♰「”物欲、傲慢の文化”がはびこる今こそ、柔和、謙遜、慈愛が必要」教皇、諸聖人の祝日正午の祈り

Pope at AngelusPope at Angelus  (Vatican Media)

(2020.11.1  Vatican News staff writer)

   教皇フランシスコは諸聖人の祭日を迎えた1日正午の祈りの説教で、イエスの山上の説教(マタイ福音書5章1~12節)を取り上げ、キリストの復活を基礎に置いた”大きな希望”について深く考えるよう、信徒たちに求められた。

 説教で教皇は、冒頭で、聖人たち、福者たちが「キリスト教徒の希望の最も権威ある証人」であることを確認されたうえで、信徒たちに、「心の清さ、柔和、憐れみ深さを選び、自分自身を主に委ね、正義と平和に献身」するようにお勧めになった。

 そして、山上の説教でイエスが説かれた八つの幸いのうち、二つ目(悲しむ人)と三つ目(柔和な人)の幸いを振り返り、この二つが聖性への道を示すもの、とされた。

 二つ目の幸いを、イエスは、「悲しむ人は、幸いである。その人たちは慰められる」と語っておられる。教皇は、まず、「この言葉は、矛盾しているように見えます。なぜなら、悲しむことは、喜びと幸福のしるしではありませんから」とされたうえで、「しかし、イエスは、苦痛、罪、日々の生活の困難のために嘆き悲しんでいても、すべてを置いて主を信頼し、主の下に身を寄せる人を祝福されます」と述べ、「彼らは無関心でも、痛みを感じ時に心をかたくなにすることせず、神の慰めを辛抱強く望んでいます。そして、このような人生においても、安らぎを経験するのです」と説かれた。

 三つ目の幸いで、イエスは「柔和な人々は、幸いである」とされ、「その人たちは地を受け継ぐ」と言われる。教皇は、柔和はイエスの特徴であり、ご自身についても、「私は柔和で、謙遜な者だから」(マタイ11章29節)と語っておられる、と指摘。「柔和な人は、自分を制御する方法を知っており、他の人のために道をあけ、話を聴き、生き方、彼または彼女の求めているものを大切にする人」とされた。「そのような人は、他の人を圧倒したり、委縮させたりしません。自分の考えや関心をもっぱらにしたり、押し付けたりし、他の人に不利益をもたらすようなことを求めません」と強調された。

 さらに教皇は「このような人々は、世の中の人々やその考え方からは評価されないかも知れませんが、神の目には価値ある存在です。神は彼らに、恵みとして約束の地、つまり永遠の命をお与えになります。この無上の幸せも、この地上から始まり、天国で全うされるのです」と説かれ、特に現在のように、世の中が非常に攻撃的になっている時代には、「柔和は、謙遜と慈愛と共に、前に進むために選ぶべき道です」とされた。

 そして、信徒たちに対して、心に清さ、柔和さ、そして憐れみのある人生を選ぶようにー心の貧しさと苦しみを神にお任せするように、と勧められ、「このようにすることは、世の中の考え方に”ついての、”所有欲、無意味な楽しみ、最も弱い者に対する傲慢”の文化”についての、現在の風潮に逆らうことを意味します」と心構えを説かれた。

 最後に教皇は、このような福音宣教の道は、聖人たちや福者たちが歩んだ道であること、今日の諸聖人を称える厳粛な祝いは私たちに「聖性への個人的、普遍的な使命を思い起こさせ、その旅ー一人一人が、聖霊の構想力に従って、唯一の、繰り返しのきかない道に踏み込む旅ーの確かな模範を示していること、を強調して、説教を締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2020年11月1日