☩「兄弟姉妹愛をもっての”咎め”は、大いなる愛の表現」 年間第23主日正午の祈り

Pope Francis waves to pilgrims in St. Peter's SquarePope Francis waves to pilgrims in St. Peter’s Square  (Vatican Media)

アンジェラス教皇:兄弟矯正は偉大な愛の表現

(2023.9.10 Vatican News By Devin Watkins)

 教皇フランシスコは年間第23主日の10日、正午の祈りの前の説教で、この日読まれた福音書(マタイ18章15-20節)の箇所を取り上げられ、イエスが、「ある人が自分に対して罪を犯したとき、二人だけの所で、兄弟として咎(とが)めなさい」と弟子たちに勧められた箇所に注目された。

 この箇所で、自分に罪を犯した、と感じた相手にどう対応すべきかについてのイエスの教えが詳しくの語られている。

 教皇は、兄弟姉妹愛をもった咎めは、「最高の愛の表現の一つであると同時に、最も厳しいものの一つでもあります… 信仰を持つ兄弟姉妹があなたに不当な扱いをしたとき、あなたは恨みを抱かずにその人を正すことで、助けるべきです」と語られた。

 だが、そのような場合に私たちが最も頻繁にとる最初の対応は、その人に面と向かって一対一で非を咎めるのではなく、その人が自分に不当な扱いをしたという”ゴシップ”を広めることだ。「 そのような対応を、神はお喜びになりません」とされた教皇は、「ゴシップは、人々と地域社会にとっての”疫病”」であることをいつも思い起している、と指摘。

 クレルヴォーの聖バルナール(12世紀フランス出身の神学者。聖人であり、教会博士で、すぐれた説教家でもあった)の言葉を引用して、ゴシップは「分裂、苦しみ、スキャンダルをもたらし、改善や成長には決して役立たない… むしろ私たちを破滅と破滅へと突き落とす、と言われています」と述べられた。

 そして、「私たちが誰かに傷つけられたとき、イエスはより良い道を提供してくださいます。それは、あなたの誰かがあなたに対して罪を犯したなら、彼の所に行って、そのことについて二人の間で話す、ということです。相手が自分に落ち度があったことを理解できるように、面と向かって話し合うこと。彼ら自身のために行い、自分が受けた恥を克服し、真の勇気を出してください。相手を中傷するのではなく、丁寧に、優しく、相対して伝えることです」と促された。

 また、この福音書の箇所でイエスが進めておられるように、一対一で率直に話をしても、相手が態度を改めない場合、他の人に助けを求めることになるが、 「その場合、気をつけてください。ゴシップを振り撒くグループにならないように!」 と注意され、助けを求めるのは、「誤った道を歩んだ兄弟姉妹に心から手を差し伸べたい、と考える人を選ぶべきです」と説かれた。

  そして、このような手順を踏んでも、相手の心に変化が無い場合、「私たちは、その人を嘲笑したり、公衆の面前で恥をかかせるのではなく、その人が変わるのを助けるための努力を一致して行うために、イエスが言われるように、教会共同体に申し出ることになるかも知れません」とされたうえで、その場合も、「相手を一方的に非難するのはよくないことです。そうすることで、相手が自分の誤りを認めるのを難しくすることがよくあります。共同体は、その人の過ちを批判しつつ、祈りと愛によって過ちを認識し、赦しを受けてやり直せる、と彼らに感じさせるようにせねばなりません」と忠告された。

 説教の最後に教皇は、自分を不当に扱う人々に対して、どのように対応すべきか、について次のように自問するように勧められた-「何も対応せずに、恨みを自分の中にため込むのか?」「 当人のいない所で、そのことを他の人に話すのか?」、 それとも、「自分を不当に扱った相手に話をしてみるのか?」「 その相手が善に立ち戻るように、祈るか?」。

 そして聖母マリアに、「私たち一人一人が、他者との関係において善の道を模索できるように」助けを願われた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2023年9月10日