☩「闇を光へと変えるキリストの輝き」降誕祭の前に-2018年を回顧

(2018.12.21 バチカン放送)

 教皇フランシスコは、12月21日、バチカンの高位聖職者らを前に、降誕祭に先立つ講話を行われた。

 毎年の恒例であるこの集いには教皇庁の諸機関・部門の責任者を務める枢機卿・大司教・司教らが出席。教皇と降誕祭前の挨拶を交わす。

 教皇はこの席で、過ぎた一年を振り返り、聖職者らによる未成年者の虐待をはじめ、カトリック教会を揺さぶる様々な問題を見つめられる一方、降誕祭がもたらす神の光に、教会の喜びと希望を託され、「降誕祭は私たちを喜びで満たし、いかなる罪も、神のいつくしみの大きさには及ばず、どのような人間の振る舞いも、人の心に再び昇る神の曙光を妨げることはできないと確信させる祭日です」と語られた。

 教会は、世の迫害と、神の慰めの間を巡礼し、主が来られる時まで、主の受難と死を告げ知らせる(参照:コリントの信徒への手紙➀1章26節)。

*教会という舟が嵐、突風に見舞われた一年-でも多くの人はつかまり続けた

 教皇は今年一年を「激しく揺れ動く世界において、教会という船は、この一年、困難な時を体験し、嵐や突風に見舞われました」と振り返られた。

 そして、こうした中で、多くの人は、師イエスに「先生、私たちが溺れてもかまわないのですか」(マルコ福音書4章38節)と問い、ある人々は、様々な報道に驚き、教会に対する信頼を失い、教会から離れ、また他の人々は、怖れから、あるいは利害から、教会を叩き、その傷をより大きくし、さらにある人々は、教会が打撃を受けたのを見て満足を隠さなかった。それでも、「数多くの人々は確信のもとに舟につかまり続けました」と話された。

*最も破壊的だったのは教会内部の問題、そして「新たな殉教者」の時代

 喜びと苦しみ、成功と困難、外部と内部の間を行く、教会の歩みを振り返る中で、「最も苦しみに満ち、破壊的であったのは、教会内部の問題でした」と述べられ、教会にとっての苦しみとして、「祖国を離れざるを得ない多くの移民」「水・食料・医療の欠如のために命を失う子どもたち」「弱い立場の人や女性に対する暴力」「多くの戦争、無実の人々が流す血」などを挙げられた。

 そして教皇は、現代を「新たな殉教者」の時代と呼び、「古代ローマ時代のキリスト教徒への残忍な迫害は、終わりを見ないようにさえ思われます」とし、「今日も世界各地で迫害と差別、不正の重みに耐え、勇気をもって信仰を証しするキリスト教徒たちの存在を教皇は思い起こしながら、未だ多くの場所で宗教と思想の自由が保障されていない現実」を指摘された。

*教会を苦しめる悪「聖職者の性的虐待」と2月の全世界司教協議会会長会議への期待

さらに、教会を苦しめる悪として「特に聖職者などによる未成年者への虐待問題」を挙げ、「司祭や修道者が自分の影響力を利用して弱い人たちを搾取し、そのおぞましい行いにも関わらず、何事もなかったかのように教会の役務を続けることは、神をも畏れぬ、教会の体を傷つける振る舞いです」と、人々をつまづかせ、教会への信頼を失わせる行為を非難された。

 そして、来年2月にバチカンで開催される「未成年者の保護」をテーマとする全世界司教協議会会長会議において、「いかに子どもたちを守り、このような悲劇を防ぎ、被害者を癒し、神学校での育成を強化する」かが話し合われることに強い期待を示され、未成年者を搾取する者たちに対し「回心し、自らを人間の裁きに委ねつつ、神の裁きに備えるように」と呼びかけられた。

*「若者シノドス」、バチカン改革、新たな列福、列聖…輝きが闇を光に

 また、教会のもう一つの苦しみとして、「自身の召命や誓い、神と教会に対する使命や奉献を裏切り、教会内に毒麦を植え付け、分裂と当惑を生む人々の不忠実」に言及。「キリストの光を再び輝かせるために、私たち皆があらゆる形の精神的腐敗と闘わなければなりません」と訴えられた。

 これらの苦しみに対し、教皇は、今年、教会に与えられた多くの喜びにも触れられた。教皇は、その中でも特に若者と召命をテーマに開催されたシノドス、教皇庁内で進む改革、アルジェリアの殉教者をはじめとする新しい福者・聖人の列福・列聖を挙げられ、「私たちの心を真の光、キリストに開きましょう」「その輝きは私たちの命を照らし、私たちの闇を光へと変えるでしょう」と話された。

 最後に、「降誕祭は、私たち人間の惨めさにも関わらず、神の光は輝き続けるという確信、教会はこの動揺から抜け出し、より美しく、清く輝くだろうとの確信を、私たちに与えてくれるのです」と励まされた。

(編集「カトリック・あい」)

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2018年12月23日