◎教皇連続講話「祈りについて」⑱私たちは祈りを通して、父と子と聖霊に近づける

(2021.3.3 Vatican News  Christopher Wells)

   教皇フランシスコは3日の一般謁見で、前週に続いて「祈りについての」講話をされ、「祈りと三位一体の関係を」テーマに、「祈りが愛である神の大海へ私たちの心を開いてくれたのは、イエスのおかげ。私たちは祈りを通して父と子と聖霊に近づくことができる」などと語られた。

 

*神の前に私たちは貧しい

講話で教皇はまず、「すべての祈りが同等であるとは限らない」とされ、「おそらく神は、私たちの祈りに満足しておられず、私たちもそれに気づいていません」と語られ、アッシジの聖フランチェスコの言葉「あなたの名前を語るのにふさわしい人はいません」、そして、私たちが毎回のミサの中で繰り返しているマタイ福音の百人隊長の言葉「主よ、私はあなたをわが家にお迎えできるような者ではありません」(8章8節)を引用された。

そして、「そのような私たちを、神がなぜ、これほどまでに愛されるのか、神がなぜ私たちの祈りを聴いてくださるのか。はっきりした理由はわかりません。歴史を通して、人々は、神々を、あるいは異教の神々を、人間の出来事とは離れた、ないしは関心をもたない存在として見てきました」とし、「しいて言えば、神を説得し、喜ばせようとするのは、私たちです」と語られた。

*人類を愛する神

教皇は、人類を愛してくださる神を信じる「勇気」を持つことができるのは、イエスを通してだけであり、「私たちは、イエスが話された慈悲深い父のたとえ話、失われた羊を探しに行く羊飼いのたとえ話で、神の愛を知りますが、私たちがイエスに会わなければ、そのような話を想像することも、理解することもできなかったでしょう」とされた。

「どのような神が、人のために死ぬ用意ができるでしょうか?どのような神が、見返りに愛されることを求めることなく、常に、辛抱強く、愛するでしょうか?どのような神が、事前に遺産の分配を要求し、家を出て、散在してしまう、感謝のかけらも持たない息子を受け入れるでしょうか?」と教皇は問いかけた。

そのうえで、教皇は、イエスが私たちに「神の父としての親密さ、思いやり、そして優しさ」を教えるのは、イエスの生きざまと、私たちのために命を捧げようとするイエスの意思を通しである、と説かれ、「三位一体のおける父と子と聖霊の互いの愛を理解することは、私たちはできません。そしてイエスなしには、この神の愛が広がり、私たちの岸に及ぶことを、私たちが理解し始めることはなかったでしょう」と説かれた。

最後に教皇は、「カトリック教会のカテキズム」を引用して、「したがって、イエスのもつ神聖な慈悲の心は、私たちの父なる神に祈るように聖霊が教える道なのです」と語り、「それは、私たちの信仰の恵み。私たちはより高い召命を期待することはできなかったでしょうーイエスの慈悲の心は、三位一体の命そのものを私たちにくださるのです」と締めくくられた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年3月3日