☩「私たちは歴史から学ばず、”カインの亡霊”に魅入られている!」マルタから帰国途中の機上会見で

Pope Francis answers questions during an inflight press conference from MaltaPope Francis answers questions during an inflight press conference from Malta  (Vatican Media)

(2022.4.3  Vatican News)

   2日間のマルタ訪問を終えて教皇フランシスコは3日、ローマへの帰途の機上会見で、ウクライナで続いているロシアが引き起こした戦いと、首都キーウへのご自身の訪問の可能性などを中心に、記者団の質問におお答えになった。

 (以下は、非公式英語訳をもとに翻訳した機上会見での質疑の内容)

【ご自身の健康について】”ゲーム”がどう終わるか分からない

問:マルタにお出でいただいたことに感謝します。私の質問の第一は、今朝の聖ジョージ・プレカが埋葬されている礼拝堂での出来事です。マルタの人々はとても驚きましたが….  もう一つお聴きしたいのは、今回のご訪問で印象に残ったこと。それと、ご自身の健康状態です。今回のご訪問で厳しい日程をうまくこなされたようですが。 (Andrea Rossitto with TVM)

教皇:私の健康は少し気まぐれです、膝に問題があり、歩き回ったり、ただ歩いたりするのに問題が起きます。少し面倒ですが、良くなっており、少なくとも、外に出ることができる。 2週間前、私は何もできませんでした。(回復に)時間がかかっています。回復するかどうか確かめましょう。でも、私の年齢では、ゲームがどのように終るか分からない、疑問が起きる。うまくいくことを願いましょう。

 マルタ訪問について。私は訪問に満足しています。マルタの現実を見ました。ゴゾとマルタ、バレッタ、そして他の場所で、人々の熱意に心を打たれました。通りには大きな熱意がありました。私は感嘆しました。訪問期間が少々足りなかったようですね。

【避難民の受け入れ】特定の国に過度の負担がかからないように

 訪問中に私が改めて強い印象を持ったのは、避難民の問題です。ギリシャ、キプロス、マルタ、イタリア、スペインはアフリカと中東に最も近い国々であり、そうした地域からの上陸地となっており、避難民の受け入れ問題が深刻です… 彼らは常に歓迎されなければならないのです!問題は、各政府の避難民の受け入れ可能人数です。これには欧州諸国の間の合意が必要であり、すべての国に避難民を受け入れる意思があるわけではありません。欧州が移民によって作られたことを忘れてはならない。受け入れができる人数に差があるとしても、積極的に受け入れようとしている国ーマルタもその一つですがーに、すべての負担をかけないようにしましょう。

 今日、私は避難民受け入れセンターを訪れました、避難民の辛い経験を聞きました。センターに来るまでに大変な苦労をしています。収容所… 彼らが海を渡る途中で捕まり、送り返された時に入れられるところの一つにリビアの海岸の収容所があります。これは犯罪のようですよね?欧州諸国が、扉をたたくウクライナ人のために積極的に部屋を用意するように、地中海を渡って避難して来る人たちにも、そうしてください。

 

【ウクライナ訪問は?】選択肢の一つだが、まったくの検討段階

問:昨日マルタに来る途中の機上会見で、あなたは記者の1人の質問に、キーウ訪問は「机上にある」とおっしゃいました。マルタ訪問中、ウクライナの人々のそばに居ることの重要性について言及され、直前1日のローマで、あなたと会談したポーランド大統領が、同国国境へのご訪問の道を開きました。今日、キエフの近くの村、ブチャからの映像を見て衝撃を受けました。撤退したロシア軍によって破壊された村の通りに、数多くの遺体が放置されています。今、(このような悲劇が繰り返される中で、)教皇が現地においでになることの必要性が一段と高まっているようです。そのようなご訪問は、実行可能だと思いますか?そして、ご訪問が可能になるためには、どのような条件が満たされる必要がありますか? (Jorge Antelo Barcia with RNA)

教皇:私がまだ知らないニュースを教えてくださり、ありがとう。戦争は常に残酷な行為であり、人間の精神に反する非人間的な行為です。非キリスト教徒、ではなく、非人間的、です。それは(注:創世記で、人類最初の殺人者とされている)カインの亡霊、「カイニスト」の行為です… 私は(注:ウクライナ戦争を止め、平和を回復させるために)必要なことは何でもするつもりです。今でも、バチカンは、特に外交分野でパロリン枢機卿(国務長官)とギャラガー大司教(外務局長)があらゆる努力を… 可能な限りのすべてを尽くしています。慎重さや守秘義務のために、彼らが進めているすべてを公けにはできませんが、私たちの仕事の限界を押し広げています。

 そうした努力の可能性の中には「訪問」があります。可能な訪問は二つ。ポーランド大統領は、自国が受け入れているウクライナ避難民と会うためにクラジェフスキー枢機卿を送るように私に要請しました。枢機卿は既に2回訪問し、2台の救急車を寄贈しています。そして、再度、訪問するでしょう。喜んで訪問します。

