☩「常に共にある旅」ー教皇フランシスコと第二バチカン公会議の未完の業績(LaCroix)

(2021.9.29 La Croix  By Pope Francis )

 次のエッセイは、マイケル・チェルニー枢機卿、クリスチャン・バローネ神父の共著「Fraternità—segno dei tempi: il magistero sociale di Papa Francesco(英語名Siblings All、Sign of the Times:The Social Teaching of Pope Francis=兄弟姉妹皆ー時のしるし:教皇フランシスコの社会教説)」 に教皇フランシスコが寄せた序文から採った。イタリア語版は9月30日にLibreria Editrice Vaticanaから出版、英語版は2022年にOrbisBooksから出版される予定。

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 福音の核心は、イエスご自身、エマヌエルー神は私たちと共におられるーの名において、神の統治を宣言することにあります。イエスにおいて、神は人類への愛の計画を実現させ、生ける物に対する主権を確立し、人類の歴史に神の命の種を蒔き、内側から変容させるのです。

*神の統治は、生き、躍動する現実

 神の統治は、何らかの地上的または政治的なものと同一視されたり、混同されたりしてはなりません。また、それは純粋に内的現実、単に個人的で精神的なもの、または来るべき世界だけに関係する約束として考えるべきではありません。キリスト教の信仰は、イエズス会士の神学者アンリ・ドゥ・リュバックにとって非常に大切な言葉、魅力的で説得力のある「パラドックス」によって生きています。

 それは、永遠に私たちの肉と結びついたイエスが今、ここで成し遂げていることであり、私たちを父なる神に開放し、私たちの生活に継続的な解放をもたらします。イエスにおいて神の統治はすでにそばにある(マルコ福音書1章12~15節)からです。

 同時に、私たちがこの肉体に存在する限り、神の統治は、約束であり、私たちが内に抱く深い憧れであり、悪によって傷つけられている、完全に解放される日まで苦しみ、うめく被造物が叫び求めるもの(ローマの信徒への手紙8章19–24節)。

 したがって、イエスによって明らかにされた神の統治は、生き、躍動する現実。私たちを回心へと誘い、私たちの信仰が、個々の信心の停止状態、あるいは形式主義から抜け出るように求めます。私たちの信仰が、主と主の言葉を絶え間なく探求し続けるように望みます。

 神の統治は、さまざまな方法で、しばしば名を明らかにせずに沈黙し、私たちの失敗し傷を負った歴史の中でさえも、私たちの心の中で、周りで起きいる出来事の中で、実現しているのです。土の中に隠れた小さな種のように(マタイ福音書13章31~32節参照)、生地に混ぜられたパン種のように(同33節)、イエスは、私たちの人生の物語にご自身が始めた新しい人生のしるしをもたらし、救いの業に、ご自身と共に働くようにお求めになります。

 

*神は平和のための兄弟姉妹愛の構築者となれ、と呼びかけている

 私たち一人一人は、地上における神の統治の働きの実現に貢献し、救いと解放の空間を開き、希望の種を蒔き、兄弟姉妹の福音の精神でエゴイズムの致命的な論理に挑戦し、優しさに専念し、私たちの隣人、特に最も貧しい人たちのための連帯します。

 私たちは、キリスト教信仰のこの社会的側面を決して、ないがしろにしてはなりません。 回勅「Evangelii gaudium(福音の喜び)」で述べたように、ケリュグマ(最初の福音の告知)あるいはキリスト教信仰の宣言自体そのものに社会的側面があります。それは、至福の教えと連帯の友愛の世界の論理が勝利する社会を構築するように、私たちに勧めます。イエスの中で兄弟姉愛の構築者となるよう、呼びかけておられます。

 福音は神の国についてのもの(ルカ福音書4章43節)。私たちの世界でを統治される神を愛することについてのもの。神が私たちの内で統治されている限り、社会の生活は普遍的な友愛、正義、平和、そして尊厳の舞台となるでしょう。したがって、キリスト教徒の福音宣教と生きざまが、共に社会に影響を与えることを意図しています(Evangelii gaudium 180項)。

 この意味で、私たちの母なる地球を気遣い、Fratelli tutti(兄弟皆)あるいは兄弟姉妹として、連帯の社会を築くことはすべて、私たちの信仰にとって、無縁でないだけでなく、その具体的な実現です。イエスは私たちに、この救いの任務において共に働くように求められます。そして、これが、教会の社会教説の基礎なのです。キリスト教の信仰の単なる社会的拡張ではなく、神学的根拠のある現実です。神の人類への愛と、愛の計画ー兄弟愛、姉妹愛の計画は、聖霊によって神を信じる全ての人が親密に結ばれる御子イエス・キリストを通して人類の歴史の中で成し遂げられます。

 

