(2024.2.18 Vatican News Linda Bordoni)
四旬節第1主日の18日、教皇フランシスコは正午の祈りに先立つ説教で、荒れ野でサタンの試みを受けるイエスを描いたマルコの福音書(第1節12‐15節)を取り上げ、「荒れ野」が象徴することの重要性を指摘され、「荒れ野―沈黙、内なる世界―に入り、心の声に耳を傾け、真実に触れるように」と信者たちに呼びかけられた。
そして、教皇は、「荒れ野で、キリストは野獣たちと共におられ、天使たちはキリストに仕えていた。 野獣と天使は彼の仲間でしたが、それは象徴的な意味でです。私たちも”内なる荒れ野”に入ると、野獣や天使に出会うことがあります」とされ、「霊的な生活において、野獣とは、私たちの心を分裂させ、奪おうとする、乱れた情熱と考えることができます。彼らは魅惑的で、注意しないと、私たちは彼らに引き裂かれる危険があります」と注意された。
さらにそのような”魂の野獣”は「私たちを黙認と不満の中に閉じ込める『富への欲望』、落ち着きのなさと孤独に陥らせる『虚栄心』、『名声への渇望』」であり、私たちの心に不安を生じさせ、自分が認められたい、目立ちたい、という継続的な欲求を引き起こすのです」と警告された。
そして、「このような”野生の獣”に対しては、戦わねばなりません。 さもないと、彼らは私たちの自由をむさぼり食ってしまう。彼らの存在に気づき、彼らと向き合うために、私たちは荒れ野に行く必要があります」と説かれた。
次に教皇は、荒れ野での天使の存在に注目され、「天使は神の使者であり、私たちを助け、私たちに良いことをしてくれます。彼らの特徴は、『奉仕』にあり、無秩序な情熱とは正反対の立場にある」と指摘。
「誘惑が私たちを引き裂こうとする一方で、善良な神からの霊感によって私たちを調和させ、団結させます。心を潤し、キリストの”味”、つまり”天国の味”を注いでくれます」とされ、「神からの霊感による考えや感情を私たちが理解するには、沈黙と祈りが必要であり、四旬節がまさに、それを行う時なのです」と強調された。
説教の最後に教皇は、2つの重要な問いかけをなさった。 「私の心を揺さぶる、乱れた情念、『野獣』とは何なのか?」 「神の声が私の心に語りかけられるようにし、それを良い状態に保つために、私は、しばし『荒れ野』に退くこと、つまり、考察のために場を捧げることを考えているだろうか?」
そして、「御言葉を守り、邪悪な者の誘惑にさらされることのなかった聖母マリアが、この四旬節の間、私たちを助けてくださいますように」と祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)