(2021.2.7 Vatican News Christopher Wells)
教皇フランシスコは7日、年間第五主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書のイエスが多くの病人を癒された箇所(1章29-39節)を考察された。
この日の教皇の正午の祈りは、新型コロナ感染防止のための規制がやや緩和される中で、久しぶりにサンピエトロ広場に集まった限られた人々を前に行われた。
このマルコ福音書の箇所の最初に出てくるシモン・ペトロのしゅうとめの癒しは、「イエスが、熱を出して寝ていた彼女に近づき、手を取り、起こされた」(30‐31節)と書かれている。教皇は「ここに、イエスの癒しの奇跡の特徴が示されています」とされた。
さらに、「癒された彼女が、すぐに普通の生活に戻り、まず自分ではなく、イエスや一緒に来た弟子たちのことを思い、世話をした」という、癒しの結果に注目。「これはとても重要です」とし、この行為は「健康」になったことのしるし、と指摘された。
*苦しむ人々へのイエスの特別な愛と教会の使命
イエスが癒しの奇跡をなさった日の夕方、村の人々が、病人や悪霊に取りつかれた人を、イエスの所に連れてくる。マルコ福音書のこの癒しの奇跡の箇所の初めから、「イエスの、体と心を病んでいる人たちへの特別の愛が示されています。それは、イエスが人となられ、その業と言葉で明らかにされる、父なる神の特別な愛なのです」と教皇は説かれた。
また、イエスに同行した弟子たちは主の奇跡の「目撃者」であり、「イエスは、彼らが単なる『見物人』ではなく、ご自分のこの地上での使命を分かち合うように勧め、彼らに病人を癒し、悪霊を追い出す力を与えるのです」とも語られた。
このイエスの行為は、「病める人を癒やすことが、教会にとっての『任意の活動』ではなく、その使命に欠かせないことだ、ということを示しています」とされ、11日の「世界病者の日」を視野に、「教会は、神の優しさを苦しんでいる人類にもたらすように、求められているのです」と強調。
「病める人を癒やす」という「教会にとっての本質的な使命」は、現在の新型コロナウイルスの世界的大感染の中で、特に意識されねばならないこと、とされ、さらに、今日のミサの第一朗読で読まれたヨブ記で、苦しみのどん底にあるヨブが語っているように、「人間は高い尊厳のある存在だが、同時にとても脆い存在でもある」と付け加えられた。
*愛を込めて苦しみに対応する
また教皇は、「イエスは、苦しみへの答えを説明なさいません。その代わりに、マルコ福音書に書かれているように、イエスはシモン・ペトロのしゅうとめになさったように、愛をもって、苦しんでいる人の側に行き,腰をかがめ、手を取って起こされることで、答えを出しておられる」とし、「神の子は、上から、あるいは遠くから、ご自分が主であることを示そうとはされません。親密さ、優しさ、思いやりの中でそうなさるのです」と語られた。
最後に、教皇は、「この日の福音書の箇所は、イエスの苦しむ人たちへの深い思いやりが、父との親密な関係に根ざしていることを、私たちに思い起こさせます」。朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、祈られる(マルコ福音書1章35節)。この「祈り」から、「イエスがご自分の使命、説教、そして癒しを果たすための力を得られたのです」と改めて「祈ること」の重要性を強調された。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)