♰「私たちの使命は希望と愛を生む”小さなランプ”になること」教皇の四旬節第二主日・正午の祈り

(2021.2.28 Vatican News  Devin Watkins)

   教皇フランシスコは2月28日、四旬節第二主日の正午の祈りの説教で、この日のミサで読まれたマルコ福音書のイエスの変容の箇所(9章2-10節)を取り上げ、「私たちの祈りの体験を、世界に希望を運ぶ熱意に向けるように」と信徒たちに促された。

*「主の変容」が弟子たちに思い起こさせたのは

 説教の冒頭で、教皇は、弟子たちを連れて高い山に登られる前に、イエスが彼らに話された言葉ーご自分が殺されるが、復活することーに注意を向けられ、「(弟子たちにとっての)メシアの力強く、勝ち誇ったイメージが危機に瀕し、弟子たちの夢は打ち砕かれます。自分たちが信じていた師が、極悪の犯罪者として処刑されねばならない、という思いに苦悶します」とされた。

 そうした不安を胸に、弟子たちはイエスについて山に登り、そこで、イエスは彼らの目の前で姿を変えられるー「そのようにして、イエスは、ご自分が死に打ち勝つのだ、ということを彼らに思い起こさせました… イエスの顔は輝き、衣は真っ白に輝いて、復活された方としての姿を、実際の復活の前にお見せになり、恐れおののいている弟子たちに暗闇を通り抜けるための光をお与えになったのです」と教皇は語られた。

 

*私たちも、光を受けるために「山に登る」よう招かれている

 その主の変容に対するペトロの、感動を超えた言葉ー「先生、私たちがここにいるのは、すばらしいことです」は、「邪悪なものが最後に勝つことは絶対にさせない、とイエスが弟子たちに教えようとしたことを示しています」とされ、「果てしなく続くように思われる試練に直面する時、これまでとは異なる視点が、私たちには必要になります… それは、命の神秘をくまなく照らし、私たちが自分の思考の枠組みと、この世の基準を超えて行動するのを助ける光です」と説かれた。

 そして、「私たちも、人生のあらゆる断片が復活の日の主の勝利によって輝かされるように、イエスと共に山に登るように招かれているのです」と強調された。

*「山に登る」ことは、現実を忘れることではない

 だが、教皇は、「私たちは『主の変容』への喜びを、『霊的な怠惰』にしてはならない… その山にずっといて、主の変容の素晴らしい体験を楽しむことはできないのです。イエスご自身が、私たちを谷間に、私たちの兄弟姉妹の中に、日々の生活に連れ戻されます」とも語られ、「『霊的な怠惰』は、他の人たちの苦闘に目をつぶり、自身の幸せに安住するようにさせます… 『山に登る』ことは、現実を忘れることを意味しません。祈ることは、人生の困難を避けることを、決して意味することはないのです」と警告された。

*キリスト教徒の使命は人々の心に小さな明かりをともすこと

 最後に教皇は、世界のキリスト教徒に対して、自分たちの体験をイエスと共に変容させ、イエスの光を世界中にもたらすように求め、「すべてのキリスト教徒の使命は、人々の心に小さな明かりをともすこと、少しばかりの愛と希望を生む福音の小さなランプになることです」と説かれた。

 そして、聖母マリアに、「キリストの光を喜んで受け入れ、大切にし、兄弟姉妹と主を分かち合うように、私たちと共に歩んでください」と祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

 

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2021年2月28日