♰「イエスは神の愛に私たちの心を開く光」‐四旬節第四主日の正午の祈りで

Pope Francis greets the faithful in St. Peter's SquarePope Francis greets the faithful in St. Peter’s Square  (Vatican Media)

(2021.3.14  Vatican News  Devin Watkins)

    教皇フランシスコは14日、四旬節の第四主日の正午の祈りに先立つ説教で、イエスの”アイデンティティー”を取り上げ、「神の愛に私たちの心を開くイエスの光を進んで受け入れ、イエスに赦しを願うように」と信徒たちに強く促された。

 説教の中で教皇はまず、「四旬節の第4日曜日がなぜ、そのように喜ばしさに焦点が当てられているのでしょうか」と問いかけられた。

 そして、「理由は、(この日のミサで読まれた)ヨハネ福音書にあります」とされたうえで、「この喜びのメッセージは、キリスト教の信仰の核心です。神の愛は、弱く、罪深い人類に御子を贈られたことで、頂点に達しました」と語られた。

*十字架に上げられた「人の子」

 ヨハネ福音書の3章14‐21節では、ニコデモがイエスのところに来て、イエスご自身について問いかける。この問いに対して、「イエスは、三つの側面からご自身を示され、ニコデモの(ユダヤ教の伝統的な)信仰を揺るがします。それは、十字架に上げられた『人の子』、救いのためにこの世に送られた『神の子』、そして、真理に従う者と虚偽に従う者を真実に従う人々を識別する『光』です」と教皇は語られた。

 そして、この三つのうちの最初の「上げられた『人の子』」は、「荒れ野で人々が噛まれて死ぬことのないように、モーセが上げた『蛇』を連想させます… 荒れ野の蛇と同じように、イエスは十字架に上げられることで、イエスを信じる人々は罪を癒され、生きるのです」と説かれた。

*救いの「光」をもたらすために来られた

 二つ目の側面である「神の子」は、人類の救いのために神が御子を贈り物とされたことを示している、と教皇は指摘。「神は、私たちが永遠に救われることを切望され、イエスの使命はすべての人の救いなのです」とされた。

  イエスはまた、ニコデモに、ご自分は闇に対する「光」だ、と語られているが、 教皇は、「イエスがこの世に来ることは選択につながります。闇を選ぶ者は裁きを受け、光を選ぶ者は救いを受けることになる… その 裁きは、私たち自身の自由な選択の結果です。(ヨハネ福音書でイエスが語られているように)悪を行なう者は闇を好み、真理を行なう者、つまり善を実践する者は光の方に来るのです」と述べられた。

*「光」を喜んで受け入れよう

 最後に教皇は、「キリストの光に向けられた者として、四旬節の旅を続けるように」と信徒たちに促され、「 神の無限の愛へ、優しさと善に満ちた神の憐れみへ、心を開くために、私たちの良心に『光』を喜んで受け入れるように、招かれているのです。 神は、私たちが神に願う時、いつも私たちの罪を赦してくださいます」と説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2021年3月14日