(2023.6.25 Vatican News Deborah Castellano Lubov)
教皇フランシスコは25日、年間第12主日の正午の祈りの説教で、「息苦しくさせられたり、打ち負かされそうになったりするものではなく、人生で真に大切なものに、正しい注意と気遣いをするように」と信徒たちを促され、「そのために代価を払うことが必要になったり、恐怖を覚えたりしても、『大切なものに忠実であり続けるように』とイエスは勧めておられます。(世の中や周囲の)流れに逆らっても、皆がそうだと思っている考え方をためらわずに拒否するように。そうすれば、残りのことは主が引き受けてくださるでしょう」と説かれた。
教皇はこの説教でまず、この日のミサで読まれた福音で、イエスが弟子たちに「恐れるな」と三度繰り返しておられることに注意を向けられ、「この箇所の少し前に、イエスは福音のために耐えねばならない迫害について彼らに語られています… 教会は大きな喜びと同時に大きな迫害を経験してきましたし、イエスが語られたことは、今日の私たちにも当てはまります」とされた。
そして、「神の国の宣言は、兄弟愛と赦しに基づいた『平和と正義のメッセージ』であるのに、私たちが反対、暴力、迫害に遭遇するのは逆説的。それにもかかわらず、イエスが『恐れるな』と言われるのは、世の中すべてがうまくいくからではなく、私たちは主に大切にされており、反対に遭っても、『良いものは何も失われない』からです」と指摘。私たちにとって恐れねばならない、ただ一つのことは「自分の命を捨てることです」と強調された。
さらに、 「福音に忠実であり続けることで誤解や批判に苦しんだり、名声や経済的利益を失ったりすることを恐れるべきではない。恐れるべきは、人生にとって意味のないことを追いかけ、自分の人生を無駄にすることなのです」とされ、この忠告は、「私たち一人一人に向けられたもの」と注意された。そして、「意味のないこと」の例として、「今でも、特定の流行を追わないと、笑いものにされたり、差別されたりするかも知れませんが、流行というのは大方が、人ではなくモノを、人間関係ではなく目立つ行為を価値の中心に置くもの」と語られた。
教皇は、子を持つ親たちに目を向け、「彼らは、家族を養うために働かなければなりませんが、それだけで生きていくことはできません。子供たちと一緒にいる時間が必要です」とされ、司祭や修道女についても、「彼らは、 奉仕に専念しますが、イエスと一緒にいることに時間を捧げることも忘れてはなりません。それを忘れると、『(神の栄光ではなく、人間的な栄光、自己の利益を求める)霊的な世俗性』に陥り、自分が何者であるか分からなくなります」と説かれた。
また若者たちには「彼らは、勉強、スポーツ、さまざまな趣味、スマホ、ソーシャルネットワークなど、たくさんのことに引き付けられ、懸命になっていますが、限られた貴重な時間を無駄にせず、人と出会い、大きな夢を実現するために使う必要があります」と強調。 「『効率と消費主義』の偶像に直面する中で、捨てることも必要になりますが、自分がモノに埋もれて捨てられてしまうのを避けるために、それは必要なことなのです」と訴えられた。
最後に教皇は、「 大切なことに忠実であり続けるには、代償が求められます」とされ、「その代償とは、世の流れに逆らい、世間一般の常識の縛りから自分を解放すること、『波に乗る』人た力わきに追いやられることですが、『そのようなことは問題ではない』とイエスは言われます。イエスが言われる大切なことは、『人生の最大の善を、実際の価値のないもののために捨てないこと』です」と強調。
そして、信徒たちに、「私は何を恐れているのか? 自分の好きなものが無いことか? 社会が課している目標を達成できないことか?他人の評判か? それとも、主を喜ばせられないことか?」と自分に問いかけることを勧められ、最後に、「私たちが選択を求められるとき、知恵と勇気を与えてくださいますように」と聖母マリアに祈られた。
(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)