♰教皇28主日正午の祈り「神は、すべての人を『救いの恵みの婚宴』に招いてくださる」

Pope Francis greets pilgrims from the window of the Apostolic LibraryPope Francis greets pilgrims from the window of the Apostolic Library  (Vatican Media)

(2020.10.11 Vatican News  Devin Watkins)

 教皇フランシスコは11日、年間第28主日の正午の祈りの説教で、私たちは主の婚宴への招きに応じるには「心を改める回心の旅をする」決意も必要とされる、と強調された。

 正午の祈りのために聖ペトロ広場に集まった人々を前に、教皇は、この日のミサで読まれたマタイ福音書の「自分の息子の婚宴に人々を招いた王のたとえ話」(22章1~14節)から、神の人類救済の計画について思い起こされ、「父である神の心の広さと人類への途方もなく大きな愛を表わしています」と述べられた。

 だが、このたとえ話では、婚宴に最初に招待された人たちの多くは、宴会に出るのを断ったー教皇は「彼らのように、私たちも、自分を招いてくださっている神より、自分の興味や物質的なものを優先することがよくあります」と反省された。

 それでも王は、自分の国の賜物を分かち合いたい、と強く願い、家来たちに、「limits of the roads(道の限界)」まで出かけ、そこにいる人たちを宴会に招くよう指示したー「これが神のなさり方です。あきらめるのではなく、相手に拒まれた時、最初からやり直して、大通りで見つけたかった人に、一人の例外もなく、宴会に連れて来るよう求めるのです」と教皇は説かれた。

 また、教皇はマタイが使う「limits of the roads(道の限界)」という言葉について、聖書で使われているギリシャ語では「町の大きな通りが終わり、住宅街の外、生活が不安定な田舎のに通じる小道が始まる所」を示しており、「社会からのけ者にされているのは、このような場所に住む人々。そのような彼らを、王は自分の宴会に招きます」とされたうえで、「教会も、日々、”通り抜けの道”-人々が地理的に、そして実際に生活を営んでいる”周辺の地域”、末端の場所、人間的な暮らしへの希望を失った余計者たちが住んでいる所に通じる道ーに出掛けるように求められているのです」と強調。

 さらに、「私たちが福音宣教と慈善を行う際に、自分たちに与えられた栄誉に頼らないように求められています… 私たちは、社会から見捨てられている人たちはもちろん、すべての人と福音を分かち合うために、自分の心と教会共同体の扉を開かねばなりません」と訴えられた。「神は、すべての人のためにご自分の宴会を用意されますー正しい人も罪人も、善い人も悪い人も、知性のある人も無学な人も、です」。

 ただし、イエスは婚宴に出席する人々に一つの条件を課しており、それは、礼服を着ることを拒んで外に投げ出された男のたとえ話にあるように、「婚宴の場に入る時、いただいた礼服を身につけねばならない、ということです」とされた。

 そして、「婚宴の礼服は、神が私たちに自由に与えてくださる憐れみを象徴しています… 主に従うように、という誘いを受け入れるだけでは十分ではありません。人は心を改める回心の旅をすることを決意する必要があります」と指摘。「神は常に私たちに恵みである『憐れみの着物』をくださいます。そして、それを驚きと喜びで迎え入れることが、求められるのです」と念を押された。

 最後に、教皇は、聖母マリアにこのように祈られたー「私たちが、自分の枠、狭い視野から抜け出し、『主が、私たちに救いの恵みをくださる為に、ご自分の宴会に招いてくださっている』ということを全ての人に伝えることができるよう、助けてくださいますように」。

 

 

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2020年10月11日