♰「『麦と毒麦』は私たち人間のこと、神は忍耐して回心を待つ」第16主日正午の祈りで

 

Pope at AngelusPope at Angelus  (Vatican Media)

(2020.7.19 By Vatican News)

  教皇フランシスコは19日、年間第16主日の正午の祈りの説教で、「私たちが神-父の愛を持って私たちを愛する方ーの忍耐を理解し、倣うのを、聖母マリアが助けがてくださるように」と祈られた。

教皇は説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書、三つのたとえ話(13章24-34節)を取り上げ、イエスは「私たちが神の忍耐を理解するのを助け、私たちの心を希望へと開いてくださいます」と語られた。

この箇所の最初のたとえ話で、イエスは、自分の畑に良い麦の種を蒔いた人の話をされている。夜になって敵が来て、麦の中に毒麦を蒔いて行った。芽が出て実を結ぶと、毒麦も現れたので、僕たちが抜こうとすると、主人は、麦まで一緒に抜いてしまうかもしれない、と考え、「刈り入れまで待つように」と彼らに命じた。

 教皇は、「現代の私たちの間でも、自分自身とこの地球に害を与える、とても多くの除草剤、除草剤、そして毒物によって、土壌が荒らされている、と言うことができます」とされた

 さらに教皇は、このたとえ話に出てくる「畑の主人」は「神」ー「いつも、良い種だけをお蒔きになり、目指しておられるのは豊作」。これに対して「敵」は「悪魔」、「神の真の敵であり、妬みと敵意を抱いて、神の業を破壊しようと望んでいます… 悪魔の狙いは、神の救いの業を妨げ、邪悪な働き手、不祥事を起こす種蒔き人を使って、神の国を妨害することなのです」とされたうえで、麦と毒麦は「抽象的な善悪を象徴」しているのではなく、「神にも悪魔にも従うことが可能な人間」のことを表現している、と指摘された。

 そして、「平和に暮らしていた家族や共同体が争い、嫉妬によって引き裂かれる、という話を、耳にすることがあまりにも多い… 厄介なことが起こり始めています」とし、私たちがどのようにして他人をうわさ話をまき散らしていると非難するか、について語られ、「もしも私たちが他の人についてうわさ話をし、壊してしまう誘惑にはまるなら、それはいつも悪魔か、私たちの誘惑の仕業です」と語られた。

 さらに教皇は、「悪、つまり邪悪な人々を速やかに取り除きたい、とする僕たちの強い望み」と、「賢明で、先を見ている神の計画」と対比させ、「イエスの弟子たちは、邪悪な人々を抑えつけるのではなく、救済することに力を注ぐよう、忍耐を求められているのです」と強調された。

 「今日読まれた福音は、of acting and of living history(行動に、そして生きた歴史に)二つの道があることを示していますー一つは『主人』が選ぶ道、もう一つは『僕』の選ぶ道です」と語られ、僕たちは畑の毒麦を取り除くことに注意を向ける道を取ろうとするが、主人は良い麦に関心があり、麦が毒麦と混ざってしまっていても、一緒に抜いてしまわず、守る道を知っている、と説かれた。

 最後に教皇は、「他の人の限界と欠点をいつも探し出そうとしている人々」に注意を与え、「教会と歴史の『畑』で静かに育っていく善を見分け、実がなるまで育てる道を知っている人」こそが、神のなさり方に倣い、力を合わせる人だ、と強調され、「善人に報い、悪人を罰するのは、神、神だけです」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)history

 

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2020年7月19日