教皇フランシスコは4日、年間第五主日の正午の祈りに先立つ説教で、「『私たちが知っていると思い込んでいる神』を捨て、『イエスが福音書で私たちに示された愛と憐れみ深い神』に日々、回心する」という「最優先の霊的課題」に取り組む必要があることを強調された。
説教で、教皇はまず、この日のミサで読まれたマルコ福音書の箇所(1章29‐30節)を取り上げ、 そこに描かれている絶えず動き、善を行い、神を宣言しているイエスからインスピレーションを得て、「主の模範に倣い、私たちの愛ある神への信仰と希望を伝えに、旅立ちましょう」と促された。
そして、この福音で描かれているイエスの動きに注目され、「このイエスのなさり方は、神について何か重要なことを私たちに伝えていると同時に、私たちの信仰についていくつかの問いかけをしている」のだと受け止めるように、信者たちに勧められた。
さらに教皇は、「イエスは傷ついた人類に向かい、御父の御顔を私たちに見せてくださいます」とされ、一部の人々は、やや遠くに神を認識しているかもしれないが、このマルコ福音書の箇所は、「会堂で教えられた後、イエスは、神の御言葉を宣べ伝えるために外に出られ、大勢の人を癒されることを、私たちに示しています」と説かれた。
このような振る舞いによって、「イエスは、神が上から私たちに話しかける『孤高の主』ではなく、ご自身が私たちのそばに、私たちの家を訪れてくださる『愛に満ちた父』だということを示している。主は、体と心のあらゆる病いから私たちを救い、解放し、癒したいと願っておられるのです」と強調された。
そして、 「神は常に私たちの近くにおられます。神の私たちに対する姿勢は、親密さ、思いやり、優しさの3つの言葉に要約できます。神は私たちに寄り添い、優しく、赦してくださるために、そばに来られます。このことを忘れないでください。『親密さ』『思いやり』『優しさ』。 これが神の私たちへの姿勢です」と語られた。
また教皇は、 「私たちは、『慈しみ深い父としての神』の御顔を見つけたか。それとも『冷酷で遠い神』を信じ、宣言しているか。自問するかもしれません」とされたうえで、 「イエスの旅を振り返りましょう… そして、私たちの最初の霊的課題が、これであることを、思い起してください。私たちがまずやるべきことは、自分が知っていると思い込んでいる神を捨て、イエスが私たちに示してくださっている、愛と憐れみの父である神に日々、回心することです」と信者たちに強く勧められた。
「私たちが、父の本当の顔を発見するとき、私たちの信仰は成熟します… もはや『聖具を守るキリスト教徒』や『応接室にいるキリスト教徒』ではなく、『神の希望と癒しを担う者』となるように召されていると感じます」と強調され、「私たちが自分自身の殻から抜け出し、主を宣べ伝え、証しできるよう、聖母が助けてくださいますように」と祈られ、説教を締めくくられた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)