♰「復活されたイエスは私たちに『希望』と『勇気』をくださる」聖土曜日・復活徹夜祭ミサで

  教皇フランシスコが11日夜、聖ペトロ大聖堂で復活徹夜祭ミサを司式され、ミサ中の説教で、「神はすべてのものを善きものにしてくださる」といく確信から生まれる希望と勇気の賜物のイエスのメッセージを中心に話された。

 ミサはこの日も、新型コロナウイルスの大感染が続く中で、インターネットやテレビ、ラジオなどを通して全世界の人々に動画配信され、多くの信徒たちがミサに参加した。

 説教では、復活されたキリストが、あらゆる歳の、全ての弟子に贈られた二つの賜物ー希望と勇気ーについて語られた。

 

*イエスを信じる者たちが迎えた最初の聖土曜日

 教皇はまず、弟子たちが迎えた最初の聖土曜日に、活発に動いたのは女​​性だったことを強調され、私たちは、今年、特別な仕方で、彼女たちと関わりを持つことができる、とされた。

 「彼女たちは、私たちと同じように、突然起きた予期しない悲劇を目のあたりにしました。死を目撃し、彼女たちの心に重くのしかかりました」。

  だが、そのような状況が、彼女たちの体を麻痺させることはなかった。そのかわりに、「単純だが、並外れた」ことをしたー彼らはイエスの体に塗る油と香料を用意した。

 「彼女たちはイエスを愛することをやめませんでした。心の暗闇の中に、慈しみの火をともしたのです」。

  もう一人の女性、聖母マリアはその日を祈りの中で過ごした。

 教皇は「その日は、彼女を称える日として捧げられることになりました」とされ、「イエスは、大地に埋められた種のように、この世界に新しい生命を花開かせようとしておられました。そして、ここに登場した女性たちは、祈りと愛によって、その希望を花にするのを助けたのです」と説かれた。

 

*夜明けとともに希望が訪れる

 夜明けとともに希望が訪れるーイエスに彼女たちが会うのだ。

 「恐れてはならない、恐怖に屈しないようにーこれが希望のメッセージです。このメッセージは今日、私たちに向けられています。まさに今夜、神が私たちに食べさせてくださる言葉なのです」と教皇は言われた。

 「希望は私たちの権利」と教皇は宣べられた。それは神から来る希望。楽観主義とは違う。「私たちが自分で手に入れるものではなく、天国からの贈り物です」とされた。「すべては良くなる」はこれまで数週間歌われた聖歌だが、何週間も経つうちに「最も大きな希望が雲散霧消する可能性があります」と語られたうえで、「だが、『イエスの希望』は違います。イエスは私たちの心に確信を植え付けられますー神は、墓の中からさえも命をもたらされるのだから、全てのこと善きものにされるとこが、おできになるーという確信です」と指摘。

 私たちの希望は、誰も現れ出たことのない所ーつまり墓から出てきた人、にある。教皇は「墓の入り口をふさいだ石を転がした方は、私たちの心の石も取り除くことができます…。イエスは私たちを見捨てませんでした。私たちを訪ね、私たちの痛み、苦悩、そして死にお入りになりました。イエスの光は墓の闇を取り払いました。今日、イエスはその光が私たちの暮らしの最も暗い隅まで及ぶことを望んでおられるのです」と強調された。

 

*勇気

 主の勇気の賜物は、私たちが心の前に置いたわずかな石さえも転がしてのみ、受け取ることができる。復活した主の光は、このように私たちの最も深い恐怖にも達することができる。イエスが、弟子たちよりもガリラヤにおいでになったように、「主は私たちの前をお進みになる」ことを教皇は思い起こされ、次のように語られた。

 「イエスが生と死において、私たちの前を歩まれることを知ることは、励みになります。イエスは私たちの前に、ガリラヤーつまり、イエスと弟子たちにとって、日々の暮らし、家族、そして仕事を思い起こす場所ーにおいでになるのです。イエスは私たちがそこに、日々の暮らしに、希望をもたらすことを望んでおられます。カリラヤは、弟子たちにとって思い出深い場所でした。そこでイエスに最初に呼ばれたからです。ガリラヤに帰ることは、私たちが神に愛され、呼ばれたことを思い起こすことを意味します」。

 

*希望のメッセージを発散する

 ガリラヤはまた、「聖なる都の神聖さ」から最も離れた場所を意味している。異教徒が住んでいた場所、イエスは復活された直後に弟子たちを向かわせた場所だ。教皇はこれを、「希望のメッセージは聖なる場所に限定されるべきではない」ということを象徴している、と解釈される。

 希望のメッセージは、どこに住んでいるかに関係なく、すべての人を対象としている。教皇は、私たちキリスト教徒は、自分たちの周りの「ガリラヤ」があるところならどこにでも、「命の歌を届ける」必要があるとされ、「『命の言葉』に触れた私たちが『命の歌』を歌わないなら、誰が歌うのでしょう?」と問いかけ、次のように訴えられた。

 「死の叫びを黙らせましょう、戦争を繰り返さないように!私たちが武器の生産と取引を止めますように。私たちには銃ではなく、パンが必要です。堕胎と無実の命を奪うのを終わらせましょう。物に満たされている人の心が、生きるために欠かせない物を持たない人を満たすために開かれますように」。

 

*イエスの足をかき抱く

 女性たちは、墓に入られ、そこからお出になった方の足ー「死を踏み潰し、希望の道を開かれた足」を、かき抱いた。

 教皇は説教の締めくくりに、こうイエスに呼びかけられた。「今日、希望を求める巡礼者として、私たちは復活されたイエス、あなたに、しがみつきます。私たちは死に背を向け、心をあなたに開きます。あなたが命そのもの、だからです」。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

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2020年4月12日