*著作は回勅「Fratelli tutti」への案内書、社会教説と第二バチカン公会議の教えをつなぐもの

 この本の著者であるマイケル・チェルニー枢機卿とクリスチャン・バローネ神父に対して、信仰の兄弟、兄弟姉妹の主題に関する貢献に感謝します。また、この著作が回勅「Fratelli tutti(兄弟の皆さん)」への案内書として意図されている一方で、現在の教会の社会教説と第二バチカン公会議の教えとの間の深いつながりを明らかにし、明確にするように努力されたことにも感謝します。このつながりは、信徒の間で常に理解されているわけではありません。

 その理由を説明しましょう。私が、若いイエズス会の神学生として、さらに宣教師としての活動に没頭したラテンアメリカの教会の風土は、第二バチカン公会議の神学的、教会的、そして霊的な直観的真理を懸命に吸収し、我がものとし、実行し、育てました。

 現地のイエズス会の仲間のうちで最年少だった私にとって、第二バチカン公会議は信仰、話し、行動する指針となりました。たちまちのうちに、私たちの教会的、司牧的な“生態系”となったのです。しかし、私たちは、この公会議が決めた憲章などの文書を暗唱する習慣をつけたり、思索にふけったりはしませんでした。

*第二バチカン公会議の意味を改めて明確にする必要

 第二バチカン公会議によって、私たちは素直にキリスト教徒である道、”教会である”道を歩み始め、人生を歩むにつれて、私の直感、認識、そして霊性は、公会議の教えから出された様々な示唆から生まれて行きました。公会議の諸文書を引用する必要はそれほどありませんでした。

 そしてこの公会議から何十年も経った今、世界そして教会にいる私たちは(注:公会議が開かれた当時と比べて)大きく変わったことに気づいています。そして、公会議の主要な概念、その神学的、司牧的視野、その主要なテーマ、そしてその方法を改めて明確にする必要があるでしょう。このことを、マイケル枢機卿とクリスチャン神父は、この価値ある著作の第一部で私たちを助けてくれます。

 お二人は、私が実行しようとしている社会教説を読み、解釈し、行間に少しばかり隠されたものーつまり、根本的な基礎としての公会議の教え、そして、兄弟愛、姉妹愛という究極の目標をもった教会と全世界に対する私の招きの出発点ーに光を当てておられます。

 それは、第二バチカン公会議が光を当てたいくつもの時のしるしの一つであり、そして私たちの世界ー私たちが兄弟姉妹として生きるように招かれている「共通の家」ーが最も必要としているものです。それが、私たちがいかにして、常に旅するべきかということーいつも共にいること、なのです。

*現代世界憲章を越えて、今や教会自体が人類に奉仕すべき時

 これに関連して、この著作には、今日の世界で、世界と対話する開かれた教会を目指した公会議の”直感”を読み直すメリットもあります。現代世界の疑問と課題に直面して、第二バチカン公会議は、「Gaudium et spes(現代世界憲章)」の息吹で応えようとしました。

 しかし今日、私たちが公会議に参加した教父たちによって示された道をたどる時、教会が現代の世界と対話するだけでなく、何よりも、教会自体が人類に奉仕する必要がある、と私たちは気づきます。 ですが、何よりも、教会が人類に奉仕するために、告知とともに創造を大事にし、新たな普遍的な姉妹愛と兄弟愛を実現するために働き、その中で、人間関係がエゴイズムと暴力から癒され、相互の愛、歓迎、連帯に基礎を置くことに、気づくのです。これが今日の世界ー特に不均衡、傷害、不公正で強く特徴づけられている現代社会ーであるとすれば、私たちが認識するのは、公会議の精神において、人類の歴史のしるしを読み、聴くように求めている、ということです。

*研究、考察、そして教会の経験がどのように結びつけるか

 この著作はまた、公会議後の神学の方法論ー人類の歴史が神の啓示の場である歴史的、神学的、司牧的な方法論ーについての考察を私たちに提供することで貢献します。この考察を通して神学の(現代社会への)適応を発展させ、教会的、社会的な応用で、司牧的な聖職が、神学を受肉化することになるのです。これが、教皇の教えが、常に歴史に注意を払うことを必要とし、神学の貢献を求める理由なのです。

 最後に申し上げたいのは、枢機卿と若い神学者のこの共同作業は、それ自体が「研究、考察、そして教会の経験がどのように結びつけるか」の典型例であり、新たな方法を示しています。教会の役職者の声と若者の声が共になる形で。それが私たちがいかにー教導権、神学、司牧的応用、高位聖職者による指導が一体となって―常なる旅をするべきか、を示します。

 私たちも、教会ですべて兄弟姉妹ーfratelli tutti(皆、兄弟)であると感じ、福音ー神の統治の構築、そして私たちの「共通の家」へのいたわりーへの奉仕として、敬意をはらわれるような聖職を生きることを始めるなら、私たちの絆はもっと信頼に足るものとなるでしょう。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

(注:LA CROIX internationalは、1883年に創刊された世界的に権威のある独立系のカトリック日刊紙LA CROIXのオンライン版。急激に変化する世界と教会の動きを適切な報道と解説で追い続けていることに定評があります。「カトリック・あい」は翻訳・転載の許可を得て、逐次、掲載していきます。原文はhttps://international.la-croix.comでご覧になれます。

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2021年10月1日