☩「『主の祈り』を唱えるたびに、私たちはルーツを取り戻す」ジュネーブでのミサ

スイス・ジュネーブで行われた、教皇フランシスコ司式のミサ – REUTERS

(2018.6.21 バチカン放送)教皇フランシスコが21日、世界教会協議会(WCC)創設70周年を機会にジュネーブを一日訪問された。

 ジュネーブ市内のエキュメニカル・センターでキリスト教諸教会の代表たちとの祈りの集いや、WCC関係者との出会いを持たれた後、同日夕、見本市会場・パレクスポで、ミサを司式され、スイス全土から約4万人の信者が参加した。

 ミサ中の説教で、教皇は福音の朗読箇所、マタイ福音書(6章7-15節)を取り上げ、イエスが弟子たちに教えられた「主の祈り」の「御父」「パン」「赦し」の3つの言葉を「私たちを信仰の中心に導くもの」として示された。

 主の祈りは「天におられるわたしたちの父よ」という呼びかけで始まる。教皇は「神は無限で永遠ですが、まず第一に父です」と強調。「父よ、という呼びかけは、神の心に入るための鍵であり、父よ、と言うだけで、私たちは『キリスト教という言語』で祈ることになるのです」と話された。

 そして、「主の祈り」は、「『愛されている子たち』という私たちのアイデンティティーを表わす式文」であるとし、「主の祈りを唱えるたびに私たちは自分たちの根源を取り戻すことができます。これはルーツを失った今日の社会において私たちに必要なこと」と強調され、「父がいるところでは、誰もが除外されません。子である私たちは、この『家族』を大切にし、兄弟たちと互いに愛し合わなければなりません」と説かれた。

 また、教皇は、主の祈りの「わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください」を取り上げ、このように「父に」に願うのは、その日に必要な「糧=パン」だけ、それ以上のものは望まない、日ごとの糧を父に祈り求めることは「すべての人に必要な糧がいきわたる」ように願うと同時に、「簡素な生活ができるよう助けてください」と願うことでもある、と指摘。「私たちが忘れてはならないことは、日ごとの糧(パン)とは、すなわち『イエスである』ということ」とされ、「私たちは、イエスなしでは何もできないのです」(ヨハネ福音書15章5節参照)と話された。

 さらに、「主の祈り」の内容の中で、イエスが唯一コメントを加えているのは「私たちの罪をお赦しください。私たちも人を赦します」という部分であること(マタイ福音書6章14-15節参照)に注意を向けられ、「『赦し』は、主の祈りの中でも動かしがたい要素。神は私たちの心をあらゆる罪から解放されるが、私たちもまた、絶えず人を赦し続けるようにと望んでおられるのです」と話された。そして、「赦しは、人を新たにし、奇跡を起こします」と語り、イエスの赦しを体験してイエスの群れの牧者となったペトロ、ステファノの赦しを目の当たりにして回心したパウロらを思い起こされ、「私たちは父から赦され、兄弟たちを愛することで、新しい人間に生まれ変わります。赦しは、悪を善に変えます」と、赦しの力を説かれた。

(「カトリック・あい」編集)

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2018年6月22日