♰「『祈り』と『貧しい人たちとの連帯』は切り離せない」ー11月の「世界貧者の日」に向けて

Pope Francis has lunch with the poor in the Paul VI HallPope Francis has lunch with the poor in the Paul VI Hall  (Vatican Media)

 さらに、「弱い人を支え、苦しむ人を慰め、痛みを和らげ、身の回りの物を取り去られた人の尊厳を回復するために、積極的に働くことは、人生を全うするための条件です」とされ、「神の恵みの力は、いつも自分を第一に考える利己的な傾向に妨げられることがありません」とされたうえで、「貧しい人たちに視線を常に注ぐことの難しさ」を認めつつ、「自分の私生活と社会生活に正しい方向性を与えたいなら、それが、これまで以上に必要になるのです」と説かれた。

 

*新型コロナウイルスの大感染の中で、「隣にいる聖人たち」に賛辞を

 教皇は、このメッセージの相当のスペースを新型コロナウイルスの世界的大感染の問題に割かれ、これまで感染者たちの治療に当たって来た医師や看護師によって「差し伸べられた手」に心を向けられ、管理・運営に当たっている人、薬剤師、司祭、ボランティアなど、昼夜を問わず、賛辞を浴びることもなく自身を捧げてきた人たちが「差し伸べた手」にも称賛の言葉をかけられた。

 そして、「今経験していることは、私たちの沢山の思い込みを覆しています。自分たちは弱く、自分だけではやっていけない、と感じています。それは、私たちの限界、私たちの自由が制限されていることを知るようになったからです… 雇用の喪失、愛する人や知人にいつも会うことのできる機会の喪失は、これまでずっと当たり前だと思っていたことが、そうではないことに私たちを気付かせました」と指摘。

 そのうえで、教皇は「今こそ、『私たちが互いを必要としている、他者と世界に対する責任を共有している』という確信を取り戻す、絶好の機会」と強調しつつ、「私たちが隣人とすべての人に対する責任感を取り戻すようになるまで、深刻な経済的、財政的、政治的危機が続く」ことへの心構えも説かれた。

*「手を差し伸べよ」は、貧困の現実に動じない人々への挑戦

 教皇は、今年のテーマ「貧しい人々に手を差し伸べよ」を改めて取り上げ、それが「人間の家族の一員である男性と女性としての責任と約束への招き」であるとし、人々を強制的に隔離した新型ウイルスの大感染の最中にあっても、神の御言葉は「愛の業をするようにと、常に私たちを促しているのです」と説かれた。

 そして、「貧しい人々に手を差し伸べよ」という言葉は、「手をポケットに入れたまま、自分が加担している貧困の現実に動じないでいることを良しとする人々の態度への、挑戦です… そしてそうした『手』の中には、子供たちを含む人々に死と貧困をもたらすために使われる武器を売り、金を設けるために、『差し伸べ』られている… それなのに、なおも、偽りの尊敬を見せびらかし、自分たちが守りもしない法律を彼ら自身が守っていない法律を定める人もいる」と、その言葉に背く人々を強く批判した。

 

*私たちの最終目標は愛だ

 メッセージの最後に、教皇はシラの書の「何事をするにつけても、お前の終わりの日を思え」と書かれている箇所を思い起こされ、「私たちのすべての活動の『終わり』は、ただ愛のみにすることが可能です。それが私たちの旅の究極の目標であり、何ものも、私たちを踏み外させるべきではありません」とされた。

 そして、笑顔でさえも、貧しい人々と共有できるものであり、愛の源であり、愛を広める手段でもある、とし、「差し伸べられた手は、キリストの弟子の一人として生きることの喜びによってのみ力づけられ、静かに、控えめに支援を申し出る人々の笑顔によって、常に豊かになるのです」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2020年6月14日