♰「私たちいまだに哀れな罪人だが、悪の奴隷ではない」-日曜正午の祈りで

(2020.1.19  VaticanNews  Linda Bordoni )

Pope Francis during the AngelusPope Francis during the Angelus 

 教皇は説教の中で、この日の典礼が、5日の「主の公現」、12日の「主の洗礼」とつながっており、「今日のミサで読まれた福音(ヨハネ福音書1章29-34節)は、私たちにイエスの顕現を語り続け、私たちへの神の愛に驚かされることを決して止めることのないよう、勧めています」とされた。

 教皇は、洗礼者ヨハネが「私は、“霊”が鳩のように天から降って、この方(イエス)の上にとどまる」のを見て、キリストを証しするという切迫した欲求を抑えられなくなった(32-34節参照)場面を取り上げ、「ヨハネは、心を揺さぶるような体験をしました。彼は、罪人たちと連帯している愛する神の子-を見たのです」と語られた。

 そして「聖霊はヨハネに、『前代未聞の新しさ』を理解させました-本当に革新的なこと、です… 実際、多くの宗教において、神に何かを捧げ、犠牲を差し出すのは人間… この場合、人類の救いのためにご自分の子を差し出すのは、神です」とされ、「ヨハネの驚きが、ミサの中で私たちが繰り返す深い意味をもつ言葉-『見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ』(29節)-に表れています」と指摘された。

 また教皇は、「洗礼者ヨハネは、信仰の旅を、新に始めることー父なる神から私たちのために与えられた慈しみに満ちる小羊、イエス・キリストから、新たに始めることを-を、私たちに勧めています」と述べ、「神の選択-私たちの側にいて、罪人たちとの連帯を示し、ご自身が重荷の全てを背負うことで、世界を悪から救うーという神の選択-に、もう一度驚かされましょう」と、会衆に呼びかけられた。

 そして、今日読まれたこの福音書の箇所から学ぶことのできる得られるもう一つは、洗礼者ヨハネが自身の体験で示したように、「『既にイエスを知っている』『イエスついて既にすべてのことを知っている』と思い込まないこと」を学ぶこと、と指摘された。

 また、「東洋と西洋に多くある歴史的な芸術の素晴らしく豊かな表現の一つ、「聖なる顔」-キリストの肖像―を、立ち止まって、じっくりと味わう機会を持つように… 私たちの目で、さらに心で、じっくりと味わいましょう。そして、聖霊に教え導かれるようにしましょう」と、会衆に勧められた。

 最後に教皇は「神の子は子羊となり、愛ゆえに犠牲となりました… イエスのみが、世の罪、私の罪を負い、苦しまれ、償います… 私たちから罪を取り去り、私たちは罪から解放され、悪の奴隷ではなくなります… 私たちはいまだに哀れな罪人ですが、奴隷ではない。子供たち、神の子供たちなのです!」と強調された。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2020年1月20日