(2021.3.24 Vatican News Devin Watkins)
教皇フランシスコは24日、水曜恒例の一般謁見で「祈りについて」の連続講話を続けられ、今回は「マリアとの交わりのおける祈り」に焦点をあてられた。そして、「聖母マリアは、愛する人々の慰めを受けないまま孤独のうちに亡くなる方のベッドの側にいてくださいます」と強調された。
カトリック教会は25日、主のお告げの祭日を迎えるが、教皇は、その前日にあたっての講話を、キリスト教徒のあらゆる祈りの中心にイエスがおられることを指摘することから始められ、「私たちが神に捧げるどのような祈りも、キリストを通して、キリストと共に、キリストの中でされ、キリストの取り次ぎへの感謝で満たされます… キリストは、唯一の贖い主、キリストと共に贖う者はいません」と話された。
続けて、教皇は、「父なる神と私たちの間をキリストが仲介してくださることは、私たちキリスト教徒が祈りの中でいくつかの関心を向けることに意味を与える… その第一は、神の母、聖母マリアです」と指摘され、「マリアは、キリスト教徒の人生の中で、特別の位置を占めています。それはキリスト教徒の祈りにおいてもです。なぜなら、マリアはイエスの母だからです」と語られた。
そして、東方教会が聖母マリアをギリシャ語で「Hodegetria(ホデゲトリア)」と表現していることに触れ、「 それは『子に道を示す者』を意味しています。マリアに関してすべてのことは、キリストに『完全に向け』られ、彼女は『最初の弟子』なのです」と付け加えられた。
また教皇は、イエスが十字架につけられた時、そのもとにいた最愛の弟子にマリアを託された時、彼女の母性を教会の構成員すべてに広げられた、「その瞬間から、私たちはマリアの外套のもとに集まってきました」とされた。そのうえで、「マリアは、ご自分の子が亡くなろうとしている最後の瞬間に、そばにいたように、私たちが『アベ・マリア』の祈りを捧げる時、亡くなりかけている人たちと共にいるのです」と説かれた。
そして、コロナ大感染の今、とても多くの方が感染拡大防止のために、病院で誰にも看取られずに亡くなることを余儀なくされているが、教皇は「マリアは、そうした孤独の中で死の床にある人たちに付き添います。母としての優しさをもって、愛する人の慰めを得ずに亡くなろうとする人たちと共にいます」と強調され、「マリアに祈ることは決して無駄ではない。マリアは私たちの声を聴きます。心の中の声も、彼女には聞こえるのです」と念を押された。
さらに教皇は、「私たちが道に迷ったり、危険な目に遭ったりしても、マリアはいつも私たちを、子供たちとして守ってくれます… マリアは、そこにいます。そして、私たちのために祈り、祈らない人のためにも祈ります。マリアは、私たちの母だからです」と講話を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」)