♰「壁を作る者は結局、自分が閉じ込められる」ーモロッコから帰途の機上会見で

(2019.3.31 VaticanNews Linda Bordoni)

 教皇フランシスコは、モロッコ訪問を終えてローマにもどられる機上で随行記者団との会見に応じ、様々な質問にお答えになった。

 *キリスト教とイスラム教の対話-エルサレムで共同声明

 まず、記者団からの「今回のモロッコ訪問が世界の平和と異文化間対話にどのような影響をもたらすと考えるか」との質問に、教皇は「今、花が咲いています。実がなるのはその後でしょう」と前置きし、今回のモロッコ訪問とそれに先立つアブダビ訪問で、平和、一致、そして兄弟愛について話すことができて満足している」と答えた。

 そして、モロッコで信教の自由、全ての兄弟姉妹が敬意をもって受け入れられていることを、実際にこの目で見て心を打たれた、とし、「これが(注:異文化、異宗教の)共存の花。実を結ぶことを約束しています。私たちはあきらめてはなりません!」と訴えた。

 ただ、困難な問題がなお存在していることも認め、「どの宗教でも、原理主義的な集団がいつもいるものです。彼らは前に進むことを嫌い、辛い記憶のうえに、過去の争いのうえに生き、さらなる戦いと恐怖の種を撒こうとています」と批判する一方で、兄弟愛的な対話のために働き続ける必要があることを強調。人間的な関係が様々なレベルで存在する時、対話がさかんになる、とし、「人間であるなら、頭と心と手がある。そして、(注:その三つを使って)合意書の署名がなされます」と述べた。

 また、教皇はモロッコ国王と、エルサレムの唯一性と聖性、人類と3つの唯一神教の信者たちのための共通の遺産、出会いの場所、平和的共存の象徴としての性質を認める共同アピールに署名したことに触れ、「これは、モロッコとバチカンの権力者による一歩前進ではなく、この希望の町がまだ私たち-ユダヤ教徒、イスラム教徒、そしてキリスト教徒-すべてが望む万人のものになっていないことに耐えている各宗教を信じる兄弟たちによる一歩前進です… 私たちはエルサレムの全ての市民、宗教を信じるすべての者たちです」と強調した。

 *壁でなく、橋を作れ

 橋の代わりに壁を作ろうとする人々については、「彼らは結局は、自分たちが作った壁に閉じ込められるでしょう」と批判。一方で、橋を作る人は大きく貢献する、としつつ、橋を作るには大変な努力が必要なことも認めた。教皇は、これに関連して、ユーゴスラビアのノーベル賞作家イヴォ・アンドリッチの代表作「ドリナの橋」(作家自ら幼少期を過ごしたドリナ川に面するヴィシェグラードを舞台にした歴史小説)に触れ、そこに出てくる橋は神が天使の羽で作ったものなので、人々は互いに連絡を取ることができる、と書かれている箇所にいつも心が打たれる、と語った。そして、橋と違って、壁は連絡を邪魔し、孤立させる、そして壁を作る者は囚人になるだろう、と改めて非難した。

 キリスト教に改宗し、どの国でも安全にすごせないという元イスラム教徒についての質問には、教皇は、カトリック教会は300年前に教理から異教徒に対する死刑を撤回した、それは、教会は、自身の信仰に対する意識と理解する能力を成長させ、個人と信教の自由に対する敬意を高めたためだ、と説明。世界の国の中に、改宗の問題が続いる国がある、としながら、あらゆる宗教を信じる人々が守られているモロッコのような国があることを強調した。

 教皇はまた、キリスト教国の中にも、良心の自由に制限がある国があり、医師から安楽死について良心的に拒否する権利が奪われている例がある、とし、「どうして、教会は前進し、キリスト教国は後退するということが、起きているのでしょう?」と問いかけ、自分たちキリスト教徒は、いくつかの国の政府から、信仰の自由への第一歩である「良心の自由」を奪われる危険にさらされている、と警告した。

 聖職者の性的虐待に関連した質問も出され、虐待隠蔽で取り調べを受けているフランスのバーバラン枢機卿について聞かれた教皇は、現時点では無実の可能性もあり、捜査中のことでもある、と司法の原則を強調。裁判所の判断が確定するまでは、メディアとして”有罪宣告“をする前に「よく考えなおす」ように、記者たちに求めた。

 *”欧州の冬”-移民の恐怖に捕らわれ-”安全”を説きつつ武器を売る

 教皇は世界の政治指導者たちに移民・難民を保護し、助けるように繰り返し求めていることに関連して、ある記者から「欧州の政治は教皇の意向とは全く逆の方向に進んでおり、大衆迎合政治がほとんどのキリスト教徒の意見を反映したものになっている。このような悲しい実態をどう考えるか」という質問があった。これに対して教皇は、「カトリック教徒だけでなく、とても多く善意の人々が恐怖に捕らわれているように見えます… 恐怖は独裁政治の始まりです」と警告。

 戦前のドイツでワイマール共和国が崩壊し、ナチス・ドイツが台頭したことを想起して、「歴史の教訓を忘れてはならない」という自身の信条を示し、「恐怖の種を撒くことは、残虐、閉鎖、不毛を収穫することにつながります。欧州における民主主義の冬について考えてください。イタリアに住む私たちでさえも、”氷点下“で生きています」と警鐘を鳴らし、欧州は移民によって作られ、富となっていることを示す「歴史の記憶」が欠落してしまっている、と非難した。

 また、欧州諸国が首尾一貫して”安全”の必要性を説きながら、子供たちを殺すためにイエメンに武器を売っていることを指摘し、「これは例として申し上げているのですが、欧州は武器を売っているのです」「そうして、飢えと渇きの問題が起きています。もしも欧州が祖母でなく母となりたければ、投資をしなければなりません-教育を通して、投資を通して、成長を助けるように賢明な努力をせねばなりません… 力によって移住を無くそうとしてはなりません。寛大な援助、教育支援、経済的な投資による必要があります」と訴えた。

 そして、欧州に来る移民をどのように受け入れ、配分するかについて、教皇は「一つの国ですべての移民を受け入れることができないのは事実です。欧州の全ての国が分担し受け入れることです」と述べ、移民の受け入れは「開かれた心をもって、寄り添い、推進し、仲間にする」ことが必要、と強調した。

(翻訳「カトリック・あい」南條俊二)

 

 

 

 

 

 

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2019年4月1日