☩「ご聖体の脆さの中に強さがあることを知る」ー「キリストの聖体の主日」正午の祈りで

Pope Francis during AngelusPope Francis during Angelus  (Vatican Media)

(2021.6.6 Vatican News  Linda Bordoni)

 キリストの聖体の主日の6日、教皇フランシスコは正午の祈りの説教で、聖体の秘跡の賜物について考え、イエスがなさったように、自身の命を賜物とするように、信徒たちにお勧めになった。 説教で、教皇はまず、この日のミサで読まれたマルコ福音書の「最後の晩餐」の後半の箇所(14章22‐26節)について取り上げられた。

 そして、「主の言葉と仕草は私たちの心に響きます…. 主はパンを手に取り、祝福して裂き、弟子たちに与えて言われましたー『これは私の体である』と。イエスは、単純明快な言葉をもって、分かち合う謙虚な仕草で、私たちに最高の秘跡をくださるのです」と語られた。

 *最も素晴らしいことは奉仕すること

 イエスが地上での使命を成就されようとする時、「多くの人たちの飢えを満たすためにたくさんのパンを配るのではなく、過越の祭に弟子たちと食事をされた」ことに注目された教皇は、「これは、イエスが、人生の目的は自分自身を捧げること-最も素晴らしいことは奉仕することだ、と私たちに教えておられるのです」とされ、また、一切れのパンに神の偉大さを見出すことに触れられ、「愛と分かち合いに満ち溢れた脆さー最後の晩餐で、イエスは、裂かれて粉々になるパンのように脆くなられますが、まさにその中に、イエスの強さが在るのです」と強調された。

 

*命を捧げる愛の強さ

 さらに「ご聖体の脆さの中に、強さがあります。喜んで受け入れられるように、恐れられないように、小さくなる愛がもつ強さです。裂かれて、分かち合われ、栄養を与え、命を与える、愛の強さ、私たちをばらばらにし、一つにする、愛の強さです」と語られた。

 続けて教皇は、ご聖体の脆さの中で際立っているもう 1 つの強さー過ちを犯す人を愛する強さについて、こう語られた。「イエスが、私たちに命のパンをくださるのは、”裏切られた夜”のこと。心に奥深い闇を感じながら、私たちに最高の贈り物をくださるのです。イエスと共に食事をしている、同じ皿に一切れのパンを浸す弟子が、彼を裏切る時に」「弟子の裏切りによる心の苦しみにもかかわらず、イエスは、この悪に対して、より大きな善で応じられます。罪人を罰するのではなく、彼のために命を捧げられるのです」。

 そして、「私たちがご聖体をいただく時、イエスは私たちに同じことをなさいますーイエスは私たちを知っておられ、私たちが罪人であり、多くの過ちを犯すことを知っておられますが、ご自分の命を私たちの命と共にすることをあきらめないのです」と説かれた。

*聖体はイエスと私たちをつなぐ

 「聖体は、「『聖人への報酬』ではなく『罪人のパン』」とされる教皇は、「私たちが『命のパン』をいただくたびに、主は、私たちの脆さについて、新たな意味をお与えになるために来られます」と語られ、「自分たちの脆さを主と分かち合わないようにすることが、あってはなりません。主の慈しみが、私たちの悲惨さにひるむことはないのです… 主は、自分で直すことのできない脆さー自分を傷つける人々に憤りを感じること、他の人々と距離を置き、自分自身の中に閉じ籠ること、自分を可哀そうに思い、平安を見つけられずに嘆く弱さーをもった私たちを、愛で癒してくださいます」と信徒たちを励まされた。

 最後に教皇は、「主は、私たちに、自分の殻から外に出、他の人々の脆さに対して、愛をもって腰を低くして接する勇気をくださいます。神が私たちになさるようにーこれが聖体祭儀の論理です。 私たちは他の人々を愛し、その脆さを助けるために、自分たちを愛し、その脆さを癒してくださるイエスを受け入れるのです」と語られ、「ご聖体の賜物を受け入れ、私たちの人生の賜物とできるように」と聖母マリアに助けを祈られた。

(翻訳・編集「カトリック・あい」南條俊二)

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2021年6月6日