・「安住を求めず、常に挑戦し続ける」菊地大司教の四旬節第二主日メッセージ

2024年2月24日 (土)週刊大司教第157回:四旬節第二主日

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   四旬節第二主日となりました。

    昨日まで、バンコクでアジア司教協議会連盟(FABC)の年に一度の中央委員会が開催されていました。アジアの各国地域の司教協議会会長がメンバーで、今回は16名の会長司教が集まりました。私はFABCの事務局長を務めています。

   今回は役職者の選挙があり、来年2025年1月からの3年間の新しい指導体制が決まりました。新しい会長は、現在のミャンマーのボ枢機卿様から、インド・ゴアのフィリッポ・ネリ・フェラオ枢機卿様に、副会長は、現在のスリランカのランジット枢機卿様から、フィリピンのカローカンのパブロ・ダビド司教様に交代。事務局長は私が二期目に再選されました。FABCに関しては、別途記します。(下の写Img_20240222_111005954真、一列目中央の白いシャツがボ枢機卿、その向かって右がダビド司教、左がフェラオ枢機卿、さらにその左がボンベイのグラシアス枢機卿、その左隣が私)

 四旬節には、特に金曜日に十字架の道行きをすることが勧められており、小教区でそのための時間が設けられているところも多くあろうかと思います。

 昨年の四旬節に、お一人でも、また自宅でも、十字架の道行きをするための手助けになればと、十字架の道行きのビデオを作成しました。最初に私の解説が少し入っています。本などなくても、画面に言葉で出てきますので、一緒に唱えていただけます。ご活用ください。こちらのリンク先の東京教区Youtubeチャンネルにあります

 以下、24日午後6時配信の四旬節第二主日メッセージ原稿です。

【四旬節第二主日B 2024年2月25日】

 イエスの福音宣教は、旅路です。イエスは、一定の成果を手にし、安心と安全を得た地にとどまり続けることをよしとせず、福音を告げるために旅を続けます。その旅は、常に挑戦に満ちあふれていますが、臆することなく、イエスは福音を証しし続けます。

 マルコ福音は、その旅路を歩むイエスが、三人の弟子たちの前で光り輝く姿に変容した出来事を伝えています。神の栄光を目の当たりにし、「これは私の愛する子、これに聞け」という神の声を耳にしたペトロは、その栄光の輝きの中に留まり続けることを望み、仮小屋を三つ建てることを提案します。しかしイエスは歩み続けます。

 第一朗読の創世記は、神からの試練を受けたアブラハムが、神への信頼のうちに理解不可能な未知の領域に歩みを進める姿を記しています。イサクを献げるように、という、神からの言わば、無理な要求です。アブラハムは、今の安定に留まることなく、神に従って前進することを選びます。アブラハムの人生は、安定に留まらず、常に挑戦しながら旅を続ける人生でした。その生き方を、神は高く評価しました。

 信仰は、私たちに常なる挑戦へ旅立つことを求めます。

 四旬節にあたって、教皇フランシスコは「荒れ野を通り、神は私たちを解放へと導かれる」というタイトルのメッセージを発表されています。

 メッセージの中で教皇は、私たちが回心の道を歩み続けることを、荒れ野を旅したイスラエルの民になぞらえ、「希望を失い、荒れ果てた地に居るように人生をさまよい、共に向かっているはずの約束の地が見えないとき」、民は元の奴隷状態を懐かしみ、前進するよりも、過去に縛られ続けようとしたことを指摘されます。

 同じように、現代社会に生きている私たちも、「世界規模での兄弟愛の実現を目前にしながら、科学、技術、文化、法制度が万人の尊厳を保証しうる水準にまで発展しながら、格差と紛争の闇を進んでいること」の理由は、罪の状態から解放されようとするよりも、「自由を犠牲にしてまでも、なじんでいるものの安心感に惹かれる」私たちの弱さであり、他者の叫びへの無関心である、と語られています。

 その上で教皇は、教会のシノドス的な姿を追求することは、「四旬節が共同体での決断の時でもあると示唆してくれます。個々人の日常を改め、地域の生活を変えうる、今の流れとは違う選択を大小さまざまに行う時です。購買の意識化、被造物のケア、社会から無視され見下げられている人たちの受け入れ、そうしたことを選択していくのです」と述べておられます。

 私たちは安住を求めるのではなく、常に挑戦し続けながら前進を続ける神の民です。希望が見い出せないときにも、「奴隷状態から抜け出る勇気」をもって歩み続けたいと思います。

 教皇様は「信仰と愛が希望に歩みを教え、希望が信仰と愛を引っぱっていくのです」と記されます。勇気を持って共に歩み続けましょう。

(編集「カトリック・あい」)

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2024年2月24日