 もう一つの選択肢は、あなた方の何人かが質問された、私の「訪問」です。私は、誠実に答えましたー訪問を計画しています、その可能性は依然として変わりません、と。 「いいえ」はありません。私は訪問の用意があります。そのような訪問について、私はどう考えるか?あなた方の質問はこうでしたー「あなたがウクライナ訪問を考えていると聞いています」。私は「それは机上にある」と。それは私が受け取った提案の1つですが、それができるかどうか、それが適切であるかどうか、そしてそれが最善であるかどうか、それを実行するのに適しているかどうか、私が行くべきかどうかは分かりません。… まったくの検討の段階です。

 ここしばらく、ロシア正教会のキリル総主教との会談について検討されています。今はその取り組みの最中で、中東が会談の場となる可能性があります。これが現在の状況です。

 

【プーチン大統領との対話】昨年末に誕生祝の電話をもらった際に言葉を交わしたが

問:ご訪問中に、ウクライナでの戦争について話されましたが、皆がお尋ねしているのは、「この戦争が始まってから、プーチン大統領と話をされのか」です。もし話しをされていないのなら、今日、彼に何と言おうとお思いですか。 (Gerry O’Connell with America Magazine)

教皇:私があらゆる面で当局者たちに言ったことは公になっています。どれも秘密ではありません。私が総主教と話した時、彼は私たちがお互いが話したことについて立派な声明を発表しました。

 昨年末に、私はロシア大統領と話をしました。彼が「誕生日おめでとう」と私に電話をくれた時です。ウクライナの大統領とは二度、話しました。そして、戦争が始まった日に、私はロシア大使館に足を運びました。ロシア国民のバチカンにおける代表である大使と話をし、質問し、私の思いを伝えねばならない、と思ったからです。

 キーウのシェフチュク大司教とも話をしました。また、あなたがたの記者の1人、リヴィウで働いていたが今はオデッサに移っているエリザベッタ・ピケとは、2、3日おきに連絡を取り合っています。彼女は私に現在の状況について知らせてくれます。神学校の学長とも話をしました。

 また、亡くなったあなた方の同僚たちにお悔やみ申し上げます。どちらの側にいるかは、問題ではありません。あなた方の仕事は公益に奉仕することであり、彼らは、情報を伝える仕事、公益のための仕事の最中に倒れました。彼らのことを忘れないようにしましょう。彼らは勇敢でした、そして私は、彼らのために、主が彼らの仕事に対して報いてくださるように、祈ります。

 

【戦争について】「二度と悲劇を繰り返さない」という約束を皆が忘れている

問:仮に、(プーチン大統領と話す機会があったら)、どのようなメッセージを彼に出されますか?

教皇:私がすべての関係者に出したメッセージは、公にしています。私は”二重表現”をしません。いつも同じことを話しています。

 あなたの質問には、正義の戦争と不正義の戦争についての疑問もあるようですね。すべての戦争は不正義から発します。それが戦争の様式だからです。平和の様式ではありません。武器を手に入れるために投資をする場合、 「自分たちを守るために必要なのだ」と言う人もいます。これが戦争の様式です。

 第二次世界大戦が終わった時、誰もが「二度と戦争をしない」と言い、平和を誓いました。広島と長崎(に原爆が投下された)後、平和のために、武器を、核兵器を提供しないー平和への取り組みの波が起きました。そこには、大きな”善意”があった。それから70年以上たって、私たちは、それを全く忘れてしまいました。そして戦争の様式が取って代わっています。以前の国連の活動には大きな希望がありましたが、戦争の様式に染まっている。それ以外の様式を想像できない。平和の様式を考えられなくなっているのです。

 私が回勅「Fratelli tutti (兄弟の皆さん)」の文末に記した、ガンディーなどのように、平和の様式に自らを賭けた素晴らしい人たちがいます。だが、私たち人類は頑迷です。”カインの亡霊”で、戦争に恋をしてしまいます。聖書の初めに、この問題が示されているのは、たまたま、ではありません。

*【ノルマンディー上陸作戦】多くの若い犠牲者のことを誰も口にしない

 聖書の冒頭でこの問題ー平和の魂ではなく、人殺しの”カイニスト”の魂ーが記されているのは、たまたま、ではありません。 (注:カインは言った)「父よ、(私の過ちは大きく)背負いきれません!」

 個人的なことをお話しします。2014年に、レディプーリア(注:イタリア北東部にある第一次世界大戦の戦死者を弔う大規模な軍事墓地)で(注:戦死者を追悼し、平和を願うミサを奉げた時)、戦死者たちの名前を見て、私は涙を流しました。その後、死者の日に追悼ミサを奉げに、アンツィオに出掛け、その地で倒れた人たちの名前を目にしました。若い人たちばかりで、私はまた涙を流しました。私たちは、墓の前で涙を流さざるを得なくなります。

 もう一つの私の経験です。ノルマンディー上陸作戦の記念式典があり、関係国の政府を代表する人たちが出席しました。だが、彼らがあいさつで、その海岸で命を落とした約3万人の若者たちについて語った、という記憶はありません。若者たちは関係が無い… おかしなことです。私は悲しく思います。私たちは(注:過去の失敗から)決して学ぶことをしません。

 主が、私たち、私たちすべてを、憐れんでくださいますように。私たちは皆、罪人です!

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2022年4月4日