☩「神は、私たちを限りなく赦してくださる」年間第24主日の正午の祈り

(2023.9.17 Vatican News  By Deborah Castellano Lubov)

    教皇フランシスコは年間第24主日、17日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマタイ福音書(18章21-35節)の「7の70倍までも赦しなさい」と弟子たちに促された言葉に注目、「イエスは、限りない慈しみをもって私たちを赦されたように、常に他者を赦すよう、私たちを諭されておられます」とされ、「その計り知れない愛に満ちた慈悲に倣うことで、私たちの心に平和が取り戻されるのです」と語られた

 マタイ福音書のこの箇所で、ペテロはイエスにこう尋ねる。「主よ、兄弟が私に対して罪を犯したら、何回赦すべきでしょうか。7回までですか?」。

 「聖書の中で『7』は完全性を示す数字です。ですから、ペテロがイエスに尋ねた『7回』そのものが、とても寛大な赦しだった」とされた教皇は、 「それでも、イエスはさらに進んでこう答えられました-『あなたに言っておく。7回どころか7の70倍までも赦しなさい』と。イエスはペトロに、赦す回数を計算する必要はない、いつでもすべてを赦すように、と言われました」と指摘。神が私たちに対して、このようにしてくださったのですから、私たちも同じように、他者をいつも赦すように求められているのです」と説かれた。

 さらに教皇は「イエスのメッセージは明らかです。神は計り知れないほど、あらゆる尺度を超えて赦してくださる、ということです。 神は無償の愛をもって行動されます。私たちは神に報いることはできませんが、兄弟姉妹を赦すとき、私たちは神に倣うことになります。したがって、赦しは善行ではなく、人ができるかできないかではありません。赦すことは、これがキリスト教徒の『基本的な条件』です」と説かれた。「神は私たちのために命を与えてくださったのですが、私たちがその憐れみに報いることは決して、できません…」と繰り返された。

     そのうえで、「しかし、神の心からの無償の行為に応えることによって、つまり、互いに赦し合うことによって、私たちは神を証しし、自分たちの周りに新しい命の種を蒔くことができる」と指摘。「赦しの外には希望がなく、赦しの外には平和がない。赦しは、憎しみによって汚染された空気を浄化する”酸素”であり、恨みの毒を消す”解毒剤”であり、怒りを鎮め、社会を汚染する非常に多くの心の病いを治す治療法方法なのです」と強調された。

 そして教皇は、正午の祈りに参加した信徒たちに、次のように自問するよう促された。

 「私は神から計り知れない赦しの賜物を受け取った、と信じているだろうか? 私がつまずいたとき、たとえ他者が赦してくれなかったとしても、自分で自分を赦せなかったとしても、神にはいつでも私を赦して下さる用意があるということを知って、喜びを感じるだろうか?」

 続けて教皇は、「自分を傷つけた人たちを赦すかどうか、についても自分に問う必要があります」と言われ、これを念頭に置いて、「皆さんに、ちょっとした練習問題を出そうと思います」とされ、「今、私たちを傷つけた人のことを思い起こし、彼らを赦す力を主に求めましょう。 そして主への愛をもって、彼らを赦しましょう。それは私たちにとって良いことであり、私たちの心に平和が取り戻されるでしょう」と説かれた。

 そして、最後に、「私たちが神の恵みを受け入れ、互いに赦し合うことができるように、慈しみの母マリアが助けてくだいますように」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2023年9月17日