し示すからです」

 その上で教皇様は「聖書のただ一部だけではなく、その全体がキリストについて、語っているのです。聖書から離れてしまうと、キリストの死と復活を正しく理解することができません」と指摘し、啓示憲章が「聖体の秘跡に与ることに匹敵する」と指摘する「神の御言葉」との交わりの重要性を説いています。ミサの中で聖書が朗読される時、神の言葉は生きており、そこに主がおられます。私たちを生かしてくださる主の言葉の朗読に、真摯に耳を傾けましょう。

 ところで東京教区にとって本日は、「ケルンデー」であります。教区ホームページには、こう記されています。

 「まだ第2次世界大戦の傷痕の癒えない1954年、当時ドイツのケルン大司教区の大司教であったヨゼフ・フリングス枢機卿は、ケルン大司教区の精神的な復興と立ち直りを願い、教区内の信徒に大きな犠牲を捧げることを求めました。そして その犠牲は、東京教区と友好関係を結び、その宣教活動と復興のための援助をするという形で実現されていきました」

 そこにはフリングス枢機卿と当時の土井枢機卿との、個人的な出会いもあった、と記されています。それ以来、東京カテドラル聖マリア大聖堂の建設をはじめ、東京教区はケルン教区から多額の援助を受けてきました。そのお返し、という形で、白柳枢機卿の時代に、ミャンマーの教会支援が始まりました。私たちは受けた慈しみに感謝しながら、その愛の心に倣い、率先して愛の奉仕に身を捧げる、生きた神の言葉の証人であり続けたいと思います。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加
2022年1月22日