☩「私たちも『仲間でない人』を排除していないか」

(2018.9.30 VaticanNews  Sr Bernadette Mary Reis, fsp)

 教皇フランシスコは30日、サンピエトロ広場に集まった数千の人々共に正午の祈りをささげる前の説教で、この日の主日の福音(マルコ福音書9章38∼43節、45節、47∼48節)をもとに、すべての人を通して神が働かれることを正しく認識するように、というイエスの勧めを強調された。

 この福音の箇所は、イエスと弟子たちが教えを宣べ伝えている中で、弟子たちが自分たち以外の者が悪霊を追い出すのを妨げた場面を描いている。ヨハネはイエスに自分たちのやったことを認めてもらいたい、と思っているが、イエスは彼らの思惑とは違う答えをなさった。

 「ヨハネと他の弟子たちは、イエスが好ましいと考える彼ら以外の人の行為に、閉鎖的な態度をとります。なぜなら、自分たちの集団以外の人の行為だからでした」とされた教皇は、「イエスは、弟子たちよりもずっと自由な考えをお示しになります。神の霊の自由に完全に心を開いておられます-神の行為はどのような境界、そのような囲い込みにも制限されないのです」と強調された。

 この場面で、イエスはご自身の態度によって、内にある自由と言うものが何かを、弟子たちに教えている。教皇はそこで、私たちも良心のテストをするように提案された。それは、「自分たちの仲間」でない人を排除する態度は、どこのキリスト教共同体にも見られるからだ。

 教皇は、このような排除の行為は、嫉妬の表れや、創設者や指導者のカリスマ的な体験を守ろうとする熱意から来るものであったりすることがあるが、時としてそれは、新参者を除外する「争い」になる可能性があり、そうやって、私たちは、単に「彼らは自分たちの仲間ではない」というだけの理由で、他の人の良き行いを正当に評価できなくなる、と指摘され、次のように呼びかけられた。

 「これは、イエスが今日、私たちに下さった招待状です。イエスは私たちに呼びかけます-『味方か敵か』『自分たちか彼らか』、あるいは、誰が内側にいるか、外側にいるかというふうに人を分けて考えないように、そのようなことにこだわらず、普通ではない、予想できないような所、私たちの集団に入っていない人々の間にも、神の存在と働きがあることが分かるように、心を開きましょう」。

 そして、最後に、神の驚くようななさり方を素直に受け入れる模範として、私たちの中に主がおられるしるしを認識するように、主がご自身を明らかにされるどこにでも、まったく考えられないような、尋常ではない状況の中にあっても、主を見出すことが出来るように、聖母マリアの助けを祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2018年10月1日