・「命を守らない社会では、神の言葉の種も豊かな実りを生み出せない」菊地大司教の年間第15主日の言葉

2023年7月15日 (土)週刊大司教第133回:年間第15主日A

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 年間第15主日です。

 日ごとに暑さが増し、不安定な天候も続き、各地で大雨の被害も出ています。災害で困難な状況の中におられる方々にお見舞い申し上げるとともに、命が守られるようにお祈りいたします。

 大分教区の名誉司教であるペトロ平山高明司教様が15日未明に帰天されました。99歳でした。明日日曜の午後6時半から仮通夜、月曜17日午後6時半から通夜、18日火曜日の午前11時から葬儀、とのお知らせが届きました。いずれも大分のカテドラル、大分教会です。

 平山司教様は1970年から2000年まで大分教区司教を務められ、引退後の2008年から9年間、「新求道共同体の道」のローマにある日本のための神学院の院長もお務めでした。平山司教様の永遠の安息をお祈りいたします。

 司教総会が18日午後から21日まで、開催されます。全国の司教が全員集まります。司教たちのために、お祈りください。

 以下、15日午後6時配信、週刊大司教第133回、年間第15主日メッセージ原稿です。

【年間第15主日A 2023年7月16日】

 神の言葉は、常に私たち共にいてくださる神の現存です。なぜなら、世の終わりまで私たちとともにいてくださる、と約束された主イエスこそ、「人となられた神の言」であるからに他なりません。この世界の現実の中にあって、神の言葉は、様々な方法を通して、幾たびも幾たびも繰り返され、響き続けているにもかかわらず、いまだに世界全体に浸透していません。

 ヨハネ福音書の冒頭に「言(ことば)は世にあった。世は言によって成ったが、世は言を認めなかった。言は、自分のところへ来たが、民は言を受け入れなかった(1章10・11節)」と記されている通りであります。神はご自分の言葉を、種のようにまき続けられているにもかかわらず、多くの人の心の内に豊かな実りを生み出すには至っていません。

 ですから、私たちは、神がまき続けておられる種が豊かに実を結ぶように、土壌を良いものに改良していくように、努めなくてはなりません。種がまかれるためには、良い実を結ぶように、と事前にしておかなくてはならない準備があります。

 その準備、すなわち土壌改良を成し遂げるのは、私たち一人ひとりの日々の生活における、言葉と行いによる神の愛と慈しみの証しであります。人との関わりの中で、私たちの言葉と行いは、神の言葉の種がまかれる土壌を良いものとしていくための、最も力のある道具であります。神の言葉が豊かに実るときに、そこには、賜物である命を最優先にして守り抜く世界が実現しているはずです。命を守らず、生かさない社会という土壌で、神の言葉の種が豊かな実りを生み出すことはできません。

 インターネットが普及している現代社会では、ネット上に残されていく言葉も、神の愛と慈しみを証しするものでなければなりません。時にクリスチャンを標榜しながら、他者の命に対して攻撃的になるような、極めて利己的な主張や愛に欠ける主張を目にする時、いったいどのような土壌を神の言葉の種のために備えようとされているのか、と思い、悲しくなることがあります。私たちは口から語る言葉、書き記す言葉、どちらにあっても、「自分の語る言葉と具体的な行いは、神の言葉の種をまく土壌を準備するためなのだ」と常に心しておきたいと思います。

(菊地功=きくち・いさお=日本カトリック司教協議会会長、東京大司教)

(編集「カトリック・あい」)

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2023年7月15日