♰「病める人を癒すのは、教会の本質的使命だ」年間第五主日の正午の祈り

 このイエスの行為は、「病める人を癒やすことが、教会にとっての『任意の活動』ではなく、その使命に欠かせないことだ、ということを示しています」とされ、11日の「世界病者の日」を視野に、「教会は、神の優しさを苦しんでいる人類にもたらすように、求められているのです」と強調。

 「病める人を癒やす」という「教会にとっての本質的な使命」は、現在の新型コロナウイルスの世界的大感染の中で、特に意識されねばならないこと、とされ、さらに、今日のミサの第一朗読で読まれたヨブ記で、苦しみのどん底にあるヨブが語っているように、「人間は高い尊厳のある存在だが、同時にとても脆い存在でもある」と付け加えられた。

*愛を込めて苦しみに対応する

 また教皇は、「イエスは、苦しみへの答えを説明なさいません。その代わりに、マルコ福音書に書かれているように、イエスはシモン・ペトロのしゅうとめになさったように、愛をもって、苦しんでいる人の側に行き,腰をかがめ、手を取って起こされることで、答えを出しておられる」とし、「神の子は、上から、あるいは遠くから、ご自分が主であることを示そうとはされません。親密さ、優しさ、思いやりの中でそうなさるのです」と語られた。

 最後に、教皇は、「この日の福音書の箇所は、イエスの苦しむ人たちへの深い思いやりが、父との親密な関係に根ざしていることを、私たちに思い起こさせます」。朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、祈られる(マルコ福音書1章35節)。この「祈り」から、「イエスがご自分の使命、説教、そして癒しを果たすための力を得られたのです」と改めて「祈ること」の重要性を強調された。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2021年2月8日